喜びに変わるように願って
教える
ということはとても難しい
教えるという言葉を使っていいのかどうかも
よくわからない
でも私は
何も知らなかった私は
たくさんの方々に
多くのことを教えていただいて
ここまでやってこれた
それはそれは
腹立たしいことも
悩ませたことも
呆れさせたことも
たくさんあったと思うけれど
でも
みなさん
怒らないで丁寧に教えてくださった
それに
何も知らなかった私が
後悔したり
前に進もうともがいている時
静かに見守ってくださった
少しずつ少しずつですと
導いてくださった
一緒に頑張りましょう
大変だったですね と
おっしゃってくださった
だから今度は
何も知らない人に
私が教えなければいけない
時間をかけて
ゆっくり
瓶の口に大量の水を注いだみたいに
たくさんこぼれてしまう
かもしれないけれど
少しは注がれて
それが
相手の
喜びに変わるように願って
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「教える」ということは、事実を覚えさせることもありますが、学び手が、その人の生きざまを、「どう感じて、どのように理解するか」と言うのも必要だと思います。
自分の生き方をさらけ出す。とっても勇気が求められることだと思います。
でも、あせらず「自分のペース、マイペース」。
投稿: しげまる | 2011年10月 8日 (土) 10時26分
しげまるさん、ありがとう。
理解する側が大きなお鍋みたいな人なら、
苦労はしないですけれどね。
なにせ、瓶の口ですから
ももさんは教育者にはなれませ~ん。
投稿: もも | 2011年10月 8日 (土) 19時44分