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学校行事
旅行への参加で
拒食のひとと家族が
一番に考えなくてはいけないことは
食事
集団で行動する時の食事は
残してはいけない
一日3回
時間内に
全員で
などという決まりごとがある
その点
次男の学校は
残していい
すべて外食でもいい
すべてコンビニでもいい
ひとりで食べてもいい
いつ食べてもいい
というような
できるかぎりの特別な配慮があるから
安心できる
命を大切に考えて
そのような配慮になっているそうで
アレルギーの除去食と同じ
目の悪いひとは前の席に座るのと同じように
自然に受け入れてくださる
人前で食べられない
食べたくても食べられない
というのは
わがままを言っているわけでも
集団行動の正しいあり方を
知らないわけでもない
知らなければ教えなくてはいけないけれど
ただ
今はできないだけなのだから
苦しいひとの気持ちを考えて
いろいろ配慮されているのは
すばらしいことだわと
いつも思う
自分の食べたいものを食べ
自分の食べたいものを買う
家族の食べたいものを考え
家族の食べたいものを買う
ということがまるでできない
パートナーは
10年もせんべいが
テーブルに出てくることを待っていた
わたしが何気にせんべいを
食卓に置いたら
ずっとこのせんべいが出てくることを
待っていたと
言ったことがある
結婚してから
10年は経過していたから
10年せんべいを待っていた男なのだ
食べたい
買ってきて
などと言われたこともない
言ってくれればいいのに
お菓子くらい
買ってくればいいのにと
わたしは思った
パートナーは
料理がまるでできないので
いつも出されたものを
むさぼるように食べる
出されなければ食べない
そんな生活
わたしなら耐えられない
食べたいものを食べられず
作ることもできず
ただ座って待っているだけなんて
わんこと同じではないか
わたしの検査が始まった
たいしたことではない
という結果を期待している
やるべきことが
まだまだある
それに今
わたしがどうにかなるわけに
いかない
ふんばらなくては
だけれど
今までの様々な症状は
喘息のせいだとばかり
思っていたけれど
それだけでは
なかったのかもしれないのねと
思った
こんな時に
花を買った
あらゆる面で幸福なのは
理想だけれど
何かをなそうとすれば
何かを
犠牲にしなくてはならないのが
世の常
すべてを完璧に
パーフェクトに上を目指すということは
できない
できる一歩を
大切にしたい
ネガティブな気持ちになると
ネガティブを消さなくてはと
慌てる
なんでかな
こんな気持ちはよくない
という気がして
不安なんて
誰にでもあるのにね
だけれど
自分はこんなことがつらいんだね
うんうんと
自分で
自分を抱き締めることが
必要
わたしの場合
誰も抱き締めてはくれないのだから
そこは
最大の味方
自分で自分を抱き締める
というわけ
ネガティブを消さなくちゃと
頑張らないようにする
ネガティブと上手に付き合えば
ていうか
どっぷり落ち込みながら
放置でもしておけば
そのうち心が癒され
ハッピーを取り戻せる
いつかハッピーになろう
拒食の相談をしている病院で
ドクターに
パンケーキの写真を見せた
これが次男が好きなパンケーキで
これが
ふたりで焼いたパンケーキです
などと説明していると
ドクターが
どれどれと喜んでくださった
うざったいと
思わなかった
担任の先生に
くだらないはなしをしたら
それでそれでと
嬉しそうな表情をしていた
うざったいと
思わなかった
きっとこれが普通なのだわ
もし新しく恋をして
新しく始めたとしても
その男性が
スキンシップがないひとで
はなしを聞かないひとで
逃げるひとで
思いやりがないひとで
子供を虐待するひとで
などと考えていたら
恋などいらなくなる
青空の彼だって
そういうひとなのかもしれない
怖い
とさえ
思えてくる
この10年で
わたしはずいぶんと
臆病になった
ならば
静かに
誰も必要とせず
暮らしていれば良いのではないか
わたしと息子が
パンケーキを食べたはなしをしても
反応があれば
うざったいと思うかもしれないし
それでそれでと言われたら
幸せに感じないかもしれない
味わったことがないから
幸せかどうかわからない
ありがとうもごめんねも
幸せに思うかどうかもわからない
模様替えをして
棚を作り
パーテーションを置いたら
パートナーの
大きなため息や
ひどいげっぷ
あくびのあとの
はうという息かけ
突然のふーっという
息
などを顔にかけられなくなり
高貴なおかた
という風になったわたし
パーテーションが
透ける生地でできているので
わらわは苦しゅうないと
シルエットだけ
見せている
なんだかよく眠れるようになった
衝立を
子供のために用意するようにと
病院から言われていたのだけれど
模様替えをすると
パートナーがパニクるので
遅くなってしまった
だけれどやってみると
わたしも心地よい
中古のテレビを買って
次男の部屋に
テレビが見たいがために
パートナーが行かないようにした
自分で買って欲しいけれど
パートナーは
物を全く買わないひとだから
仕方がない
わたしが買った
大事なことを話そうとすると
大事じゃないことも
かもしれないけれども
パートナーは
洗面所かキッチンに走って逃げる
普段は
話しかけただけなのに
話しかけると責められた
心配すれば命令されたと思い込み
キレるひとで
大事なはなしとなると
挙動不審になる
最近になっては
大事なことをはなし始めると
シャツをめくり
前やうしろ
体をかきむしり始め
首や腰あたりの
湿疹まで
これでもかとアピールする
だからわたしは
大事なことを話すのが
嫌になった
報告しているだけなのに
報告途中にも
嫌な言動をされたり
無視をされたり
話しかけないと
ご機嫌そうなパートナーに
わたしは腹が立つ
いったいあの大事なはなしは
子供やわたしは
どうなったのだろうかと
思いもしない様子で
パートナーは
自分のことだけを考えている
大事なはなしは
なかったことにでも
しているのかしら
逃げる男は嫌いだ
情けない姿に
腹をたてることもやめたい
けれど
どうしても家族には
いろいろなことがあるもので
父親だと思うと
大事なはなしは
報告しなければいけない
わたしはまた
嫌な気持ちになる
こうやってわたしは
パートナーに
はなしをする
ということでも傷ついてきた
ミストシャワーが欲しくて
事前にパートナーに
あれこれ確認していたら
良いも悪いも言わないので
ずいぶん悩んでから
購入した
頑張っている長男がいつも
シャワーを高い位置から
浴びているので
喜んでくれるかな
という思いと
病気療養中の次男が
お風呂が好きなので
血行がよくなるかな
という思いと
パートナーの湿疹がよくなるかな
という思いと
わたしの喘息とお肌にもいいかな
という思いとで
買った
なぜこんなに
なぜ買ったのかという理由を
詳しく書いているのかというと
シャワーが届いて
わたしが組み立てに悩んでいると
パートナーとまた
トラブルになったからで
ちょっと説明書を
見てくれないかしらと
わたしはパートナーに言って
待っていた
次男も待っていた
けれど
いつまでも無視される
夜遅くなったので
こうかな
ああかなと
次男とわたしで組み立てていると
パートナーが
イライラして怒鳴り始める
最悪だった
やっと設置ができて
わたしと子供ふたりは
シャワーをした
パートナーが
前のシャワーが良かった
設定をしなおしてくれと
言い出す
せっかくパートナーのお肌にいいかなと
買ったのだから
一回くらい使えば
さらさらになるよと
わたしは言ってみたけれど
パートナーが
ガミガミ言い
シャワーをもとにもどすことに
なった
その後
パーテーションの向こうで
パートナーは
大きなひどいため息をついてアピール
やはり
新しいもの
何かを買う
修理する
などができないひとだ
一番の問題は
買ってくれた
その気持ちは嬉しいけれどが
ないところ
ありがとうも
まるでないところ
買い物は失敗することもある
ならば工夫して
使えばいい
使わなければリサイクル販売すればいい
長男は冷たい視線で
通りすぎ
落ち着いて
説明書と部品を見ながら
一緒に優しく悩んでくれていた次男は
あきれていた
わたしはまた
嫌な気持ちになった
こうやって生活のひとつひとつ
パートナーの言動のひとつひとつ
嫌な気持ちになりながら
生きてきた
いつかみんなが
わたしが自立して
パートナーから離れられる日を願っている
わたしのお客様のなかに
恐ろしく無計画な女性がいる
販売している方は
お世辞ばかり言って
ほいほいと売る
わたしはあまり関わらないように
しているけれど
彼女はすぐに
支払いができなくなる
もう20万も
いつの間にか洋服代に使っていて
部屋が洋服の山で旦那に叱られ
使いすぎでカードは
停止になった
以前離婚して
今は新婚なの
生活費しか残っていないから
もう払えない
旦那の仕事がなくて
旦那が夜中も働いている
特別な無料に近い住宅に
住むことになっている
それから難病で通院を続けている
優しくして欲しい
難病が事実かどうかわからないけれど
というようなことを
彼女は言っている
なのに
何が悪いのかと
まだまだ
洋服やアクセサリーの
買い物をしている
えっ?
ご主人の仕事がない…
病気…
なら買うな!
とわたしは思った
しかも20万使って
生活費しかないとは
まだ生活費があるのね
わたしは
だいたい◯万(ひとけた)くらいで
子供のことも医療費も
すべてやっているのにと
思った
こういうひとたちの
お買い物中毒のおかげで
わたしたちは
お金をいただいているわけ
だけれど
そこまでして買ってもらっても
後味が悪いから
支払いが遅れるなど
気持ちがよくないお取り引きは
やんわり
お断りすることにした
お金とわたしの詩は
遠くかけ離れている
お金のことばかり考えていると
木々の緑を
美しいと思う心が
どこかにいってしまう
生活するには
たくさんは必要ないけれども
お金が必要で
詩を書くには
まるで生活感のないわたしが
そこにいることが必要
せせらぎが
じゃらじゃらコインで流れていたら
感動もないわ
パートナーが
週に2回3回くらいは
お付き合いでのみにいく
はい
了解
という具合に
わたしは別に
気にもしていなかったけれど
そのお金があれば
医療費も食費も
余裕なのでは?と
思った
わたしもたまには
ビアガーデンに行きたい
ビアガーデンは楽しいから
行きたい
健康診断の結果が
悪かったので
パートナーに医療費をお願いしたら
出せないと言われる
健康診断の結果を見せるものの
断られた
ボーナスが出たら考えてくれそう
だから
来月くらいに
検査に行こうかなと
わたしはのんきに考えていた
パートナーにまどわされて
わたしの命という
一番大事なことをまた
忘れようとしていた
長男の試験もある
次男の通院もある
ここで食費を使うと
医療費と食費を払いたがらない
パートナーに
食費をもらうのは難しい
次男が病気のいま
食費をけずれない
などと考えていた
それにわたしの喘息の治療で
2万ほど使ってしまったからね
うんうん
わたしは知らず知らずにまた
すっかりどっぷり
おかしな世界にはまっていた
姉に健康診断の結果を話したら
姉がいますぐ
お金を送ると言う
断ったけれど
いますぐ?
すぐに検査に行きなさい
透析になってしまうよと姉
そっかそっか
わたしは
最優先事項を後回しにしていた
自分は後回しにする癖もあった
とりあえず父にお願いして
月曜には
精密検査に行くことにしよう
あぶないあぶない
ありがとうおねぇちゃん
パートナーがおかしいのね
健康診断の結果が悪くて
E判定がふたつ
必ず精密検査に行くようにと
あった
視力も急に悪くなっている
パートナーが
食費と医療費を払わないから
払いたがらないの方が
正しいかな
だから頭が痛い
やはり仕事を頑張らなくては
子供のこともしっかり考えて
うまくやらなくてはと
思う
もし
お金の心配がないなら
何がしたいかしらと
考えてみた
やはりカメラを買って
写真を撮って
詩を書きたいかな
仕事をしなくてはいけないなら
今の内職みたいなことしか
わたしにはないように思う
最初は
おまんまを食べるためさと
自分のだらしなさや
未熟さを
正当化していた
けれど落ち着いてくると
要領もよくなり
頑張りすぎなくなる
ふと考える
本来節約すれば
無理をして仕事をしなくても
よかったのではないかしら
焦っていた自分と
失ったものに気づく
本当に大切なものは
なんだろう
わたしが必要と思うものは
なんだろう
なぜこんなことに?
わたし
ひどく転んでみないと
わからないことが
あるのね
ばかだわと笑ってからじゃないと
わからないことがあるのね
ならば
ばかなことをして
反省して
見守って待ってくれたひとに
感謝して
新しい自分になればいい
前より少し
要領がよくなって
家事も丁寧になって
でも真面目に頑張っている
前より少し
成長したわたしは
とてもいい
前よりいいよ
子供が大事で始めた仕事なのに
子供のために
頑張ろうと思っていたのに
なのに
子供より仕事を
優先するようになる
そもそも
子供を大事に考えて始めた仕事
なのに
家事と仕事の両立が
できなくて
仕事を優先してしまう
トラブルがあれば
嫌な顔をして落ち込み
夜中に問い合わせがあれば
寝不足でふらふらする
家事がおろそかになる
そもそも子供のために
始めたはずなのに
子供の話を聞かなくなっていた
いったい
なんのために
わたしはこんなストレスを
抱えてまで
ショップを続けているのかしら
ねぇなんのために
なにが欲しくて?
久しぶりに
自分や家族の欲しいものを
買っているうちに
自分が何が好きかを
思い出していった
好きなこと
好きなもの
好きな食べ物
なんだかそれが嬉しかった
仕事は
無駄遣いを
考えるきっかけにもなった
決して無駄遣いを
しているつもりはなかったけれど
売る側になってみると
無駄遣いに気づく
50円 100円の価値にも
気づいた
収入があると
無駄遣いになるかしらと
ママ友達を見て想像していた
化粧品
洋服
バッグ 靴
どんどん派手になるママ友達たち
不思議なことにわたしは逆で
買い物をしなくなり
節約するようになった
それに
物を売るようになってから
古い物を磨きながら
物に
大切にしてもらえますようにと
話しかけるようになり
以前より
物をとても
大切にするようになった
女性が働くということを
少し体験できたわたし
今も地道に
ショップで売り上げている
初めは
小さなお店を持ちたい
という夢があり
実現するためにチャレンジした
仕事と表現していいものか
なのだけれど
好きなことを仕事にできた
ということと
自分の才能や
体力
などに合っていたということで
苦しいことも
なんとか
乗り越えられてきた
もし収入になれば
自分や家族の
欲しいものを買えたらいいな
子供にお小遣いを
渡せられたらいいな
おいしい食材を買えたらいいな
などと思っていた
それまで
収入が0だったわたしは
両親やパートナーから
お金を渡される
時に渡されない
という生活が普通だったものだから
久しぶりに収入を得た時は
800円くらいだったのだけれど
嬉しくて眠れなかった
自分にとって
何が一番大切なのか
大切な物を知りたい時
自分は
何との関係を
一番失いたくないかを
考えてみる
その何が
一番大切なもので
その大切なものを
失わないように
守れるように
生きていけばいい
もし大切にできていないと
気づいたら
大切にできるように考えればいい
わたしが
一番失いたくない
関係は
子供との関係
その関係を
失わないように
守れるように
シンプルに生きていく
ピアノの発表会の時
フランス人形みたいな
ドレスを着せてもらうのが
楽しみだった
幼いわたし
発表会が行われるホテルには
自動靴磨きがあった
お友達とふたりで
靴を入れると
ウィーンと音がして
ブラシが磨いてくれる
何度も磨いて
お友達の靴は
鏡のようにピカピカに輝いているのに
わたしの靴は
奇妙な輝きだった
どうしてかな
何度も磨いてみる
母に
ももの靴だけ
ピカピカにならないと
わたしは訴えた
それは革靴だからよ
革靴の方がいい靴なのと
母は小声で言った
わたしはフランス人形の靴のような
革靴を眺めて
ピカピカするだけが
良い
というわけではないのねと
思ったのだけれども
やっぱり
ピカピカがいいなと
もう一度磨いた
植物を育てて
お花を咲かせることと
恋を育てていくことは
よく似ている
わたしはよく
お花を枯らしてしまうから
きっと恋も
上手にできなくて
実ることがない
苦しいことは
やめてしまえばいいのに
片思いなんて
恋なんて
やめてしまえばいいのに
抱く希望は
夢に過ぎなくて
わたしもいつか
枯れてしまうのだから
もし
お花を咲かせることができたら
恋も実るのでしょうか
何度もいろいろな動物園に
家族や友人とで行ったけれど
わたしがいつも
読み聞かせをしていた
絵本のなかにいる動物を
まじまじと見たのは初めて
といった次男の様子に
わたしは嬉しくなった
赤ちゃんカバはつるつるてかてか
していて
水の中で勢いよく泳いでいる
トンネルになっていた
コウモリのコーナーでは
土日にはない
我慢できないにおいがした
息子と鼻をつまんで
走れとばかりにダッシュしたのだけれど
途中に
カップルがいて
においも気にせず
ラブラブに歩いていたので
次男と吹き出してしまう
動物園といえば
ソフトクリームとお弁当
ピクニックも好きだけれども
動物園で食べるごはんも
おいしいのよね
次男ももう
動物園には行ってくれないけれど
水遊びや公園
動物園によく行っていたことを
思い出す
大好きな動物園にも
長男が行ってくれなくなり
平日マスクをして
次男と動物園に行ったことがあった
夏休みではない
平日ということと
マスクをしているということとで
園内では
親切にしていただけた
次男は病気がちで
家にいることが多かったので
サファリパークとはまた違い
歩く動物園の
平日の様子に驚いていた
ぞうがうまく
うんちをしてくれた
ふたりの息子を連れて
わたしは平日によく
子供が喜びそうな場所に
お出かけしていたのだけれど
小学生の高学年くらいかな
長男がお友達と遊ぶ方が
良くなり
親と出かけるのは恥ずかしい
といった時期に入ったものだから
その後は
次男と出かける方が
多くなった
次男は病気がちで
土日は家族と無理矢理お出かけ
などということも
多かったのだけれど
平日は
のんびり家にいることが
好きだった
とはいえ
長男が連れてくるお友達に
ぐちゃもみにされ
かわいいかわいいと
大人気だったものだから
いつものんびり
というわけでも
なかったのだけれども
今朝
いつものお薬を飲みながら思う
このお薬だって
このお薬を作ったひとの
努力があって
ここに存在している
そのひとは
小さな時から
一生懸命お勉強をして
努力を重ねてきたはず
それを支える
家族がいて
母の愛もあったでしょう
世の中に存在する物には
愛と感謝があふれている
ありがとう
ぱくり
以前法事か何かの時
だったと思うのだけれど
叔父の奥さんである叔母の
切符がなくなった
シャーロックと
金田一好きだった
幼いわたしは
名探偵きどりで
ふむふむそれでと話を聞いた
話はこうだった
みんなでぞろぞろと
もも家実家のお墓参りをした
近所に実家のある叔母に
自分の実家のお墓には
お母様が眠っているのだから
参ってきたらと
父が話したら
いいのよと言って
叔母は傘をさした
どこで?
わたしは聞いた
自分の実家の前あたりでと
叔母
謎はとけた
切符は実家の前に落ちている
つまりこう
おそらく
叔母が持っていた切符が
何かの拍子に傘に入り
傘をさした時に
落ちたの
じゃない?とわたしは言った
父が探しに行ってみると
叔母の実家の前に
切符が落ちていた
叔母が喜んで
もも姫は洞察力が鋭いと
みんなが言った
父が
偶然にも
実家の前に切符が
落ちていたのだから
実家に来てほしい
ということだろう
それにお母様に会いに行かないとと
言って
わたしは
うんうんとうなづいた
叔母は実家と
実家のお墓参りに行った
不思議な出来事があった
お風呂に入っていた時
時計を見たら
1時11分だった
わたしはお風呂が大好きで
長風呂なので
しばらくしてさっぱりしながら
部屋に行き
時計を見ると
1時11分だった
あれ?
お風呂の時計が止まっていたのだわと
その時は思ったのだけれど
止まっていたにしても
偶然と驚いた
次の日
お風呂に入ったら
時計は正しく動いていた
結婚してから誰かを好きになった
という経験をしたひとは
多かれ少なかれ
いると思うのだけれども
肉食系でがつがついくのか
一時的なものでしょうと
身を潜めるのかは
ひとそれぞれ
わたしみたいに
男性から
おまえのためなら死んでもいいなどと
告白される
姫様系の天然ボケタイプ?
そんなタイプがあるのかしら
でも
いくらファンクラブがあった?
としても
片思いはする
高校生の時なんて
先輩に密かに片思いをして
卒業するまで
ひとことも話せなかったほどの
奥手
青空の彼を好きになった時は
稲光がして
雷に打たれた後
丸焦げになったわたし
それ以来
丸焦げのまま10年になろうかと
している
奥手すぎる
こういうのを
奥手と言っていいものか
謎だけれども
それからわたしは
退院してしばらく
逆人魚姫みたいだわなどと
すっかり恋をしていたのだけれども
しばらくしたら
気持ちが薄くなっていった
そしてついに
本番ともいえる
青空の彼に恋をした
まさかこんなに長い間
好きでいるとは思いもせずに
運命の歯車が大きく動きだしたのは
そう
恋?の事件からだった
やはり
わたしの恋のきっかけは
さらさらとした髪
何かを書いていること
そして寝不足なのね
運命が大きく動き出すときは
いつもと違うことが起きるものだわ
頭をかきながら
ぼくはこれから
大学病院にもどらなくては
いけないのでと
ドクターが言った
病室にいた父が
命の恩人ですとお礼を言った
さらに
専門は何ですか?と
すっかりその気?になって
話しかけていた
若いけれど
なかなかの好青年だ
美男子だな
婿にどうだろうと
父が言うので笑ってしまう
わたしは
ずいぶん良くなっていた
お父さんな
救急車のなかで
おまえが死んでしまうのだと
覚悟したと
父が言った
よくなって良かったと
喜んでくれた
難しい表情で
機械をじつと見つめるドクター
こっこれは違います
このドキドキは
このドキドキは
先生にドキドキしていてなどとは
口がさけたら言える
さけていない…
しばらくして
酸素マスクを外しましょうかと
言われて
わたしの顔が赤くなった
いったいわたしはこんな時に
何を考えているのかしら
ばかばか
マスクがうまく取れなかったのか
ドクターが近い
ばかばか
朝になって
寝不足のドクターが
窓からの光を眩しそうにしながら
頭をかきかき病室に入ってきた
死ぬか生きるかだったわたしは
ひとを好きになった
ももさんごめんなさいね
ごめんなさいね
大丈夫?
大丈夫?
何度も何度もドクターがそう言いながら
処置をしてくださっている
聞きなれない言葉だわと
ぼんやりと考えながら
なんともいえない気持ちになった
それから
急にお手洗いに行きたくなった
ベッドで用意をしてもらい
お手洗いを済ませていると
ドクターは机みたいな場所で
カルテか何かを書いていた
臭くないのかな
髪がさらさらしていると
思った
入院のため
病室に入ってからも
夜中に何度も診察に来てくださり
ごめんなさいね
大丈夫?と
また聞きなれない言葉をかけてくださる
わたしは胸がドキドキしてきた
青空の彼を好きになる前に
恋?をしていた
わたしが実家で倒れた時
救急で助けてくださったドクターに
わたしは一瞬で恋をした
ドクターに
大声で名前を呼ばれて
目を開けて
息をしてと
叫ばれて目を開けた瞬間に
ドクターの顔が見えた
おそらくその時にわたしは
恋をした
家族に
恋に落ちた…と話したら
薬の量が問題なくらいに
多かったから
気分が高揚したのだろうと
心配していた
結婚してから
初めての恋?の事件だった
今回
結婚していないひとについて
少し書いてみたくなり
書きますね
*****
わたしみたいに
結婚したひとは
恋愛というより
家族を守るという気持ちになり
日々暮らしている
子供が生まれれば
子供のことばかりになり
父親として
母親として
いかに生きていくかばかりを
考える
そうでないひとは
いるけれどもね
そしてさまざまな生きていくことを
学ぶ
結婚していないひとは
周りからおそらく
結婚しろ 結婚しろと
言われる
パーティーやお見合いなど
さまざまなことに挑戦して
断られたり断ったり
相手の見た目を重視したり
家庭に入り
良き父 母になりそうかを
吟味したりしている
他に生き甲斐を見つけても
恋愛や結婚を心のなかから
消すことはないみたい たぶん
わたしは結婚しないを選ぶのも
大変なことだわと思う
子供 受験の悩みを
井戸端会議で話しているわたしと
同じくらいの年齢のひとが
好きだ嫌いだ
恋愛だで
悩んでいるなんて
きっと恋愛に
臆病になっているでしょうし
一生結婚しないと
決めているひともいそうで
それはそれで
つらいこともあるのでしょうねと
想像する
結婚は墓場だ
などと言うひともいるけれども
わたしはそうでもないと思う
たくさんのことを学ぶチャンスになるし
苦労に量があるなら
みんな同じ量だと思うから
初めて
めがね屋さんに行った時のこと
初めてで
何もわからないですと
店員さんにすがる
なにしろ
わたしは砂漠で狩りをしていたかのような
視力の良さで(笑)
息子のメガネを買いに行くまでは
メガネを買ったこともなく
こちらで買い方を
教えていただいたほど
店員さんに
親切丁寧に説明していただけた
視力が急に低下したものの
わたしは後回しにして
まずは息子のめがねを
作ることにした
視力測定器の精密さもさることながら
フレームの多さに驚く
息子にクラシックフレームを
かけさせてみたら
戦争で亡くなった叔父
父親が
祖母が50歳前の子供なので
叔父の写真と似ていた
息子は生まれた時から
祖父に似ている
などと言われてきたけれど
神童と呼ばれていた祖父は
わたしが生まれた時には
亡くなっていたから
想像できないほどのお金持ちで
とにかく頭の良いひとだったという
はなししか知らない
もしこの子が
戦争に行くようなことがあったらと
考えただけで寒気がする
祖母の気持ちはいかほどだったかと
考えさせられる
わたしも鼈甲調の個性的なフレームを
かけてみる
サングラスも欲しいかな
そんなこんなで
店員さんと爆笑しながら
すぐにめがねが完成した
息子はイケメンイケメンと
騒がれているけれど
さほど嬉しくもなさそうで
どちらかというと
自信がなさそうに見える
もてるということは
悪いことではないのに
わたしみたいに
悪いことになってしまったのかな
それより
息子のように
頭が良いと思われることは
頭を利用されて
危険なこともあるかもしれない と
最近になって知った
もうずいぶん前に
なるけれど
青空の彼と話していた時
突然
群馬のような
なまりで話すわたしに
気がついた
群馬で暮らしたこともないのに
彼はちらりとなまりを
気にした顔をした
わたしも今のなに?
ぱちくり
と思った
朝はやく起きたら
夜にメラトニンが出て
夜にはやく眠れる
夜にはやく眠れたら
朝はやく起きれる
そしておでこに太陽の光をあびて
夜にまたメラトニンを出す
適度な運動をする
などという
一般的に健康なひとの
話す正しいことは
正しいようでそうでもない
とにかく休めば
元気になるし
昼と夜が逆になり
夜に楽しく過ごして
昼に眠っていても
そのうち
楽しい用事ができたり
心と体が元気になれば
必要な時間に起きられるもので
いつのまにか
おじいさん おばあさんのように?
規則正しくなっていたりも
するものだから
不規則に
罪悪感をいだかなくても
しっかりと休んでいたら
時間がかかるけれど
お腹にゴーゴーと力がわいてくる
休み足りないと
ゴーゴーはない
自分を守れるのは
自分だけ
青空の彼が
ホッとする時間は
夜の7時から8時の間にやってくる
わたしは見てしまった
ホッとした顔を
他にホッとする時
あるのかな
わたしは最近
10時20分くらいに
なんともホッとする時間があると
気がついた
午前中だよ ぷふ
ベッドにもぐり込んで
枕を高くして
足をあたたかくして
目を閉じると
なんともいえない
幸せな気持ちになる
ずっとこうしていたい
こうしていたい
間抜けなわたしに笑ってしまう
バルコニーで
挿し木をしていたのだけれど
風が強い日に
木が床に落ちていた
ねっこがあると
風など平気なのに
ねっこがないと
いとも簡単に飛ばされてしまう
人生には
晴れの日もあり
雨の日もある
晴れの日には
枝がのび
雨の日には
ねっこがのびる
枝ばかり目につくけれども
ひととしてのねっこは
大事だわ
困難は
何を教えようとしているのかと
考えてみる
わたしは
何に気づくべきなのか
考えてみる
大丈夫
雨の日にも
しっかりとねっこは伸びているから
病気を治すというのは
病気と向き合える
ということだと思う
治すのは
病院やドクターではなく
自分
そしてまわりにいるひとの
協力も必要
病気になるとまず
病気であることを
まわりのひとに伝える
気を付けられることがあれば
気を付ける
気を付けてもらう
本人も
寄り添うひとも
同じように
できることがあれば
やればいい
できないことがあれば
できないんだなと
思えばいい
だけれど誰かを
やたらに病気という目でみることは
いけないことだと思う
病気じゃないことも
病気のように見えてしまい
必要以上に厳しくしたり
うんざりしたり
腹立たしく思ったりするから
奇異の目で
病気だと見られている誰かの方は
逃げ場のない
つらさを味わう
もしわたしたちが
病気の誰かを
ゆがんだ気持ちや
嫌な目で見るようなことがあるなら
反省しないといけないね
心と体の病気は
いったい何の病気?と
混乱することがある
原因も知りたい
原因がわかれば
なんとかなるのではないかと
思うから
そんな時ドクターに
教えていただいたことがある
一本の木があるとして
ねっこがあるでしょ
もともと
そのひとの持って生まれた病気
環境などが
ねっこ 原因として
大きく存在している
そこから
さまざまな枝が出てきて
さまざまな病名がつく
だけれど原因はひとつ
増えているように見えるけれど
ただ枝分かれしただけですよ
グループわけみたいな考え方
好きじゃないのよね
確か
そんな話だったと思う
どんどん悪くなって
病気が増えているように思うひとは
なんだ枝かと
考えてみると
少し楽になれるかもしれない
すべてよくなるなんてことは
どんなひとにも
ないこと
かもしれないけれど
ときどき
きれいな葉をのばしたり
花を咲かせることができたら
それでいい
わたしもつらかった
怖かった
人間だもの
わたしだってつらい
わたしだってパートナーが怖い
先日
子供が心の病気になり
助けてほしい時
母親ならこうするべきだ
という記事を見かけた
本当に醜い母親もいるから
腹立たしく思うことも
実際あるけれども
そうではない場合もあると
思う
記事には
子供が心の病気で
助けてくれと
叫んでいるのに
母親は
なぜ助けないのか
子供を抱き締めないのかと
母親に伝えたら
母親は
できないと言った
それは
子供が心の病気で
母親にとって いい子ではないからだ…と
書いてあった
違うかなと思う
誰も
そんな大変な状況なら
母親でも愛情を注げない
それでいい
わたしがあなたの立場でも
そうなったと思いますと
言ってあげて欲しい
母親が安定するのが
子供にとって一番と言いながらも
母親を
受け入れず否定するのは
違うかなと思う
わたしなら
例えば
パートナーから子供への
虐待について
なぜだか助けられなかった
パートナーには愛情のかけらも
なかったのにという
母親のありのままの気持ちが
あったとして
わたしは同じ経験をして
同じ気持ちで理解できるから
そうなんだなと
否定しない
人間だもの
絶対にこうじゃなくてはいけない
なんてないと思う
それから長い間
専門の病院に変わったり
新しいアドバイスをいただけたりと
紆余曲折
本当にいろいろあった
息子たちに
今はなくなった診断名を
もらったりしながら
ここまできた
やり直すことはできないから
これからできることをやりたいと
思う
今できること
それをやりたいと
わたしはいつも思う
でも
何もできなくても
それはそれで
また元気な時にやればいいと思う
大人びた雰囲気から
虐待の疑いがあると診断された
長男は
ドクターの前で
窓が50ちかくある
家の絵を描いた
逃げ出したいと思っていたのだと思う
次男は診察中に
ママが泣いているかもしれないと
ドクターに言ったらしい
もうずいぶん前の
ふたりが幼い日のこと
だけれど
毎日毎日これでもかというくらいに
悩んできた
次男のドクターから
もう頑張らなくていいよと
次男に伝えていきましょうと
言われたことを思い出す
長男が病気になり
病院に連れて行った時
お父様はどう考えているのですか?と
ドクターに聞かれて
わたしは
あれ?
何も考えていないなと
思った
温度差がありすぎですよねと
ドクターに指摘される
確かにと
思った
次男が病気になって
病院に連れて行った時
ドクターに
アル中のお父さんがいる家庭のお子さんと
よく似ているのですが
お父様はお酒をのんで暴れますか?と
質問された
いえ
お酒はのみますが
お酒で暴れたりはしないですと答えた
長男のドクターから
虐待には
わかりやすい暴力だけではなく
言葉の暴力
ネグレクトなど
いろいろあるのですと
教えていただいた
それらは聞いたことのある
言葉だった
あれも これもと
赤ちゃんの時から
思い当たることがあった
長男も次男も
何も悪いことをしていない時に
パートナーに怒られる
それに
食事や病気
お金について
うまく説明できないけれど
パートナーの態度がおかしいと
わたしは思っていた
初めて病院でドクターに
ももさんそれは
ご主人からのDVですよと言われた時
一瞬驚いて
わたしはなぜか
心の中で笑った
あははは あはは
あははは
DVね
どうして今まで
気づかなかったのかしら
そうかなと思うことはあっても
自分が悪いと思っていた
聞いた今も
このDVは他のひとと比べると
軽いのではないかと
考えて
自分が悪いと思っている
あはは あはは
ひとは奇妙に笑った後
うなだれる
いったいどうすればいいのよと
思った
もし前世があるなら
わたしは
姫様ではなく
バッタだったのではないかと
よく思う
おんぶバッタの
おんぶされている方のバッタ
緑が美しいと思うしね
バッタが緑が美しいと
思うか知らないけれど アハハ
わたしは
山奥の温泉が好きなのだけれども
川沿いの温泉で
顔だけ湯船から出していたら
不思議な気持ちになった
やはりわたしは
カッパだったのかもしれない
なぜ毛が?
なんの理由で毛が?
いや毛は
などと考えてしまった
姉に話すと
私もカッパは思ったことがあると
盛り上がり
バッタはないなと言われて
大笑いした
以前 女の子の日は
喘息がひどくなると感じて
ドクターに話したところ
ドクターも
女の子の日は肌荒れすると
同じで
喘息がひどくなると
おっしゃっていた
なるほどと
気を付けていたのだけれど
わたしは
喘息で最初の入院日も
次の入院日も
女の子の日ではなく
卵の日と
自覚している
やはり一番
卵の日に
毎月喘息が悪化する
入院中は
出血していたので
婦人科にも
診察に行ったのだけれど
特に内診の恐怖で
寝込んだ以外は💧
体に問題はなく
終わった
その後も
卵の日になると
喘息が悪化する
ホルモンバランスと喘息は
関係があると
思う
だからいつも
卵の日は
自分でわかるので
気を付けて
無理をしないように
はやめに
薬を使うようにしている
ひとは誰でも
思春期を迎えて
大きく成長していくのだろうと
思う
というわたしも
パパと結婚するなどと言っていたのに
思春期には
父親が気持ち悪くなり
母親には
うるさいばばあとまで
言ったことがあるの アハハ
それを近所のひとに聞かれて
ももちゃんも
ばばあとか言うのねと
大変驚かれ
恥ずかしかった
長男は
家庭で反抗的だったので
反抗期なのかなと
よくわからなかったのだけれど
わたしに対して
変に嬉しそうにしていたことも
あって
大人ぶったり甘えたり
反抗的になったりするのは
きっと虐待の影響でしょうねと
考えてきた
学校では
温厚で人徳がある
先輩には好かれ
後輩には慕われている
お友だちも多いですよなどと
言われてきた
キャージャニーズ
天才
と
近所では言われてきた
わたしから見たら
本来は
おだやかで優しい子
優しすぎて損をするような子
だったのだけれど
家庭環境で心が傷つき
わたしも助けることが
できなかったせいで
長男は
愛されていないと思いながら
大きくなった
そんな長男を
わたしは
いつも大きな愛で
包み込むようにしている
次男からは
お母さんはおれにも甘いけれど
お兄ちゃんには甘すぎるね
特にわがままな時
などと言われる
長男には
次男は溺愛されていると
思われている
*****
長男に
遅れてきた思春期がやってきた
ちゃんと育て直しが
できたのだわ
などと喜びたいところだけれど
不機嫌で
いかにもわたしが嫌い
という長男の様子に
そういう おとしごろ と
思いながらも
わたしが
落ち込んでしまう
もしかして
反抗期ではなくて
プレッシャーではないかしらと
思い
次男の病院で相談してみた
遅くきた思春期ですよ
高校生くらいでくるやつです
優秀だから進路について
プレッシャーもあるのでしょうと
ドクターが言った
そうねぇ
高校生くらいなら
部活動も勉強も
ばりばりやっていたから
わたしとの関係も
また違っていたかもしれないけれど
大事なはなしにも
返事をしない
この時期に思春期とは
本当にどうしたらいいのか
悩むばかり
パートナーに
長男に無視されると
言ってみたものの
今度はパートナーに無視される
もしかして
パートナーみたいになったらどうしよう
心の中で
必要以上に心配になる
息子を信じて
見守るしかないけれど
去年の入院騒ぎで
次男が赤ちゃんの頃から喘息で
お世話になっていた
総合病院のドクターに
診察していただけなくなった
素晴らしいドクターだった
個人病院や他の科に変わるにしても
総合病院からの紹介状を持って
行きたいところ
なのだけれど
それもできなかったという
おかしな結果になった
総合病院から
拒食のことではうちに来ないでください
救急車も呼ばないでください
呼んでも断ります
喘息のことは
小児科ではなく
呼吸器内科に行ってください
救急車も呼んでください
断りません
という電話があってから
拒食について
心療内科のある総合病院が
大学病院に紹介状を書く
ということになったのだけれど
それは
総合病院の心療内科では対応できない
という病院の都合
小児科の特別外来で
お世話になっていたから
年齢的なことや
外部からいらっしゃるドクターだから
なかなか意見が通らない
というような事情
だったのか
ある程度想像はできたものの
わからないことだった
病院の都合など
病気でつらい思いをしている息子には
関係ないことだから
拒食の時
突然大人の呼吸器内科の方へ行けと
言われても困った
喘息については
お世話になったドクターに
紹介状を書いてもらい
特別外来は終わりにします
救急の場合は
呼吸器内科で対応しますのでで
よかったと思うのだけれども
違うのかな
次男の方は
中学生くらいに思春期を迎え
一人前になろうとしているのね
よしよしと
わたしは思った
だけれど
本当に思春期を迎えて
ぶつかりあったかというと
自信がない
パートナーに相談してみても
思春期がなかったらしくて?
今も思春期が続いていたりして…
とも思ったのだけれど
なかったらしくて
同じ男性として
気持ちを聞いても
父親としてのアドバイスを求めても
無視だった
次男は今
わたしよりしっかりとしてきて
いるので
大丈夫なのかなとは
思う
次男は家で過ごしがちだけれど
普通に
わたしに気持ちを話したり
冗談を言って笑ったりしている
おだやかで気が利き
優しい性格ということもあり
特にこれといって問題もない
DVや虐待という家庭内の問題は
重くあるにしても
拒食については
良くなるまでに
とにかく長い時間がかかると覚悟している
ただひとつ
喘息を診ていただける病院が
なくなってしまった
ということが気がかり
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