勝手に直っている

電話故障で

電話会社や

修理会社からの連絡待ちだったのだけれど

一週間以上

パタと連絡がなくなった

毎日

スマホから固定電話に

電話をかけて

やはり故障していると

確認していたこのごろ

今日いつものように

電話をかけてみたら

普通に使えるようになっている

あれ?

いつの間に修理完了?

マンションのお庭に

管理人さんがちょうどいらっしゃったので

声をかけてみると

しばらくわたしから

次の修理日について連絡がないから

どうなったかなと

心配してくださっていた

とのこと

一週間以上も

連絡をしてこないだなんて

失礼だなと

おっしゃった

確かに

修理のひとからは毎日のように

連絡があったのに

パタとしてこないだなんて

失礼なのだけれど

原因がわからずに放置されたのかなと

思っていた

管理人さんに

電話が直っていたのですが

今日誰がいらっしゃいましたか?と

聞いてみたのだけれど

誰も

マンションに修理にきていないとのこと

雷で停電した

ということもなかったそうで

今まで

勝手に直っていたぞシリーズを

思い出してみると

シャワーや水栓は

勝手に直っていて

老朽化してきているくらい

自転車のパンクは

これまたある日

ペっちゃんこからパンパンに

勝手に直っていて

しばらくしてまたパンクした

その後

自転車の鍵がなくなってしまい

乗れなくなった

車のトランクも

勝手に直っていて

車検に出したらまた故障している

他にもあったかしら?

それにしても電話が

あれだけ故障原因がわからなくて

みなさん困っていたのに

勝手に直るのかな?

なぜなぜ?



男性をばかにする

わたしが

ちょっとばかり

時にかなり

男性を

冷やかな目で見たり

ばかにするようになったのは

物心ついてからで

おそらく

そうなった

本当のきっかけは

わたしが赤ん坊で生まれた時

男の子が欲しかったと

両親や祖母

散々周りから言われたことに

さかのぼる

幼いわたしは

跡継ぎができたと

思ったのに

女の子ですよと言われて

がっかりしたと

母から聞かされた

だけれどわたしは

女性に生まれて良かったと

思っていた

父親には

もも姫様と可愛がられてきた

親族や近所のひとたちには

お花が咲いたよう

かわいらしいと

言われていたから

ただ単純に女の子でよかったと

思えたのだと思う

だけれど

男の子なら良かったのに

という母親の言葉は

生まなければ良かった

に聞こえて

実際に

生まなければ良かったと

言われた経験も

あるのだけれど

男性を冷やかな目でみて

ばかにするようになる

きっかけになった

大きくなってから

心理の本か何かに

男の子が欲しかったと

育てられた女性は

男性をばかにすると

書いてあるのを読んで

なるほどと理解した

田舎だけれど

その後

とてつもなくもてる

というわたしの人生で

母には

汚らわしいなどと言われて

特をした

良かったことなど

何もなかった

基本的にわたしは自信がないから

上から男性を

見ているわけではない

旦那と出会うまでは

わたしのことを

無条件で愛してくれる男性と

出会うことができて

わがままをかわいいと

思ってくれ

もも姫様のためなら

死んでもかまわない

という男性と

お付き合いすることもできた

そのひとたちに

今は全く気持ちはない

若くて成長過程だったとはいえ

迷惑をかけてしまったわと

思う

もう恋をすることは

おそらくないのでしょうけれど

ひょっとしたらあるのかな

わたしにとって

男性とはなんだったのだろうと

思う

なにごとも

もっと丁寧に

やっていかなければいけない







仕事をやめさせられた過去

進学や就活で

親を困らせていたわたし

長男が

同じ歳のころになると

わたしに似ていて

さすがわたしの息子ねと

思う

因果応報というのか

反省したり

なぜ親は

あのようなやり方しかできなかったのかと

残念に思ったりしながら

わたしなりに

どうしてもらいたかったかなと

考えながら親になっている

わたしは運良く

教授推薦で

就職が決まったのだけれど

今の世の中

そんな簡単にはいかないみたいね

わたしは

以前書いたように

親に結婚を反対されて

監禁されたあげく

仕事をやめさせられた

という過去がある

母は自分が男の子を産めなかったからだと

泣いて騒ぎ

あげくに体調を悪くして

わたしが通院の付き添いをしていた

一番悲しい思いをしたのは

わたしなのに

理解してくれたのは

姉と母方の祖母だけだった

しばらくして

おおめしぐらいの

ただめしぐらいと

母に言われ始めて

姉が

仕事をやめさせたのは

お母さんでしょうにと

注意してくれたのだけれど

母は聞いてもいなかった

わたしは母が嫌いだった

いったいわたしは

どうしてあんなに

自由を奪われていたのか

親という呪縛から

離れられなかったのか

その後

自分で仕事を見つけてきて

働き始めたわたしに

母は満足した様子で

次はいつものように

恋愛について見張るようになった

1日でもはやく

家を出たかった







2019年9月13日 (金)

子供を信頼する

子供を愛して大切に思うあまり

心配になる

心配になると

口うるさくなる

余計なことも言うようになる

子供としては

愛情があるから心配して

うるさくしているんだなと

わかってはいるのだけれど

子供が

ある程度大きくなった時

親からしてみれば

気づかないうちに

子供を信頼していないような

言動をしている

信頼しているからと

言いながらね

だから信頼しているなら

少しずつ

信頼している風に

態度を変えていかなければ

子供は認めてくれないストレスを

抱えることになる

子供が幼い頃は

許されないことを

厳しさで教えることが

案外できていても

ある程度大きくなると

どこまで厳しくしていいのか

わからなくなるよね

厳しくというのは

怒鳴る 叩く 責める

ということではなく

諭す

ということ

家庭には

バランスよく

優しく受けとめるひと

信頼してくれるひと

ぶれずに厳しく諭すひとが

必要になってくる

きっとこの3つくらいが

子育てに必要なんじゃないのかな

これは

ひとりでやろうとすると

多重人格みたいになるから

子育ては

さまざまなひとの知恵を

うまく取り入れて

協力してもらいながらじゃないとね

なかなか難しい




受け取らなくて良いもの

世の中には

受け取るべきものと

受け取らなくて良いものがある

なんでもかんでも

受け取って

自分のなかに入れて

悩んだり苦しんだりしていると

自分を守れなくなり

パンクしてしまうじゃない?

例えば

ひとから

悪口を言われていたとする

悪口はできれば

言われたくないけれど

悪口を言わないひとは

本当に少ない

わたしの周りには

悪口を言わないひとが

結構いるかな

悪口ばかり言うひとは

話すことで発散しているのかも

しれないけれど

言われた方は

傷つくよね

でもこれは

受け取らなくて良いもの

悪く言われている内容に

心当たりがある場合は

反省すればよいから

これは

受け取るべきものに

ちょこっと入れておく

優しい気持ちで

なんでもかんでも

受け取ると

大変なことになる

受け取らなくていいと

気持ちを切り替え

心穏やかに

好きなことをしたり

やりたいことをしたり

した方が

時間の使い方としても

きっといいよね









2019年9月12日 (木)

相談相手を探す

自分が悩んでいる時は

相談相手を

探して

心を開いていく

ということが

必要になってくるのだけれど

相談相手を

間違えたり

相談しない方が良かったと

後悔することもあるはず

信頼できる

心のレベルの高いひと

というのは

一筋縄では見つからないもので

違う違う

違う違う

なんか違うを

繰り返して

見つかる

何回か

泣くような嫌な思いをしても

諦めないで

共に生きていくべき

尊敬できるひとを

見つけられるといいな

長い時間をかけたとしても

わたしの経験上

信頼できるひとは

必ず何人かは存在すると

思うから

これはね

話しやすさ

ということではなく

目標とできるひとを

探すべきだと思う

解決するのは自分

なので

そこは忘れないように

知恵をいただく

という意味でね

見つけていけたらいいな


喜びや苦しみは

志を決めて

努力 精進する

そのなかで

必ず喜びや苦しみはやってくる

苦しみは嫌だなと

思っても

喜びと苦しみは

波のようにやってくる

というのが

世の常

実は

苦しみはいずれ

乗り越えれば

喜びに変わる

必ず良い結果に繋がっていると

信じることが

できたら

勇気もわいてくる

というもので

家でひとりでいたら

何もないのか

といったら

生きているかぎり

喜びや苦しみは

波のようにやってくる

もうやめてよ

ってくらいにね

平等にやってくる

一切皆苦

すべて苦しみであるという

仏教の言葉があるけれど

わたしには

難しくてよくわからないものの

気持ちをざわつかせることと

考えてみると

喜びも

すべて苦しみであると

いえるのだと思う

ならば

喜びは苦しみであり

苦しみは喜びである

ということになるよね


2019年9月10日 (火)

怒りを抱き抱えている

自分の気持ち

感情は

自分のなかから出てくるもので

相手が原因ではない

ということを知っているひとは

やたらに

ひとのせいにして

いつまでも醜い感情を持たない

誰かに

腹をたてていたり

誰かのせいでと

恨んでいたりすることが

あったとする

それは

誰かのせいではなく

実は

自分のなかから出ている感情で

怒り

というものを

自分がぬいぐるみみたいに

抱き抱えて

手放していないという状態

それって

客観的にみたら

なんだかとても醜い

相手は

両親 友人 職場のひと

まぁ 

とにかく生きていれば

さまざまなひとだと

思うのだけれど

今この瞬間に

わたしを

苦しめていたり

危害をくわえたり

しているのかな?

というと

案外過去の出来事

だったりする

今この瞬間なら

自分を守るために動かなければ

いけないのだけれどね

今この瞬間に

何もされていないのなら

相手が悪いわけではない

過去の出来事を

怒り

だけにして

自分が抱き抱えて離さずに

生きている

自分が

自分を苦しめているというわけ

だから

怒りを手放してみたら

どうだろう

そもそもその怒りは

自分から出てきている

感情で

周りに暗いかげまで

落としている

やっかいなやつ

死ぬ時

怒りを抱き抱えたまま

醜い心のままで

死ぬのは

あまりに寂しい

ありがとう 感情

という美しい心でいたいもの

親がわたしを傷つけた

友人がわたしを傷つけた

うらぎられた

だからわたしは傷ついている

という過去が

どうしても許せなかったとして

解釈をかえてみる

という方法もある

解決は自分次第

自分に原因があることもある

歳を重ねれば

経験のなかで

解釈も違ってくるというもので

無理に許さなくてはいけないと

思ったり

見返してやる 負けないぞ

などと思ううちは

まだ

怒りが存在している

事情があったのでしょうね

くらいに考えてみる

いつまでも

自分を苦しめていたのは

自分で

相手ではなかったと気づいて

怒りを手放してみると

わたしは ぼくは

楽になれると思うんだよね

怒りって

いいところ

何もないから

苦しい家族の姿

自分が不甲斐ないとき

許せないとき

思うようにいかないとき

苦しんでいるとき

助けて欲しいときに

人間は

平然としていられるほど

強くはないよね

苦しい場面で

幸せを見つけることが

得意なわたしにも

弱々しく泣き出したくなる

ところは

もちろんある

それに

息子みたいに

心のなかに苦しさをためていると

吐き出したくなるもので

その

吐き出している時は

こちらから見ると

わたしが傷つくことや

腹立たしくなることを

言っているものだから

こちらはいちいち

傷ついたり

腹をたてたり

愛する息子の言っていることだからと

数日してケロリと忘れたり 笑

わたしのやり方が

悪かったのだろうか

反省すべきことは

あるよね

などと悩んだりすることになる

でもまてよ

よくよく愛する息子をみると

こちらに対して

嫌なことを

言っているのではなく

助けて欲しい

苦しいよと

言っているようにみえるじゃない!

息子の言葉は

苦しい息子が

なさけなくて

どうしようもない

息子自身に向けて言っている言葉

なんだよね

だから息子が

しばらく吐き出したり

蹴散らしたりしたら

うんうんと

落ち着いた様子で

わたしが受けとめて

長く休ませる

という

おおらかな気持ちになれば

すっと

解決していくものがあるに違いないの

家族が

騒げば騒ぐほど

息子が原因だと

疲れれば疲れるほど

みえなくなるものがある

それに

例えばだけれど

わたしが息子を責めるなどして

わたし自身が

安心できる居場所にならなければ

息子が

帰るところがどこにもなくなる

つまり

家族が

表面上のことばかりを

みていると

奥に隠れた

助けて欲しいを

家族なのに

見落としてしまう

受け入れてもらえて

エネルギーチャージできる場所は

せめて家庭

母親のわたしでありたいと

わたしは思う

大切なものを

失うという

自分にとって一番

悲しい結果にならないように

したい

平穏な気持ちで

そうなんだね

つらいよねと

受け入れればよいものを

近道させよう

はやく解決しようと

自分の価値観や

自分の悲しさばかりを

押し付けている家族は

悪化していく

遠回りが近道ということに

気づいていかなければ

いつまでも

望む平穏な日々など

やってこない

問題が起きた家族がいたら

本当の苦しさに気づいて

理解する努力をすれば

自分もまた

苦しさから解放されると

わたしは思う






無償の愛

母親の無償の愛は

尊いものだと思う

個人差はあるけれどね

わたしは

息子に八つ当たりされても

わたしのせいにされても

それで息子が前を向けるなら

こい !

思ってきた

息子が

いつかわたしの気持ちを

わかってくれても

わかってくれなくても

どちらでもいい

健康で生きてくれていたら

問題なし 

母親が必要なくなるまで

死ぬ気で守る

うざい

めんどくせぇと

言われても

いつまでも心配する 

子育ては本当に大変で

やっかいなことばかり

なのだけれど

どんなことがあっても

わたしにとって息子は

幸せそのものだと

思っている



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