学校に行かないこと
子供が学校に行かなくなると
親は慌てる
親は当たり前に学校に通って
行かない選択などない子供時代を
生きてきた
ある意味
自分の考えがしっかりしていて
自分を守ることができている
子供の選択を
理解などできない
学校に行くのが当たり前
どうしてうちの子が
人様にどう思われるか
これでは将来
まともに生きていけない
学校や友人に責任があるのだ
などと思い
慌てる
それが
なかには全く慌てないひともいて
あっそう
なら明日から行かなくていいよと
答える親もいる
それはそれで
子供は
なぜ励ましてくれなかったのかと
後々不満に思う
だけれど学校がすべてではない
逃げる 休む
という選択は必要で
逃げる場所も
休むことを
受け入れてくれるひとも
必要
死ぬくらいなら
学校をやめればいい
親は子供が
自分の想像した
第一線や普通から外れたと思い
慌てているだけで
しばらくすれば
受け入れようと努力を始めるはず
時間がかかるひとと
そうでもないひとがいるけれど
必ずその日はくる
親はね
心配のあまり
慌てているだけで
冷静になれば
たいしたことではなかった
いろいろな方法があるのだ
などと気づくやりかたを変えれば
良いだけのはなしで
子供にあうやりかたを
悩み見つければよいのだと気づく
慌てない
慌てない
元気になったら親子ではなしをしよう
それは親子で
苦労もするけれど
後から考えたら
不登校なんてかわいいかわいいという
はなし
生きていてくれたら
それでいいよ
生きているだけで親孝行
いつかこころから許しあえて
お互いに こころから
愛していると気づく日が
必ず来るから
わたしはそう思う
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