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2019年9月10日 (火)

怒りを抱き抱えている

自分の気持ち

感情は

自分のなかから出てくるもので

相手が原因ではない

ということを知っているひとは

やたらに

ひとのせいにして

いつまでも醜い感情を持たない


誰かに

腹をたてていたり

誰かのせいでと

恨んでいたりすることが

あったとする


それは

誰かのせいではなく

実は

自分のなかから出ている感情で


怒り

というものを

自分がぬいぐるみみたいに

抱き抱えて

手放していないという状態


それって

客観的にみたら

なんだかとても醜い


相手は

両親 友人 職場のひと

まぁ 

とにかく生きていれば

さまざまなひとだと

思うのだけれど


今この瞬間に

わたしを

苦しめていたり

危害をくわえたり

しているのかな?

というと

案外過去の出来事

だったりする


今この瞬間なら

自分を守るために動かなければ

いけないのだけれどね


今この瞬間に

何もされていないのなら

相手が悪いわけではない


過去の出来事を

怒り

だけにして

自分が抱き抱えて離さずに

生きて

自分で

自分を苦しめているというわけ


だから

怒りを手放してみたら

どうだろう


そもそもその怒りは

自分から出てきている

感情で

周りに暗いかげまで

落としている

やっかいなやつ


死ぬ時

怒りを抱き抱えたまま

醜い心のままで

死ぬのは

あまりに寂しい


ありがとう 感情

という美しい心でいたいもの


親がわたしを傷つけた

友人がわたしを傷つけた

うらぎられた

だからわたしは傷ついている

という過去が

どうしても許せなかったとして


解釈をかえてみる

という方法もある


解決は自分次第

自分に原因があることもある


歳を重ねれば

経験のなかで

解釈も違ってくるというもの


無理に許さなくてはいけないと

思ったり

見返してやる 負けないぞ

などと思ううちは

まだ

怒りが存在している


事情があったのでしょうね

くらいに考えてみる


いつまでも

自分を苦しめていたのは

自分で

相手ではなかったと気づいて

怒りを手放してみると


わたしは ぼくは

楽になれると思うんだよね


怒りって

いいところ

何もないから

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