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子供が
どこかなんだかおかしなこと
を言うとき
表面上の言葉だけを聞いていると
ちゃんと世の中の道理をわかっているのか
育て方を間違えたのではないかと
心配になり
時に腹立たしくもなる
けれどだいたい
子供が
どこかなんだかおかしなこと
を言うときは
困っているとき
助けて欲しいときで
ここは落ち着いて冷静に
慎重に
必ず助けるということを
伝えたい
しかしながらね
相談できない環境や
安心できない家庭をつくってしまったことは
わたしに責任がある
なんでも話しやすい
ホッとできる家庭ではないのだから
悲しいかな
ここは
できることをしてあげたいけれど
長い間こじれてきたものは
愛情だけでなんとかするのは
難しいのだわと感じた
息子のアカ☆ラについては
以前少し
書いたことがあるけれど
あれから
卒業のために頑張っている
という状態だった
けれど10月くらいから
どこかなんだか様子がおかしくて
ひとり
静かに
見守っていた
年末になり
手続きなどもあるからと
声をかけてみたけれど
反応がない
とりあえず妥当性みたいな
話し方をしてみたら
ついに
息子が
どこかなんだかおかしなこと
を言い始めた
息子のことで悩みすぎて
抱えきれず
ここに書くこともできない
つらい
壊れてしまいそう
だから煮詰まらないように
気晴らしに
超能力を開発していたわたし
UFO好き父譲りの
ストレス解消法?
そうしていたら
以前家の前に白い子犬がいたらいいな
と考えながら歩いていたら
本当に家の前に
白い子犬が捨てられていた
という日を思い出した
あの時も
そうあの時も
希望が目の前で実現した
よく考えてみたら不思議
それから
超能力の次は
サンタクロースはいるのだ
という写真にはまり
サンタクロースがいるなら
物ではない
プレゼントが欲しかった気がしてきて
そこから
わたしたちはバーチャル世界で
暮らしているという証拠に
はまる
分子がきれいすぎる
現実世界にバグがある
2次元を3次元と思っている
みたいなやつね
パラレルワールドもついでに
空想癖があるわけではない
現実逃避したいわけでもないけれど
実におもしろい
バーチャル世界について
考えてみる
わたしたちが例えば
ひょうたん池で
めだかを飼ったとして
めだかは
人間に飼育されているとは知らずに
卵を産んだり
食べたり
食べられたりしているわけで
知っているのかな
人間も
コンピューターに飼育されている
そうなのではないか
例えがおかしいけれど
バーチャルならば
頑張って生きなくても
好きなことをして
楽しく生きたらいいんじゃない
損じゃない?と
思った
自分の運命は自分次第
年末の忙しい時に何を書いているんだか
年末年始は
のんびりしようっと
幸せなんて
わたしにはなくてもいい
それが本当の幸せかどうかも
わからないのだから
もし本当の幸せなら
怖いくらいで
幸せに思える自信もない
わたしが幸せになるはずが
なくて
誰かを幸せにできるはずも
なくて
でも
ちょっとした幸せを
幸せというなら
わたしにはたくさんの幸せを
知っている
だけれど
みんなが普通に味わう幸せを
わたしは
なくしてきたものだから
目の前に幸せがあっても
信じられない
わたしは
きっとこれは
いつか終わるのだと思うでしょう
不幸なのだと思うでしょう
親離れ子離れの時期は
人間だから
ひとそれぞれだと思う
はやく自立させなさいよ
突き放すべきだ
などと
事情を知らないひとは
好き勝手に
自分なりの価値観を押し付けてくる
世間体
などというものを
みんなが気にしている
本当に必要なものが
母親なら
母親が子供のそばにいるべきで
世間様がどうこう
恥ずかしいから
学校がうるさい
に惑わされず
子供を第一に考えて
そこは譲らなくてもいいと
今になって
わたしは思う
遠回りほど近道だったりするからね
ひとの一生は
生まれた時から
いやその前の自分の親の代から
ずっと関連づいていて
実は
今起きているように見える問題は
今になって表面化しただけで
ずっと続いてきている
何かがある
子供の心の奥には
本当の原因がある
ただ
今目につくのがその問題なだけで
その問題を解決しただけでは
何も解決できていない
本人も気づいていないような原因を
時間をかけて
紐解いてみれば見えてくる
それは
誰かが悪い
ということもあるけれど
必ず
できなかった自分のおろかさや
弱い自分
子供を守れなかった自分
いい格好をしたい
ひとに良く思われたい
猫を被る自分が
そこにいる
単純に自分が悪いと思う
だからといって
自分を責めすぎる必要はなくて
気づいたら
今日から正せばいい
失敗しながら正していけばいい
たまにサボりながらね
罰することより正してあげること
責めることより
救ってあげること
という素敵な言葉があるもの
まだ間に合う
長男のハイハイが奇妙だったから
かかりつけの小児科で
検査をするように言われて
紹介状を持って
総合病院に連れていったことが
あった
まだ長男な
一歳になるかならないか
だったから
ドクターを怖がり
泣きながらわたしにしがみついていた
すると
貴金属をたくさんつけた
小児科の女医さんに
特に問題がないのに
わざわざ連れてきて と
怒られ
お母さんにべったりだから
いけないのよ
はやく離しなさい
いつまでも甘やかしてねーと
あざ笑われた
本当に小児科の医者なのかと
驚いたわたしは
震えて何も言えなかった
いやいや
連れてきたのは
紹介状があるからで
まだ一歳にならないのに
突き放すべきなのかしら
診察は?と
わたしはひどく混乱して
息子を突き放してしまい
息子の具合が悪くなった
甘やかしすぎなどないのに
初めての子育てで
自信がなかった
***
次男も
一歳で入院してから
病院や似たような建物をみると
泣くようになり
長男の幼稚園の行事で
公民館に連れていったら
泣いてしまった
すると
受付のおばさんがやってきて
あっちで休ませなさいよと
言われたのだけれど
まごまごしていたらおばさんが
次男に顔を近づけてきて
うるさい バカ
と大声で怒鳴った
子供とかかわる仕事をしているひとが
まさかこんな
理不尽なことをするとは
思いもしなかった
わたしはショックで怖くて
それ以来
公民館に近づけなくなった
障害や子供について
勉強をしてきたひとたちが
本当の意味で勉強できているかどうかは
わからないと思う
違う畑の
普通のひと
の方がいくらか立派だったりする
そういう
心ないひとの言動で
ひとが怖くなったり
傷ついているひとがいるということを
知ってほしい
とにかく子供は
それらに振り回されて
結果親を信頼できなくなり
恨むようにもなる
ならば堂々と
自信を持ち子育てをして
パートナーの悪口や愚痴を
いっさい言わず
大人としての見本になればよいか
というと
人間だもの
理想だけではなかなか生きてはいけない
すべてを受け入れて
すべてを許し
包み込むような愛を与える
そんな役回りのひとは
子供の心が折れた時には
やはり必要だから
家庭にないなら外で見つけるしかない
帰れる場所
戻れる場所
逃げられる場所
安心して休める場所
というのが家庭なら
素敵なことだろうと思う
わたしもそうでありたいと
努力している
時々方向性を間違えて
失敗したり
反省したりの
繰り返しだけれど
やたらに騒ぎ立てずに
ひとの意見をききながらも
母親がでんとしていることが
子供の安心につながるのでしょうねと
思う
子供を育てる時代によって
意見がまちまち
だと思うけれど
不安ななか
懸命に子育てをしているママ
にとっては
ドクターや先生
年配のひとの意見
現代の子育て論
などなどにやたら惑わされる
昔と違って
ひとりで育てている
ということもあってね
今までこのようにやってきて
うまくいっているのだ
という個人的な自信
(そのひとが
うまくいっている生涯を
確認したわけでもないくせにと
わたしは思うけれど)
調べたらこうあった
などという奇妙な自信に
振り回される
赤ちゃんのうつぶせねだってそう
体に良いなどと言っておきながら
しばらくして危険だなどとなった
代々子育てが上手
または得意だ
という家系に生まれれば
自然と身に付いている
こともあるでしょう
教育の専門家の家に生まれれば
親が忙しくなにかと他人まかせで
放置されて
黒い絵などを描く子供になる
ということもあるでしょう
もうすぐクリスマスですね
という記事を
毎年書いているわたし
中学☆日記が
ハッピーエンドに終わり
えがったえがった
ほんどえがったねーと
泣きながら喜んでいたところで
恋も何年もかけて
成長するのだわ
などと思っている
そういえば
ス☆ロボエッジの
最後も
えがったえがったねー
ほんどにと
ボロ泣きだった
なんかさ
やっぱり
ハッピーエンドはいいね
ホッとする
胸のズキズキと
悩んだ日々が一瞬で消えて
朝日がのぼるみたいで
あったかい
みなさまにとって
幸せなクリスマスに
なりますように
メリークリスマス
プルコギピザを焼いたよ
去年まではまだ
クリスマスを喜んでいた
桜
花火
クリスマス
というワードに
青空の彼を重ねて
喜んでいた
いつか会えるかもしれない
いつか
声をかけてもらえるかもしれないと
思ってきた
10年ちかく
ばかみたいにそれは続いた
けれど10年もすると
甘い言葉も
出て来なくなる
好きだけれど
けれどね えっと
という具合に
恋のうたをうたいたいのに
心になにか
つまってしまったように
美しい日本語さえ
出てこない
LOSERを歌いながら思う
声だして行こうぜー
去年までは
もっと大事にしてもらいたい
ストレス解消をしたい
嫌なひと
嫌なことから
うまく離れられない
などという
欲や悩みがあった
もっと大事にしてもらえるはずだ
ストレス解消をするために
犠牲もありよね
嫌なひと
嫌なことから
なかなか離れられないものだわ
気が弱いのかな
などと考えてきた
けれど今年になって
大事にしてもらえるかどうかなど
どうでもいいことになり
自分が大事に思えるか
の方が大事なことに思えてきた
ストレス解消なんて
感情のコントロールができれば
そんな面倒くさいこと
やらなくてもよい
大人になればいいわ
嫌なひと
嫌なことから
単純に離れたらいい
巻き込まれないようにしたらいい
ということに気づいた
誰かを批判したり
誰かに頼ったり
甘えたりしたくなるけれども
良いも悪いも
誰かが作っているのではなく
自分がそれらを作っている
というのか
結局人生のストーリーは
自分次第なのでしょうねと
思う
今度は
勉強ができない
について書いてみる
次男はいま
食べることだけを優先しているので
勉強をしていない
ぼくがいないうちに
ママが泣いているかもしれないから
というのが
病院のカウンセリングで
話した
不登校の最初の理由だった
喘息で何度か入院したから
少しの運動で
咳き込んでしまい
お友達と同じように遊べない
ということもあったと思う
とにかく家庭環境が悪かった
そんなわけで次男は
学校にいかない子だったから
さほど勉強していない
勉強は案外
生活のなかや家庭でできるもので
よさそうな問題集を
探してみるのも良いのだけれど
料理は算数をたくさん使うから
入りやすい
長男が優秀なので
劣等感があるのでは?と
ママ友から言われたことが
あるのだけれど
次男は無条件で
誰からも愛される子
なので
さほどないように思う
長男にないものを
次男は持っている
次男にないものを
長男は持っている
どちらもかわいい
どちらも大切
勉強ができる できないなど
関係ない
わたしは
勉強は中の上くらいだった
親が希望する進学をした
けれどもも家の恥さらしと
世間体を気にする母に
言われたこともある
だからわたしは母を
軽蔑していた
もっと頑張らなくては
もっと頑張らなくてはと
いつも思いながら
挫折していた
今も
もっと頑張らなくては
今のままでは許されない
という気持ちはあるのだけれど
もう頑張らなくてもいいよねと
思えるようになった
自分がやりたいと思う時が
やるべき時
わたしも親になって
自分の両親や
義理の両親について
たびたび
考えることがあった
なぜあのようなひどいことが
できたのか
なぜあのように優しく受け入れて
くれたのかと
わたしがひっかかっている出来事があった
年齢と
子供が同じ年齢になると
その時々にまた
新たに不快に思うことも
今だから理解できるということもある
それは
悲しみやくやしさになったり
感謝の気持ちになったりする
義理の両親は
いつも優しくて真面目なひと
なのだけれど
一部書いたようにひどいこともあり
よくしてもらえたこともあり
だった
ここで大事なのは
自分も含め
親も人間で
生まれた時から親で生まれた
わけではない
子供と一緒に
親になっていったはず
わたしも含め
完璧な親など存在しないと
知ること
許すことだと思う
けれど
子供の頃や若い頃は
反発したり
完璧な親を求めて
もがいたりする
親だって人間だから
間違えることもあるのに
許せない
生活のなかで
誰かに嫌なことをされたり
問題が起きると
どんな風に育ったのだろう
原因があるのだろう
誰のせいだろう
病気だろうと
どんどんと犯人探しをすることになる
犯人探しは意味がないと
言われても
初めはついつい
やってしまうもの
その結果
何か犯人らしきものがわかったとしても
結局はわたしが
自分が
悪くないと思いたいだけのひと
になってしまう
それに
大人になっているひとは
これから変わらないから
犯人がわかったとしても
解決にはつながらない
良いも悪いも受け入れて
みていけばいいと思う
憎しみからは何も生まれない
というのは事実
今わたしになにができるか
これからどうできるか
工夫できるかの方が
よほど大事で
憎しみは捨てて
嫌なものからは離れて
誰かを許して
大事なものを見つめて
感謝して
巻き込まれず
軽やかに生きていきましょ
大切な時間は
大切なひとのために
使う方がいいもの
うちは
息子がふたりとも私立
なのだけれど
吐き出して少しすっきりしたところで
私立と公立 国立の
わたしなりの
感じ方を書いてみたい
受験は本当に大変で
本人の苦しみや頑張りは
かわってあげることはできないから
母としては
おいしいごはんと
包み込むような愛情が不可欠
情報集めと
健康管理だけを
坦々とやるしかなかった
喉元過ぎれば…
なのだけれど
わたしの印象としては
私立は
お手洗いがきれい
それだけではないけれどもね アハ
先生方も勉強熱心で
公立に比べると
会社員 営業のような
雰囲気があり
手厚さというのか
面倒見の良さがあると思う
公立の自主性と比べると
さらに学力をあげようとする勢いには
圧倒される
T大に入らないやつはクズだ
SKにところてん式に行くのは
許されないと
長男の全体会で言われた日は
笑ってしまった
かたや次男は
卒業まで何年かかっても
大丈夫ですよ
一緒にやっていきましょうと
言われていて
先生と信頼関係を築けている
見習うことも多い
大学もまた
私立の方が
お手洗いがきれい アハ
建物のきれいさが違う
大学説明会でも
私立は
すぐに案内してくれる
国立は
案内がいない
大学によるけれども
教育環境も
お友達も違う
それぞれ個性もある
私立は学費が高いだけ
なにかと立派で
目を見張るものがある
国立や公立は
社会の縮図
といったかんじで
それはそれでまた
社会勉強にもなるのだけれども
私立は
おだやかなお子さんが多い
お金持ちすぎて感覚が違う
なんてこともある
お友達とのお付き合いが大変かな
というわたしも
大学は田舎の私立
お手洗いがきれいだった
お手洗いばっかり アハ
けれどここは侮れない
マンションも大学も
お掃除のひとを雇えるか
雇えないかで
大きく違う
雇えないと
魔のPTAがあり
やたらに親が学校で活動しなくてはいけない
役員決めの
ののしりあいは
迫力がありすぎる
ひとって
丸い地球の
一瞬のまばたきのなかで
おかしなことをしていて
なんだか滑稽で
どこかむなしい
次男がおなかにいた時
パートナーに
後ろから蹴られたはなしは
以前に書いたけれど
長男は
道路で突然に背中を蹴られて
ひどく転び
それを見た次男が吐いた
ということもあった
ここまで長々と書いてみて
わたしは考える
パートナーが
ひととしてクズであることは
間違いないけれど
次男が拒食で痩せ細り
立てなくなった時
手をかさず
うすら笑うという最低の
KYでもある
姑に似たところもあり
世話
ケア
ができない
長男に
殴る蹴るの虐待をしてきた
暴言 暴力があり
嘘をつくことがあり
DVでもあり
次男にネグレクトでもある
相談すると
うるさいおれが決める
などと怒る
ほうれんそうができない
お願いすると
断る
話しかけると
責められていると恐れて
怒る
心配すると
命令されていると
怒る
というような
家事も料理もできない
いつも怒っていて
いやみしか言わない夫
ということになる
わたしが股関節痛で
歩けず
這うようにしても
激痛に見舞われていた時
3歳の長男が
お手洗いに
連れていってくれようと
よいしょ よいしょと言いながら
手をかしてくれていて
ママ大丈夫?
痛い?と
とても心配していた
仕事から
パートナーが帰って来たので
長男が走っていき
ハパ
ママが大変
おトイレに連れていってあげてと
言った
わたしは部屋の途中で倒れて
痛みに耐えていたのだけれど
パートナーは長男に
うるさい
と怒鳴り
長男をつきとばすようにしてから
舌打ちした
わたしが
足が痛くて立てなくて…と
説明すると
無視して横を通りすぎた
最近になっての
わたしの喘息や入院の時は
もっとひどかったけれど
こうして
わたしと長男の心は
壊れていった
次男が1歳の時に
入院先の院内感染で
インフルエンザになり
わたしも同じ
インフルエンザになった
驚いた母が姑に
急いで行ってやってくださいと
話したので
姑が
すぐに来てくれた
かなり急いで
来てくれたのがわかった
けれど
ずっとリビングに座って
置物のように動かない姑
外は暗くなり
電気もつけない
次男もわたしも
ひどい熱で
小さな次男が心配
まだ母乳だったのだけれど
あまり出ない
母乳だから薬が飲めない
つらくてつらくて
でも耐えた
とりこまれない洗濯物が
暗闇でゆれている
ごはんもない
何か飲みたい
母が宅急便で届けてくれた
おかずを
冷凍庫に入れていたので
それを姑にお願いすると
チンして
姑だけ食べていた
熱でふらふらしながら
食卓テーブルまで行くと
わたしのお茶だけがぽつんと
置いてあり
横に白い丸いごはんが置いてあった
母のおかずもごはんも
もうなかった
おいしかったわと
嬉しそうに姑に言われた
ふらふらなわたしが
お茶を派手にこぼしたのだけれど
姑に
奇妙な表情で無視され
自分でタオルを取りに行き
ふらふらしながらふいた
母は
この様子をわたしから聞いて
いったい姑は
何をしにきたのかと
怒りながら
嫁いびりだ
お母さんもされたわ
知っておきなさいと
言った
だけれど
わたしは嫁いびりではなく
違うもののように思えた
嫁いびりなら
そこには
旦那への愛情や
わたしへの嫉妬があると思うから
それに
義理両親の家にお邪魔したら
いっさい
そのようなことはなく
とても優しい
さらに
子供とパートナーは殿様のように
扱われているから
わたしが39度5分ほどの熱で
赤ちゃんの次男と
寝ていた時もあった
その時は
パートナーが頼んで
義理の両親が来てくれたのだけれど
姑に
さっ
家のことをやってくださいと
言われた
?と思いながら
熱のまま
家事をやらされた
後で
パートナーが
家のことができないから来てと
言ったからだと
勘違いの理由を
話していたのだけれど
理解に苦しむ
子供をみていてくださいと
姑にお願いすれば
ただじっと見ているだけで
watchじゃなくてcareだと
つっこみたくなるほど
義理の両親が帰る時
玄関を閉めた瞬間に
洗濯物が
どさりと崩れ落ちて
今度は長男に食べさせるものもなく
わたしはうなだれた
手伝いに来てもらわなくていいから
もういいからと
思った
その頃
次男は離乳食を食べていたので
何時になったら
食べさせてくださいと
次男の座る前のテーブルに
離乳食を並べて
姑にお願いしておいた
夕方病院から帰ってみると
離乳食はそのままで
次男がかわいそうなことに
なっていた
姑が
ももさん
次男ちゃんがね
まんま まんまと言うのよ
何回も何回も
まんま まんまて
と嬉しそうに笑っている
わたしは
悲しくて仕方がなかった
さらに
夕食用にと
作っておいた食事を
姑と舅
ふたりで食べてしまっていて
わたしと
ついでにパートナーの
食事がなく
コーポは
スーパーが近くになかったので
疲れきったところに
おなかがすいたまま
次男とぽつりと部屋に残され
じゃ
帰るねと言われ
ふたりは帰っていった
なぜかその時
寒気がしたのを覚えている
それからというもの
我が家の一大事には
義理の両親に頼らず
わたしだけで頑張ったり
遠方から急いで両親が来てくれたり
姉が来てくれたり
するようになった
それでも
以前に書いたように
次男の入院時に
泣きながらおにぎりを食べた事件や
わたしの入院時に
姉にお世話になったカレー事件などなど
事件というほどではないけれども
さまざまなことがあった
そんな長男の入院で
義理の両親はうちに泊まって
くれていたので
朝
長男の病棟へ行き
世話をしている間
次男をお願いしていた
昼になると急いで帰り
わたしは何も食べないで
まず次男に
慌てて
母乳をあげていたら
姑は
テレビを見たり
お茶をのんだり
何か食べたりしていた
慌てているわたしとは対照的に
のんびりとしていることが
奇妙だった
母乳が終わったら
寂しい思いをしている次男と
関わりながら
ご飯を食べて
少し休憩しよう
疲れたぁ おなかぺこぺこなどと
考えていたら
母乳が終わった瞬間に
はい
行ってくださいと
姑が言い
次男を取り上げた
わたしはまだ
何も食べていないのに
喉もからからで
追い出されるように
病院に行かされた
母に
このはなしをすると
百姓の嫁かと
つっこまれ
ちょっと笑ってしまったのだけれど
病院が田畑のように思えた
長男が幼稚園の時
肺炎で入院したことが
あるのだけれど
その時
まだ次男は赤ちゃんで
ミルクは使っていなくて
母乳100%だった
かかりつけの病院から
入院する大きな病院に
わたしと子供ふたり 姑と車で移動中
運転しながらわたしが
病院で説明を聞いたり
入院の準備などをするだろう
感染を理由に
次男は病棟に入れない
総合病院に
次男を連れていくのは
大きな病気の感染リスクもある
たまたま当時
入院する病院から歩いてすぐの
コーポに住んでいたから
これからコーポに送るから
そこで
舅と一緒に
次男を見ていてもらえませんか?
ということを説明
姑にお願いしたら
すぐに断られた
驚いたけれど
どうしようもなく
そのまま病院に行く
やはり
次男は病棟に入れないと言われる
まだ免疫力のない次男に
もしものことがあったらと
とても心配だったのだけれど
わたしと肺炎の長男は
病棟に入り
病院のソファーで
姑と次男に
待っていてもらうしかなかった
時間が経過して
わたしの胸がはってくる
姑が受け付けに声をかけないから
大丈夫なのかしらと思いながら
長男から離れられず
説明を聞いたり
面倒を見たりしていて
しばらくして病棟から出てみたら
次男がおなかをすかせて泣き叫んで
悲惨な状況になっていた
わたしは本当に
がっかりとした
パートナーについて
あまり
DVや虐待以外は
書いたことがなかったから
表面的なことなどを
書いてみることにした
パートナーは
国立大卒の会社員で
結婚してから
若くして出世したひと
学歴や家柄について
何も言わないひと
義理の両親も同じで
学歴や家柄について
何も言わない
自慢もしない
ひとの悪口も言わない
ちらほら書いてきた
わたしの親族のように
パートナーの親族には
ハイスペックなひとも
特別見た目で美しい
またはイケメンなひとも
神童や天才と呼ばれたひとも
とびぬけ高学歴なひともいない
普通よりは優秀なのかなと
思うけれど
普通の家庭
働き者で真面目なひとばかり
という印象
パートナーは優秀なひとか
というと
世間一般では
優秀なひとなのかな
でも年収はさほど高くもない
いやわたしが
高くもないと思うだけかしらとも思う
わたしの父に
養ってもらってきたから
余計に
私利私欲のために
お金を
使ってきたのではないかと反省してみたら
ピンポンと
頭でチャイムがなった
これは簡単なことで
何かを買おうとした時
ひょっとして私利私欲で?と
考えてみればよいだけなの
ひとに喜んでもらえれば
良いお金
自分だけが喜んでいたら
ストレス解消などの目的
私利私欲にまみれた
すっきりしないお金という具合に
記念日だとか
頑張ったご褒美だとか
たまにだから
欲しいものを買おう
などと買っていると
本当に欲しかったのかな
本当に今
必要だったのかなと
疑問に思えてくる無駄遣いになる
だからといって
ケチケチしていると
明るさがなくなる
お金は天下のまわりものだから
まわってこなくもなる
身の丈を知る
ということも必要だけれど
なにごとも
ほどほどが大事よね
ほどほど
自分で買う
自分への
記念日と
クリスマスプレゼントは
よし
なしでいいわ
姉が結婚する前に
有名な占い
どちらかというと霊能力者
のところに行ったらしいのだけれと
家族のことなど
ズバズバと言い当てられて
とあるものが見えると
言われたと
話したことがある
結婚相手のことかなと
後で
家族で考えてみたのだけれど
結婚相手は
そのとあるものに
無関係な職業で
結婚してから
職業が変わった
その時また
母が占いを思い出して
とあるものと
多少関係がありそうだけれど
違うような…
誰だろうねと
話していた
それから長い月日が流れて
すっかりそんなことは
忘れていた頃
わたしの息子の
研究内容を書類で見たら
ずばり
とあるものだった
父母に
息子の研究のこと話したら
父は
おじいちゃん長生きしないとなと
いつも喜んでくれて
母は
何が幸せかわからない
無理しないようにと
いつものように
言っていたのだけれど
ほぼ母とわたしが同時に
あれじゃない?
それそれと
占いの言葉が浮かんできた
姉が
なんだかんだ○○ちゃん
成し遂げるのではないかな
ノーベル賞をもらったら
私 インタビューに答えようかな
楽しみ アハと
言った
部屋に白衣を投げて
ゲームをしている息子を
見ていると
まるで想像できないのだけれど…
もし
決まっている運命ということなら
わたしはどうサポートすれば
いいのかな
どう
縁の下の力持ちに
なればいいのかなと悩む
やはりここは
母だけに
おいしいごはんと
包み込むような愛情よね☆
という結論にいたった
恋愛依存について
考えてみる
いつも恋愛をしていないと
いられない
という女性がいると
いうけれど
わたしのまわりには
そんな女性はいない
わたしは恋愛に
高揚感みたいな
癖になりそうな気持ちなど
味わったことがない
男性に見捨てられたとしても
男性が浮気か何か
していたとしても
どうでもいい
それなりのプライドもある
青空の彼を好きになってから
愛について
よく考えるようになった
男女の愛なんて
どこか汚らわしく感じることもあり
もっと
なんていうのか
大きな愛に
興味を持っている
けれどわたしは
甘いもの依存には
なっていると思う
手っ取り早く
甘いもので元気になり
すぐにだるくなる
そしてまた甘いものを食べて
元気になる
という習慣がある
今日はご褒美だからと
甘いものを食べる
やっていられないから
お酒をのむ
という習慣が
今はないけれども
若い頃にあったから
依存については
少し
わかるような気がする
ラブレターを書いていて
こんなことを書くのもおかしいけれども
恋愛依存については
きっとそのひとなりの
痛みみたいなものが原因で
そうなっているのでしょう
世の中には
男性より大切なものが
たくさんあると思う
男性がすべてではない
心の病気でも
体の病気でも
同じだけれども
さっさと原因を突き止めて
脳なら脳内物質
体なら体のどこかに
問題があるから
ということで
さっさと薬をのんで
改善できることがあれば
改善すればよい
ということを
今まで考えてきたわたし
医療の知識が
入りやすい環境だから
医療に関しても
斜めから見るような
どこかひねくれて
どこかサバサバとしたところが
あった
ひとは病気になると
どうしたらよいのかわからずに
おどおどとしているだけ
神様にお願いしたり
パニックになって
おかしな言動をしていたり
するものなのかもしれない
パニックにならないのは
わたしの肝が据わった性格と
死ぬことを
さほど恐れていなかった
ということも
関係していると思うのだけれど
病気というものは
原因や結果
治療期間 時間
薬に対して
騒ぎ立てるものではなく
心で
治していくものではないかと
最近になって
思うようになった
犯人探しをやめて
静かに向き合う
すべて受け入れることで
心の間違いに気づく
やわらかな心は
病気の本当の原因を
写し出し
とかしていく
そんな風に思う
いつまでも犯人探しをしている
人生には
安らぎがない
特別な目で
病気を見ていたら
そればかりが強調されて
あのひとは病気だ
わたしは病気だと
暗いものになる
わたしは
すべてを受け入れている先生や
病気のひとをほめるドクターを
見ていて
病気を治すということを
考えさせられた
あのひとは病気だ
遺伝だ
という時
差別している
自分の気持ちが
そこにはあって
特別な目で見ている間は
病気が立ち去ってはくれない
心の底から
おだやかで
愛に満ちていれば
病気は病気ではなくなり
気づいたら病気が立ち去っている
そんな気がする
息子がわたしを嫌い
話をしてくれないので悩みながら
棚を整理していたら
息子が小学生の時
授業でつくった
手作りアルバムが出てきた
ほこりをはらうと
そこには
親からひとこと
が書いてあった
節目節目に
手紙や言葉を書いているから
こんなところにもわたしの
愛がちらほら
アルバムには
動物園や遊園地
さまざまなところへ
家族でお出かけした写真が
張り付けてある
たくさんお出かけしたわ
懐かしい思い出
なんて思いながら
しょうらいのゆめ
というところにふと目をやると
将来科学者になって
お母さんを助けたいです
お母さんはいつも大変で
楽になってもらいたいので
ぼくはお母さんが
楽になれる発明をしたいです
というようなことが
書いてあった
知らなかった
涙がぽろぽろ
将来の夢なんてない
大学なんていかないから
なんて中高の時は
さんざん生意気なことを言っていたのに
ありがとう
また
話せる日がくるといいな
いつかゆっくり
話せるといいな
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