ここにいるだけでいい
お布団の洗濯を
終わらせたわたしは
セミの声を聞きながら
せっけんの香りのまま
まどみちおさんの詩を
壁に飾ってみようと
少し背伸びをしていた
そこには
ぞうもマメも
そこにいるだけでいいと
書いてあった
そうそう
わたしは
ここにいるだけでいい
あなたは
そこにいるだけでいい
あなたは
あなたのままでいい
地球に守られて
それからそれから
壁に貼った詩を見上げて
考えていたら
いつの間にか
口がぽかんと開いていた
« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »
お布団の洗濯を
終わらせたわたしは
セミの声を聞きながら
せっけんの香りのまま
まどみちおさんの詩を
壁に飾ってみようと
少し背伸びをしていた
そこには
ぞうもマメも
そこにいるだけでいいと
書いてあった
そうそう
わたしは
ここにいるだけでいい
あなたは
そこにいるだけでいい
あなたは
あなたのままでいい
地球に守られて
それからそれから
壁に貼った詩を見上げて
考えていたら
いつの間にか
口がぽかんと開いていた
科学者のかたが
おっしゃったのですけれど
研究したがぎりDNAは
10ヶ所くらい不具合があるもので
それは
みんな10ヶ所なのだそうです
つまり
完全な人など
ひとりも存在しない
ということで
不具合が起きている場所の違いで
それぞれ
いろいろなことが
表面に現われているだけだ
ということです
みんな同じなのだから
その不具合の現れ方で
差別してはいけない
みんな同じで
みんな違う
みんな違って
みんないい
そういうことなのでしょうね
ミモザ模様のスカートを買って
喜んでカメラを持ったら
なにか真っ暗で
とうとうカメラが壊れたのだと知る
壊れた と
小声ながら叫ぶ
今まで
海や森や
花や川を写してくれて
ありがとう
大事に使えなくて
ごめんね
雨に濡らして
砂だらけにして
転んで落として
ラブレターに付き合わせて
ごめんね
定期入れに入っていた
ちいさなグリーンのカメラは
最後一緒に
日傘のなかから
黒いアゲハ蝶を見て
その後
真っ暗になった
デジブック『 日傘からの情景 』鶸色の夏
http://www.digibook.net/d/6c44893f80180265776537b0804946dd/?m
よかったらご覧ください
鶸色の夏を公開しました
よかったら一緒に
お散歩してみてください
さぁ どうぞ
デジブック『 日傘からの情景 』鶸色の夏
http://www.digibook.net/d/6c44893f80180265776537b0804946dd/?m
BGM アラベスク第1番
目の前にいる誰か
目の前にはいないけれど遠い誰か
そんな誰かを愛すると
愛はあふれてきて
自分を包みます
そこに自己犠牲が
あったのかなかったのかは
わからないのです
ただ
真面目に頑張る
力一杯無理をする
そんなところはあったみたいで
自分を甘やかしてあげる
自分に優しくする
嫌な物から自分を守ってあげる
ただただ我慢しない
自分は大切にされるべきだと
自分をかばう
時に怒る
そんなことは
後回しになっていたみたいです
誰かを好きになる前に
自分を大好きでいたいです
ところで人を好きになると
感謝の気持ちがあふれてきたり
世界が美しいと感じたり
気がつけば自分が輝いていたりと
楽しいことが多いですね
だけれど
悲しいことや
苦しいことも多いです
これが
恋というものなのでしょうか・・・
それに
相手に好きになってもらおうとしても
好きになってくれるとは限らず
片想いだからといって
無理に好きになってよ
なんて言っても
そんなことは
無理してどうにかなるものではないです
相手も強要されると
嫌になるでしょうね
だから
彼に好きになってもらえない
連絡がない
それはそれでいいと
思ったりするのです
わたしは自然にここにいて
彼も
彼らしくそこにいたら
それでいいのではないか
特に幸せになれ
喜びを感じろ
そういうことではなく
好きにならない
連絡しない
そんな彼を認めていたい
うまくは言えないですけれど
そう思います
ですが大人の恋は
誰かを好きになる時
現状に満足していないから
好きになった
相手にくっついている付加価値が
好き
なんて誤解されやすいですね
詩を描くことが好きなわたしは
素直な気持ちを
おかしな言葉と
おかしな写真で表している
恋愛は
好きになってもらうための
ゲームや賭け事ではなく
純粋なものであって欲しいと
願います
大切な命というけれど
命を壊さなければ
わたしは生きていけない
毎日大切な命をいただいて
生きている
世の中には無駄なことなんて
存在しないというけれど
生きるということは
無駄なことばかりしているようで
時々
わたしは何をしているのだろうと
思う
だけれどそれが
生きているという
ことなのかもしれないよ
木の葉が染まるように
わたしも頬を染めて
生きている
アゲハ蝶を
よく見かけるようになって
蝶がひらひらと舞うので
不思議に思って眺めていた
わたしの不思議と驚きは
科学者ではないけれど
いつも存在していて
写真を撮った後は
目の前の木や花に向かって
ありがとうと
つぶやいている
またひとつ癖が増えたみたい
先日ね
科学者のかたとお話しする機会があって
こんなことを知った
アゲハ蝶は
科学感覚子毛というところで
柑橘系の葉を
ドラミングして
探しているそうで
それは卵から生まれてくる
幼虫のため
味蕾と同じかしら
家族に
大切にしてもらっていると
感じる時でも
ひどいと思う時も
愛されていると感じる時でも
愛されていないよねと思う時も
元気な時も
元気でない時も
それはいろいろあるけれど
だけれど
そんなこととは関係なく
彼への思いは
いつも心のなかにあって
家族と過ごす時間も
おなかの左側あたりに
ぽっかりこと穴が空いたみたいで
手で隠してみるものの
隠しきれないで
淋しいぽっかりこが
指のすきまから覗いている
偶然逢わせてくれる
逢わせ屋さんというものが
存在するらしい
そんなことを知ったのは
4年前だった
彼の姿を見ることは
もうないのだろう
とにかく彼に逢いたいと
毎日のように思っていた
そんなわたしの目に
飛び込んできたのが
逢わせ屋さんというものだった
偶然なんてないふたりの
偶然を装うってことみたい
逆に考えると
わたしがいつも
写真を撮っている公園のベンチに
足をぶらぶらさせているマックの席に
彼が運命的に座っている みたいなこと
偶然ですね・・・
わたしだったら
おでこに「嘘」と書いてありそう
天の川有料って
ところかしら
片想いだから片道?
片道はないでしょう
ぷふふ
おかしなことばかり考えるのは
やめて
空を見上げた
あなたの七夕の願いが
どうか星に届きますように
空が俄に透明でなくなって
雨音が聞こえてきたり
道ばたに咲く
アジサイが目に触れたりすると
もしかしたら彼がわたしを
思い出してくれるのではないかと
想う
だからわたしは
つま先立ちして
空に手を伸ばしたような
写真を撮る
アジサイがなくなって
夏が終われば
片想いは5年になる
もうすぐ七夕だから
何か書こうとしたのに
江戸風鈴のうたまろは
300年前も今も
どんな音色なのだろう
江戸切子や注染は
どれだけ美しいのだろう
なんてことを考えていた
暑い夏に
先人の夏の設えを見習って
風を変えてみるのも
彩りを添えてみるのも
おつ
どうしても聴いてみたくて
どうしても手に持って夏の日差しに
かざしてみたくて
心がはやる
最近のコメント