ポキン ぷつり
祖母は
父が
47歳の頃の子供だったということがあり
わたしが
小学生低学年の頃には
アルツハイマーの
言動が現れていた
社宅で暮らしていた時
母は
着付けや茶道 華道に忙しくて
わたしと祖母は
ふたりで留守番をしていた
時々ひらひらのワンピースで
わたしがピアノレッスンに行く
以外は
わたしが祖母の見張りをしていた
今から思えば
母に似せて
きつい言い方をしていたと思う
ごめんなさい おばあちゃん
わたしが祖母を
そんなことをしてはいけないの!と
叱ると
祖母が
裁ち鋏を持ってきて
倒れて死んだふりをした
わたしは本当に祖母が
死んでしまったと
勘違いして
おばあちゃん おばあちゃんと
体をゆさぶる
すると祖母は
おちゃめに笑いながら
おばあちゃんが死んだと思った?と
起き上がる
ということを
何度かしていた
わたしは母に
話してはいけない気がしたのか
母が聞いてくれなかったのか
どちらか忘れてしまったのだけれど
おばあちゃんの言動に
心を痛めていたことを
話せていなかった
いつだったか
姉に話したらすごく驚いていて
つらい経験だったことを
思い出した
「それはつらかったね」と
次男がドクターに言われているのを
聞いて
そういえばわたし
それはつらいねと
言われたことがないなと
気づいた
家系的に
すぐに
消えてしまいたいと
考えるところがあるのかもしれない
ポキン ぷつりと
折れたり 切れたりしやすいのかも
幼い時から
なぜ生きているのだろうと
考えていた
それに
どうせ死ぬのだから
楽しく生きればいいのにと
親戚に話していたほどで
それでいて妙な正義感もある
おませな子供だった
生きても死んでもどっちでもいいわ
いつかみんな
死ぬでしょう
死なないひとはいないでしょうと
考えていて
やる気のない
やたら死にたいと考えている
子供時代だった
今もあまり変わらない
ふいに死にたいと考える
だから
息子の気持ちがよくわかる
ママもね
たまに死にたくなるよ
どうしたら楽になるかなと
答えるようにしている
「それはつらいね」は
よく忘れてしまう
自分が親にしてもらっていないことは
自然には
できない
« 怒鳴られたら怒鳴られたまま | トップページ | ぶちゃいくなわたし »
コメント