2017年12月10日 (日)

ゴールばかりを気にする

目標があり

現実のものにしようと努力する

何が足りなかったのか

何が悪いのかと悩む

本当は

紅葉狩りに行きたいのにね

人生をやり直せるなら

いつからと

聞かれたら

やり直さなくてもいいと

わたしは思う

やり直しても

やり直したと気づかずに

また同じ事をしていそうだから

それに

また同じ努力をする

元気もない

格好よく言えば

今を大事にしたい

目標ばかりを気にしている時は

ゴールが遠くに思える

輝いていると思える

苦しいのは

ゴールばかり見ているからで

途中の過程を

楽しむというのかな

楽しむ心意気みたいなものを

すっかりと忘れているから

いざ始めてみると

険しい道のりばかり

苦しみは

ゴールの向こう側を知るための

途中経過だから

楽しみに変えてしまえばいい

ゴールに到着して

達成感などなどを味わう

それは素敵なことだけれども

また達成感が欲しくなるはず

途中の風景を楽しむことができたら

ゴールなど

いつのまにか通りすぎている

ゴールなんて勝手に

自分が決めたことなのだから

やけに遠くに置かなくても

小さなゴールがたくさんあった方が

いいんじゃない?

ゴールゴールと

うるさいのだけれども

2017年12月 9日 (土)

また何かに

また何かに

感染してしまったわたし

たんに色があり

喉がパチパチとし始めた

大学病院で何かもらってから

熱も出ていた

発作も続いていた

体がひどく痛かった

食材を目の前に

頭も痛くなる

息子が食べてくれなかったら

どうしよう

ずっと食べなかったら

どうしよう

病院どうしよう

そんなことばかり考えて

ひどく疲れている

また病院行かなくちゃ

究極のフルーツ

伯父から次男の好きな

フルーツが届いた

手に入らない特別なフルーツで

これなら食べられるから

しばらく安心ねと

母が言った

目をパチクリ

究極のフルーツだわ

次男が

こんなことを言った

時々送られてくる

わたしの両親や親戚からの

お裾分けや贈り物が

ゴージャスすぎる

言われてみればそうね

ありがたいことよね

わたしの母方も父方も

肩書きが立派すぎる

確かにね

パーフェクトに裕福で

貧乏なひとや

誰かを困らせるようなひとがいない

まぁね

祖父母や本人の

能力と努力あってのことでしょうね

長男も

お裾分けを友達にプレゼントしたら

こんなの

食べたことがないと

お父さんと食べたんだと

お礼を言われたとか

お父さん…そうなの?と

わたしは驚いた

うちではたまに

賞味期限が過ぎていて

ごめんなさいと

捨てることもあるのに

両親は貧乏だ

なんて言っているけれども

そうでもないのかな

なんて考えていると

次男はこう続けた

だから自分が

初めての失敗ではないか

なのにどうして

かわいがってもらえるの?

わたしは少し驚いて

失敗じゃないでしょう

そこ

失敗にカウントしないところだよ

失敗したら

可愛がられないなんてことも

ないよ

恥というなら

わたしが もも家初の恥さらし

いろいろやらかしてきているから

あなたなんて平気

大丈夫 アハハ

健康が一番

世界中の誰がどう思おうと

わたしは

世界中の誰より

息子を愛している✨きらり

それでよしと

答えた

そんなこと

考えていたのね

かまへん かまへんなのにさ

わたしなんて

父に

もも姫はかわいいからいいよなーと

育てられてきたから

そんなこと

考えたことがなかった

親族はすごいね✨素敵✨くらいしか

思っていなかった

この楽天的なところ

次男にわけてあげたいわ

レモンの香り

母から

手作りのシフォンケーキが

送られてきた

ほんのり

レモンの香りがする

次男といただいてみると

驚くほどに柔らかく

あっさりとしていて食べやすい

米油が使ってあるらしい

何度も焼いて

やっと満足なものが

完成したと

母が言っていた

次男が食べたよと言うと

あらー良かったと

喜んでいた

母が

長男も

よく見てあげなさいねと

言った

わたしは

長男くらいの歳の頃

両親に感謝は

していたけれども

パパっ子だったということもあり

母があまり好きではなかった

母の生き方が

好きではなかった

今もべったりではない

母は大事なことを

姉から聞こうとする

難しいことは

すぐに姉に頼もうとする

わたしは歳の離れた姉を

母親のように思ってきた

以前カウンセラーに

母親がなんでもしてくれて

かいがいしく世話をするひと

ではないのに

息子にかいがいしくしているのは

とても大変なこと

見本がないからね

面倒見の良いお母さんかと

思っていた

お母さんから

してもらっていないことを

息子にしているのは

つらいことよと

言われたことがあった

確かに

母がやっていたことは

無理をしないでも

自然にできている

けれども母がやっていなかった

ことは

かなり頑張らないとできないし

母のようになりたくないと

難しく考えすぎてぎこちなくなる

子育ては

そういうものなのかもしれないけれど

2017年12月 8日 (金)

青空の彼とクリスマス

クリスマスも近いので

青空の彼が

サンタクロースになったところを

想像してみる

暇なわけではないけれど

ぶふ

恋をしてから9回目のクリスマス

ブログを始めたのも

クリスマスの前だったわ

もし青空の彼が

クリスマスくらいは

わたしと友人になってもいいかなと

考えてくれて

ブログを見て

コメントを入れようとしたら

いったいわたしのブログは

彼の目に

どんな風にうつるのでしょうかと

眺めてみた

嫌な予感がする(笑)

ラブレターはかなり脱線

絵手紙も作っていない

それに

我が出すぎている

可愛らしくもないことを

書いている

どうせなら

誰もがコメントを書き込みやすい

平凡で

おだやかなブログなら良かったのに

ラブレターも

ずっと一途 普通に好き

というような内容なら良かったのに

でもわたしは

こんな風にしかできない

もしココに

メリークリスマス ほっほっほーと

サンタクロース風に

メッセージが届いても

わたしはそれが

青空の彼かどうかわからない

彼と間違えたり

イタズラされたりしたことが

何度かあるから

きっと10年も

長く片思いをしていることや

ズバリ書いていることが

まさか本音を書いているわけもないし

ブログだから

ほぼ嘘でしょう

かまってちゃんでしょうという風に

思われて

いろいろなことが

起きていたのでしょうね

それにわたしの文は

時にひとを突き刺すところがあるから

だけれど

本物のラブレターを彼に渡した

わたしにはもう

どう考えても

ココにラブレターの続きを書くことしか

できることが見つからなくて

もしここに

青空の彼への思いを書いてこなければ

花の咲いていない桜の木が

寒空のなか

たくさんの栄養を蓄えて

静かに力強く立つ姿が

美しいなどと思いもしなかった

彼に出会えて良かった


2017年12月 7日 (木)

断られるショック

今回の出来事で

断られるショックを

何度か経験した

普段は断られることを

さほど気にしていなくて

自然の流れに逆らわない と

わりとのんきに

考えていたわたし

きっと断ってくる相手が

自分が信頼できるひとなら

さほど気にしないで

納得できるのではないかと

思う

絶対に断られないなんて

安心のある出来事が

存在するかどうか

わからないもの

自分の方が立場が上だとか

自分のプライドがとかなんとか

考えて

謙虚な気持ちがなくなっていると

断られるかもしれないと

考えただけで不安になる

断られたら

断られたで

次を考えればよいだけで

たいしたことでは

ないのにね

わたしの場合は

子供のことだから

責任を感じて腹も立った

ここは客観的に公平に冷静に

今後のことを考えて

動いていかなくてはいけない

それにしても

世の中はおかしなことが

多くて

どうしても嫌なことを考えて

無駄な時間を過ごす

さっさと切り上げて

良い時間にしたいところだけれども

青空の彼ならなんて言う?

青空の彼なら

謎のあしながおじさんなら

今回のことを

なんて言うでしょうか

なにやってんの?と

笑うかな

バカなことやっているんじゃないよと

怒るかな

ちょっと聞いてみたい気がした

わたしの心のなかには

大きな存在があって

青空の彼のように思えて

それは自分自身

なのかもしれないけれど

その大きな存在に

力をもらい

いつも励まされている

父がU.F.Oを信じているのと

似たようなものかしら

お酒をのみながら

U.F.Oの存在は絶対だ

などと信じて爆笑している父は

嬉しそうだもの

違うかしら どうかな

おしゃべりができないひと

おしゃべりができないひとがいる

声が出づらいひと

話せないひと

だけれど案外

イエスとノーがわかれば

普通に生活できる

うなづくか

首をふるか

意思表示ができれば

細かいことはさほどね

どちらかというと

おしゃべりができない方が

助けてくれるひとが

まわりに集まり

おしゃべりなひとは

ひとりでできそうねと

ひとは判断する

だから

おしゃべりができなくでも

できるひとは

できるでうるさがられたり

助けてもらえなかったり

するわけだから

まぁ大丈夫

明るく見せようとか

うまく話そうとか

立派に見せようとか

そんなことを考えていたら

自分らしくなくなって

自分は自分のままでいいと

思えなくなる

背伸びしなくてもいい

自分は自分のままで

愛し愛されるから

おせっかいの理由

実家にあやしい印鑑売りがくる

信心深い母は

そのひとにいろいろ言い当てられて

盛り上がっていた

当たるも八卦

当たらぬも八卦と

わたしは思うのだけれども

下のおじょうさんは

おせっかいやき

遠くにいる

などと言われて

母は驚いたらしい

ももちゃんは

おせっかいやきじゃないと

言ったら

いやいや

自分のことより

他のひとのことを気にして

おせっかいをやくと

言われたらしい

わたしに

おせっかいじゃないよねと

母が聞いてきたので

おかあさん

わたしはおせっかい

それで余計なお世話をして

自分を後回しにするから

自分でも困っていたと話したら

母は驚いていた

案外わたしのこと

知らないんだわ

最近は

おせっかいやきをしなくなった

求められた時だけに

している

そっちが気になると

どうしても自分の大事なことが

おろそかになるから

おそらくね

相手がさほど困っていなくても

自分と同じように

困っていると思って

相手のなかに

困っている自分を見つけて

それで

その自分をなんとかしようと

思うから

おせっかいになると思う

その自分に叫んでいるのだと

思う

感謝されることも

多いけれど

言動に気を付けても

余計なこと

だったのかもしれないと

やめることも多い

誰かのためにと思いながら

自分のためにやっている

本当は

相手を心配しているのではないから

必要ないことまで

首をつっこむことになる

たいした悩みでなければ

いいのだけれども

重い悩みで

子供のこととなると

ついおせっかいをやいてしまう

ココに

いろいろ書いている屁理屈も

誰かの役にたてたらいいなという

おせっかいなももちゃんの屁理屈

なのだけれどもね

2017年12月 6日 (水)

ゆがみを振り返る

人生を振り返り

丁寧にできていなかったことを

考える

母が

そしてわたしが

丁寧に生きていなかったことは

なんだろう

わたしが幼い時

母がお地蔵さんの前の細い道を

歩いて

1度も振り返らずに

仕事に行っていた

わたしはひどく泣いていたことを

覚えている

いつも

しっかりものの姉が

慰めてくれていた

たまに祖父のところに

あずけられていて

帰りは夜遅く

寒かった

バス停で母と手をつないで

ぶくぶくに着せられたわたしが

バスを待っていると

お店の前の

ホカホカのあんまんが見えた

母がひとつ買ってくれた

わたしが幼稚園の時は

母は仕事をやめていた

わたしは

事情を話さずに

お地蔵さんの前で

振り返らなかった母のように

息子に

同じようなことを

してきてはいないかと

いつも考える

方法なら

いろいろあったはずで

いくら幼くても

話して聞かせることはできた

いくら自分に余裕がなくても

10分くらい早起きすれば

10分一緒に過ごすことができた

だけれどわたしたちひとは

自分をかわいそうと

思ったり

誰かのせいにして

安心したり

誰かに依存しようとしたり

まぁそんなことは

誰でも思うこと

それが生きていることだから

絶対に悪いとは

言わないけれども

そんなところがある

丁寧にできていなかったことが

シワみたいになって

巡りめぐって

大きなシワになり

時をかけて

大きく大きくゆがんでいく

ものではないかしらと思う

自分は正しいのだ

これは仕方がないことだ

などと勝手な理由をつけて

逃げて

やってこなかったことが

後々いつまでも

自分を苦しめることになるように

思う

原因なんて

なんとなくはわかっていても

はっきりとはしないものだから

原因を探していたら

前に進めなくなるけれどね

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momo

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