« 2019年5月 | トップページ | 2019年7月 »

2019年6月に作成された記事

2019年6月30日 (日)

イベントで

学生の時にイベントで

輸入菓子を売った時も

見た目と営業トークで

売り切れ続出になり

店長に驚かれた


その時

イベント代表の社長さんに

わたしは

将来どのような職業がいいのかと

真剣に相談したのだけれど

小料理屋とか?と

言われた


お堅い実家のことを考えると

お堅い職業しかない

どうせ

最もそれらしい職業に

なるのだろう


結婚する時に

ききあわせがあっても

有利になるように

などと思っていた


その思いは今でも

息子達が

結婚する時に

ききあわせがあっても

不利にならないように

真面目にしなければいけないと

残っている


わたしは

いかにもお嬢様育ちで

お人形さんのようにして

水商売などしてはいけないのだ

長続きもしないでしょう


わたしには

わたしにしかできないことがあって

それは家族を大切にすること

だったり

陰ながら支えていくこと

だったり

するのでしょうけれど


その合間に

何か他にもできるのではないかと

いつも思っている


趣味で詩を書いたり

商売をしてみたり

それなりに夢を叶えているから

他は

どうしてもじゃなくて

贅沢な悩みなのかもしれないけれど


急に生活費がなくなる

パートナーが学費を払ってくれなくなる

ということを考えると


いつも安心できないから

すぐにお金になることを

多少考えていた方がいいのかな


息子達のことや

体のことを考えると

できればずっと

息子達のそばにいたいのだけれど

1日体験

一人暮らしをしていたころ

男性の友人の紹介で

水商売の1日体験をしたことがあったのを

思い出した


まずは

他の女の子に

店長

こんなかわいい子を入れて

私達を辞めさせようと

しているんじゃない?と

言われて

普通に嫌がらせをされた


お客さんが

入店してきて

初めての接客をしていると

ここにいるような子じゃないねと

次々に言われた

それに

似合うマニキュアの色や洋服が

違うと思うとまで

言われた


いつも

いかにもお嬢様という服装をしたら

ほんとお嬢様だよねと

何かみんな喜んでいて


今でも

一部ヒョウ柄のバッグを持っていたら

そんなバッグを持つんだ

などと言われるので


イメージみたいなものがあるのかな


靴なんかも

学生の頃から 今も

周りの女子にチェックされて

時に真似されてきた


しばらくして

いかにもマフィアみたいなおじさまが

入店してきた


わたしは女性が苦手で

男性が怖くないひと

だったので

普通におしゃべりしていたのだけれど


カラオケを歌いたいと

おじさまが言うので

カラオケが始まった

するとすぐに機械が故障して

歌えなくなった


次の瞬間

マフィアのようなおじさまが

どりゃがっしゃんと

そこら辺のコップやら

お酒やらを倒しながら

なめくさっとんのかと

立ち上がり叫んだ


お店全体が凍りついたようになり

女の子たちが

固まっていたなか

もう

せっかくの美声だったのに

聞けなくて残念

もっと聞きたかったです

どうぞ

というわたしの声だけが

お店に響き渡り

みんなに注目された


おじさまは

そうだろうそうだろうと

嬉しそうにして

お酒を飲み

すっかり子猫ちゃんみたいに

大人しくなっていた

2019年6月29日 (土)

いいじゃないシリーズ

まわりのひとに

当たり散らすくらいなら


体がつらいから

イライラする

不安になる

などと声に出して

そばにいるひとに伝えて


眠ったり

好きなことをしたり

していた方がいい


人間だから

元気な日も

ブルーな日もあるわけで


いつも元気に

などと考えていると

辛くなる


無理に元気になろうとするひとは

そういうわけで

辛くなる


無理に元気にならなくてもさ

元気じゃなくてもいいじゃない

使えない抗生剤

吸っても吐いても

パチパチゴロゴロのたんがひどく

夜中もたんと咳とゼーヒューで

眠れず

食材のお買い物では

わたしのたんがらみの咳で

パッとまわりのひとがいなくなるほど


我慢も

限界になってきたので

病院に行くことにした


歯医者さんの

治療の後

耳がかゆくてかゆくて

体までかゆくなってきたので

それもご相談しよう


結果

貧血の治療はこのまま続け

喘息とアレルギーの治療も

変わらず続けるのだけれど


わたしが服用している抗生剤は

4種類試してやっと見つけた

効果が高く

副作用が現れないお薬だったわけだけれど

長く使えないお薬で


使う 治る 悪化

使う 治る 悪化 を

繰り返すと

耐性菌ができて

やっかいなことに

なってしまうかもしれない


わたしがひどい病気になって

いざというときに

抗生剤が効かないということを

防ぐ必要がある

ということで


喘息のひとに使う

長く使える抗生剤に変更したいと

ドクターに言われる


残念だけれど

確かに耐性菌は怖い


何かあればすぐに服用をやめて

病院に来てほしいと

新しい抗生剤を処方された


アレルギーがあると

新しいお薬には気を付けなくてはいけない


その後

薬局でぼんやりとしていて

ふと疑問に思った


この辛いたん

喘息に関係する?

別々なこと?

薬剤師さんに質問してみよう


たまたま熱意のある丁寧な薬剤師さん

だったので

質問してみたら

すっきり納得できた


表面的に湿疹が出ていなくても

体のなかに湿疹が出ることは

あるそうで

耳のかゆみなども

アレルギー症状らしい


たんについては

わたしなりに説明すると_

喘息は

気管支がむくんでいて

細くなっているわけだけれど

その治療のために

ステロイドと気管支拡張剤を

毎日吸入している


そのステロイドで

喉の免疫力が低下していて

細菌をやっつけられない

それでひどいたんが出ている


ゲボッと外に出てくるのは

戦った白血球の死骸

それが発作止めを使うと出てくるのは

気管支が拡張されて

わたしが咳をしたからで


発作止めや喘息発作が

直接たんに関係しているわけではない


抗生剤が効いているということは

喉に細菌がいるということ

だから

細菌をやっつける手伝いのために

抗生剤を使う


免疫力が低下するからといって

ステロイドは

喘息の治療に必要なお薬なので

やめるわけにはいかない


だから

アレルギーのお薬

ステロイド

気管支拡張剤 

さらに拡張する発作止め

抗生剤

エピペン

貧血の治療

というわたしのお薬がすべて

必要になってくる

ということだった


吸入しないで眠った時

たんがきれたのはそういうわけねと

納得した後


てことは

かゆみや炎症にはステロイド

だけれど風邪とか細菌にやたら弱くなる

喘息には

気管支拡張剤と発作止め

ということねと

苦しい時のお薬の使い方がわかった


ドクターと薬剤師さんに感謝

帰りに

急に疲れた気持ちになって

あーぁ

病院ではなく楽しいところに行きたい

おいしいものが食べたいと

思った

2019年6月27日 (木)

ドクターはまっすぐ見る といつもの超能力

自分の診察なら

苦しさをなんとか

という気持ちで


家族の診察なら

どうしたらよいのか

という気持ちで

ドクターを

まっすぐに見る


友人や知り合いに

ばったり会うと

わたしに

ざわつき

ある時とない時があった

けれど

気にしないようにしてきた


相手が

ドクターとなると


ドクターの機嫌の悪さや

イラつきが見えてしまう


原因は

ドクターの

仕事や家庭で起こったことで

わたしには関係ない


なのに

わたしが今話している内容が

そうさせているのかしらと思い

わからなくなる


被害妄想

わたしの神経が過敏

ではないかしらと

考えてみても

関係はなさそう


悩んでいるうちに

話したいことがわからなくなる


以前

物の記憶がわたしに伝わる

みたいなことを

記事に書いたことがあったのだけれど


古いものには

気をつけるようにして

なるべく封印してきた


もしかして

ざわざわや

これらに

名前があるのでは?と思い

調べてみたら

エンパシー能力というらしい


スピリチュアル

運命

などとやたらに考えるのは

好きではないのだけれど


能力を

オン オフができる

何かしらの形を自分でイメージして

シャットアウトできると

いいのでしょうね


だからか

わたしは

影響のないドクターを選んでいる


かかりつけのドクターと

次男の新しいドクターは

治療だけをシンプルに考えているから

他は読めない


次男の担任も

優しすぎて驚くだけで

悪意は読めない


こんなわたしは

古いものを販売するのではなく

水商売でもなく


芸術で生きていくのが

理想なのでしょうか

とは思うけれど


息子たちの幸せが優先で

家庭環境が劣悪だから

どのような生き方をしたらよいのか

わからなくなる


人様を騙して

金銭を得て

幸せだろうかとも

思う

2019年6月26日 (水)

パートナーのあれこれ

時々まとまらない気持ちになるので

文章もまとまらず長くなります


最近パートナーの会社が変わったので

帰宅時間が夜中を過ぎていて

わたしと激ヤセ次男は

静かな時を過ごしている


長男は

相変わらずわたしを毛嫌いしていて

ほとんど家にいない 

しゃべらない


そんななか

最近届いた長男の

学費の請求書を眺めていたら

また

パートナーの嘘?思い込み?

に気づいた


先日の長男の話し合いで

学費は××万円だと聞いたと

パートナーが話す


わたしはそんな話も数字も

一度も聞いていない


後日わたしが

学費担当のひとに確認した時

一年なら◯◯◯万円

半年ならざっと◯◯万円ですと言われたので

パートナーに伝えたら


その半額万円

××万円だと聞いたと言い張る

ということがあった


実際

××万円の倍額万円の請求書が

目の前にあるので

複雑な気持ち


学費の用意が大変だと思って

早めに担当のひとに知らせてもらい

パートナーに伝えたのに

これじゃ

意味ないよね


なぜ半額万円だと

思ったのかは知らないけれど

成績が優勝だからと

学費を少し免除されている息子は偉い


免除されていることも

担当のひとから聞いたとおりで

学費に間違いはなかった


今回

奨学金が借りられなくなったから

次男の学資☆険を

パートナーは

もちろん使う!らしくて


次男が進学する時に

出してくれるのかが心配になってきた


生活費が0円だからと

堂々と言われ

渡されなかった日々が頭をよぎる


両親には年老いても長く

援助してもらって申し訳ないと

思う


今年度

次男の学費も値上がりしたので

支払えないようなことになれば

さっさと

水商売でもしようと

わたしは考えている


なぜそこで水商売

両親には大反対されるだろうから

内緒で

などと思うのかしらと

考えてみたけれど


他の仕事ができそうにもないし

思いつかない


スナックのママさんに

水商売に誘われたことは

多々あるけれど

経験はなくて

親族にも水商売をしているひとは

いない


けれど

できるのではないかと思って

求人広告を見る

なぜだろう


さらに

最近のパートナーの嘘が

わたしを混乱させている


油のにおいがぷんぷんして

コロッケの衣らしきものが

廊下などに落ちていたのに

食べていないだとか


車を使っていたのに

使っていないだとか


どうでもいい

ささいなことなのだけれど


こういう嘘が

小さく長く続くと


これもどうしてだろう

わたしがおかしいのかなと思い

かなりダメージがある


さらに

冷凍していた次男の好きなお菓子を

パートナーが

食べようとしたらしく

燃やしてしまい

火事になるところだった


謝ることもなく

聞くこともなく

食べるものがないからだ!と

パートナーはわたしにキレた


さらにパートナーは

長男のことを

気にもかけず 声もかけずで

きたのだけれど


長男が拒絶して

提出や手続きなどしなければ

卒業が2年のびるからね !

わかったか

という風に

わたしを睨み付け

上から目線で話してきた


なぜ上から と

思ったけれど


そんなに簡単なはなしではない

最高にうまくいって

半年でしょう


行けなくなった場所に

ホイホイ行けるわけないでしょうにと

答えたら


いつものように

パートナーが逃げていった


また帰ってきたパートナーが

もぞもぞしながら

長男は困っていないのかな

困っていると言わないから と

言い出し


困っていると私達に言えないんでしょうと

わたしが答えると


じゃ困っていないんだと

パートナーが言うので


まさか

状況的には

間違いなく困っているでしょう

助けてあげないとと

わたしが答えると


パートナーはまた逃げていった


なんだ?

こちらから話しかけないと

パートナーは

困っていない

何も問題がなくなったと思うのか

そんなわけないじゃないかと

わたしは唖然とした


次男のお菓子については

食べられるものが少ない次男のために

隠して冷凍していたものを

なぜわざわざと

いたたまれない気持ちになったけれど


長男のことを

偉そうに

わたしに投げ掛けてくるなんて


パートナーは

自分の息子でもあるということを

すっかり忘れていると思う

ちょっと違うな海外で暮らしたひとたち

わたしは日本で暮らしていて

きれいな海が好きで海外旅行に行った

くらいのひとなのだけれど


長男の周りには

留学していたり

実家がアメリカだったりと

海外が身近なひとが多い


もともとわたしは

日本以外はアメリカしかないと

思っていたし

地球は丸くなくて

人間はおぼんに乗っているのだと

思っていた原始的な女  アハハ


英語がしゃべれないということも

関係して

安全な日本にしか興味がなかった


わたしの祖父母は

祖父の仕事の関係で

海外で暮らしていたのだけれど

わたしが生まれた時

祖父は亡くなっていて

祖母はもう

アル☆ハイマーぎみだったから


祖母から

戦争で亡くなった

叔父のはなしを時々聞いていたくらいで


今になって

どれだけ深い悲しみだったかと

わかるけれど


よくある

東京さいくべさや

海外にいくべさ

という思いはなく興味がなかった


そんなわけで

海外で暮らしていたひとと

日本でしか暮らしていないひとの

感覚の違いに

気づかなかった


先日長男のことで

海外留学をした立派な肩書きのひとたちと

話していて

あれ?と思った


男尊女卑がない

それに

家族を大事に思う

ということを理解している

というもの


やっぱり

可能なら

長男は海外留学を

させた方が良かったのかもしれない


日本の

男尊女卑や

家族を大事にしないのが

かっこいい

みたいな狭い考え方


さらに

父親の影響もあり

狭い狭い世界で

豊かな考え方は

なかなか生まれないのかもしれないと

思うもの

2019年6月25日 (火)

抗生剤とたんと

夜中にひどい咳とたんで

眠れなくて

抗生剤を使ったら

次の日には

たんがなくなって

喘息のヒューだけになり

とても楽で

体調不良がわかりやすいのだけれど


抗生剤が終わって

次の日には

ひどいたんが増えてきて

咳とたんで

また眠れない


わたしの喉に

何かよからぬ細菌がいるのは

間違いなさそうで

それは

抗生剤でいなくなる

けれどやめるとまた

どっと増えてくる


息子たちのためにも

長生きしなくては

まだ何も解決できていないのだからと

思うのだけれど


たまに

お薬が効いているだけで

長生きできない気がしてくる


歯医者さんの治療の方は

2本の歯に

やたらに麻酔をして

レントゲンも撮りながら

時間をかけすぎている


こんなに何回も

麻酔をして

同じ治療を繰り返した経験はなくて


慎重にやってくださっているのか

はたまた

うまくいかなくて

何回もやり直しているのかが

わからない


貧血の治療は

足のだるさがなくなり

うまくいっている


いつどうなるのかは

誰にもわからないけれど


できるだけ長く

息子を支えていたい

ひとが怖い

どうしてもわたしは

ひとが怖いのだと思う


最近ずっと

咳とたんで眠れなくて

さるの生態を夜中に

観察していて 笑


があるだけ残酷になっていると

思った


しがみついてくる

さるの赤ちゃんの

髪をつかみ 噛みついたり

引き剥がして地面に押さえつけ

踏みつけたり

母乳をあげず育児放棄をしている

母ざるたちを

じっと観察していると


人間だって

子供が幼い頃は特に

鬱陶しかったり

イライラしたりするのだから

同じだわと思った


道徳心や世間体があるだけでね

たいして変わらない


さらに観察していると

さるの赤ちゃんが

犬をお母さんと思いしがみついている

という光景があった


犬は振り払うことも

押さえつけて

踏みつけることもしていない


ある意味

犬は純粋な存在で

さるの赤ちゃんも安心して

いるように見えた


を持っている

ひとは傲慢なのだ


さらに

書くことや

話すことができるので

いとも簡単に

ひとはひとを傷つける


どうしてこんなに苦しい世界で

わたしたちは

きれいごとや光を見つけようとして

生きているのだろう


疲れてしょうがないのに

2019年6月23日 (日)

力をぬく

力が入りすぎている時

力をぬくことは

さぼることではないよ


なにもしないでぼんやりしたり

眠ったりして

体を休めたり

休みを楽しんだり

おいしいものを食べたり

お風呂を好きな香りにして

ゆっくり入ったり

好きなことを見つけたり

力をぬいて

楽しみを増やしていく


そうしているうちに

適切な時に

適切な強さで

力を入れられるようになる


そんな簡単にはいかないけれど


時間をかけてで

いいじゃない

2019年6月22日 (土)

今年になって一番驚いたこと

さっき

久しぶりにネットストーカーを

してみよう 笑

という気持ちになり

青空の彼について調べてみたら


なんと

めちゃくちゃ出世されているでは

あーりませんかぁぁぁ


おめでとうございます

夢を叶えられたのでしょうかね

うふふ


わたしにはわからない

努力や苦労が

たくさんおありでしたでしょうね

良かったですね


結果

だけではないですけれど

どれだけ頑張られてきたか

頭が下がります


初めて

青空の彼にお会いした時

このひと

出世するなと

思いました


わたしが出世するとみえたひとは

出世されているので

やはり当たるよねと

ひそかに思っています


出世しなくても

挫折しても

違う学びがあり

ひととは違う景色が見られるわけですから

それはそれで

悪いことではないですよと

わたしは思います


なんだか彼がまた

遠くなったような

近くなったような

わけのわからない感情になりましたが


前記事に

8月に会えるなどと

書いてしまい

自分で書いておきながら

なぜか動揺しました


無理をなさらないよう

お身体には気をつけてくださいと

お伝えしたい


青空の彼が

出世した しないは

他に支えていらっしゃるかたがいて

わたしには何も関係ないこと

なのですが


彼がやりたいお仕事を

頑張っていらっしゃるのだななどと

しみじみ

嬉しく思ったので

ここに記しました


気づくのが遅かったのですが

今年になって一番驚いたこと


でした

2019年6月13日 (木)

パワーがないから

パワーがないから

トラブルが続きやすい

自分でトラブルを呼び込んでいる

という場合がある


自分にパワーがあれば

ささっと解決できたり

トラブルも近づいてこない


だから

体も心も

元気になれるように

ゆっくりと休み

パワーが充電されてくると

トラブルも

何だった?

みたいに小さく

どこかに逃げていく


だからといって頑張りすぎは

不健康な体と心を

つくる


何かを恐れている状態は

不幸で


恐れがないことが

幸せというもの


自分を見失いそうなときは

自分が何が好き

だって◯◯だからさと

強く思えば

見失わなくなる


わたしの場合

わたしは青空の彼が好き

だってかっこいいんだもん♪と

思えば

見失わなくなる


これがわたしのリセットボタン

アハハわたしは

単純なのだわ

2019年6月10日 (月)

魂を少し差し出す感覚

久しぶりに新作

絵手紙のラブレターを作った

何年もパソコンがなかったから

ただただ

作れなくて

そのままになっていたのだけれど

故障しているデジカメは

故障したままで

新しく父からもらった

うまくシャッターがきれない

デジカメで撮った3年前くらいの写真は

どこか素朴で

懐かしいような

遠慮ぎみなようなかんじがして

いいかも

という気がした


作品作りを

やってみようかなと

思いたってから

パソコンで作業を始めたら


いつものように

急に自信がないような

もうできないような

気持ちになったのだけれど


以前からわたし

詩は

本当に短時間で

頭にひらめいたものを

パパっと書いてしまうところがあって


絵手紙の方は

始めましょうと思うと

しばらく

呼吸やら時間やらが

止まったような感覚で

集中していて

作り終わると

魂をぬかれたようになる

というところがあった


今回の作品も

もっと時間をかけて

丁寧につくれば

違ったものが完成するのでは?

などと想像したのだけれど


短時間で

魂の一部分を

差し出すかのような

作りかたしかできなくて


なんていうのか

ぐったりしたあと

清々しい気持ちになる


それから

我にかえって作品を鑑賞すると

誰が作ったのだろうと思う

という様子


やっぱり書くこと 表現することが

好きなんだと思う


さて

新作の君の声が聞きたくて

なのだけれど


恋人 大切な人 両親  息子 

はたまた

病気のご家族であったり

戦争で亡くなられたかた

であったり

というイメージで


だから

悲しい気持ちと

笑って前に向いていこう

という気持ちが

存在しているのかな


てなことで

もしよろしければ

作者ももの

おかしな作品づくりを

思い出しながら 笑

観ていただければ幸いです

http://www.digibook.net/d/8cd4c777a0c91460794f3726de5ac78b/?viewerMode=fullWindow

2019年6月 6日 (木)

星空の夢をみた

空気が透き通る夜空に

まばゆい星が

ああこんなにも

こんなにも美しく見えていて

わたしの空は

今の一瞬

晴れていて陰りもない


この空を彼と並んで

眺めたいと

夢の中のわたしは

彼が来るのを待っていた


自分の悲しいことや

苦しいことを書くと

そこには

きれいな言葉や

美しい景色が

なくて


書いているうちに

気分が悪くなり

消去したり

どうせ誰も信じてはくれないと

消去したり


わたしは

ラブレターなどといいながら

何を書いているのか

不快なことばかり

などと思う


だけれど

わたしの悲しみや苦しみは

わたし自身で

格好よくも

悪くもなくて


誰にどんな風に

思われても

思われなくても

わたしはわたし


今書きたいことを書いて

格好をつけないのが

わたし

2019年6月 5日 (水)

あんなやつ

駐車場で

幼い長男が車を降りてから

ぐずり始めて

歩かなかったことがあった


パートナーが

さっさと道路を歩いて

長男を放置していこうとした


駐車場が暗かった

道路も危なかった


危ないと

わたしが話すと


あんなやつ

死んだらいいと

パートナーが答えた


ただ車から降りてぐずっていた

だけなのに


わたしは

長男を守ることができなかった

よちよち歩きの時は

長男が

よちよち歩きの時

パートナーが

車に乗り込むと

長男が乗りたくないと

ぐずり始めた


わたしが座席に座って

ママ乗ったよー

などと言おうとした瞬間


のらないならいいよと

パートナーが怒鳴り

車を

めちゃくちゃに急発進して

外にいた

よちよち歩きの長男が

ひかれそうになった


ちょっと思い出しただけで

うじゃうじゃと

寒気のする思い出がでてくる

聞き間違いと長い間つらかったこと

パートナーはいつも聞き間違える

一番被害が大きかったのは

わたしの出産だった


長男の帝王切開後

わたしは足が動かないまま

ベッドにいた


万歳三唱をして

でかした などと

大騒ぎしていた両親の横を

やってきたパートナーが

わたしの耳元で


二時間後には歩けるからと

言った

二日後の間違いだったのだけれど

二時間後

全く足が動かなくて

不安で不安で

何度も何度も足を動かそうとしたわたし 涙


さらに子☆

赤ちゃんが入っていたベッド

が薄くなっていたと

ドクターから聞いたと

パートナーが耳元でささやくので

両親に確認したのだけれど


そんなことは言われていない

薄いではなくて

厚みがあってじゃない?

ドクターが

赤ちゃん

想像よりかなり大きかったですからね

ももさん

よく頑張られたと思いますと

話して

みんなで聞いたよと

両親は言っていた


長男が帝王切開だったから

次男は帝王切開と

初めから決まっていたわけだけれど


お世話になったドクターは

いらっしゃらず

前回のお産の情報を

新しいドクターにきかれた時

主人が子☆が薄くなっていたと

話していました

厚みがあるという

はなしもあったのですが…と

わたしが言ったものだから


次男は37週で

眠っているところを出された


次男の帝王切開の時

ドクターから

☆宮は薄くもないし

赤ちゃんも大きいし元気

子☆に問題も何もないよと言われた


前回誰が切ったんだよ

(下手だなぁ)

それにしても

すごいよ

おなかの脂肪 アハハ

3人目どうする?と言われ

わたしもひくひく笑った


だけれど

パートナーのひとことを信じて

次男には申し訳ないことをしたと

思う


1日でも長くおなかにいれば

最後に完成されていく器官が

もっと成長していたのではないか

まだ生まれたくなかった

お母さんといたかった

という気持ちが

今も影響しているのではないか


無事に大きくなったのだから

気にしないでよいようなものの

母乳はなかなか出ないから

頑張る力がつくというように

何か影響しているのではないかと

いまだに考えることがある


産前 産後は

陣痛は肌を刺激するから

肌が丈夫になるのではないか

犬や猫は出産時

ペロペロなめるから刺激になっているけれど

わたしも

全身なめたら

解決される何かがあるのか


ひよこなんて

卵から生まれたから

知能が低いわけで

陣痛がないと

頭の骨をずらしていないもの

帝王切開で

脳の成長に問題はないの?

など


これらは姉の影響なのだけれど

わけのわからないことを

考えていた


ドクターには

ももさんて

おもしろいひとだねと

言われたけれどね  アハハ


とにかく子供に何かあれば

あの時あのようにしていれば

などと

悩み考えるのが母親で

とにかく自分を責める


だけれど

わたしと息子は

初めからパートナーに惑わされていた


これからは

惑わされないように

自分の意見を持ち

進んでいくべきなのだわと

思う


長い間 つらかったよね

息子達とわたし


これからどのようにしていくべきか

よく考えようと思う

2019年6月 4日 (火)

痛くなるわよ

長男の出産は

途中からの帝王切開だったので

術後に

痛み止めを

初めは注射で何本も

肩に打たれた


わたしは

ひどくうなされていた

緊急で帝王切開をしたドクターが

若くて不慣れ

切りかたがへったっぴになったことと


それまでの

陣痛24時間で体力がなくなり

出産を促進するための

様々な処置があったこととが重なり

おなかの痛みがひどかった


脊髄麻酔の影響か

わたしは味わったことのないひどい頭痛にも

襲われて

ベッドで涙のまま動けないでいた


初めて食事を食べたときは

おかゆが石ころみたいに

喉に引っかかって

飲み込めなかった


さらに

全身にびっしり薬湿が出てかゆかった

初めて立ち上がった日は

寝返りもだけれど

立ち上がる瞬間

あまりの激痛に言葉を失った


それで

お手洗いが間に合わなかった

床掃除を自分でしようとしたら

おなかの激痛で座れなくて

足で掃除した


着替えも痛くて大変だった

実はおしめ交換も

激痛

しばらく無言で耐える

なんだよね


数時間おきに

授乳室に行かなくてはいけなくて

足を引きずるようにして

行った


疲れて眠っているお母さんは

看護師さんにたたき起こされていたけれど

わたしは

歩くのが遅いから

早めに病室を出た


そんな産後

姑が病室に来た


ちょうど看護師さんが

痛み止めを

持ってきたところだったのだけれど


姑が

もっと痛くなったりしてねと

言った


わたしは

本当に心が折れて

姑が帰った後

吹雪の中を何か持って歩いている夢を見て

目が覚めると

顔からびっしょり冷や汗が出ていた


パートナーは

母親に似ていると思う


そんなこんなで

ストレスで母乳が出なくて

母乳指導が痛いのなんの

髪の毛を束で捕まれて抜かれたみたい

これでわたし

痛くて殴られたことがあるの

覚悟してと

看護師さんに語られたほどの

痛さで


かわいい赤ちゃん

今はすっかり生意気な息子 笑

のために

耐えたけれど


女性は痛いことばかりだわと

思うよね

2019年6月 2日 (日)

道は開けない

なにか

相手に心の問題が起きたとき

その問題だけをみて

簡単に言うとおかしいと

騒ぎ立て

病院に連れていって

治療してもらおうとしたり

どんどん薬を増やしてみても

問題は解決しない


悪くなったように見えて

もっともっと治療して

治していかなければとなる

結果悪化して

どうしようもなくなり

言い方は悪いけれど

捨てる 見放す

しかなくなることさえある


ただ

問題だけが存在している

ということは

絶対にないと思う


必ず原因がある

小さなことから大きなことまで

必ず

自信を失った原因があったり

怖くなった原因があったり

本当は苦しんでいたり

悲しんでいたり

心のなかで

助けてほしいと叫んでいたり


それを知り

理解して寄り添う

ということは


ドクターではなく

わたしが

ぼくがすることで


のんびりとさせたいなら

自信を持って

のんびりとさせる

平常心で騒がずにいる


余裕がないと

伝わってしまう不安が

また不安になって

本当の意味で

わたしは

ぼくは

受け入れていますよとは

いえない


心から

それでいいと思え

一緒に頑張っていけると

信じて

自分と相手を信じていかなければ


道は開けない

しばらくして

しばらくして

野球観戦の日に

次男がベッドから起き上がれなくなった


それを見たパートナーが

イライライライラし始めて

もう始まる

もう始まると

キレ始めた


病弱でひきこもりがちな

次男が喜ぶから

野球観戦に連れていっているのではなく


パートナーが行きたいから

行っているのだと

わかった瞬間だった


次男のことを考えるなら

事情がわかるのだから

落ち着くまで待ち

遅れて

後から球場に入ればよいわけで


それに

野球観戦の日程を質問すると

パートナーはキレて

教えてくれなかった


予約日も

次男と相談もしないで

パートナーが勝手に決めていた


何もかもだめなんだ

いつかこんな日がくると

わたしはわかっていたのではないかと

腹立たしく思った


しばらくして

声をおさえながら泣き始めた次男に

パートナーはさらに怒り


だんだん だんだんと

大きな音で

怒っているんだぞと

廊下を激しく歩きまわり


しまいに

玄関でバンバンと音をたてて

出ていった


残された次男は

布団で顔を隠して

しくしくと泣いていた


なんともいえない

怒りがわたしの体中に走って

二度と帰ってくるなパートナー 塩 塩と

思った


しばらくして

ひとりで野球観戦を終えた

パートナーが

怒った様子で帰ってきた


もちろん

なにひとつ

反省も理解もしていない


それから次男は

野球観戦に行くのをやめた


テレビでみたらいいよねと

わたしと次男で話した

わたしの発作も

わたしが喘息で入院した時も

パートナーは30cmずつくらい歩いて

嫌な表情を見せ

救急車を呼ばなかった


パートナーが車を出すまで

わたしはどんどん悪化して

すぐ近くの救急病院に到着した時は

声がうまく出なくなり

恐怖を感じて

救急のロータリーあたりで

わたしだけ

転ぶように車から降りた


受付までなんとか歩き

シューシューシューシュー言いながら

診察券を持っていたら

そのまま診察 処置

入院になった


それまで

息子の病気で通院していて

パートナーのひどい言動は

わかっていたようなものの


息子のことは

わたしがやっていて


わたし自身は

その入院の1ヶ月前

実家で入院するまで

たいした病気をしたことが

なかったので

このような状況になるとは

想像していなかった


救急受付でうまく声が出ないので

パートナーに

わたしのかわりに話してもらい

手続きしてもらおうとふりかえった時


パートナーは駐車場に車を停めて

駐車カードを出していた

その後

警備員さん入り口前で

お見舞いのひと名簿に名前を書いていた


わたしは

シューシューしながら

転ぶように車を降りて良かったと

思った


パートナーは

よく知った救急外来なのに

受付やわたしの方は一度も見なかった


その後

病院に入ってきていたはずが

どこかでコーヒーを飲んでいたらしくて

見つからなかった


入院が決まると

パートナーは

チッと舌打ちした


救急受付のひとは

付き添いできたはずの

パートナーがなにもしない事態が

理解できなかったようで


知らん顔をしているパートナーを

待つわけにもいかず

わたしだけを

急いで案内してくださったのだけれど


看護師さんは

報告や

入院書類の記入のため

パートナーを探していて


本当にご主人?と言われた


けれどわたしは

息子のために

生きなければいけない


パートナーに

惑わされている場合ではなかった


わたしと同じく

倒れて運ばれたひとがいた


そのひとのご主人は

もちろん一緒に診察室に入っていた


入院が決まってからも

ご主人が心配して

ずっと寄り添っていたらしくて


次の日

わたしが病室のベッドに

座っていたら


ご主人がね

本当に心配して心配して

という

掃除のおばさんの話し声が聞こえた


掃除のおばさんが

わたしのベッドにやってきて

退院ですか?と言った

入院したばかりです…


パートナーは

わたしの体調が悪いと

明日

昼から会社に行くねと

言う


子供のことや

食事のことなどを

昼まで手伝ってくれるのだわと思い

ありがとうと言うと


パートナーは次の日

昼まで寝て

じゃ 

とひとこと 会社に行く

というパターン


入院した日も

看護師さんからパートナーは

帰って入院準備をしてきてくださいと

言われたのだけれど


次の日の昼過ぎまで来なかった


パートナーはふたりの息子を放置して

昼過ぎまで寝ていたらしく


わたしは

パートナーが

すぐ持ってくると言ったので

何もレンタルしないで

歯ブラシもパジャマも

飲み物もコップもタオルもないまま

ずっと待っていた


パートナーは

けだるそうに病室に

やっときて

昼過ぎまで寝ていたと話した


わたしのことは

帰っている間も

病室に来た時も

一度も心配しなかった


メモを渡して

息子たちをよろしくと

お願いしたら

パートナーは

できないとあっさり断った


わたしは

病気を治すどころではなかった


それからは

いざというときのヘルパーさんを探したり

食材は宅配できるようにしたり


子供たちには

自分でできるように

さまざまなことを教えた

 

だけれどもし

わたしがまた入院したら

息子たちがどうなるかを考えると

今も怖い


次男は

わたしの入院を

いつも心配している


わたしはずっと

真面目に治療しているので

大丈夫だと思うけれど


元気でいなければ


悲しいことに

ずっと

こうやって不安なまま


わたしと息子たちは

生きている

なぜかゆっくりと歩く

パートナーは公園で

幼児の次男と遊ぶというより

スパルタで

キャッチボールをしていた


実際見た時は本当に驚いた


だから次男は

野球が上手になったけれど

キャッチボールが好き

などと言いながらも

野球教室を嫌がった


体育の先生と学校で遊ぶまで

楽しいキャッチボールを

経験できなかった

いつも緊張していた


パートナーとの

キャッチボールの途中に

次男が喘息発作を起こした時は

パートナーに

ボールを真横の壁に

何度も何度も強くぶつけられ

放置されたあげくに


背中をさすっていたわたしと

次男は

怒られた


発作がよくならないので

冷たい飲み物を

すぐ近くにある自販機で

買ってきてほしいと

わたしがパートナーに

声をかけると


走っていくと思いきや

30cmずつくらいゆっくりゆっくり歩いて

嫌な表情をこちらに見せ

自販機に向かっている


間に合わないと思い

わたしが行く

かわりに

看病していてと

言ったのだけれど


パートナーは

看病ができないので

おれにジュースを買いに行かせる

とかなんとか

文句を言って

怒った


ぱしりかなんかと勘違い?

何を勘違いしたら

命に関わることで

こんな恐ろしいことができるのか


次男は

お母さんがいないと

大変なことになると

いつも感じてきたと思う


いまもそうだけれど

他にいないから

パートナーと次男は

野球が好きで

ふたりでよく野球観戦に

行っていたのだけれど


次男が球場で

気持ち悪いと吐き気を訴えても

次男ネグレクトであるパートナーは

無視したり

気持ち悪いだと!と勘違いして

怒ったり

していたようで


次男の喘息発作についても

自分も小児喘息だったにもかかわらず

全く理解したり

気遣いしたりができなかった


だから次男は

喘息をかくすようになった


次男が

一時期外食をしたがらなくなったのだけれど

その時も

はらがへった

はらがへったを

パートナーは大声で繰り返し


コンビニで何か買えばと

わたしが提案しても

パートナーは外食したくて拒否をする

ということがあった


自己中心的で

家族のなかで一番弱いひとは

優先して守る

ということがパートナーにはできない


わたしが次男に

他のひとと野球に行けばよいのにと

話したことがあるのだけれど


他に野球が好きで

連れて行ってくれるひとが

いないから

仕方がないと答えていた


わたしはいつも

不安な気持ちでいた


次男の楽しみを奪うわけにもいかない

だけれど次男は

本当に楽しいのかしら

考えすぎかなと

わからなくなっていった

2019年6月 1日 (土)

そんな日がくるといいな

先日家族で外食をした時

記事にも書いたけれど

うまくいかなくて

次男はかき氷くらいしか

食べていなかった


長男も

体調がかなり悪そうで

心配した


パートナーとの食事で

みんなが楽しかったことがない


ならばこれも

行かなければよいのに

パートナーと食べなければよいのに

ということには わたし

気づいてはいる


先日のお口直し?が

必要ではないかしらと

感じたので


用事ついでに

同じお店で

次男と外食したのだけれど


ホッとして

おなかがすいたのかな

先日とは別人のように次男が食べたから

驚いた


嫌な思い出を良い経験で

塗り替えたかなと

思ったほど


本当は長男とも

楽しく

おうちごはんも外食も

したいのだけれど


長男は今 大変な時で

わたしを毛嫌いしているから

なかなか難しい


大変な時だからこそ

同じ釜の飯

と思ったけれど

お友達と食べる方が楽しいよねと

想像する


息子たちが幼い頃から

3人ではよく

あれこれ

外食してきたけれど


いつかまた

3人で

楽しい普通の食事を

心からやり直したいと

思っている


おいしいねと

安心して食べられる


そんな日が

くるといいな

やめればよかったのね

最近

パートナーがいる時は眠る

いないと活動する

という具合に

工夫する次男をみて

わたしたちばかりが

工夫したり我慢したりするのではなくて

もっと自由に

ふたりで出かけてみたり

嫌なことを言われても知らん顔で

好きなことをしてみたりして

過ごしたらどうだろう

などと話していたのだけれど


ふたりの体力と予算では

出かけるばかりもできなくて

パートナーの嫌味も気になっていた


そんななかで

わたしがやめればよいのだ

ということに気づいた


パートナーに話しかけたら

逃げるか怒るわけだから

家族の大事なことを

父親だからといって

必ず報告しなくてはならない

という決まりもなく


とにかくパートナーに

話しかけなければよいと

気づいた


正しいことだからと

真面目にやっていると

やめるということに

なかなか気づかないもので


パートナーのことで

やめられることはすべて

ぎりぎりまで

やめることにした


次男も

それでパートナーが気にするどころか

気分がよいのだから (最低)

いいんじゃないと

言うので


わたしが嫌なことは

やめてしまおう


嫌なひとから離れて

自分を守るには

いろいろなやり方があって

やめてしまうのもありだわと

考えた


早速実行してみたら

わたしや息子の嫌な気持ちの回数が減り

負担がぐっと減ってきた


わたしと息子に

特に不自由もないので

パートナーにはこれから

報告も質問も

ささやかな幸せばなしも

しないことにした


嫌なことはやめればよい

そんな単純なことに

なぜ気がつかなかったのかなと

思う


家族だから

うまくやっていこうと

思いすぎていたのかもしれない

« 2019年5月 | トップページ | 2019年7月 »

無料ブログはココログ

momo

  • momo