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空をきれいだと思ったり
道端の花に立ち止まり
写真を撮ろうと思ったり
詩を描こうと思ったり
そんな心は
お金や人間関係のことばかり
考えていると
どこかへ行ってしまう
お金にならないことは
役に立たないと
思いがちだけれども
お金にならないことが
経験となり
時が過ぎたいつか
花が咲いて心豊かに
わたしを助けてくれる
誰かに嫉妬するなら
相手のいいところを見習えば
いいし
誰かに負けたくないなら
勝ち負けじゃなかったわと
気づけばいい
気づけば
直せばいい
本当に休める日も
空を一日眺める日も
わたしには必要だから
だからわたしは
空を忘れないようにする
ゆっくりと時間をかけて
そう思うと
少し気持ちが楽になる
だから家族にも
ゆっくりと時間をかけてと
声をかけたい
遠回りのように見えても
それが案外
後から考えたら
近道だったのでは?
ということはあるから
慌てなくても大丈夫
おおらかに
おおらかに
長男は父親に
とにかく殴られ
蹴られた
父親が
スキンシップを好まないから
近づくと突き飛ばされ
しゃべるとうるさいと怒鳴られ
頭や顔を殴られた
長男は何も悪いことを
していないのに
暴力と暴言をあびせられた
減ったり増えたりしながら
続いた
わたしだけでは
どうにもならずに
助けを求めたけれども
真面目で優しそうなパートナーに
誰もが
わたしが
おおげさに言っているのでは?と
わたしを疑った
それを見て育った次男は
よく吐くようになった
わたしは一生
虐待を許さない
何があっても許さない
お母様
それはDV
そして
ネグレクトといいます
はっきりとそう診断されるまでの
8年
わたしは知らないで生きてきた
鈍感すぎるのかしら
真っ只中にいるひとは
気づかないと
いうけれど
言われてみれば
そうだった
知らない土地で
もう幼いふたりの子供がいた
じゃ
どうするかというところが大事なはず
ただ診断されるだけでは
ダメなのだから
泣きながらそう思った
ときに
優しそうなパートナーの
顔を見ると
どうしてもわたしが
悪いような気がして
毎日何かが怖かった
生活費は
わたしの父がずっと
支払ってくれている
通院費や入院費も
支払ってくれている
パートナーは
来月0円だからと
急に言って
生活費を渡さないことが
よくあった
パートナーが
おれの計算では
0円なんだよねと
よく言うのだけれども
誰の食費で
この夕食が食べられているのかと
話し合いをしても
いいよ
おれは食べなくていい と
話し合いにならなかった
おれは食べなくて
子供は?
あまりに
パートナーが堂々としているので
わたしが悪いのかしらと
悩んだ
息子達はいつも
お給料が手渡されるかどうかを
心配していた
引き落としされているものは
支払っているから
パートナーは
借金を抱えているわけでは
ないのだけれども
生活費と通院費を
なぜだか払わない
だからわたしと子供は
いつも不安だった
息子達が受験を経験してきて
パートナーとの温度差に
改めて驚いたのだけれども
両親に勉強をしなさいと
言われたことがない
というパートナーのはなしを
疑問に思っていた
勉強しなさいのかわりに
他のプレッシャーが
あったのではないかしらと
わたしは考えていた
息子の合格を
義理の父母に知らせた時
謎がとけた
あら?
◯◯も合格した学校だわ
合格しても
学費が払えないからねと
言ったの と
言われた
確かに学費が高額だった
なるほど
学費が払えない
払わないからねというプレッシャー
だったのだわと
その時に気づいた
しかもなぜパートナーは
同じ学校を受験したことを
言わなかったのかしら
お得な情報とかね
それはいいとして
受験の不安についても
義理の父母には共感してもらえず
あれだけ息子に
いたれりつくせりなのに
違和感を感じて
わたしは急に
悲しくなった
孫の合格を喜び
万歳三唱をしたわたしの父母とは
対照的だったから余計に
子供が
希望の学校に行けないのは
一番よくないことだと
わたしは思っている
よくいう
嫁姑のトラブルというものは
なかった
幸せなことに
義理の父母には
かわいがっていただいてきた
わたしが
のんきなだけ
なのかもしれないけれども
未熟な嫁を
許してくれている
ありがたいことだわ
義理の父母の家に行くと
息子達は
殿様や王様になったみたいで
ずっといると
ダメ人間になりそうだと
話す
確かに
男の子には究極に
何もさせない
とはいえ
愛情は
わたしの父母の方から
感じると
息子達は話す
自分でできるように育てるのが
愛情で
自立の芽をつむのは
愛情ではない思うからね
だけれどもたまには
殿様や王様でも
いいと思う
わたしは
生まれ育った場所が好きだった
田舎が好きだった
だから
こんなに遠くへ嫁ぐとは
夢にも思っていなかった
生まれた場所で結婚して
生まれた場所で
生涯を終えると思っていた
母は
海外で暮らした祖母のはなしをして
比べたら近いわと笑った
わたしを姫と呼ぶ父は
いつでも都落ちしてこいと
言って笑った
都落ちって…(笑)
すぐに新しい場所で
楽しみを見つけるわたしは
嫁いでから
あれもこれもと
興味のあることに
手を出し
自由に憧れていたので
満足もした
だけれどもやはり
時々実家の夢を見る
きれいな空と
田んぼや山々
川の流れ
家族や友人の夢
それに時々
生まれた場所に
帰りたくなる
ふるさとの歌を聞くと
帰りたくなる
以前
液体の貧血のお薬を
飲んでいた時は
じぐろにならなかったのだけれども
今回のお薬はすぐに
じぐろになった
そういえば前に
息子が喘息のお薬を変えた時
突然じぐろになった
ドクターに日焼け?と言われたけれども
日焼けするようなことは
何もなかった
お薬を変えたら
息子のじぐろは治った
なにせわたしも息子も
普段は青白いから
わかりやすい
じぐろなわたしは
貧血のお薬を追加するために
かかりつけの病院を
予約しようとしたのだけれど
またお休みで
お薬を飲まずにいたらわりとすぐに
青白いわたしに
もどった
なぜじぐろに?
なんとなく青白いわたしの方が
自分らしい気もする
長男が
帰宅していきなり
作りたてのごはんがあって
温かいお風呂も用意されて
いい女だーと
言った
どこでそんな言葉を
覚えてきたのかしらと思いながら
愛があるからねと
答えたら
愛もあって
いい女だーと言うので
よく言われますえへへと
答えた
探し物があって
どこいっちゃったかなーと
探していたら
次男が
うーん
僕が食べちゃったかなーと
言った
あれ
あなたたち
どこか
なんていうか
あっ
おじさん
おじいさんみたいじゃない?
わたしがそう言って
みんなで笑った
毎日きれいにお掃除している
はずなのに
家のなかにネジが落ちている
カバンにも
ネジが入っている
集めてみるとすぐに
5 6個になった
ネジのハナシをしながら
歩いていたら
道路にネジがバラバラと
落ちていた
それからしばらく
ネジが見つからなかったのだけれども
少し前に
大きなネジが
ぽつんとリビングに
落ちていた
もしかして
わたしの
頭のネジが緩んでいる?と
キョロキョロ
アハハまさかね
今日また
ベッドの真ん中に
ネジを見つけた
ネジが見つかると
必ずいいことがある
息子達はもう
父親が必要ないお年頃になり
目標とする男性もできたようなので
ひといき
離婚したらいいのにと
ふたりとも言った
わたしの様子や
幸せそうにないことに
心を痛めてきた息子たち
友人は
離婚となると
子供が困るじゃない
だから離婚はだめ
旦那はATMだから
気にしなくていいのよ
ATMに腹をたてても仕方がないでしょと
言った
他の先生も
だいたい同じように言われて
お母様が一番
つらかったですね
決心されて
経済面や
住む場所に心配がない時がくれば
お姉さまも助けてくださり
離婚できるのですから
子供には涙は見せずに
いきましょう
本当に今まで
つらかったと思いますと
おっしゃった
ある日突然
医療費や生活費がなくなる
家もなくなる
もちろん子供の学費も
払えなくなる
DVについては
ドクターでさえ
感覚麻痺になるから
お母様も
麻痺してしまうでしょう?
DVは
戦うのではなく逃げて
逃げていいのです
そして
パートナーと
かかわらずにやっていけば
離婚を
しない方が得策ですよと
おっしゃった
(うちの場合はです)
実際に何人か
医療費が払えなくて
今日の電車代も
なくなったというかたが
いらっしゃったそうで
ドクターは
首を横にふった
わたしが
ドクターに言われてきた
アドバイスを
誰かのお役にたてるかも
しれないので
書き記しておくことにします
最も事情を知るドクターは
離婚は得策ではないと
おっしゃった
なぜならば
離婚すれば
親権の問題もあるけれども
生活面で
わたしの親が長年
全面的にバックアップしてくれる
という条件が必要で
年老いた両親に
長年は
なかなか難しい
それに
離婚すれば
父親は養育費を払わないだろう
すると
医療費が払えない
通院ができなくなる
学校の付き添いができない
という問題が起きる
ココには
書いていなかったのかも
しれないのだけれども
離婚すればいいのにと
安易に意見をするひと
わたしが愛に溺れて
離婚しないのかと
勝手な想像をするひとは
ココには
いらっしゃった
離婚を考えなかったのか
といわれれば
それは毎日のように
悩み考えた
浮気をされたり
お酒を飲んで暴れたり
そんなことは一度もないけれども
離婚相談は
何度もしてきた
もちろん両親にも
信頼できるひとにもしてきた
わたしの将来の夢は
と書き始めたものの
将来の夢って
なんだか子供みたいで
へんてこだわと
思った
わたしの将来の夢は
恵比寿に行くこと
恵比寿でエビスを飲むこと
ところで
恵比寿ってどこ?
それから
小さくてのんびりとした
お店を持つこと
小さなお店で
小物を並べて
おいしいコーヒーや
お茶が飲めたらまた
素敵かなと思っている
夢は夢で
大丈夫すてき
古いものには
古いものの
ストーリーがあり
どのような時の流れのなかで
どのような時を
過ごしてきたのか
ロマンチックな時の流れを
想像をすることになる
傷のあるものは
磨けば輝き
語り合いながら
傷は味わいとなる
古いものや傷のあるものを
きたないと嫌がったり
捨ててしまったりするひとも
いるのだけれども
古き良き
職人魂を感じることも
古い物の味わいに
魅了されて
虜になることもある
わたしは
古い物 傷のあるものを
大切に思っている
最近のお気に入りは
古い萩焼
おいしいお茶がいただけそう
今日は空が青くて
ぺんぺん草が
コンクリートの隙間で
揺れていた
耳元では
ぺんぺんと音がするから
地面でも
ぺんぺんと音がするのかしらと
春の風を思う
青い車の横を
通りすぎ
青いカバーを見つけた
案外青を探すのは
青空の彼を探すより
簡単なのねなどと
わけのわからないことを
思った
もうすぐ
青と桜いろの時がくる
あの駐車場の桜は
新しい駐車場ができて
しばらく眺めていないけれど
花を咲かせる準備を
しているのでしょうね
ああ
こんなに気持ちのよい日は
どこかにお出かけしたくなる
みんなは
どこかにお出かけして
おいしいものを食べたり
きれいな景色を
楽しんだりしているに違いない
そう思うと
うらやましくて
くしゃみが出た
お友達が❌2だと知って
3回目の結婚で
ダーリンと
お幸せそうなので安心した
父は
素敵な男性を見つけると
あの男性はいいぞ
結婚したら?と言う
姉もまた
母がお世話になっている
内科の❌1のドクターがいるじゃない
結婚したら?と言う
なぜだかわからないけれど
そう言われると
面白くて笑ってしまう
母は
あの家は空き家だからとはいえ
難しいと
さらにリアルなことを
言うので
おなかが むずむずする
いつでも
帰ることができる
実家や姉のところがあるのは
ありがたいことで
感謝しなくちゃね
とりあえず
かなりひどい
貧血の治療をすることになって
治療の影響なのか
なんだか眠くて
眠くて
ゼーゼーしながら
しばらく眠っていた
まだ夢のなかのようで
ドクターが
肉を食べてと言っていたことを
思い出す
あっ
お肉食べなくちゃ
小松菜じゃないのね?
眠い💤
初めての症状が
くだらないことなのか
どうなのか
わからなくなってきて
ここに思いきって
書いたのだけれども
読者のかたのおかげで
はやめに
病院に行く決心ができた
ホワイトデーだというのに
今日は血液検査の結果が
わかる日
診察していただいたら
やはり弱い笛の音と
肺あたりの音は喘息発作で
ゴロゴロゴロゴロは
たんの音だとわかった
お薬が変更追加され
息切れや動悸についても
呼吸器疾患以外の原因を
調べてみることになった
ドクターが
どうして発作止めが
効かなくなったのかなと
悩んでいたけれど
原因はわからない
採血をしたら
赤いものが飲みたくなった
飲んだからって
血になるわけでもないのに
それに
ホワイトデーのお菓子なら
嬉しいのに
というくらいに
たくさんのお薬を
袋いっぱいにいただいた
もう桜が咲く
彼の近くにも桜が咲く
お花見に行けると嬉しいけれども
どうぞみなさま
素敵なホワイトデーを
お過ごしください
病院と教育が
うまく連携して欲しいと
願う母親は
多いと思うのだけれども
やはり難しい
病院から学校へ出向いて
病状の説明をしてくださる
ドクターもいれば
病院に出向いて
病状や配慮の必要性を
ドクターから直接聞いてくださる
という学校の先生もいる
もちろん
そんなことはやらないという
ドクターや先生もいる
やってくださったからといって
何も変わらない
または勘違いをして
以前より状況が悪くなる
なんて場合もある
教育の相談機関は
それは大変ですね
などと言うだけで
まるでだめ
それは大変ですねなどと
言われたいために
わたしたち母親は
相談に通っているわけではない
とにかく
子供を守るために
母親は
頭を悩ませることになる
それに
何度も何度も
頭を下げることになる
子供の精神科のドクターは
怖い
母親カウンセリングというよりも
コーチングでぶったぎる
という雰囲気
なにしろ
ずばりとものを言うから
それでやめたいと
嘆く母親もいる
わたしは
ドクターを信頼している
子供さえよくなれば
それでいい
わたしはわたしで
自分なりに
多くのひとの意見をまとめて
よりよい方向を
考えていくタイプだから
案外平気
とはいえ
平気じゃない時もあった
以前
地域の支援センターから
病院に出向いていただいたことが
あるのだけれど
センターのかたに
本当に驚きました
トップの病院とはいえね
きつい先生のところへ
通われているのですねと
言われたほどで
挫けそうになったことは
何回もあった
だけれども
わたしが納得がいくまで探して
やっと見つけたドクターなので
踏ん張り
いまはとても感謝している
わたしは
ふたりのドクターに
お世話になっている
医者は虚勢を張って
仕事をしているのだという話を
聞いていたから
ドクターは患者の前では
患者が不安にならないよう
不安そうにしないというのかしら
いつも気持ちが張りつめていて
志高く
大変なお仕事だわと
思ってきた
もちろん尊敬もしている
だけれども
わたしのかかりつけの
バスケ部出身
聞き上手の優しいドクターは
ちょっと様子が違っていて
胸の音を診察しながら
表情がひきつり
かなり動揺している
そんな時は
わたし
悪いのね?とわかる
ドクターは最近
呼吸器の看板を出した
得意な順番に看板を書くと
いうから
呼吸器が最後
息子が喘息で入院した時も
お世話になったのだけれども
あの時もひきつり
動揺していた
ドクターがあそこまで
表情を変えるなんて
先生らしいというのかしら
意外
と息子に話したら
息子が
先生 たまに真っ青になるよね
自信がないから
これではいけないと思って
呼吸器の勉強したんじゃない?
御意!(ドラマの台詞)みたいにと
言ったので
そうかもねと
ふたりで笑った
かかりつけのドクターは
やや頼りないように見えるけれども
優しいドクター
もうひとつの理由は
父親のことだった
先生が
大変失礼で
申し訳ないのですがと
おっしゃるので
驚いてなんでしょうと
先生を見ると
お父様は変わりません
もしも
家族に申し訳ないことをしたと
気づく日がきても
ではその後変わるかというと
変わりません
ですので
お母様は本当に大変かと
思いますが
ふたりの子供に
負担を負わせないように
していくしかないのです
父親からの
嫌みや無視
暴力 暴言などは
ただでさえ
きつい精神状態のふたりには
いらないことですからねと
おっしゃった
それから
お母様が一番よく
ふたりを理解して手をさしのべてきた
プロなのですから
わたくしどもは
お母様には
かなわないのです
いろいろ教えていただかないと
例えば
目の前に画用紙があったとして
でも子供はそれに絵を
描かない
車椅子のひとが
階段の前で困っていたら
誰しもが
困っている理由に気づき
手をさしのべる
だけれども
画用紙の前で
困っている子供にも
紙が反射して
見えづらい過敏さが
あるのだから
模造紙に変えましょうという
配慮が必要なのです
するとその子は
すらすらと絵を描くのですよと
おっしゃった
愛されてこそ
自分を大事にできるのでしょう
虐待をされては
自分を大事にできないでしょう
自分を大事にできなければ
他人を大事にできないはず
とにかくわたしに
あなたは愛されているのだから
自分を大事にして欲しい
それに
なんでも話してねと
付け加えた
サランラップを買ってきてと
長男にお願いしたことを
きっかけにして
父親のかわりを
知らず知らずさせてきたのかしらと
長男に
ずばりと聞いてみると
小学生の頃から
そのように感じていたと言うので
本当に申し訳ない気持ちになった
長男は
長男のままでよく
ありのまま
そのままで
わたしに許されている
そして
どちらかというと
あなたに一番手をかけていると
わたしは思っている(笑)
さらに
世界で一番愛しているし
世界で一番
誰よりも大切に思っていると
伝えた
愛はストレートに伝えないとね
長男の様子が刺々しくて
わたしの様子で
動揺もしているようなので
病院で相談してみた
家庭環境が原因で
ストレスをかかえているのでは?
ということだった
理由はふたつ
ひとつは
母親の気を引こうとしている
自分は次男と同じ
子供なんだから
子供として扱ってほしい
ふたつめは
長男がわたしから
父親のかわりを求められ
療育者みたいな
かかわりをしなくてはいけないことに
プレッシャーを感じていて
同じ子供なのだから
母親に甘えたいと
思っているのでは?という
アドバイスをいただいた
甘え行動?
わたしはひどく反省して
知らず知らずに
兄弟のどちらにも
父親がわりや
優しい対応を
期待していた
そんな負担をかけていたのかも
しれないと考えた
だから気楽に
たくさん話してみるべし
母親には素直に話せない
とは思うけれども
生きづらさを聞いてみようと
思った
さあ
気づいたら行動するのみ
つわりで実家に帰った時
機内でぐったりとしていたのだけれど
もうすぐ実家かしらと
思っていたら
飛行機が旋回を始めて
着陸する気配もなかった
視界不良で着陸できなくなり
別の空港へ向かうことに
なった
眼下では
父母がいまかいまかと
待っていたのだけれど
旋回する飛行機を見て
取り乱した母が
飛行機に娘が乗っています
おなかに赤ちゃんがいて
つわりがひどいんです
どうか降ろしてくださいと
だれかれ交渉していたらしい
しばらくして別の空港に
着陸して
そこからまた
別の手段で実家へという
前代未聞の事態になった
たよりんの長男も
とても頑張ってくれて
実家に無事到着した
病院で診察したら
おなかの次男も元気で
ホッとした
長男は幼い時から
しっかりして優しい子だったから
ついついだと
思うのだけれど
次男がおなかにいたころ
つわりがひどくて
実家に帰ることになった時
たよりだから
しっかりママを守ってねと
声をかけられて
緊張ぎみだった
あまり何回も
たよりと言われたものだから
長男が
僕はたよりんじゃない
たよりんじゃない○○(名前)と
言った
たよりん?
思わず笑ってしまった
何年も治療している喘息に
初めての症状が現れました
発作止めが効かなくなって
しばらくして
喉から
ゴロゴロゴロゴロと
音がするようになりました
ゴロゴロゴロゴロ
ネコちゃんみたいに
時々
笛をか弱く吹いたような
音に
変わったり
肺のあたりから
ゼーゴーと聞こえてきたりは
するのですけれども
本当に気持ち悪くて
ゴロゴロゴロゴロのまま
眠ったり
ゴロゴロゴロゴロのまま
歩いたりしています
家族に相談するのも
やめてしまっていて
かかりつけの先生の診察も
まだまだ先です
こんなこと
放っておいていいものか
悪いものか
くだらないことなのか
いろいろなひとに遠慮がちになり
よくわからないでいます
実家の
先祖代々墓は広さもあり
数も多いので
管理が大変で
跡継ぎ問題もあり
今後どうしていくのか
悩むところ
わたしは
冷たい石の下に眠るのではなく
桜の下で眠りたい
お墓参りが
悲しくないように
それに木なら
お墓参りをするひとに
きれいな葉や
花を見せてくれる
誰もいなくなったら
森になって
自然にかえすことだってできる
だからわたしは
樹木葬を希望している
息子たちがたずねてきたら
桜の木になって
迎えたい
父は二度癌を経験して
手術も二度したのだけれど
その後
肺の病気になりながらも
今は元気に暮らしている
怒ることのない優しい父は
先祖代々の山や土地
お墓を守っている
だから父は
檀家のお寺の仕事と
畑仕事
お墓掃除をしている
それから
俳句が入選して
何度か新聞に掲載されていた
山には
記念樹の山桜があるのだけれども
長男の合格と同時に
驚くほどに
咲き乱れたらしくて
父が写真を
送ってきてくれた
懐かしい山の風景と
きれいな山桜
母が
桜の下でお弁当を食べたのよと
喜んでいた
母は
茶道 華道 着付けの先生
わたしはお父さん子で
母に
べったりではない
母方の祖母が亡くなってから
祖父が
もめないようにと
生前から細かく
気配りや用意をしていたのに
遺産騒動が勃発
遺産は一円もいらないと
怒っていた母は
体調をくずして
母親を亡くしたショックもあり
拒食症になった
カウンセリングに通ったけれども
よくならずに
何年も時が流れた
いまは
すっかりよくなって
両親で作る畑の野菜は
びっくりするくらいに
おいしくなり
心配していたお庭の枯山水も
剪定されて
庭師さんに
手作りのおやつを
出したらしい
実家には帰っていないけれど
電話でそう話す
母の様子は元気そうで
母にとっても
わたしにとっても
息子にとっても
母親の存在は
何歳になっても
とても大きいものなのだわと
知った
なぜだかわたし
結婚していない
子供もいないと思われることが
多くて
結婚相手を
紹介されそうになる
生活感が
ないのかしら
結婚している?と
聞かれることはあまりないけれど
たまに
結婚している?と聞かれると
驚いてしまう
そういえば青空の彼に
そんな大きなお子さんがいるんだぁーと
言われたことがあった
そんな大きなお子さん
すっかり大きく
立派になりました
イメージで思い出したのだけれども
わたしが小学生の時
ももちゃんの好きな食べ物なーに?と
同じクラスの子に
聞かれたことがあった
相手の子は
ぷりん
いちごショートケーキと
答えると思ったと
後でがっかりされたのだけれども
わたしは迷わずに
チャーハンと答えた
ぷふふ
思い出し笑い
リサイクルショップを始めてから
素敵なもも様
素敵なひと
いつも優しい
わたしのお姫様
姫様
大好き
などと言われるようになり
病気がちで家にいることが
多いわたしが
みなさまのおかげで
少し
素敵な女性に
近づけたような気がしている
やっぱりわたし
単純なのかも
イメージというものは
不思議で
かわいい系
守ってあげたい系
というイメージまでがいつも
わたしにつきまとう
絶対にお嬢様でしょうなどと
言われることもある
特にどういう家で育ち
年収がどれくらいかなどと
誰も知らないし
ボサボサ頭で
ブランド品を身に付けても
いないのに
イメージとは
どこからくるのでしょうかと
不思議に思う
以前は
もがいていたのだけれど
最近はどうもがいても結局
そういうイメージになるのねと
気づいた
働いていた時も
キャーキャーと騒がれて
わたしは
きれいなひと
憧れるなどと
言われるたびに
違うのに
違うのにと思ってきた
最近になってやっと
苦笑いしながら
ありがとうございますと
答えられるようになった
勝手なイメージを持たれて
困ったことはありますか?
普段から朝が苦手で
体が楽になるまで
しばらく時間がかかるものだから
昼くらいになって
家事をこなしていた
やろうと思えば
家事はいくらでもあるので
夜までだらだらと
やっていることもあった
だからわたしは
どうしようもない怠け者だと
自分のことを思っていた
たまたま
早起き大好きな父が
昼くらいに家の仕事をするという
母の愚痴を聞いていて
好きにさせてあげたら?などと
返事をしていて気づいた
気圧が安定すると
体や呼吸が楽になり
動けるのだわ
父は早朝
いつもひどい咳をしている
こんな簡単なことに
誰もなぜ
今まで気づかなかったのかしらと
思った
できるときに
できることを
やればいいのにね
春よ来いを歌って
喘息に気づいてからしばらくして
あちらこちらで
春よ来いを
聴くようになった
今日はぽかぽかと暖かくて
オオイヌノフグリも
あちらこちらで
咲いていた
青空いろの花びらは
小さく小さく揺れていて
もう春がやってきているよと
青空いろの
春のお便りをわたしに
届けてくれた
幼い頃わたしが
オオイヌノフグリをたくさん
両手にのせて
春を持ってきたよと
両親に見せたことがあったらしくて
両親が
この子は詩人になるのではないかと
思ったと話していたことを
ふと思い出した
青空のラブレターを
描いているのも
青空いろの詩を
描いているのも
もう随分前から
約束されていたことみたいで
青空のキャンバスをまた
見上げて
微笑んだ
わたしと仕事と
どっちが大事なの?なんて言う?
というはなしを
姉としていた
よく姉と
くだらないはなしをしては
笑っている
最近は
姉も私も忙しいので
ラインくらいで
あまり話していないのだけれども
職業柄
食べようとした食事が
食べられなかったり
行き先を決めて
外出しようとして中止したり
そんな時
本当にごめんと
義理の兄は申し訳なさそうに
言うらしいけれど
特に何も思わないと
姉は言う
若かったら言うのかしら
わたしと仕事と
どっちが大事なの!を
と言うので
わたしは笑って
言わないでしょう
わたしも
パートナーが
急に仕事になったとしても
別に気にもならないもんと
言ったら
だよね
私も気にならないと
姉も笑った
それって
言った方がかわいいの?
というはなしになった
どこへ行っても
ももいろのものが多くて
ももいろの
桃の花が
咲き乱れている場所に
行きたくなった
きれいでしょうねとわたしは
心のなかに
ももいろの花をたくさん
咲かせてみた
それは胸いっぱいに
咲かせてみた
偏頭痛?が始まる前なのか
ギラギラとして左半分が
よく見えなくなるという症状に
何年か前から
たまに悩まされていて
最近頻度が増えて
運転中にギラギラとして
目の前が
よく見えなくなったので
かかりつけの病院で
偏頭痛ぽいねと
偏頭痛の薬をいただいた
水なしで飲めるので
ギラギラが始まったと同時に飲む
最初にいただいたお薬は
効かなかった
痛み止めの方がいいかしらと
思ったくらい
喘息のことがあり
やたらと痛み止めを使うわけにも
いかないので
新しい偏頭痛のお薬をいただいて
持っていた
するとまた
ギラギラがやってきたものだから
そのお薬をすぐに飲んでみたら
20分くらいで
ギラギラが消えて
頭痛も多少で治まった
なんだか目の前がクリアになって
砂漠で狩りができそう
ついでに
歯痛も和らいだのでよかった
頭痛は我慢できても
ギラギラは本当に危なくて
お薬が効いてよかった
次男の学校では
学年末試験が行われた
問題が大学受験なみに
難しくて
わたしが勉強をみてきたものだから
落ち着かない
待ち合い室で
マーケティング戦略を
読んで
わたしもお勉強
これってほとんどもう
知らずにだけれど
やっていることばかりじゃない?と
本に向かってひとりごと
そういえば試験に
参加するだけでいいから
気楽にと
次男に声をかけたけれど
わたしはこんなとき
余計なことを言わない方が
いいのではないかしらと悩む
長男の時は
落ち着いていつもどおりにね
などと声をかけていた
健康状態を管理しながら
優しい愛情で包みこむようにと
学校からは言われていて
とにかく勉強は
気持ちが落ち着いて
家庭環境が整っていないと
できるものも
できなくなるのねと
実感した
休憩時間に
わたしのやまかけがはずれていたと
次男から聞かされて
苦笑い
心の中で頑張れと
応援した
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