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夜のお仕事で
お金を稼いでいる女性の
動画を観たら
高級バッグや宝石
お洋服やわんこを
嬉しそうに紹介していた
化粧品などは
洗顔から化粧水
美容液まで
複数の高級化粧品をびしゃびしゃ使っていて
どれだけ自分のメンテナンスに
時間とお金をかけているのと
驚いた
わたしが何もしなさすぎ
なのかな
さらに
シャンプーからボディソープ
ボディクリーム
髪のお手入れと続いている
もちろんエステやネイル
美容院には
日常的に行っていて
痛そうなことも
していた
すべて運転手つきの車で移動
家事はどうしているのだろうと
思っていたら
いっさいしていないと話していて
毎日
マンションは掃除に入ってもらい
食事など一食も作っていないそうで
今流行りのガリガリなので
食事に気をつけているのかなと
思いきや
お菓子を食べている
華やかな生活の裏側には
苦労もあったのだろうと
想像するけれど
話し方が微妙に品がない
見た目だけが美しいひと
だった
男性のお小遣いで
生活している女性は
その後
起業などされて
頑張っていらっしゃるようだけれど
昼のお仕事は
本当に地道で
お付き合いでの
一般的なマナーも夜とは違うでしょうから
どう見た目をよくして
頑張ってきたご褒美たちで
体を飾っても
どことなく普通の女性とは
違う
男性のような雰囲気と
えげつなさが出るのだなと
思った
そもそも夜の世界で
働く女性は
わたしの知っているかぎり
育った家庭が複雑だったり
男性にひどい目にあっていたり
というひとが多い
だからすっと
やってみようかなと思って
夜のお仕事を始める
のだろうと思うし
ハングリー精神みたいなものも
あるのではないかなと
思う
家庭に入って
普通の幸せを夢見ても
なかには真面目なひとも
いるかもしれないけれど
しばらくしたら刺激が欲しくなるのかなと
想像する
疑似恋愛は得意かもしれないけれど
真面目に暮らすとなると
これまた案外
そのひとたちにとっては
難しいかもしれないな
自分を見失いそうな時
自分の好きなもの
好きなひとを思い出して
わたしは◯◯が好きです
だって◯◯だからと
やると
自分を取り戻せるから
自然とわたしは
青空の彼
との会話を思い出していた
リセットボタンみたいな
青空の彼が
わたしに本当のわたしを
思い出させてくれるというわけで
あの時
といっても
もうずいぶん前のあの時
尾瀬に
家族旅行に行きたいと
話したわたしに
尾瀬に行きたいんだぁ
うーんと言いながら
雪がどうかな?と
彼は言った
あの時
雪?と思ったけれど
彼は正しかった
今でも彼のことを
こんなにも
思っているだなんて
忘れよう忘れようとしていたのに
こんな時にも
ちょいちょい
彼の表情や仕草が
まぶたに浮かんできては
涙があふれてくる
なにこの涙は
どこから出てきて
どこへ向かっているのかと
思う
片思いは
ある意味相手を攻撃している
ところがあるでしょう?
だから
気持ちをぶつけるのは
やめようと思って
恋について
あまりココに書かないようにした
でも彼に
会いたいよ
この数日気がついたら
息苦しくて体がだる重い
けれどこの息苦しいは
口を金魚みたいにパクパクさせると
良くなるようで
鼻だけでは空気が吸いきれないような
奇妙な感覚で
本当は息を吐く力が
弱くなっているのでは?
などと思うのだけれど
よくわからない
以前喘息の友達が
発作がよくわからないと
話していて
わたしから見たら
完全にぜーひゅーしているのに
友達は
ほんとに?と
言っていた
体がだるいとパワー不足で
解決する力がなくなる
さらに
休み休み飲んでいる鉄剤で
胃のあたりが
ムカムカするので
スムージーを飲んで暮らしているわたし
女酒場放☆記みたいに
居酒屋さんで
おいしいおつまみを
いろいろ食べたいな
というのが最近の希望
こんな体力で
次男の旅行もないよねと思いながら
旦那や姉が言うように
ひょっとしたら行けるのではないか
という気持ちが
わたしのなかで
浮かんだり消えたりしていて
決めかねている
これから
次男と次男の担任と話し合いながら
決めていこうかなと
思っている
次男はどう思うのか
ということが一番大事なので
次男と話してみた時のことを
書いてみたいと思う
次男は旅行に
行くか行かないか
決めかねていたそうで
次男のドクターが
応援したいと答えたのは
内科の先生ではないから
ということと
次男が今回
絶対に無理ではなく
行ってもよいかなと考えている
ということを
わたしがドクターに話したから
精神科医としては
応援したいとなったのだろう
わたしが喘息ということは
知らないしねと
次男は話した
一回目の夏旅行に
行った時は
次男の体重が
今より20キロくらい多かったから
問題なかった
2回目の冬旅行は
次男のドクターが長年お世話になった
ドクターだったから
はっきり禁止された
3回目の夏旅行は
次男のドクターは
今のドクターだったのだけれど
はっきり禁止された
その3回目の夏旅行の時より
体調が悪くなっていて
入院のはなしになっている今回
なぜゴーサイン?と
次男はかなり驚いたそうで
おそらく
わたしの前向きなはなしを聞いて
そうなったのだろうと
次男は言った
確かに
それに
冷たい空気を吸うという
わたしの
かかりつけドクターのはなしだけれど
以前家族で
チムジルバンスパに行った時
暑いサウナから
冷たいサウナに移動したら
オレ
喘息発作が起きたじゃない?
旅行先は
もっと気温差があるから
間違いなく
飛行機から降りた時点で
アウトでしょう
ふたりで死んで帰ってくることに
なるよねと
次男がさらに言った
んだんだ
んだんだなとわたしは思った
わかったはずなのに
旦那の態度を見たり
姉の話を聞いたりしていると
やっぱり
旅行に行った方が
良いのではないかと
迷いが出てきたわたし
なんだか正常に判断できないように
なって
なにがなんだか
わからなくなっている
旦那に
病院の結果を報告したら
不満そうな顔をされて
驚いた
あげく
えー旅行に行かないの?
夏は行くんだよねと
言うので
夏も
ドクターが判断するから
わからないと
答えると
はー
夏も行けないじゃんと
叫んで
気に入らない様子
その後無視が始まった
まさか
ふたりで死ぬかもしれないのに
単位をとってこいよと
旦那が考えるとは
思いもしなかった
単位なんて
命を投げ出さなくても
他に
探せばいくらでも方法があるでしょうに
また
わたしの感覚が麻痺しそうで
怖くなる
どうしてわたしのまわりは
まともな判断が
できなくなっているのかしら
どうしてかな
わたしの伝え方の問題?
わたしが大袈裟に話している
わたしが本当は健康だけれど
嘘をついているとでも
思っている?
怠けている 頑張りが足りないと
思っている?
困難なことが続いて
みんなが
事実を直視できなくなっているのかな
そもそも
DVや虐待も
いつの間にか
なかったことのようになっている
わたしの喘息も
息子の病気も
何もかも
なかったことのようになっている
ここに存在して
真面目に悩んでいるわたしも
息子たちも
できればなかったことにしたいのかな
だから今まで
ひとりでもがいてきたのかな
わたしは
ふたりの息子の困難も
わたしの喘息も
なかったことにしたことなど
一度もないのに
どうしてみんな逃げるのだろう
悲しいじゃない
とりあえず
冬の旅行に行くにあたって
わたしのことだけになるけれど
喘息でお世話になっている
かかりつけのドクターと
薬剤師さんに
飛行機の予約があるのでと
軽い気持ちで相談してみた
結果から書くと
アウト!
簡単に説明すると
雪→冷たい空気を吸う→発作
発作→救急車が遅い→死ぬ
ドクターヘリしかないようなところ
→死ぬ
ということ
お部屋と外の気温差→発作
寒いと肌がぶるぶるとするように
気管支に刺激→発作
マイナス30℃だけに
ということらしい
発作止め 吸入薬 注射は
わたしの場合すべて液体
それらは
マイナス気温に対応して
作られておらず
室内保管用として作られているもの
わたしの場合
発作止めと注射は
持ち歩くことになるので
体に装着して
凍らないようにしても
万が一その辺に置いて
凍ってしまった場合
いざ吸入 注射しようとした時
出ないということになる
解凍された場合も
成分が変化している可能性があるので
危険
ということだった
甘かった
こんな危険なことを
平気でしようとしていたなんて
どれだけ怖いことか
わかりましたね?
というはなしになった
次男なんてわたしよりもっと危険
夏の旅行は
ドクターに内緒で行ったから
今回も内緒で行こうかな
発作止めと注射があるから大丈夫
なんて考えていたけれど
これは
ちょっと無理をするなどという
問題ではない
親族も家族も
みんな
今回止めるひとがひとりもいなくて
これは
わたしとわたしのまわりは
とんでもなく麻痺しているのだわと
知った
なんでこんなことに
なったのかわからないけれど
前々回の冬の旅行の前に
説明会に参加した時
担任の先生にご相談したところ
あまりにやせてしまった次男を
見て
学校に連れてこないで欲しい
手なんて骨のようじゃないですか
痛々しいと心配され
校長先生にバトンタッチ
校長先生は
ご子息が次男と同じ病気ということもあり
お母さんと一緒なのだから
本人が行ってみたいと思うなら
行ってみたらどうかな
すぐに帰ってもいい
取れなかった単位は東京でと
言っては
くださったのだけれど
ちょっと試しに
行ってみるところでもなく
単位は難しいということを
知っているだけに
担任の先生と悩んだ
ちなみに
喘息のわたしはドクターから
「雪」がダメかもしれないなと
言われたことがあって
発作止めや注射は持っているけれど
それだけではたして
大丈夫なのかしらとも悩んだ
今回も同じように悩んでいる
前々回
両親に相談したところ
ふたりとも死んでしまう
キャンセルしなさいと
強く言われた
今回はまだ両親に相談していない
我が家の悩みは
もはや両親や姉では
太刀打ちできない難易度に
変化してきていて
高齢の両親や忙しい姉を
悩ませるのも申し訳なく思うから
自然と
簡単な結果報告だけにして他は
話さなくなっている
前々回の冬と
前回の夏旅行は
結局
120%のドクターストップ
冬は
マイナス30℃なんて無理無理
夏は
気持ちと体力的に無理無理
とのことだった
あれこれ悩んだけれど
ドクターストップなら仕方がないよね
ということで
わたしも次男も担任の先生も
納得して
キャンセルを2回お願いした
今回
何が違うのだろうと
考えてみたけれど
キャンセルした2回と
状況は変わっていない
次男の体重が少し増えた時の血液検査では
甲状腺機能が
回復していて
その後またやせてしまったので
今は良い状態かどうか
わからないと言われている
入院騒ぎの時と
体重は変わらず
心臓の心配もある
ついこの前も
このままでは入院になるねと
ドクターに言われたばかり
状況は変わらないというか
悪くなっている部分もあるというのに
いったいなぜ今回は
行くことになってしまったのだろうと
思う
毎回旅行について
旦那は無反応なので
今回も
無視&放置で変化はない
体調は大丈夫なのか?くらい
言っても
いいのにね
いったい何が違うのかな
今回の旅行は荷物がかさばるので
先に荷物を宅急便で送って
身軽な旅行にしようと考えています
夏の時
こんなハードな予定を
こなせたのだから次回も大丈夫と
言ってくださった
先輩お母さん達を思い出します
うるる
とても優しくしていただいて
お世話になりました
今回は
わたしが先輩お母さんなので
しっかりしなくては
旅行先は
スノーブーツが必ず必要
だそうで
スノボウェア
ゴーグルや帽子
手袋なんかも
ふたり分用意しなくてはいけなくて
長男がよくスノボに行くので
次男のものは
少し借りられるかなとも
考えていますが
わたしのものは新しく買わないと
ないかな
長男が
ハー☆ード大学に行った時の
バッグやキャリーケースは
あるのですけれど
懐かしい 笑
機内持ち込みリュックの方が
動きやすいのかなと想像
最近わたし
荷物が持てなくなって
持つとひどく疲れるから
キャリーリュックがいいかもしれませんよね
詳しいかたがいらっしゃったら
マイナス30℃地域に行くなら
こんなものがあるといいよを
教えていただけると嬉しいです
喘息のかたで
何メートルもの雪
の経験があるかたがいらっしゃったら
お薬のことなど
教えていただけるとありがたいです
吸入薬や発作止めは
バナナやタオルみたいに
カチカチに凍らないのでしょうかね???
お部屋は半袖でもいいみたいなので
次男とわたしが
気温差に耐えられるかが問題ですが
半袖も必要でしょうね
持ち物はこんなかんじで
次は
途中体調不良で帰宅したくなった時ですが
空港までの交通手段がないので
レンタカーを調べてもみました
わたしに雪道運転は難しいかなと
考えます
体調不良の場合
みなさん施設のお部屋で休まれたり
バスで休まれたり
ご両親が迎えにきたり
されていたようですが
お部屋のないわたしたちが
ゆっくり休むためには
ホテルに帰るしかないのでしょうか
かといって
ホテルの近くに
病院があるわけでもなく
ふたりで飛行機を予約して
自宅に帰る体力があるかというと
どうかな
前回は
持ち前の楽天的な性格で
なんとかなるでしょうと
行ったのですが
今回は
前回の大変さがわかっているだけに
きちんと考えて
準備をした方がよさそうです
わざわざ
遠方に行かなくても
単位をもらえる学校なんて
多く存在しているでしょうにと
思いますが
校長先生が
全国探しても
理想どおりに受けてくださるところが
なかった
というので
仕方がないところです
まぁ
なんとかなるでしょう
どうやら次男のドクターは
旅行に行ってみようかな
という次男の気持ちがあるのなら
応援したいので
今のところは旅行に
ゴーサインを出す予定
だそうで
わたしのドクターではないので
わたしの喘息を知らずに
お母さんが一緒なら
安心だね♪と
おっしゃっていた
さらに現地では
ドクターヘリで対応しましょう
とのこと
地図で確認したら
飛行区域なのかがよくわからない
次男のドクターが
ゴーサインを出しても
わたしの
かかりつけドクターが
マイナス30℃を
どう判断されるかわからない
だけれど
ほぼ寝たきりの次男
時々買い物で歩くを
ひとりで
病院が近くにない
マイナス30℃の僻地に飛行機で行かせる
というわけにはいかないから
わたしのドクターには
内緒で行こうかな
いや
正直に話して
お薬を追加しておくべきかな
現地での集団行動は
なかなか途中でぬけにくいから
ついつい最後まで
参加して
頑張ってしまいがち
体調が悪いからといって
すっとぬけたり
掃除の時間に
ほこりを吸い込まないように
慌ててぬけたりが
なかなか難しい
それで何か
文句を言ってくるひとなど
ひとりもいないのだけれど
タイミングが難しい
室内で過ごせるよう
途中で休めるよう
予定をチェックしていかなくては
いけない
なにせ
保健の先生がいない
それに
曖昧な学校だから
何を始めたのかが
わかりにくい
普段の学校の様子は
初めて見学した時に
それはそれは驚いた
旅行となるとさらに驚きの連続で
集合
号令
数える
出発
がない
普段から
危ないこと以外は注意されない
いっさい強制はしない
学校なので
毎年毎年
おいてけぼり事件が
発生している
気づいて迎えに行くまで
一時間かかったこともある
僻地だけに
空港からの交通手段がレンタルしているバス
しかないので
雪のなかにおいてけぼりは
怖いな
それから
先生が
病気になったひと
問題が起きたことを
すべて
発表しないので
みんななんとなく察して行動している
というかんじで
実際経験しないと
自由という曖昧さは
わからないかもしれないけれど
普通のよくある学校では
考えられないような
集団行動
体調が悪くても
自分からなかなか
体調が悪いと言い出しにくいことは
確か
何もできないで呆然としていても
リーダーになって
テキパキお世話をしていても
それはそれで
みんなが自然に受け入れていて
先生は基本
手伝いなさい やりなさいなどの
指示をしない
うちみたいに
親子で参加しているひとは
特に苦しい事情があってのことだろうと
気を遣われ
ガツガツ入り込んでくるひとは
いない
先生は
目まぐるしく動いていて
ひとりひとりに声をかけ
気配りが尋常じゃない
一度も
大きな声を出すこともなく
絶対に怒らない
何があっても平常心に驚かされる
用事がある時は
わたしが先生を
ぐわしと捕まえて
口早に用件を伝えれば
はいと嫌な顔ひとつせず
必ずすぐに動いてくださるのだけれど
あまりに
ひとりひとりのお子さんへの
対応が
大変そうで
タイミングがつかめない
だからといって
遠慮していると大変なことになると
先輩お母さん達も話している
活動に参加するかどうかは
ひとりひとり事前に
先生が確認してくださるのだけれど
途中で
うちの子は
これができません
中止にしてください
などとストップさせるのが
なかなか難しい
最初から見学か
または最後まで参加になるので
よくよく考えて行動しないと
大人以上の運動量に
なってしまい
毎日体力の限界で
経験したことのない
体と心の疲れに襲われもがくことになる
基本
次男の学校の先生になるひとというのは
体力があり
心が強く優しいひとばかり
これくらいはできるかな?
平気かな?の
基準が
わたしたちの思うものを
はるかに越えていて
わかろうと
努力はしてくださるのだけれど
わたしたち母親は当然のことのように
このような体力はない
このような言葉で子供が傷つくと
知っていて
先生も当然知っているだろうにと
思うことを
言わないと知らない
元気なひとにはわからない
ということが多々ある
これは仕方がないことで
現地のひとなどはもっと
これくらいの子供は元気なものだと
勘違いしているので
まだまだ
幼い心臓や肺をしている
心が弱っている
なんてことは
言ってもわからない
さらに
喘息なんて見た目わからないことは
もっとわからないときている
文章がふたつ続けて長いので
苦手なひとは
スルーしてください
*****
この冬に
次男の卒業をかけた旅行3回のうち
2回目が
あるのだけれど
わたしも付き添いで
行くことになっている
行き先では
よくありそうな観光ではなくて
勉強と運動がメインで
単位をばりばり取得して
帰ってくるようになっている
先生は本当に人格者ばかりで
常に平常心で
強く優しい
そもそもゆるゆるな学校なのだけれど
単位だけは
お国のあれこれで
一番真面目にやってきた学校なのに
やたらに
風当たりが厳しいみたい
いい加減に
子供を卒業させている学校
さほど勉強もしないで
卒業している子供は
多く存在しているというのにね
旅行先では
拠点となる大きな施設があり
みなさんは
そこで寝泊まりなのだけれど
年々内容が
厳しくなっている
わたしたち親子は
近くのホテルに泊まる
そこから毎日
タクシーで移動
とにかく病院が近くにない
しかも外はマイナス30℃にまで
なるらしく
何メートルも雪が積もっていて
室内は半袖でも良いくらいに
あたたかいそうで
この気温差と雪が
未経験だから
親子で危険すぎるのではが
一番の悩み
次男のドクターが
診断書
外出禁止の意見書を
書いてくださるそうだけれど
最近の次男の体調の悪さでは
中止になるかもしれない
単位より命が大事
まずは飛行機に
乗れるのかというところから始まり
食事は残しても大丈夫なのか
運動は
外出禁止で単位をもらえるのか
病院が近くにない 特にこれ
ということを
どのようにしたらよいものかと
考えている
次男だけでなく
わたしも
病院が近くにないとなると
非常に困る
本当に何もないところ
なんだよね
いったいどうしたらよいものか
学校へは
食事は食べられなくても
大丈夫ですか?
心臓疾患があるお子さんは
体育はどうされているのですか?と
質問してみた
食事については
朝食はホテルだから
特に問題はない
昼食はだいたいお弁当か
家庭科で作った食事なので
こっそり持ち帰ればいいかな
夕食は
みんなで給食みたいな
スタイルなのだけれど
別室で食べたり
食べていなかったり
コンビニで買って食べたり
カロリー☆イトしか食べていない
お子さんもいるから
大丈夫かなと
思う
そうそう入浴なのだけれど
息子は男性だから
温泉となると
当たり前だけれど
旦那も長男もいないと
別々に入らなくてはいけなくて
倒れてもわからない
嫌がるから前回の夏は
部屋のお風呂に
したのだけれど
今回泊まる場所が違うみたいだから
部屋のお風呂がないかも
部屋のお風呂があっても
わたしだけ温泉に行くと
部屋の電気が消えてしまうから
帰ってきたらトントン
お母さんですよ
オオカミじゃないよ?を
やらなくてはいけなかったんだよね
その点
他の女の子のお母さんたちは
一緒に温泉に入っていて
問題なかった
ご両親で近くに泊まっているひとも
いたけれど
後半子供の人数が減っていて
わたしが知るかぎりでは
食事が耐えられなかったひとや
旅行が耐えられなくて
体調が悪くなったひと
途中でご両親と帰ったひと
他の旅行客に
ひどいことを言われたひと
なんかもいたみたい
見た目が普通で
どちらかというと賢いから
しっかりしているように見えて
実はいっぱいいっぱいで
一生懸命頑張っていることを
学校以外のひとは
理解しないんだよね
運動については
想像以上のハードな運動をしていて
心臓疾患があるひとも
単位がとれないと
これは違う問題になってくるので
学校が確認してくださるそう
お勉強は楽しくしてあるけれど
難しい問題も多くあるから
教えるわたしもげっそり
前回は先輩ママさん達と
何もしていないのに顔がパンパン
蕁麻疹も出たと
お互い労い大笑いしたのだけれど
今回は先輩ママさん達が卒業したので
心細い
旅行は好きだけれどね
楽しいところに行きたいな
次男が旅行は無理になれば
キャンセルして
体調がよくなってから
高認に変更しようかとも考えている
となるとなかなか
わたしが教えただけでは
合格が難しいかな
体が弱くても
次男が希望するように
大学に行かせてあげたい
そのためには
何が必要かなといつも考える
卒業式帰宅から
何か誰かに言われでもしたのか
様子がおかしい長男
この一年で
人相も変わってしまった
長男がいつものように
わたしを毛嫌いした様子で
部屋を歩いていたのだけれど
時折
バンと勢いよく
自分の部屋のドアを閉めて
怒りを表現するものだから
危ないなと
思っていた
長男が
夜中に帰宅して
食べるものを探していたので
わたしが
寝ぼけまなこで
夕食を用意しようとしたら
起こしてわるいなと思ったのか
怒った様子で
逃げるように走って行った
いつもなら
用意だけして
キッチンに置いておくのだけれど
部屋まで持って行き
あたたかい夕食を置いた
しばらくして
バンという音と
その後
がっしゃんと
ひどく大きな音がしたので
誰か倒れたのではないかと
見に行ったら
廊下で
食器やガラスコップが
無惨に砕けちり
ごはんやおかずが
べったりと散乱していた
廊下だけでなく
お手洗いや
閉めてあった長男の部屋まで
小さく粉々になった食器やガラスの
破片や
飲み物が流れ
飛び散っていて
衝撃の大きさがわかるほど
だった
おそらく長男は
夕食がいらないからと
廊下の高いところに
置いて
怒りに任せてドアを閉めた勢いで
夕食が落ちたのだろうと思う
危ないから近寄らないようにと
言って
床を雑巾でふきながら
破片をひとつひとつ
つまんで
片付けたのだけれど
きりがないほどに
広範囲に散乱していて
掃除機で仕上げをするまで
一時間くらい
かかった
大きな音から片付けまで
旦那はわざと
一度も顔も見せず
来ることも手伝うこともなかった
いつもの無視&放置
さて
長男を諭すとするかな
かわりに割れてくれた
お気に入りの食器たちのためにもと
気を取り直す
まずは
まだ破片が残っているかも
しれないから
気を付けるように
伝えた
腹が立ったり
気に入らなかったりしても
家族を傷つけるようなことを
してはいけない
家族がケガをして
後悔しても遅い
わたしに対して
腹立たしかったり
気に入らなかったりしたなら
わたしに
言葉で静かに伝えなさいと
伝えた
長男は何も言わなかった
まさに
次男が
いけないことはいけないと
びじっと叱らなければ
ママがケガをしてからでは
遅いよと
言ったとおりになった
マットにも
破片があったので
片付けをして
足の裏の破片を洗いたいので
お風呂に入ってから
わたしも長男と同じ頃
食器を割ったことを思い出した
あの時母が
わたしが食事中に口うるさく
言ってくるので
もういいと言って
お茶碗を置いたら
真っ二つに割れたんだよね
わたしはあの時
どうしてもらいたかったかなと
考えてみたのだけれど
わからなくなった
そしてお風呂でひとり
情けなくなった
わたしはやはり
長男が怖くて
逃げているのかな
信頼していることが
伝わってないのかな
しばらくそっとしていたけれど
本当は
叱って欲しかったのかな
考えてみたけれど
本人に聞いてみないと
わからなくて
わたしを嫌がっているからと
距離をおきすぎたのかなとも
思った
どちらにしても
わたしに足りないものがあって
このような結果に
なっていると思う
息子が生きていてくれたら
それで十分なのだけれどね
急に涼しくなりましたが
みなさまいかがお過ごしでしょうか
喘息のかたにとっては
負担の大きい季節になりましたね
台風の接近はもちろんのこと
気圧の変化
気温の変化で
あっという間に
ぜーぜーひゅーひゅーと
息苦しい発作がやってきます
この季節
物悲しいうえに
度々の発作で
急に楽になったと思えば
苦しくて涙が出たり
いつもならできそうなことが
できなくなったりと
さまざまな変化があります
無理をしたり
うっかりしたりで
悪化することもしばしば
眠れない夜は
季節と
一緒に呼吸しているような
わたしも自然の一部のような
奇妙な感覚になります
大きな発作を経験すると
呼吸ができなくなる恐怖で
怖くなるのですが
しばらくすると
怖さを忘れて
吸入をサボるようになりますよね 汗
まだこれくらい大丈夫と
息苦しさのまま眠っていて
ひどい状態で目が覚めても
吸入しているから
このままよくなるでしょうと
案外放置して
しまいがちですよね
なんだかだるいようなと
思って
パルスオキシメーターを見ると
なんだこの数字は
なんだかだるいようなじゃななくて
息苦しい じゃないのと
気づいたりします
普段知らないうちに
低酸素に慣れてしまい
苦しさに気がつかなくなるのです
息子なんて
90きっても
おしゃべりしていましたから
本当は
早めに救急車を
呼びたいところ
ひどくなるのはだいたい夜中
夜中となると
これくらいなら大丈夫かなと
悩むところです
息子ならね
すぐに連れて行くのですが
迷っているうちに
発作どめに手が届かなくて
亡くなるひとが
多いみたいですので
枕の横あたりに
発作どめを置いておきましょう
わたしみたいに
寝相が悪くて
あれ?発作どめどこいった?に
ならないように
ベッドに小物入れを置いておき
夜中にひゅうひゅうひゃ!と座った時
どうしても苦しくて座りますよね
その時
すぐに発作どめが見つかるように
工夫が必要です
洗面台まで行っていたら
歩けなくて
間に合わないことがあるので
枕の横
いつものバッグ
洗面台の
3ヶ所にあれば安心です
あまり我慢しない
というのが
喘息とうまく付き合うコツ
なのかもしれませんけれど
悩むところですね
卒業式に参加したら
オーケストラは
ミスタッチが一度くらいで
かなり優秀
ブラボーだったのだけれど
周りが英語だらけで
もこもこしてきた
わたしも英語がペラペラになりたい
というもこもこ 笑
留学生が多くいたということもあり
お母さん達がペラペラ
なんだよね
時々日本語もまじり
壇上で話しているひとより
お母さん達の方が
流暢な英語だった
すごいなー
息子が
お母さんバカでしょ
と言って
わたしが
生きるには
生きる力が必要なのと
答えたことがあったわ
なるほどこういう環境なら
両親が
語学力も経済力も
最優秀じゃないからと
息子が自信を失うきっかけに
なっても
仕方がないかと
思った
ごめん息子よ
だいたい
ひとは自分にないものを夢みて
自分がもしそうだったらと
思うもので
そのひとの反対立場のひともまた
自分にないものを夢みて
自分がもしそうだったらと思う
そして人生を振り返り
他のやり方はなかったのか
違う人生はなかったのか
なんて
みんな思うものなんだよね
わたしも
Googleにない英語ができたら
息子を助けられたのにって
思うもの
だけれども
自分の戦うべき相手は
弱い自分
自分自身なんだよ
誰かに勝つなど
いくらでも欲が出て来て
終わりはない
満足感もない
誰かをバカにするのも
意味がないことで
志を決めたら
努力 精進するだけ
弱い自分と戦いながら
自分に勝ち
狸のしっぽみたいにさ
大きく最後は心を大成する
息子の言う
バカでも貧乏でも
そんなことなど どうでもいいこと
なのだけれどねと
思いながら
わたしもペラペラになりたい
よし
今日から眠っていた英語教材スタートだ!と
思った
三日坊主な気が
十分にするけれども
そんなわけで
スーツはあきらめて
冬よりなスーツを着ることにした
靴を探したらなくて
靴だけは
慌ててリサイクルショップで
購入したのだけれど
サイズが大きくて
100均でジェルタイプの詰め物を
つめてOKなはずが
試着した時に
かなり足がむくんでいたらしく
卒業式当日
スリッパみたいになってしまった
電車や階段がキツくて
足が痛くて
咳も止まらなくなり
スーツがとにかく暑くて
気分が悪くなり
汗が
びっくりするほどに出た
会場に到着してから
ふらふらとお手洗いに行って
鏡を見たら
顔が赤いまだら模様になっていて
見たこともない丸い汗がびっしり
ポタポタと落ちた
足がびりびりとしびれていて
髪が汗でぬれ
ひとり
滝にうたれたような姿になっている
なにこの姿は
大丈夫なの?自分?と
焦った
あげく急にお腹が痛くなり
おなかをこわして
さらに
プールにスーツのままダイブでもしたような
姿になっていった
笑顔 笑顔
おめでたい日だよ
体調が悪くなって倒れたら
せっかくのお式が
台無しになるからねと
思った
次男の卒業式は
ラフな服装で移動も楽だから
大丈夫かな
それにしても
そのおめでたい日の東京は暑かった
海外と同じ時期に
卒業になるとは思わず
どちらかというと冬よりの
卒業式スーツしか
持っていなかったわたし
息子に卒業祝いを渡したい
リサイクルショップで
スーツを買いたいと
旦那に話しても
いつもながら無視されるだけで
びた一文出す様子がない
今までは
そうなると
父が出してくれていたのだけれど
高齢で
頼るわけにはいかない
という変化に
旦那が対応できていないのか
無視していれば
誰かがやるとでも思っているのか
卒業前の
大事な時に
旦那にキレられると
やっかいなことになる
どうしよう
とにかく
お金が必要であることを
伝えなければ
一万円貸して!
これで
いいよと笑顔で出してもらった経験がある
なぜ貸してで
出してくれて
必要なもので
出してくれないのか
意外すぎてわからない
左手を出して
右手をお金マークにして
オチャメな笑顔で
マネープリーズは
どうかな
成功率が低かった
わたしが普通に
お祝いしたいからいくら出して
とか
スーツが買いたいからいくらちょうだい
などと
言えていないのかな
いや
言っている
断られるのが怖くなっている
一回断られたら
出さないから
旦那に
卒業祝いは
ママが用意して払えばいいよと
言われた
もしもし?
わたし
収入が
ほぼないに近いのですけれど
生活費も医療費も足りないのに 涙
旦那がびた一文出さないとは
そうだろうとは思ったけれども 涙
まいどのことながら
つらくなる
結婚してからずっと
いつもお金のことがうまくいかない
長男が
成績で代表に選ばれて
自信になったということも
あったと思うのだけれど
一年ぶりに
卒業式で
長男の嬉しそうな顔が
見られて
おめでとうと言いながら
わたしは嬉しくて
嬉しくて嬉しくて
長男の一年ぶりの笑顔に
舞い上がってしまい
ほぼ一年ぶりに
お酒を飲み 乾杯
すべてのひとに感謝
結果だけではなく
劣悪な家庭環境のなか
長男はよく頑張ったと思う
毎日毎日良い環境を
与えてあげたいと
悩むばかりでうまくいかずに
ごめんね
卒業おめでとう
しばらくのんびりして
得意な分野で
やりたいことを見つけて欲しい
応援しています
苦しみは
乗り越えれば喜びになる
乗り越えなければ
苦しみのままだわと
改めて実感した日だった
遠回りしたことで
見えた景色に感謝
卒業は
こんなに喜ばしいことなのだと
知った
卒業が難しい
というハイレベルな立場に
なったことがなかったものだから
うちだけではなく
全体がかなり盛り上がっていて
みなさん
紆余曲折があり
この喜びの日を
迎えているのだわ
みなさん
それぞれ
ここまでくるには
ご苦労があって
簡単にこられたわけではないと
知った
みなさん
おめでとう
そして
社会で活躍してくださいね
ご家族のかた
お疲れ様でした
死にたいくらいに辛いと
思いつめていた長男の
部屋のものが
すっかりなくなって
まさか死を考えているのでは?と
心配した
という記事を書きましたが
片付けをしていたら
すべて
リサイクルショップに
売りに行ったと
わかりました
合格が取り消しになり
なんとかティーチャーも
やめることになった
ということもあるのか
バイト代が減ったので
微々たるお金に変えたようです
わたしが高く売るのにと
心のなかで
思いましたが
ひとりでやりたかったのだろうと
思いそっとしています
この一年
長男が
死にたい死にたいと言って
様子がおかしかったので
本当に心配しました
わたしにできることは
すべてやったと思います
以前
長男がわたしに腹をたてて
出ていけ 帰ってくるな 死ねと
叫んだこともありました
その時
目の前で知らん顔をする旦那を見て
上等だと
ぷち家出を
わたしは考えたのですが
病気療養中の次男を
見捨てることになるので
買い物に行ってくるねと
家を出て
気持ちを整理してから
帰ったこともありました
ここに書いていないことも
多くありましたが
思わず書いてしまった記事については
読書のかたに
ご心配をおかけしたと思います
ひとまず
部屋の件は
解決しました
ご心配をおかけして
すみませんでした
そして
ありがとうございました
大事なことを聞きたくても
長男が返事をしてくれないので
わたしが操作しながら
嫌々の旦那に質問させてみたら
長男が驚いたのかあっさりと返事をした
その後旦那は
自信を持ったようで
わたしが長男に先に話してみて
無視されたことを
わたしに操作されながら
部屋に行って聞いてくるようになった
わたしから旦那には
聞いてくるだけで
その後のややこしいことは
すべてわたしが責任を持って
やるから
長男の返事に対しては
はいだけで
良いも悪いも言わないでくれ
長男は苦しんでいるのだからねと
きつく話しておいたので
はい
だけにして
聞いてくる
それでなぜか
旦那と長男が
良い感じになって
切腹覚悟で
すべての責任をおい
時に悪役にもなり
愛をもって頑張ってきたわたしが
疎外
旦那がいいとこどりと
なった
どちらにも
返事をしないよりは
まぁ
良かったけれど
このままでは
離婚したら長男が旦那の方に
行ってしまう可能性が大きい
わたしがいない状態では
旦那が何もできないことを
次男は知っていて
長男は知らず
次男は99%
わたしについてくるでしょうけれど
(旦那にとられなければね)
急にわたしを
毛嫌いするようになった長男は
旦那に
ひどい虐待をされたことも忘れて
旦那のところへ行ってしまうだろうと
想像できて
怖くなった
せめて長男と
普通に話せるように
なりたいな 涙
最近
旦那が昇進しないで
仕事だけやたらに増えているので
不思議に思っていたのだけれど
なんと
昇進を断っていると
わかった
これから
奨学金や学資ローンを
返済しなくてはいけない
というのに
なぜそのようなことを?
次男が旦那を
2番手タイプだよねと
言っていたのだけれど
2番手タイプとさらに
自分は
責任をとりたくないひとなのだと
目の前で
旦那が堂々と話している
家族を持つとさ
責任をとらされた時に
困るじゃない
だから昇進しないと
話している
旦那が話しているのは
珍しいので
でも
それだけ忙しいのは
昇進を断るから起きていること
昇進したらお給料が上がるじゃないと
答えてみた
それは家族を守る
ということにはならないのかしらね
切腹覚悟で
行動しているわたしとは
正反対なのねと
思った
でもまてよ
責任をとりたくないって
よく考えてみたら
家庭でもじゃない
なんだか驚いた
卒業までに
クリーニングが間に合いそうに
なかったので
息子のスーツにファブリーズをして
日陰干し
良かった良かったと
思いながら
スチームアイロンをあてた
それから
Yシャツとネクタイ
ベルトを用意して
お守りくださいねと言いながら
靴をぴかぴかになるまで磨き
ハンカチとティッシュ
メッセージを書いたお祝いを
勉強机に置いた
ひとつ ひとつ
丁寧に
準備した
ここに
母である
わたしの思いあり
タピオカ好きな次男が
少しでも口に入れてくれるように
ふたりでタピオカを飲むことが
多いのだけれど
次男がごんちゃをイチオシするので
ふたりでお買い物ついでに
行ってみた
一杯のお茶にかける情熱
というものは
お店によってこんなに違うものかと
感激
この香り
味わい
狭いスペースに長蛇の列
お茶はひとを癒してくれるもの
だから
流行り廃りはあるけれど
常に
求められている味を
追及しながら
提供しているなんて
原価はおそらく安いはずだけれど
狭いスペースだからこそ
効率よく動いているスタッフと
スタッフの人数にも
驚いた
このスペース
いったいいくらで借りているのかな
パンケーキと
大型スーパーの経営に
やたら興味を持っていた
次男とわたし
だったけれど
お茶
という分野に
これまた
興味を持ってしまった
次男とわたしだった
それにしても
楽しかった
わびさびの茶道の世界は
茶道の先生である母のイメージがあるので
あまり好きになれなかったけれど
お茶の時間は
おしゃべりと癒しの時間で
素敵な時間なのだわ
次男のおかげで
多くの大切なことを知ったと思う
ありがとう
次男がやせてしまい
入院するかしないか
というところで
あれこれやっているのだけれど
わたしからは
入院して
治療してみたいのなら
それでいいけれど
入院しないで
自宅でなんとかしたいなら
今よりも
食べていかないとね
体が悪くなるからと
話している
次男は
入院は嫌で
自宅でなんとかしたいらしいので
ならば
ふたりで
食べられそうなものを探して
毎日の
積み重ねで
やっていくしかないねと
話し合っている
入院は最低で2ヶ月と
言われている
ドクターは
すぐに紹介状を書いてくださるそうで
食事も投薬も
自宅とは違い
厳しいものになると
想像できる
ならば母と子で
できるだけ
やってみるしかない
旦那が出張の日は
わたしの心配がないからなのかな
次男に笑顔が多く
嬉しそうに食べている
旦那がいないだけで
こんなに違うのだわと
思う
電話故障で
電話会社や
修理会社からの連絡待ちだったのだけれど
一週間以上
パタと連絡がなくなった
毎日
スマホから固定電話に
電話をかけて
やはり故障していると
確認していたこのごろ
今日いつものように
電話をかけてみたら
普通に使えるようになっている
あれ?
いつの間に修理完了?
マンションのお庭に
管理人さんがちょうどいらっしゃったので
声をかけてみると
しばらくわたしから
次の修理日について連絡がないから
どうなったかなと
心配してくださっていた
とのこと
一週間以上も
連絡をしてこないだなんて
失礼だなと
おっしゃった
確かに
修理のひとからは毎日のように
連絡があったのに
パタとしてこないだなんて
失礼なのだけれど
原因がわからずに放置されたのかなと
思っていた
管理人さんに
今
電話が直っていたのですが
今日誰がいらっしゃいましたか?と
聞いてみたのだけれど
誰も
マンションに修理にきていないとのこと
雷で停電した
ということもなかったそうで
今まで
勝手に直っていたぞシリーズを
思い出してみると
シャワーや水栓は
勝手に直っていて
老朽化してきているくらい
自転車のパンクは
これまたある日
ペっちゃんこからパンパンに
勝手に直っていて
しばらくしてまたパンクした
その後
自転車の鍵がなくなってしまい
乗れなくなった
車のトランクも
勝手に直っていて
車検に出したらまた故障している
他にもあったかしら?
それにしても電話が
あれだけ故障原因がわからなくて
みなさん困っていたのに
勝手に直るのかな?
なぜなぜ?
わたしが
ちょっとばかり
時にかなり
男性を
冷やかな目で見たり
ばかにするようになったのは
物心ついてからで
おそらく
そうなった
本当のきっかけは
わたしが赤ん坊で生まれた時
男の子が欲しかったと
両親や祖母
散々周りから言われたことに
さかのぼる
幼いわたしは
跡継ぎができたと
思ったのに
女の子ですよと言われて
がっかりしたと
母から聞かされた
だけれどわたしは
女性に生まれて良かったと
思っていた
父親には
もも姫様と可愛がられてきた
親族や近所のひとたちには
お花が咲いたよう
かわいらしいと
言われていたから
ただ単純に女の子でよかったと
思えたのだと思う
だけれど
男の子なら良かったのに
という母親の言葉は
生まなければ良かった
に聞こえて
実際に
生まなければ良かったと
言われた経験も
あるのだけれど
男性を冷やかな目でみて
ばかにするようになる
きっかけになった
大きくなってから
心理の本か何かに
男の子が欲しかったと
育てられた女性は
男性をばかにすると
書いてあるのを読んで
なるほどと理解した
田舎だけれど
その後
とてつもなくもてる
というわたしの人生で
母には
汚らわしいなどと言われて
特をした
良かったことなど
何もなかった
基本的にわたしは自信がないから
上から男性を
見ているわけではない
旦那と出会うまでは
わたしのことを
無条件で愛してくれる男性と
出会うことができて
わがままをかわいいと
思ってくれ
もも姫様のためなら
死んでもかまわない
という男性と
お付き合いすることもできた
そのひとたちに
今は全く気持ちはない
若くて成長過程だったとはいえ
迷惑をかけてしまったわと
思う
もう恋をすることは
おそらくないのでしょうけれど
ひょっとしたらあるのかな
わたしにとって
男性とはなんだったのだろうと
思う
なにごとも
もっと丁寧に
やっていかなければいけない
進学や就活で
親を困らせていたわたし
長男が
同じ歳のころになると
わたしに似ていて
さすがわたしの息子ねと
思う
因果応報というのか
反省したり
なぜ親は
あのようなやり方しかできなかったのかと
残念に思ったりしながら
わたしなりに
どうしてもらいたかったかなと
考えながら親になっている
わたしは運良く
教授推薦で
就職が決まったのだけれど
今の世の中
そんな簡単にはいかないみたいね
わたしは
以前書いたように
親に結婚を反対されて
監禁されたあげく
仕事をやめさせられた
という過去がある
母は自分が男の子を産めなかったからだと
泣いて騒ぎ
あげくに体調を悪くして
わたしが通院の付き添いをしていた
一番悲しい思いをしたのは
わたしなのに
理解してくれたのは
姉と母方の祖母だけだった
しばらくして
おおめしぐらいの
ただめしぐらいと
母に言われ始めて
姉が
仕事をやめさせたのは
お母さんでしょうにと
注意してくれたのだけれど
母は聞いてもいなかった
わたしは母が嫌いだった
いったいわたしは
どうしてあんなに
自由を奪われていたのか
親という呪縛から
離れられなかったのか
その後
自分で仕事を見つけてきて
働き始めたわたしに
母は満足した様子で
次はいつものように
恋愛について見張るようになった
1日でもはやく
家を出たかった
子供を愛して大切に思うあまり
心配になる
心配になると
口うるさくなる
余計なことも言うようになる
子供としては
愛情があるから心配して
うるさくしているんだなと
わかってはいるのだけれど
子供が
ある程度大きくなった時
親からしてみれば
気づかないうちに
子供を信頼していないような
言動をしている
信頼しているからと
言いながらね
だから信頼しているなら
少しずつ
信頼している風に
態度を変えていかなければ
子供は認めてくれないストレスを
抱えることになる
子供が幼い頃は
許されないことを
厳しさで教えることが
案外できていても
ある程度大きくなると
どこまで厳しくしていいのか
わからなくなるよね
厳しくというのは
怒鳴る 叩く 責める
ということではなく
諭す
ということ
家庭には
バランスよく
優しく受けとめるひと
信頼してくれるひと
ぶれずに厳しく諭すひとが
必要になってくる
きっとこの3つくらいが
子育てに必要なんじゃないのかな
これは
ひとりでやろうとすると
多重人格みたいになるから
子育ては
さまざまなひとの知恵を
うまく取り入れて
協力してもらいながらじゃないとね
なかなか難しい
世の中には
受け取るべきものと
受け取らなくて良いものがある
なんでもかんでも
受け取って
自分のなかに入れて
悩んだり苦しんだりしていると
自分を守れなくなり
パンクしてしまうじゃない?
例えば
ひとから
悪口を言われていたとする
悪口はできれば
言われたくないけれど
悪口を言わないひとは
本当に少ない
わたしの周りには
悪口を言わないひとが
結構いるかな
悪口ばかり言うひとは
話すことで発散しているのかも
しれないけれど
言われた方は
傷つくよね
でもこれは
受け取らなくて良いもの
悪く言われている内容に
心当たりがある場合は
反省すればよいから
これは
受け取るべきものに
ちょこっと入れておく
優しい気持ちで
なんでもかんでも
受け取ると
大変なことになる
受け取らなくていいと
気持ちを切り替え
心穏やかに
好きなことをしたり
やりたいことをしたり
した方が
時間の使い方としても
きっといいよね
自分が悩んでいる時は
相談相手を
探して
心を開いていく
ということが
必要になってくるのだけれど
相談相手を
間違えたり
相談しない方が良かったと
後悔することもあるはず
信頼できる
心のレベルの高いひと
というのは
一筋縄では見つからないもので
違う違う
違う違う
なんか違うを
繰り返して
見つかる
何回か
泣くような嫌な思いをしても
諦めないで
共に生きていくべき
尊敬できるひとを
見つけられるといいな
長い時間をかけたとしても
わたしの経験上
信頼できるひとは
必ず何人かは存在すると
思うから
これはね
話しやすさ
ということではなく
目標とできるひとを
探すべきだと思う
解決するのは自分
なので
そこは忘れないように
知恵をいただく
という意味でね
見つけていけたらいいな
志を決めて
努力 精進する
そのなかで
必ず喜びや苦しみはやってくる
苦しみは嫌だなと
思っても
喜びと苦しみは
波のようにやってくる
というのが
世の常
実は
苦しみはいずれ
乗り越えれば
喜びに変わる
必ず良い結果に繋がっていると
信じることが
できたら
勇気もわいてくる
というもので
家でひとりでいたら
何もないのか
といったら
生きているかぎり
喜びや苦しみは
波のようにやってくる
もうやめてよ
ってくらいにね
平等にやってくる
一切皆苦
すべて苦しみであるという
仏教の言葉があるけれど
わたしには
難しくてよくわからないものの
気持ちをざわつかせることと
考えてみると
喜びも
すべて苦しみであると
いえるのだと思う
ならば
喜びは苦しみであり
苦しみは喜びである
ということになるよね
自分の気持ち
感情は
自分のなかから出てくるもので
相手が原因ではない
ということを知っているひとは
やたらに
ひとのせいにして
いつまでも醜い感情を持たない
誰かに
腹をたてていたり
誰かのせいでと
恨んでいたりすることが
あったとする
それは
誰かのせいではなく
実は
自分のなかから出ている感情で
怒り
というものを
自分がぬいぐるみみたいに
抱き抱えて
手放していないという状態
それって
客観的にみたら
なんだかとても醜い
相手は
両親 友人 職場のひと
まぁ
とにかく生きていれば
さまざまなひとだと
思うのだけれど
今この瞬間に
わたしを
苦しめていたり
危害をくわえたり
しているのかな?
というと
案外過去の出来事
だったりする
今この瞬間なら
自分を守るために動かなければ
いけないのだけれどね
今この瞬間に
何もされていないのなら
相手が悪いわけではない
過去の出来事を
怒り
だけにして
自分が抱き抱えて離さずに
生きて
自分で
自分を苦しめているというわけ
だから
怒りを手放してみたら
どうだろう
そもそもその怒りは
自分から出てきている
感情で
周りに暗いかげまで
落としている
やっかいなやつ
死ぬ時
怒りを抱き抱えたまま
醜い心のままで
死ぬのは
あまりに寂しい
ありがとう 感情
という美しい心でいたいもの
親がわたしを傷つけた
友人がわたしを傷つけた
うらぎられた
だからわたしは傷ついている
という過去が
どうしても許せなかったとして
解釈をかえてみる
という方法もある
解決は自分次第
自分に原因があることもある
歳を重ねれば
経験のなかで
解釈も違ってくるというもの
無理に許さなくてはいけないと
思ったり
見返してやる 負けないぞ
などと思ううちは
まだ
怒りが存在している
事情があったのでしょうね
くらいに考えてみる
いつまでも
自分を苦しめていたのは
自分で
相手ではなかったと気づいて
怒りを手放してみると
わたしは ぼくは
楽になれると思うんだよね
怒りって
いいところ
何もないから
自分が不甲斐ないとき
許せないとき
思うようにいかないとき
苦しんでいるとき
助けて欲しいときに
人間は
平然としていられるほど
強くはないよね
苦しい場面で
幸せを見つけることが
得意なわたしにも
弱々しく泣き出したくなる
ところは
もちろんある
それに
息子みたいに
心のなかに苦しさをためていると
吐き出したくなるもので
その
吐き出している時は
こちらから見ると
わたしが傷つくことや
腹立たしくなることを
言っているものだから
こちらはいちいち
傷ついたり
腹をたてたり
愛する息子の言っていることだからと
数日してケロリと忘れたり 笑
わたしのやり方が
悪かったのだろうか
反省すべきことは
あるよね
などと悩んだりすることになる
でもまてよ
よくよく愛する息子をみると
こちらに対して
嫌なことを
言っているのではなく
助けて欲しい
苦しいよと
言っているようにみえるじゃない!
息子の言葉は
苦しい息子が
なさけなくて
どうしようもない
息子自身に向けて言っている言葉
なんだよね
だから息子が
しばらく吐き出したり
蹴散らしたりしたら
うんうんと
落ち着いた様子で
わたしが受けとめて
長く休ませる
という
おおらかな気持ちになれば
すっと
解決していくものがあるに違いないの
家族が
騒げば騒ぐほど
息子が原因だと
疲れれば疲れるほど
みえなくなるものがある
それに
例えばだけれど
わたしが息子を責めるなどして
わたし自身が
安心できる居場所にならなければ
息子が
帰るところがどこにもなくなる
つまり
家族が
表面上のことばかりを
みていると
奥に隠れた
助けて欲しいを
家族なのに
見落としてしまう
受け入れてもらえて
エネルギーチャージできる場所は
せめて家庭
母親のわたしでありたいと
わたしは思う
大切なものを
失うという
自分にとって一番
悲しい結果にならないように
したい
平穏な気持ちで
そうなんだね
つらいよねと
受け入れればよいものを
近道させよう
はやく解決しようと
自分の価値観や
自分の悲しさばかりを
押し付けている家族は
悪化していく
遠回りが近道ということに
気づいていかなければ
いつまでも
望む平穏な日々など
やってこない
問題が起きた家族がいたら
本当の苦しさに気づいて
理解する努力をすれば
自分もまた
苦しさから解放されると
わたしは思う
母親の無償の愛は
尊いものだと思う
個人差はあるけれどね
わたしは
息子に八つ当たりされても
わたしのせいにされても
それで息子が前を向けるなら
こい !
と
思ってきた
息子が
いつかわたしの気持ちを
わかってくれても
わかってくれなくても
どちらでもいい
健康で生きてくれていたら
問題なし
母親が必要なくなるまで
死ぬ気で守る
うざい
めんどくせぇと
言われても
いつまでも心配する
子育ては本当に大変で
やっかいなことばかり
なのだけれど
どんなことがあっても
わたしにとって息子は
幸せそのものだと
思っている
今まで具体的に
家庭を壊す
ということを考えたことがなくて
いつも
なるようになるさと
思ってきた
わたしが病気になってからも
わたしが
ダメなときはダメだろうと
考えてきた
誰も傷つけないで
誰もが幸せになるなんて
なかなか想像できないじゃない?
わたしがやりたいこと
は
いろいろあるのだけれど
それらが
正しいか
正しくないか
なんて
誰にもわからない
とりあえずわたしは
常にチャレンジャーであり
失敗して挫けて
また頑張ってみる
家庭を壊す
ということは
安易にやるものではない
ということは
わかってきた
そんなこと
最初からわかっていてよ
なのだけれどね
別居をするにしても
しばらく療養しますや
カフェオープン
通学や通院に近いから
などという理由で
別々に暮らすということの方が
スムーズに行くのかも
通学に近いからと
旦那さんと別居しているひとが
ママ友達にいるのだけれど
相当お金がかかると
話していた
そもそも旦那に
離婚 別居というワードを出しただけで
どうなるかわからない
ああ 俺の方がしたいさ!と
対抗して言いそうな予感は
十分する
お付き合いを始めてから
今まで
旦那から別れたいと
言われたことは一度もなく
きっと
そういうことは
旦那からは
言わないひと
だと思う
浮気もしないしね
浮気したからといって
それを理由に騒ぐことは
避けたいけれど
旦那は
結婚する前から長い間
全く変わらないひと
肩書きもしっかりしていて
外面もよく
年収もあるから
旦那が
子供の親権が欲しい
となると
わたしがひとりで出ていく
という
何をしているんだか
意味のないことになる
社会的地位があり
おばかなひとではないので
収入のない
持病持ちのわたしは負ける
家庭を壊す
ということなのだから
誰かに離婚すればよいのにと
言われたから
離婚
というわけにはいかず
いや
それならあなたが
わたしと息子ふたり
一生面倒みてくれるわけ?と
なる
病気のわたしは
いつどうなるかわからない
長生きできるかどうかも
わからない
わたしがいなくなったら
旦那に息子達をお願いすることになる
だから
どうしていくべきか
悩む
それにしてもわたしが
すべてやるなんて
病院も歯医者さんも行かなくちゃ
様々な故障も直さなくちゃ
子供も看病しなくちゃ
学校も通院も付き添わなくちゃ
家事もしなくちゃ
内職もやらなくちゃ
貯金もしなくちゃ
なのだから
いくらわたしが
案外気丈じゃない?といっても
すべてできるわけがない
次男が
今まで
パパのそれらが通用していたこと自体が
ありえないことだけれど
助けてくれる親やひとは
いつまでもいないのだから
そこは
自分でやっていかないとね!と
言った
旦那より次男の方が
しっかりしている
電話修理は
いつもなら半日で終わっていたのに
今回まだ直っていなくて
何度も何度も対応して
どっぷり疲れた
用事で長距離
車に乗っていたのだけれど
エンプティランプが
ついていた
この状態で駐車場に停めると
義理実家で何かあった時や
次男やわたしが
夜間救急でお世話になる時に
困ると
知っているのにまた
パートナーが
エンプティランプのまま
停めている
ついにわたしの顔が
くちゃくちゃになった
どうにかしなくては
とにかく
わたしが
どうにかしなくてはと
思った
いつもこんな風にして
生きてきた
今朝の台風による
電車の運休は
汗だくで大変でしたね
お疲れ様でした
*****
家族に何かトラブルが起きると
命の危険があったり
病気であったりしても
十分時間のある旦那が
時に怒り
無視して知らん顔をするから
心配した誰かが
動いてくれて
わたしの父が支払いもしてくれて
旦那は自分でやったと思い込む
というパターンが
いつの間にか完成している
ずっとそれで
通用してきたのねと
次男の助言で
いまさらながら気づいた
やはり子供は
よく見ていると思う
まさか
不機嫌そうにして
誰かに解決してもらうまで待つ?
大人なのに?
できないならできないで
できない でも
わるいね でも
わからない でも
ひとこと言ってくれたら
先に進むことが
できるのに
いつも
わたしが旦那に話し始めると
怒るか キレるか
そうじゃない時は
俺は関係ないひとだ
になり
テレビを大きな音でつけたり
ゲームを始めたり
走って逃げたり
不機嫌そうに無視をしたり
おかしな表情をする
最近では
管理人さんが
旦那のかわりに
力強く動いてくださっている
自分が苦しいと感じるなら
そこから離れて
心休まる環境に身を置く
というのが
良いのだと思うけれど
離れることができないなら
数日
離れてみる
ということをしていかないと
心にまで
ぶつぶつが出てくるというもの
本当は
まずは子供ではなく
自分を助けないと
子供を助ける自分は
いなくなってしまい
結局は
自分も子供も助けられなくなる
でもやっぱり
ついつい
自分は後回しに
してしまう
母親だからなのか
面倒くさがりだからなのか
自分はいいよね?と
後回しにしてしまう
わたしには
ストーカー被害の経験と
刺されかけた経験が
ある
というのは以前書いたのだけれど
それとは別に
旦那の仕事関係で
旦那が恨みを持たれた
ということが数年前にあって
相手のひとは
わたしの知らない
旦那と同じ職場だったひとで
詳しくは書けないけれど
精神疾患が治療できずに
ひきこもり
被害妄想がふくれあがっていて
大変に危険な状態だった
相手から
電話があった時も
もも宅に凸された時も
旦那はまるで
わたしと息子を守ってくれなくて
警察と会社に話をしてきて欲しいと
わたしがお願いしても
旦那は無視
息子のドクターに言われて初めて
しぶしぶ旦那は
警察と会社に事情を説明した
警察は
すぐに動いてくださり
とにかく危険なので
私たちは接触しないようにして
警察が
相手のひとに
近所の通報ということで
声をかけてくださる
ことになった
会社から相手のご家族にも
連絡をしてくださった
奥様も
どうしようもない状態で
苦労されているらしかった
相手の奇妙な電話の様子から
これは話が通じるひとではないと
わたしはわかっていた
旦那が相手の訪問に
出ていこうとしていたので
被害妄想と逆恨みで
何をするかわからない
刃物を持っているかもしれないからと
わたしが止めたら
旦那は危険予知ができないのか
ぴんときていなかった
ふたりの息子や
わたしが
外出する 登校する時に
危険がおよぶ可能性を考えて
なるべくひとりにならないように
付き添いなどの
予防を考えていたのだけれど
旦那はまた
知らん顔をして
全く協力してくれなかった
しばらくして
大量の刃物が
旦那宛に
送られてくることになっていて
オンラインのショップさんから
この数はおかしいと
確認の電話があり
キャンセルしていただいた
旦那はこの件も
無関係なひとという態度だった
旦那が突然
それが相手
精神疾患らしいよと
初めて聞いたように話していたから
幻覚や被害妄想の
可能性があるから慎重にと
わたしから旦那に話したのだけれど
息子が通院しているというのに
精神疾患について
何ひとつ知らなくて
わたしが今まで話したことを
旦那はまるで聞いて学んでこなかったのだと
わかり
がく然とした
家族が病気になると
否が応でも
病気に詳しくなると思うのに
わたしは独身の時
盗聴された経験があるので
再三の電話故障に
盗聴の可能性を
修理のひとに聞いてみたのだけれど
まずない
とのこと
まさか
だよね
修理のひとが
長い棒の機械を持って
もも宅を
ピピピピピピピピ
ガガガガとやっていたので
一応の盗聴検査?と
聞いてみたのだけれど
違うものを探している
とのこと
以前盗聴された時は
電話会社から盗聴だと言われて
旧式の盗聴機だったから
というのと
知るはずのない情報が
友人にもれていたからわかったのだけれど
これだけ故障すると
最近の盗聴機は高性能で
見た目ではわからないのではないか
ペン型なんて
あるらしいから
どこかに設置されていて
まてまて
今どき盗聴したいなら
スマホをハッキングするよね?と
思いつつも
気持ちが悪い
以前ここに書いたけれど
尾行されたこともあるから
なおさら
気持ちが悪い
もし盗聴なら
わたしではなく
イケメン長男を盗聴したいのでは
という
可能性もある
次男は
病気療養中で
ストーカーの可能性はないから
長男かな
旦那の仕事関係の
可能性はないのかな
などと
あったものを
丸ごと持って行ったひとが
盗聴に関係していたのでは?を
想定しての
あれこれを考えてみた
そのうち
原因がわかるでしょうから
待っていれば良いのだけれど
盗聴なんて
ハリウッド映画の
見すぎかもしれない
わたしを盗聴しても
次男に冗談を言ったり
たまに歌を歌っていたり
ひどい咳を繰り返したり
くらいで
あまり特なことはないよね?と
思うから
盗聴されていても
困ることもないのだけれど
電話が故障して
原因がわからず
いまだ直らない状況で
日々
やっかいなことになっている
もも宅
緊急連絡があるところから
連絡しておかねばと
一気に
スマホの電話番号の
連絡をした
最近いろいろなところに
電話したのだけれど
電話応対の差に
改めて驚いた
電話会社は態度が微妙
電話機会社は完璧マニュアルどおり
歯医者さんは
予約しようとしたら
お世話になっていた外来が
名前変更になっていたようで
診察券があるのに
病院を間違えて
おかしなことを言っている患者さん
みたいになった
詳しくは書けないので
学校と書くけれど
長男の学校は
受付の態度が激変して
良くなっていた
次男の学校は
誰が出ても完璧すぎる対応
見習うべきは次男の学校だと思う
何か相談しようと
電話をかけているひとに
とって
電話受付の態度は
ここでお世話になるべきか
という
最初の判断になる
大事なところ
だと思う
その後用事があるたびに
電話をしなくてはいけない
ということもあって
いくらそこで働くスタッフ
または先生やドクターに
お世話になるべき立派なひとが
存在していても
受付の態度で
不安になり
別を探すこともある
受付の態度が
上からや
イライラトゲトゲしていると
何か
困っていることがあり
電話をしていているわたしたちは
自分の考えていたイメージと
実際のそこの雰囲気が
違うのではないかと不安になる
クレームやいたずら電話
忙しい時間は
あるかもしれない
それはわたしも
接客していたからわかるけれど
電話応対するのなら
プロとして
声のトーンや話し方
質問に対する答え方や
謝りかたなど
勉強された方がいいと思う
そこにあったものがない
という話
電話修理が引き続き難航していて
まだ
直っていない
今回で
修理は5回目なのだけれど
4回目まで
壁のなかにあったであろう回線が
丸ごと消えているそうで
そこに機械をつけて
コンクリートや壁の
見えないところの問題を
チェックする予定が
できずに
見えるところはすべて見て
異常がなく
原因不明で仕切り直しに
なった
丸ごと消えた回線を
修理のひとふたりと
わたしで
あちらこちら探してみたものの
どこにもない
わたしが
設計図面を見直したかぎりでは
4回目まであったと
思われる場所にしか
探している回線はないと思われる
今までそこで
みなさん修理されていたから
間違いない
その回線は
移動できないもので
万が一他のところから
引っこ抜いたら
元通りにはできないものだそうで
さらに
他の会社をお願いして
修理の手伝いをしてもらうことに
なった
そこにあったものが
なくなっているなんて
普通に考えたら
1~4回目に来た修理のひとが
回線を
切り離したり
くっつけたりの作業をしていたから
くっつけているのではないの?と
話してみたのだけれど
奥の方を何度見ても
らしきものもないそうで
見てくださったかたは
ベテランさんで下請けでもないので
見落とし
という雰囲気もない
修理代表のひとは
てんばるばかり
もしそこを
根こそぎ持っていくひとが
いたとしたら
金目のものではないのだから
そのひとの利点が
想像できない
しかも壁のなかにあるものを
リスクをおかしてまで
持っていくかしら
わたしが
ほこりを吸い込んでしまうから
いい加減に
修理して欲しいのだけれど
どうして
うちだけ
こんなに何度も故障するのか
さらに
あったものがなくなっているのか
気持ち悪くて仕方がない
解約して修理を中止しようかとも
考えたのだけれど
見えないところが
腐食していた場合
発熱などすると家族が危険なので
最後までお願いしようと
思っている
久しぶりに
良いお知らせがあります
アカ☆ラの問題で
母子で苦しんでいましたが
息子は
心配かけまいとする気持ちと
ひとりで頑張りたい
親の力はかりたくない
という気持ちと
わたしを毛嫌いしている気持ち
のなかで
話をしてくれず
毎日毎日見守るしかなく
たまに
静かに説教をしながら
わたしと次男は
心配していたのですが
なんと
無事
卒業できることに
なりました 涙
さらに
詳しくは書けませんが
成績優秀者として代表に選ばれた
ということで
息子が話さないので
うまくいっていないのだろうかと
わたしは思い
焦る必要はないよと
無視をされながら
声をかけていたのですが
短期間で
よく頑張ったと思います
こんなに優秀なのに
今回
合格取り消しの結果になってしまい
研究内容もふくめて
なんとも
もったいなかったのですが
本人の希望どおり
無事卒業できるどころか
代表に選ばれている
というご報告が◯◯からあり
安心しました
女は度胸?で
わたしが◯◯に話し合いに出向いて
本当に良かったと
思います
息子の
やりたいであろう研究や
やっていることを見ていると
日本よりアメリカの方が
向いているのでは?と
考えたりもしますが
就活は
落ち着いてから
のんびりでよいかな
とはいえ本人は
焦り悩んでいると思いますが
得意な分野で
必要とされる場所が
必ずあると思うので
見つけていって欲しいと
思います
大きな問題が
ひとつ
好転したので
他も必ず好転すると信じて
なかなか難しいですが
頑張っていきたいと思います
大変ご心配を
おかけしました
何も言わない旦那のかわりに
大きく大きく
卒業おめでとうを
伝えたい
よく頑張ったねを
伝えたい
ですけれど
ここまでわたしが
嫌われてしまっては
今のところ難しいです
卒業おめでとう
よく頑張ったねと
嬉しいかぎりです
幸運と息子の努力に
感謝しています やった♪
電話修理が
あまりに難航していて
原因がわからずに
いるので
もも宅の
設計図面を見せていただこうと
管理人室に
入ったのだけれど
前回の電話機の湿疹どころか
大きな図面が高いところに
むき出しに
どっさり積み上げてあって
管理人さんが
バンバンと落としながら
取ってくださった時
うっかり
下でぽかんと待っていたわたしは
みごとに
ほこりのふわふわシャワーを
浴びてしまった
終わった
わたしの人生が終わったと
思った
入院した日も
こんなシャワーを
バッサリとかぶったものだから
なんて言えば
などと思いながら
図面をあーでもないこーでもないと
くまなく見てしまったわたし
ちょっとすみません
喘息なのでほこりがダメでして
一回外に出ますねと
なぜ言えなかったのか
電話修理の時もだけれど
すべての部屋の物を動かして
回線チェックをしていただいていて
かなりほこりが出て
あーでもないこーでもないと
やっていたのだけれど
なぜ
喘息なのでと
言えなかったのか
後で苦しくなるのは自分なのに
自分を残念に思う
もういい加減
修理を終わりにして欲しいけれど
なかなか難しい
なぜうちだけ
何度も故障して直らないのか
気持ち悪くて仕方がない
しばらくわたし
抗生物質の
治療をしていたのだけれど
一度
冷や汗が出て
体がだるくなり
気分が悪くなって寝込んだだけで
その後
体のなかの悪い細菌が
全部出て行きました
パンパカパーン
というかんじになって
おおげさかな
喘息も
楽になってきている
慣れなくて
空気を吸いすぎたほど
抗生物質は
長くは飲めないみたいだけれど
なんと今回
お腹がゆるくならないという
おまけまでついてきた
2種類目の
使える抗生物質に出会えたというわけ
祖母の結核もだけれど
抗生物質で救われた命は
多くあったと
思う
お薬の問題点もあるとは思う
1種類目より
2種類目の方が
体のだるさはあったけれど
わたしの場合は
飲み合わせで
貧血の治療をお休みしているから?
なのかもしれない
わたしのなかにいた
細菌は
なんだったのかな
いろいろな細菌に効くでしょうけれどと
気にはなるけれど
たんが少なくなり
ゲボゲボ ゲボゲボ
咳をしなくてもよくなり
たんをあまり吐かなくなり
ついでに
鼻もすっきりしてきて
助かった
それに
続けて女の子の日
だったのだけれど
みたことのない出血が
あって
いけないものが出た?ようで?
すっきりとした
母親とは不思議
子供の治療をすると
自分もしたような
わたしはいいような気持ちになる
わたしの体のことを
どうでもいいやと
後回しにしないで
しっかり見ていかないといけないなと
思った
腹式呼吸でも
胸式呼吸でも
なんでもないような
おかしな呼吸を
わたしはしていると
前々から
気づいていた
その呼吸をやると
ぜーぜー
ひゅーひゅーと
ドクターに
聞こえないのだけれど
鼻から普通に呼吸すると
腹式呼吸なのか
胸式呼吸なのかは意識していない
のだけれど
ぜーぜー
ひゅーひゅーが
ドクターに聞こえる
腹式呼吸を1
胸式呼吸を2
意識しない鼻から普通に呼吸を3
とすると
この第4の呼吸
みたいなものは
音楽を勉強してきたから
できるように
なったのか
長い間
気管の問題を放置してきたから
できるようになったのか
謎
診察時
第4の呼吸をすると
喘息は落ち着いているねと
ドクターに言われる
久々に
第3呼吸を試してみたら
ぜーぜーか
ひゅーひゅーしているねと
ドクターに言われる
第4の呼吸
いったいこれは何呼吸?
姉にもきいてみたけれど
わたしは小学生の頃
アレルギーの治療をしていないと
言っていた
耳鼻科や内科に
行っていたのは
知っているとのこと
わたしも
中耳炎で耳鼻科
腹痛などで内科に行っていた
記憶はある
当時住んでいた社宅は
実家より都会で
耳鼻科には
ひとりで行っていた
同じクラスの男の子に
吸入していた姿を笑われ
恥ずかしくなって
次の予約日に行かなかったら
頭ごなしに母に怒られた
という記憶もある アハハ
湿疹についても
内科の先生に
一度塗り薬をもらったのだけれど
害のないただの蕁麻疹
という印象だった
たびたび全身に出るその蕁麻疹を
母は
治療しなくても
しばらくしたらひくから
病院に行っても治らないと
話していて
痒くて眠れないでいると
姉がタオルで冷やしてくれた
わたしが食べたものを
内科の先生に
聞かれたと思うから
アレルギーのはなしは出ていたと
思う
それに
姉のはなしでは
わたしと同世代のひとに聞いたら
当時から
アレルギーの治療をしていた
と言っているらしく
治療していないのは
世代のせいでもなかった
わたしは
アレルギーや喘息のない
元気でかわいらしい姫様なのだ
という母の
病弱な子供は姉だ
というはなしに
姉とわたし さらに父も
惑わされていたのだと思う
姉こそ
健康なのだけれどね
長男は食物アレルギーがひどくて
除去食をしてきた
次男が
わたしと同じように
実家で湿疹が出た時は
わたしがすぐに
病院に連れていったのだけれど
田舎の病院は
若いひとは病気をしない
というような雰囲気があって
さらに小児科は
気楽に診察していると
わかった
実家で
次男の片方の手が
小さなグローブみたいになって
病院に連れていった時も
手がはれたくらいで
病院にきて
ぼっちゃんね
甘やかしていると
まわりのおばちゃんに言われて
ドクターも
虫さされのあともないねー
みたいなことだった
心臓に問題があった次男を
わたしと母は
とても心配して
病院に連れていったのだけれど
こちらの病院とは違い
そんなかんじで
次男とわたしの喘息に
的確に対応できる病院など
実家の近くにはない
いとこは喘息を
大阪で治療していたので
わたしとは
環境が違ったのだと思う
わたしが初めて
アナフィラキシーと喘息?で
入院した病院も
実家の近くにある老人病院だったから
わけがわからなくて
田舎で病気になるひとは
老人で
間に合わなければ死ぬ
というのが普通なのか
母が子供のころ
祖母は結核で自宅療養していて
お手伝いさんが
家事をしていたらしいから
母は
自宅で治せば
ぶつぶつくらい
という感覚だったのかなとも
思う
わたしがもし
小さな頃から
アレルギーや喘息の治療をしていたら
お薬も飲んでいるでしょうから
妊娠 出産も
健康なひととしては
できなかったでしょう
それを考えると
良かったような気がする
いや
麻酔で具合が悪くなったから
無謀だったが正しいのかな
うちの家族は全員
入院していない
というのが母の自慢だった
わたしが
帰省中に
実家で初めて入院した日
処置をする時
ドクターが喘息ですか?と
叫んでいたのだけれど
父も
処置後呼吸がうまくできるようになった
わたしも
喘息もアレルギーもないです
病気をしたこともない
健康体です!と
答えていた
母の態度も
わたしがリゾート施設にでも
行ったかのように
自分の具合の方が
死にかけたわたしより悪いとはなし
またまわりを
奇妙にさせ
姉とわたし 父が惑わされていた
環境や
母のそう思いたい
という気持ち
現実を直視できない
理解して解決しない
という気持ち
大変ねと
自分をねぎらってもらいたい
というような気持ちが
わけのわからない
結果に繋がっていたのではないかと
思う
母親は
どうもがいても
子供に影響を与える
だからわたしは
未熟ながら
母と同じようになりたくないので
現実を直視できるように
いつも気をつけている
お金のあるところには
妬みや欲で
どろどろとした人間がいて
お金に集まってくるひとに
正直なひとはいないよねと
想像する
でも現実は
きれいごとばかりでは
生きていけない
やたらに依存も
どうかしらと思うけれど
もっと誰かを頼りにして
というのか
わたしの場合
これは信用してになるのかな
生きていけたら
肩の重みみたいなものが
半分
軽くなるのかもしれないけれど
経験したことが
しばらくないから
とにかくひとりでやるしかないと
思う
どういうわけか最近
自分は何もできないような
気持ちになることが多くて
荷物ひとつが
重く感じる
この山積みに感じてしまう
問題は
長く暗いトンネルのように見えて
もうきっと
朝焼けのような姿で
夜があける前は
暗いから
暗くみえるだけだよ
選択肢は多くあり
柔軟に動いていけば
ひとはき
ひとはき
掃除して解決しているうちに
振り返ると
花が咲いていると
思う
のだけれど
何かとてつもなく怖いものを
相手にしているような
気持ちになって
メソメソメソメソしている自分が
なさけない
助けてほしいと
思いすぎているのではないか
苦しいなら
助けてほしいと
言うべきなのではないか
というところが
まるでわからなくなって
結婚してしばらくして
問題が起きたときに
泣きながら
立ち上がりを
ひとり繰り返していた自分を
思い出している
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