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歯が痛くて痛くて
寝ているわたし
痛み止めがまるで効かない
痛み止めは
喘息の時は
積極的に使いたくないけれど
頭と胸あたりまで痛くなる
これは大学病院まで行かなくては
病院が遠く感じる…イタタタ
そんなわけでわたしは
しばらくベッドでスマホで遊んで
気をまぎらわせようとしていた
それで思った
浮気という事実がわかったとき
男性が女性と相手に仕返しをする
すっきりした
という幼稚なはなしが
ネット上にはわりと多い
恋人 結婚
という枠組みは
ひとがつくった枠組みで
そこにしがみついているのは
なんだかなと思う
浮気をされて仕返しをするまで
というのは
文章を読んでいても見苦しくて
美しいものではない
完璧な作戦で仕返しがうまくいった
愛情はない
などと
だいたいのひとが書いていて
コメントを入れるひとも
すっきりした草
などと書いている
100%の愛情を感じていたら
裏切れないでしょうから
そこには大なり小なりふたりの間の
問題があって
浮気という結果になっているはず
それに
浮気をされたら悲しくて
苦しくて当然だと思う
それを隠して
醜いまでの計画的な復讐をすることに
何か意味があるのかな
そんなことをしても
誰も喜ばないのに
女性や相手
両親にまで恥をかかせて
さらに慰謝料をもらっても
後味だって悪いはず
弁護士にお任せして
さくさくっと
自分は前に進んだ方が
よほど良いと思う
仕返しを面白がって
いいねをするひとは
いるかもしれないけれど
取り乱すことはあるにしても
だれかれ
たくさんのひとを巻き込んだり
傷つけたりして
自分は悪くないと
笑おうとしているひとを
素敵な男性 女性などと
誰も思えない
復讐に時間を使うなんて
ナンセンス
自分のこれからに時間を使うべきだと
思った
女性の復讐は男性と違い
違った陰湿さがあるように思うけれどもね
とにかく
そんなことをしても誰も喜ばない
いい男だったな
いい女だったな
おしいことをしたなで
終われないじゃない
まだわたしが
二十歳前くらいだったかしら
復讐しようとした友人がいた
彼の彼女とわたしが
親友で
彼はわたしにも優しく接してくれていた
彼女が浮気しているのは
知っていたけれど
そういうひとだからと
たいしてわたしは気にもしていなかった
彼はたまに
ホームパーティーに呼んでくれたり
親友に買うついでに
わたしにも服を買ってくれたり
ごちそうしてくれたり
ふたりで
うちに遊びにきてくれたりと
仲良くしてもらっていた
かなりのイケメンで
親友となかなかお似合いじゃないかなと
思っていた
そのころ
わたしの部屋が盗聴されていると
わかって
親友と話していることを
なぜかその彼が知っていたということがあった
そんなある日
そんなある日
彼から電話があった
親友の部屋に行ったら男がいた
一旦家に帰り
竹刀などなどを用意して
親友のところへ殴り込みに行く
という内容だった
わたしはその男
について
話さなくてはいけなかったのだろうけれど
親友の浮気については
あまり興味がなく
聞いたことがあるような
ないような
あの子かな?と思いながら
まず落ち着きなよ
その男は誰なのか確認したの?
親戚とかさ
そうかもしれないじゃない
それに
竹刀…そんなことをしても
誰も喜ばないと
腹立たしく思いながら
わたしは言った
電話の向こうで
ワーッと泣き崩れるような声がした
どうしておればかり
いつもと
彼は言っていた
気の毒なひとだった
親友には
こうこうこういう状況だから
気を付けて
殴り込みに行こうとしていたから
そんなことをして
親友が自分のところにきてくれる?
誰も喜ばないだろうと
話したら
やめたらしいけれど と
すべて報告しておいた
親友はありがとうと言った
修羅場の経験は
ふたりともそれまで何度かあったので
わたしも親友も
きもが座っていた
性格もあるけれど
彼には
わたしの彼氏が嫌がるから
何度も相談にのれないと話しておいた
フレンドリーな彼氏だったから
それはなかったのだけれど
彼に
盗聴されていたみたいだから
一線をひいた
彼はわたしに謝って
親友と別れた
あれ?
わたしって
変わってしまったと思っていたけれど
今も昔も
あまり考え方は変わらないのね
家族の誰かの問題は
ひとりだけの問題ではない
家族全員で
自分のことのように
ともに悩み
ともに答えを出していく
家族とは
そういうもので
だから家族なのだと知った
わたしと次男はふたり
思う
つらい思いをしながら
頑張っている長男を
ひとり悩ませるなんてことは
できない
なんとか良い方向にならないものか
今後どのようにしていくのが
よいものかと悩む
わたしは思う
パートナーはなぜ
そんなわたしたち
ひとりひとりの問題を
無視したり
他人ごとのようにしたりしているのだろう
なぜ
いつまでも
そんなことができるのだろう
自転車のタイヤの空気が
なくなってしまい
毎日ペッちゃんこになっている
パンクというわけではなく
ペッちゃんこ
同じマンションのひとと
ダイヤ交換にいくらくらいかかったか
話したけれど
新しい自転車を買うくらいしそうで
きびしい
とりあえずマンションの空気入れを借りよう
壊れている
げほげほしながら
自宅の空気入れを取りに行き
空気を入れた
シュ シュ シュ
ほこりを吸い込んだことと
運動で
発作を起こした
おわった
今日のわたしがおわった 涙
まさか空気入れもだめだなんて
思わなくて
うなだれた
あれもこれも難しい
自分のできること
できないこと
年齢
よぼよぼ
よくわかって行動しなくてはね
最近お金の使い方がシビアに
なってきて
もちろんブランド品など
一時
興味を持ったものの
買わない
どちらかというと
ブランド品を買いあさる女性に
興味を持っていたのだけれども
つまらないことに思えてきて
あきてしまった
そんなこんなで
本当に大切なもの
本当に必要なものに
興味を持つようになった
次男のおかげ
わたしが無駄遣いをしそうになると
その800円で
おれのメープルを買ってよと
絶妙なタイミングで
言ってくる
イタタタ
そうね
家族のために使うべきよね
家族のために使うと
良い使い方をしたと思うもの
などと反省する
次男はなかなかの倹約家で
わたしよりしっかりしている
たまには自分の欲しいものを
買いたいけれどとなった時
これでメープルが何個買える?と
考えると
次男のことが思い出されて
胸がいたくなる
本当に大切なもの
本当に必要なものを
優先すべきだわと考え
買うのをやめる
ショップのひとは
どれだけ怖い顔でぷるぷるしながら
商品を置いているのかと
思っているかもしれないけれど アハハ
所詮
お坊っちゃま お嬢様の
父と母に育てられたわたしは
父と母は
貧乏を知っていると話すけれども
お坊っちゃま お嬢様の無駄遣い
なのだと思う
姉と母方の祖母は
裕福なのに
ナチュラルに生きる倹約家なので
次男に優しかった祖母を
感じることがある
次男に
ありがとうねと話した
次男がやせすぎて
腸がたれてきていると
わかった
下腹が少し出ている
ドクターに
パンケーキのことを
いいねと
ほめていただいて
ふたりでパンケーキを焼いたり
食べたりしてきた
今度は
チーズケーキを焼いて
焼き色をほめていただけた
少しでもいいところがあれば
ドクターがすぐに見つけて
いいよねと
ほめてくださる
男性のドクターなので
聞いていて新鮮な気がする
腸のためにも
おいしいものを食べる
ということしか
改善方法はなさそう
続けて頑張らなくてはいけない
先生がたに
カラオケのはなしをすると
お母さんも最近の歌を?と
驚かれた アハハ
次男の音への過敏さでは
悩んできたけれど
お母さんが赤ちゃんの時から
歌ってきたこと
音楽を小さい音で聞いてきたことが
突然歌うようになったことに
関係あるのでしょうねと
リハビリの先生も喜んでくださった
ドクターが
過敏さがあるくらいだから
歌がうまいんだね
運動は無理な状態
してほしくないので
カラオケでいこう!(運動)と
おっしゃった
わたしと次男も
よしカラオケでいこう(運動)
という気持ちになって
お互いに笑った
次男くん
よく笑うようになりましたね
楽しみながらやってくださいねと
先生からアドバイスをいただけた
最近
腹式呼吸とミックスボイスに
次男とふたり
はまっていて
夜中や日中に
わたしが
みてみて
ついつい腹式呼吸
突然のミックスボイスみたいな と
やってみせて
次男を笑わせている
さすが音大だけあって
発声ができるねと次男
といってもわたし
大学では寝るばかり
友達と遊ぶばかりしていたよ
大学って楽しいよ
いつか大学行きなよと
話した
次男も行きたいとは思っているみたい
それから
ミックスボイスができているのかなと
次男が悩んでいるので
ボイトレに行く?と
誘ってみたのだけれど
その元気はなさそう
とりあえず夜中や日中に
腹式呼吸やミックスボイスを
披露して
できているでしょと
ふたりで笑っている
母や義父は
笑えるほどのリズム感のなさだから
それはそれでおもしろいけれど
似なくてよかった と
思っていたら
寝たきり たまに座る
の次男が
カラオケに行きたいと
言い出した
とりあえず
家で練習しようということになり
ふたりで
よねず☆んしを歌う
しばらく
暇な時間にふたりで歌いながら
キャーキャーと
騒いでいた
なんと
歌うたわぬ次男が
鼻唄を歌うようになった
そして
ついにふたりで
カラオケに行った
脱水ぎみの次男に
飲み物をのませて
とりあえずわたしが歌う
楽しい
次は初カラオケの次男
音量が大きいから大丈夫かなと
見ていると
初カラオケで
厳しい採点で有名な部屋だった
らしいのだけれど
90点
機械に
かなりほめられている
楽しそう
素晴らしい歌声
リズムから音程まで
次々べたぼめされていた
本当に驚いた
音楽を楽しむということが
少しできた
ひとには無限の可能性があると感じた
一日だった
次男がカラオケのときに撮った
写真をみて
おれ
細すぎるね…と
ぽつり言った
わたしは音楽が好きなので
もちろん息子たちも好きだろうと
2歳から音楽教室に入れた
ふたりとも
音楽のセンスはあったようで
長男は楽しく過ごしていたけれども
次男は嫌がっていた
次男は特に
歌をうたわぬ子だった
才能があるのに
もったいないねと
ママ友達からは言われた
わたしもそう思ったけれど
音楽を楽しむどころではない
という家庭環境だったから
そっとしておいた
次男は
音に過敏な子なのだろうからと
音を小さくもしていた
だけれどたまに
次男が
クラシックを聴いていると
ミスタッチに気がつく
学校の
ハードリズム遊びに参加すれば
恥ずかしがりながら
完璧にリズムがとれていた
けれど
音楽を受け付けない
という様子だったから
わたしと息子たちは
音楽から遠ざかるようになっていった
次男は
音楽を避けた将来を
考えた方がいいのだろうと
思っていたほど
母方の実家は
音楽と縁遠い
母はまるでリズム感がない
そのせいで
わたしたちいとこは
全員ピアノを習わされている
わたしの父は
クラシックと演歌が好きで
歌もよく歌う
だからわたしも歌が好きで
音楽と美術
数学と国語が得意な子供だった
わたしが大学生の時
実家の裏口を開けようとすると
ゆらゆらと
動く影が見えた
門限の8時を過ぎていたので
おそるおそる
扉をあけると
オクラホマミキサーを練習する
母の姿があった
てっきり
帰りが遅いと
さざえさんみたいに
ホウキでも持って
待ち構えているのかと
思っていたわたしは
拍子抜けした
この
ちゃんかちゃんかが
できないのよね
いいわね
ももちゃんは簡単にできてと
母が言った
地域のイベントか何かで
踊らなくてはいけないので
真面目で努力家の母は
必死だった 笑
自分が音楽が苦手なのだから
娘に
高いレッスン受けさせて
期待しないでよと
当時のわたしは思ったもので
母の姿に苦笑いした
わたしは青空の彼に
迷惑なんですけどと思われることが
なにより怖い
という時期があった
単純に
好きだから嫌われたくないということよね
そもそもわたしが
恋愛を悪いことのように考えて
迷惑なんですけどと思われそうなことを
しようとしていた
ということが
問題なのだけれども アハハ
結婚しているわたしが
こんなことをしたら
彼に
嫌な顔をされるのではないかと
わたしはびくびくしていた
けれど
彼は
バレンタインのチョコを渡した時も
用事を見つけて会いに行った時も
笑っていた
おもむろに嫌な顔をするひとでは
ないのだろうけれど
わたしはあの時
胸を撫で下ろしたもので
迷惑なんですけどと
彼に思われるのが
本当に怖くて怖くて
足がガクガクしていたほど
わたしならどう思うだろう
わたしが彼なら
どう思うだろう
おかしなひとだなと
笑うかしら
迷惑なんですけどと
思うかしら
そんなことばかり考えていた
けれどあの頃
わたしは幸せだった
勇気を出してでも
彼に会えたから
ひとの言葉は
同じ言葉を聞いていたとしても
自分のものにできるかどうかは
その時々で違う
自分がぴりぴりしていれば
何を言われても
悪い方に受けとる
必要ないと思えば
うるさいわと聞いちゃいない
後から考えて
あの時は
ありがとうございますなんて
思うこともある 汗
反対意見を言われて
なるほどと思う時と
妙に腹立たしく思う時がある
相手によるのかな
誰しも
良いところがあれば
悪いところもある
それをすっかりと忘れて
理想ばかり追及すると
相手の言葉に
自分が苦しくなる
自分だって
良いところもあれば
悪いところもあるのだから
そこは理想ばかり追及しないように
したいところ
ひとそれぞれ
わたしはたまに
自分の良いところばかり見て
笑っていられる
ヘンテコだけれど
それがわたしらしいと思う
商売をしていて
利益ばかり考えていると
いつの間にか
真心を売っていることを
忘れて
物を売るだけになる
相手に喜んでもらおうとする気持ちを
忘れる
相手の喜ぶ顔を想像して
丁寧に
明るくやりたいもの
単純にそこができれば
問題ない
という気もしてきた
クレームについても
次男が
クレームは事実だと言うので
それもそうね と
事実として受け止められるよう
努力している
だけれど
よわっちいわたしは
クレームが怖い
どっぷりと落ち込む
本当は
芸術家タイプなのかしら と
人生を見失って
しばらくもがいていたわたし
わたしの商売は
わたしの写真
説明文に
魅力を感じてくださるわけで
アイデア 想像力
個性
はったり
などなども関係ありそう
迷いが出てきたら
きっとそれはもう
卒業すべきこと
やっていても
つまらなくなる
なんとなく
魅力を感じなくなる
わたしのやるべきことは
いったい何?
おうちのこと 息子のこと
それはゆっくりやるとしても
しばらく人生の迷子
最近
高校生から大人までの恋愛事情や
中高年の恋愛 婚活について
調べていた
最近の恋愛や
50歳を過ぎてからの恋愛
婚活に
どんな恋愛をするのか
興味があったから
若いひとからお歳をめしたかたまで
女性がとにかく積極的で
アピールしていることに驚いた
ターゲットもころころ変えている
世の中には恋愛に一番の価値をおいているひとが
たくさんいるのね
わたしは
こんなラブレターを
長々と書いてはいるけれど
まるで積極的ではない アピールもしない
みなさん
どこまでも貪欲なのだわ
お金に対しても
男性に対しても
貪欲
貪欲さにかけるわたし
婚活でイケメン探しに燃えるおばさまがたの
気持ちはわかる
わたしも今を輝くイケメン俳優さんが
大好きだから わかる 笑
けれど恋愛は
人生の楽しみやスパイスなのかしら
異性とお酒を飲んだり
旅行に行くのは
とても楽しそうだけれど
本当のイケメンと知り合いたいのなら
地域の小さなボランティア活動
の方がいいんじゃないのかな
なんて思った
わたしは過去に
恋愛をバカにしていたところが
あった
けれど恋愛は
人生の楽しみやスパイスではなく
愛を学ぶためのもので
嫌なことや
悲しいこともあるけれど
喜びや幸せ
相手への愛を学べるもの
なのではないかなと思うようになった
でもそれは
恋愛にガツガツしている
若いひとからお歳をめしたかたまでのひとと
わたしの
価値観の違いなのかもしれない
ゲーム感覚で恋愛にスリルを感じたり
自分が愛してもらうことだけを考えたり
独占欲を満たしたり
そんなことのために
恋愛と時間が存在しているのではないと
わたしは思う
本当の愛を学ぶために
存在しているのではないのかしらと
思う
わたしはタバコを吸わないから
喘息の検査の時も
タバコは吸いませんと
答えてきたけれど
よく考えてみたら
ガンになるまで
ヘビースモーカーだった父の
お膝が大好きで
幼い頃はいつも
父のお膝にちょこんと座っていた
絵本を読んでもらったり
映画を見たり
音楽を聴いたりしていて
たまにおんぶしてもらい
父が歌を歌っていた
という記憶がある
父の
お膝を抜け出すと
わたしは絵を描いていた
姉がいつもお膝にいるわたしを
うらやましく思っていた
というくらいだから
すっぽり父のなかにいて
副流煙を吸い込んでいた
ということよね
パパ大好きっこだったわたしは
なにしろ中学くらいまでは
父のそばにいた
田舎の大きな家で暮らした時は
煙はわたし以外のひとは
さほど吸い込んでいなかったかもしれないけれど
社宅で暮らしていた時は
換気があまりできていなくて
隣の部屋で勉強ばかりしていた姉以外の
わたしと母は
受動喫煙ていうのかな
そういうことになっていたと思う
結婚した時
パートナーはヘビースモーカーだった
わたしの妊娠がわかると
タバコをピタリとやめたので
それ以来
喫煙者はいない
父は肺の病気をしている
わたしの喘息も
多少関係あるのかな ないのかな
なになにすべきだ
なになにしなければいけない
という
足かせを外して
窮屈な環境で
学びをえたのだから
魂の声に
心の声に
従おう
こんな生きかたいいな
わたしには
ぼくには
こんな生きかたいいな
それは誰かを
感動させることであったり
肩の力をぬくこと
であったり
笑うことであったり
するのかもしれないよ
青空の彼へのラブレターなのに
また脱線しているわたし
たまたま会っただけのひとに
なぜ恋をして
別れがつらくて泣いたのか
今でもわからない
あれからもう
10年なるかならないかくらい
彼が行きそうなところに行けば
彼に会えるのかもしれない
芸術に没頭
恋を表現するという手もある
でもわたしは
彼から連絡をもらえたらいいなと
考えている
わたしは正直
彼に連絡をしたい 会いたい
けれど
彼がどう思っているかわからないから
勇気が出ない
ふられてるからね
どう思っているかもなにも
ないのかもしれないけれども
時々思う
わたしがこんなに長い間
彼を思っているから
びびびびー光線が出ていて
彼の頭に
びびびびー
彼もたまには思い出してくれるかしらと
それである日
ちょっと連絡してみようか
ということになって
連絡してくれるのではないかって
なんだそれ
でも彼には
大切なひと
愛するひとがいるかもしれない
何か頑張っていることが
あるかもしれない
わたしはその邪魔はできない
*****
彼は甘いかおりがして
ピンクに囲まれ
きれいな目をしている
どんなひとやねん
そばにいると
なぜか平和な そうね
国民に幸あれという気持ちになる
これ表現はどうかな笑
たまたま目が合うと
時がしばらく止まったようになる
それから彼は
とびっきり笑う
あんなに笑顔のひとを
見たことがないほど笑う
ごめんなさいね ありがとう
大丈夫だから 心配しないでと
彼は言う
そんな彼が大好きで
ばかなわたし
あつい涙が流れる
いつまでも いつまでも
いつまでも いつまでも
よわっちいわたしに涙が流れる
秋に咲く桜です

先日のアカ☆ラの悩みから解放されず
まだ長男と話せていない
ずっと胃の調子が悪い
長男が◯◯をやめたら
一緒にしばらく世界旅行に行きたいな
沖縄もいいな
ぷち稼ぎを頑張らなくては
などと考えてみたり
わたしの売り上げや試験の目標を
紙に書いてみたりしていた
いやもう
頑張らなくていいよ つらかったねと
書いてみたりもしていた
喘息プラス
毎日つわりのような
吐き気がある
ホルモンバランスが悪いのかな
魚がにおう
ごはんが気持ち悪い
あっ 次男が心配している
次男のためにも
おいしそうに食べなければ
ごはんを作らなければ
吐きそう
これは真面目に胃腸科ね…
わたしは幼稚園の時
青汁と注射が嫌いで
いつも泣いていた
なぜ青汁を
飲まされていたのかしらと
不思議に思う
健康のためとはいえ
幼稚園だけではなく
学校とはおかしな決まりごとが
案外たくさんある
青汁を飲むとアメがもらえるのだけれど
鼻をつまんでも無理で
アメ2個にしましょうねにつられて
青汁を少しにしてもらい
わたしは飲んでいた
注射の日は
園長先生にだっこされて泣いていて
注射はないよと言われて
実際は注射があった
注射はないよ教育
これがよいとされていた時代だった
今は通用しない
わたしは思う
注射はあると伝えるべき
それに言葉には優しさを
学校で例えば
邪魔
という言葉は
先生が子供に言わない方がいい
こんなこと
学校に行けていない子の親なら
誰もが知っている
けれど先生は知らない
さらに質問があるときは
子供が自分から
聞けないことがある
例えば
体育のグループに
自分の名前が入っているかどうか
そんなこと
自分で聞けるでしょうと
思うようなこと
聞けたら
普通に学校に行けている
普通に学校に行けていたひとは
わかろうとしても
病気などで
普通に学校に行けないひとの
気持ちはわからない
どんなことで傷ついて
どんなことで不安になり
どれだけ気遣いをしているか
元気なひとにはわからない
元気だから先生になれるわけ
だからわたしたち親は
子供のつらい思いを
学校に伝えなくてはいけない
経験上
学校と話しても
うまくいくわけがない
子供を人質にとられているのだから
言いたいことは言えない
言ってよくなることなんてない
ひどくなるばかりだ と
みんな知っている
相談しながらひとが怖くもなる
世の中は厳しい
厳しい世の中に出るために
子供をかばうばかりはいけない
長いものにはまかれた方がね…
などと迷う
けれどどこかには
きちんと聞いてくれる先生がいる
言ってくれてありがとうと
楽になれるよう
考えてくれる先生方がいる
先生のうでをつかんで
この子が困っています
こうしてもらえませんかと
話す親がいる
ボロボロになりながら
親をやっているひとたちがいる
わたしは
そんなお母さんと話すと
とても勇気をもらえた
言ったもん勝ちよと
励ましてもらえた
一緒に大笑いもした
弱いものを守る
強く優しいひとたちを
たくさん知ることができた
息子の学校の先生は
常に平常心で
一度も大きな声を出さない
どちらかというと
先生という気配を消しているので
たまに慌てて
ご挨拶をするほど
常に平常心
トラブルがあっても
わたしたちにはわからないように
対応している
とても気が利く
そして
危険なこと以外は
すべて受け入れている
おそるおそる困りごとを話して
改善点をお願いすると
嫌な顔ひとつせずに
すぐに改善してくださる
相談があれば
とことん聞いて
考えてくださる
わたしは優しく強い
先生のような大人でありたいと
いつも思う
なかなか難しいことだけれども
学校行事に参加した時
栄養バーしか食べられない
子がいた
いつもピリピリしていて
頑張って参加しているのだわと
わかった
虫を怖がって暴れたあげくに
担任に当たり散らしている
わたしの息子なら
おまえはなにさまじゃ
ひとさまに迷惑をかけるんじゃないと
きつく叱るような状況なのに
みんな
包み込むように優しくしている
栄養バーがなくなってしまったらしく
ご両親がが飛行機で送っているから
待っていてねと
聞こえた
なかなかできないことだわ
傷ついて叫んでいるひとのことを
傷ついていると理解して
優しくするなんて
しばらくしてその子は落ち着いて
一緒にお散歩したのだけれど
ごく普通の優しい子だった
良い子ちゃんの息子は
あんぐりしていた
あれくらい悪い子でも
かまわないのよと
わたしは言って笑った
うちの息子はふたりとも温厚で
学校で問題を起こしたことが
ない
最近になって
これ以上
何を頑張れと言うの?
という気持ちになる
今のままで
十分頑張ってきたじゃない
よく頑張ってきた
つらかったね
もう頑張らなくていいよ
という気持ちになる
話してつらいなら
話さなくていい
寝たいなら
寝ていい
プラス目標なんて
いらない
もっと努力しなくてはなんて
どうして思うのかしらと
思うようになった
以前
子供の病院で
もう頑張らなくていいよと
子供に教えましょう
と言われたことがある
もう頑張らなくていいよを
わたしがわかっていなければ
もう頑張らなくていいよは
わたしから子供に
教えられないよね
青空の彼と10年前
恋人とまでいかなくても
友人関係にでも
なれていたら
わたしは離婚していたと思う
好きなひとがいるからという
単純な理由ではなく
彼を好きだと思う気持ちが
勇気をくれて
真実をしっかり見て
決めたのではないかと思う
家庭内別居は
していたからね
あれから何年かは
離婚は避けたいよね
ダンナはATMだと考えている
という友人の言葉や
家庭を壊す
という言葉を聞いても
ぴんとこなかった
だけれど生きていくには
必要なことがあって
わたしが息子の病院や学校に付き添う
ということだけは外せなかった
離婚すればできなくなること
だった
息子たちは離婚しなよと
言っていた
だから
いつでも離婚すればいいと
わりと簡単に考えていた
何年かして
ドクターのアドバイスが大きかった
のだけれども
離婚しない方がいいのではないかに
変わっていった
きれいごとや
正しい意見におされて
離婚をしたとして
意見をしたそのひとが
わたしや子供を一生
面倒みてくれるわけではない
ただ一般的に離婚すべきだと
言っているにすぎない
病院の費用や
毎日の生活費を
出してくれるわけではない
自分の気のすむようにした結果
ドクターの言うとおり
電車賃もない
子供の進学もあきらめる
ということになる
一時の感情に流されて
決めることではないと
思うようになった
DVや虐待と知り
なぜ離婚しなかったか
両親は帰って来いと
言ってくれ
姉も力をかしてくれた
弁護士に相談したら
すぐにでも離婚になるだろうと
誰もが言っていた
だから弁護士に相談する時は
もう決定して
住む場所や
当面の生活費の貯金がある状態でなければ
いけなかった
これがなかなか難しかった
子供の病院で相談したら
ご両親がこれから長年
全面的に
経済的にバックアップしてくれる
ということがないのなら
わたしや子供の通院費や
学費を考えて
離婚しない方が得策だと
言われた
わたしや子供の病気
働けない事情
高額な学費が
次々とふりかかっていた
けれどもしばらくは
離婚になるだろうと
シンプルに思っていた
それは
どうしてもパートナーの
身体的虐待が許せなかったから
ところがわたしは
はやく起きろよ
アイロンあてろよ
などと言われたことがない
だから
夫婦で
喧嘩にもならない
ただ
ばか
あほ
うるさい
だまれ
殺す
刺す
死ね
というのは
わたしも子供も毎日のように言われていた
妊娠中につわりがひどくて
点滴をするために
父に病院まで
毎日送ってもらっていたのだけれど
どうしても
ごはんのにおいや
アイロンのにおいが
耐えられなくて
せめてアイロンは
つわりの間だけでいいから
クリーニングに出して欲しいと
パートナーにお願いしたけれど
何も伝わらず
おれがやるといいながら
パートナーは何もやらなかった
布団干しなんかも全部
近所のひとに
そんなことをやっていたら
流産するよと言われながら
わたしがやっていた
子供が大きくなり
すっかり手が離れた頃
パートナーがアイロンや洗濯を
たまにやり始めた
一番困っている時は
どういうわけかいっさいがっさい
手をさしのべない
無視をしたり嫌がらせをする
なのに
わたしができそうな時となると
何かバタバタと始めるところがある
わたしが病気の時は
特別冷たく
いっさいがっさい無視で
嫌がらせをする
だからわたしは困る
これをどうとらえていいものか
悩んできた
わたしが喘息になった時
掃除ができない
病院の先生には
こんな風に気を付けてくださいと
言われたと伝えれば
パートナーは
掃除をいっさいがっさいしない
だからといって
たまに家事をするものだから
全く手伝わない
というわけじゃない
というおかしな状況
学校の行事に参加した時
東京の子供は
コンビニなんかで
毒のあるものを食べている
おじさんが
子供の頃は
山にある木の実を食べていた
などという
地元のかたの
ありがたいおはなしがあった
次に担任のおはなし
という場面で
おじさんは
さきほどのおはなしにも
あったように
などという担任のはなしを
予想していたと
思う
担任がみんなの前に立つ
これからコンビニに行くひとーと
言った
はーいと手をあげるみんな
わたしはずっこけた
おじさんは苦笑い
きっとこういうことなんだわと
思う
災害は恐ろしい
コンビニが毒
自然のなかで暮らすべきだ
などという
そのひとの価値観
けれどその言葉で
コンビニさえ行けなくなる
子供もいる
餓死することもあるのだから
よかれと思いはなしている
なにげない
ひとの言葉は
そんなことはわかっている
アンテナの高い子供や親を
傷つける
わたしは自分をずっと
ダメな嫁だと
思っている
それは早起きできない
ねぼすけだから
という理由 おかしいでしょ
子供がお弁当の頃は
まだ暗いうちから早起きしていた
けれどひどい低血圧のせいか
記憶がまばらのまま
お弁当を作っていたから
間違えて
スプラウトと
スプラウトのスポンジを入れていたことがあるほど
お弁当に気合いを入れすぎて
買った方が安いという始末
最近の子供は
お弁当よりコンビニで
好きなものを買う
なんで家のごはんをたべないのよ
なんでお弁当をたべないのよ
などと思うけれど
コンビニの方が口に入りやすいと
試験日の朝は
学生が
コンビニにみんなぞろぞろいて
チョコレートや
サンドイッチを買っている
考えてみたらわたしも
試験日なら
その方が口に入りやすいかもねと
思った
勝つ カツは胃もたれするから
わたしの朝は顔が白い
子供が不規則になり
昼と夜が逆転しているこのごろでは
夜中にごはんを作るので
明け方に寝ている
子供のはなしを
夜中に聞くこともある
パートナーは朝起きたら
上げ膳据え膳で
微動だにしない
子供のために
起床時間を合わせることもない
朝ごはんや
朝の子供の準備を
手伝ってもらったことがない
子供が泣いていても無視
今子供が大変な状況なので
とりあえず
朝くらいは冷蔵庫にあるものを
出して食べてもらうことにした
初めパートナーは
上げ膳据え膳のままの格好で
食べていなかったけれど
そのうち
冷蔵庫から出して
食べるようになった
息子のことは
小学生の
牛乳係のようにわたしに丸投げで
知らん顔をしている
牛乳係じゃなくても
手が空いたら
牛乳係を手伝うだろうに
暇そうなので
できることは
自分でやってほしいよと思う
前に家族旅行に行った時
モーニングコーヒーを
部屋まで運んでいるダンナさんがいて
ベッドでコーヒーなんて
愛!だわと思った
わたしの
ベッドでモーニングコーヒーの
夢は
生涯叶うこともなさそう
わたしに
熱が出ていても
パートナーは
飲み物を運んではくれないから
わたしはベッドでひからびているくらいだもの
以前
あしながおじさんのようなひとが
存在しているのかも
という記事を書いたのだけれど
その時は
まさかねと思いながら
半信半疑で書いていた
ブログやラインに書いた
わたしにとって悪いことが
次々に改善されていったのだけれど
こんなことってあるの?と
思いながら
たまたま
たまたまが重なっているのかしらとも
考えていた
今年になって
そのさまざまな改善されたことが
その時だけで
もとにもどっていると
気づいた
やはり
あしながおじさんはいるのではないかしらと
忘れていた気持ちをまた
思い出した
わたしを助けてくれるとしたら
いったい誰で
どんなひとだろう
コーヒーでもご馳走したい
私たち夫婦は結婚してからずっと
喧嘩という喧嘩をしない
もめると子供が心配するので
わたしが言わなくもなった
子供がいなければ
土日や平日の夜など
静かなもので
たまに
わたしが一方的に
大事な報告をして
パートナーに無視をされ
走って逃げられる
くらい
日々のおもしろばなしは
息子としているので
特にパートナーにはなすこともない
たまに
パートナーに話してみると
無視している
けれどパートナーは
突然怒るので
今何かあった?と
何年経っても驚くわたし
これは怒るべきだと
感じる場面では
無反応
油断できない
喧嘩をするというのは
意味もなくするわけではなく
お互いの意見が食い違っていたり
伝えたい気持ちがあったり
するわけで
喧嘩するほど仲がよいというように
喧嘩をすることで
お互い理解が深まるというもの
そして
相手を思っているからこそ
良い方向に解決するために
喧嘩をすると思うのだけれどね
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