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2019年11月に作成された記事

2019年11月18日 (月)

できる男と女遊び

母方の祖父に生前

仕事ができる男は

女遊びをするから気を付けなさいと

聞かされてきたわたし


なんだか怖いなと

思っていた


と話すできる男の祖父は

芸者遊びをしてきたと

聞いたことがあるけれども


わたしには

祖父が祖母を

とても大切にしていて


祖母は倹約家で

いつも笑っていて優しかった

という印象が強い


わたしの父のことを

祖父母は

パパは頭がよく 優しい

会うたびに言っていた


父も

できる男?!ではあったけれど

浮気をしたことがない


女癖というのは

性格ではないのかなと

思う


男性が

お金や権力を持ったとき

女遊びをしようと思うのか

そこに価値を置くのか置かないのかは

ひとそれぞれで


男性が女で失敗

というのもありがちなハナシ


なぜ男性は

女で人生を棒にふるのか

欲望に負けるのか

よくわからない


女性を美化しすぎているのかな

それとも理性の問題?

遺伝?女遊びを許されてきた家系?


女性も

ちゃらい男で失敗するから

似たようなこと

かもしれないけれども


後で

ばかなことしたなと気づいても

なにかに失うことになると

思うけれどね


男性 女性関係なく

浮気の心配ばかりするひとが

メディアには登場しているじゃない


信頼していないというより

病的なかんじで

自分が捨てられることを

異常に恐れているひと


どんな感覚なのだろうと思う

わたしも

恋愛したばかりのころは

焼きもちくらいはやいたけれど

かわいい嫉妬くらいだった


さて

最近のニュースを読んでいると

男性に

遊ばれて妊☆したあげく

捨てられた

という記事が多い


世の中には

望まない妊☆もあるから

☆胎を否定しているわけでは

ないのだけれど


命だからね

難しいところだと思う


女性が

発言できる世の中になった

という良い部分もあるのかもしれない


男性が

社会的に有名になると

お金や権力にむらがってくるひと

なんとかして蹴落とそうとしてくるひと

など

おかしなやからが

むらがってくるものなのねと

読んでいて思った


女性が訴えている内容が

本当かどうかはわからない


けれど

男性のお金や地位にむらがり

妊娠して

男性の気持ちを引き止めようとした結果

女性が傷つくことになった

ということを考えると


妊娠でしか

相手の心を繋ぎ止められなかった

という時点で

そもそもいずれ

離れていた関係でしょうかねと

想像できる


男性 女性

どちらも

おばかだと思う


わたしは若い頃から

女遊びをや

女に不自由していないと

やたらに自慢する男性を

見かけたけれど


そんなひと

魅力的かしらとも思った


ひとりの女性を大切にしている方が

魅力的だと思うのだけれど


それからわたし

愛し合うについて

この歳になっても

まだまだ

わからないところがあって


結婚してから

愛し合うだけに問題があった

わけではなかったと

今となっては思うけれど

どうしてもうまくいかなくて


傷ついて

姉に相談してみたら

なぜそんなことになる?

普通ならないでしょう

よくわからない状況と

言われたことが何回かある


結婚してから

愛 全般が

うまくいっていなかったのではないかと

思う


話しは変わるけれど

男性も女性も

その気持ちは変わらないと思うのに

日本では

男性だけが我慢できないものだ

みたいな考え方があるでしょう


それで女性は

もてる男性なら

失いたくないという気持ちから

男性の要求に

だらしなく答えてしまう


その結果

望まない妊☆をしてしまう


わからなくもないけれど

アフターピルもあることだから

すぐに病院に行くなり

性☆のリスクを考えても

基本

避☆はするべきだと思う


男性でも女性でも

個人差があって

夜のことに

ギラギラしているひと

あまり興味がないひと

いろいろだと思う


次男の性教育の授業で

男性が我慢できないというのは

嘘で

放っておけば吸収されて

なんてことないものだと

聞いた


わたしは

息子達に出会うために

結婚したと

考えているから

結婚については

そう考えると良かったと

思えなくもないのだけれど


好きなひとと

愛し合うということが

わかっていないのかもしれないと

思うから

本当の愛というものを

いつか

静かに

経験できたらいいな


ずっと好きだったひとに

愛される

という経験もないから

真剣に愛について

考えてみたくなった


愛ってどんなだろう

愛って後悔すること?

それとも

2019年11月17日 (日)

これは確か

ふわふわする

頭がぼんやりして

現実ではないようだと

次男が話すことがあった

顔色も悪い


ドクターに話してみないと

わからないけれど

これは確か

離人症というものではないかと

思う


何か調べた時に

読んだことがあったから

多分


実は

わたしにも似たような経験が何度かある

わたしは

パートナーから息子への

虐待について

悩んだとき

虐待が原因であろう

さまざまなことが

息子に起こったときに

次男と似たようなことになった


現実を直視しようとすると

あまりの現実のひどさに

霧がかかったみたいな

感覚になった


現実逃避と違うのは

やたらに責任感が存在するところで

なにがなんでも虐待から助けなければ

という気持ちなのに

どういうわけかまるで助けられない

というおかしな結果に

なっていることが

強いストレスとなる


わたしが虐待を目撃してきたひと

であるように


次男は

虐待やDVを目撃してきたひと

だから


身体的虐待を

受けてきた長男とはまた違う

苦しみがあると

思う


どちらかというと

わたしと同じ

助けたいのに

助けられないという

悲しみを抱えてしまったのだと

思う


だから

このような症状が現れたのではないのかな


そんなわけで

ストレスかなと

しばらくわたしと次男とで話していたら

次男がいつもの調子にもどった


次男が

見るからに心配な時は

外出もできないけれど

見るからに元気な時は

それはそれで

活動的になった結果

死を考えるようになるので

気をつけていなければいけない


もちろん長男のことは

次男と同じく

時に次男以上に

大切に考えているのだけれど


最近

長男が無視をするものだから

次男のように話し合いができない


我が家は

解決したいことが

解決できないという月日が

永遠に流れてきた

というような環境で


わたしと息子達は

うまく逃げることができずに

なんてことないよ

気にしていないと

自分の気持ちを誤魔化してきた


こんなことが

長く続けられるわけもない


だからといって

問題点について

やたらに話し合うと

息子達の負担になる


話し合いの結果

病気や

経済的な理由で

どうしようもない

どうしてあげようもないじゃない

とわかると

ひどい疲れが出てくる


こっちの道を選べば

こんなことにはならなかったのかも

しれない

そっちの道を選べば

もっと苦しかったのかもしれない

などと考えてみても

しょうがなく


最近になって追加した考え方は

自分は無理をしていないかな

無理をしているわたしを

息子達が気にしていないかな

ということくらい


普段は気にしないようにしているけれど

気づいたら

ぐるぐるの渦巻きに

巻き込まれているようで


わたしと息子達が

安心できる日など

一日もないとわかる


この渦巻きから出たいけれど

ずっとぐるぐる回っていて

出てみたらどんなだか

想像もできない

2019年11月15日 (金)

瞳が重なる

以前は

青空の彼が

どこか

わたしの知らない場所

彼の休憩場所のようなところで

飲み物を持って立って

休憩をしていて

 

思い出したように微笑んでいる姿が

わたしの瞼に

突然浮かんできて

 

ああ

彼が笑っていると

嬉しくなったもので

 

だからといって

その光景がどういう意味なのか

はっきりと

わからなかったのだけれど

 

こんなに

月日が経過しても

どこかで

心が繋がっているような

 

わたしを時折

思い出してもらっているような

気が

勝手にしていた

ほんと 勝手に

 

だけれど

最近になって

その光景は

すっかりと見えなくなり

 

今度は

彼の瞳が

大きくわたしに重なって

たびたび

現れるような

不思議な感覚に変化していった

 

彼の瞳が

わたしの瞳に

重なっていく

 

それは

近くで見られている

というわけではなく

ぼんやりと

薄暗くて

ブルーに近いような

瞳が

自分の瞳と重なっていく

 

わたしが何か

祈れば

すぐに彼に伝わりそうで

 

彼の呼吸が

聞こえてくるくらいに

近くに感じる

というもの

 

まだ

近くで話していた時

のように

呼べば

返事をしてくれて

呼ばれれば

返事をするような 近さが

そこにはあって

 

どうして

彼から

離れてしまうように

時は進むしかなかったのか

しょうがないか と

思いながら

 

わたしの心が

おだやかで

ろうそくの炎のようにになり

ゆらゆら

彼の瞳と呼吸と

ともに

揺れているような時間があった

 

少しだけ

手をのばせば

彼とのたわいもない

日常のささやかな思い出が

手に入りそうなのに

 

こちらから強くふれると

どこかに行ってしまいそうで

怖くて

 

願わなければ

悲しむこともないからと

目をそらすと

 

とても近くで

ブルーの瞳と呼吸が重なっている

 

ねぇ

どうしてあなたは

瞳が青いの?

空ばっかりを見ていたの?

どうして近くで

重なっているの?

2019年11月14日 (木)

悪くないひと

ただ単純に

相手が

嫌がることをしない

喜ぶことをする

ということができたなら

なにも悩むことはなく

それでいいのではないかなと

思った


だけれどわたしは

これは時に

必要なことかもしれないけれど


自分の正しいと思う考えで

相手が嫌がることをしたり

喜んでいるひとを見て

複雑な気持ちになったりすることがある


はたして本当に

相手の気持ちを考えて

相手のことを

大切にしているのかと

自分に問いかけてみると

案外自己中で

虫バイ菌みたいなわたしがそこにいて 笑


相手の心だけをみて

相手だけのために動いているとは

いえない時もある


シンプルに

相手の気持ちを尊重して

相手が嫌がっているからやめよう

喜んでいるから良かった

というだけで生きていく

というやり方を

しているようでしていない


大人になったら

なかなか生き方を変えられなくなるもので

日々柔軟な心持ちに

ならなければと

思う


相手のためだからと言いながら

自分のためではないの?


心休まるように

してあげたいと思いながら

うるさくしていないかな?と


自分をチェックしてみたり


相手が嫌がるなら

嫌がることをしない

やめる

ということにしようと

気をつけてみたりと

そんな時間が必要になる


話は違うけれど

もしも次男の担任の先生に

付き合ってくださいと

言われたら

誰もわたしも断らないと思う

ということから考えてみた


恋愛についても

結婚についても

子育てについても

何ひとつ悪いこと

ちょっとこれはと思うことをしないで

正しいと思うことを

無理をしないでやってきて


丁寧に

ひとを大切に

生きてきていたら


恋愛についても

断られることはなく

結婚についても

さほど問題がなく

子育てについても

さほど問題がない

という人生なのではないか


つまり

まわりのひとに

信頼されない

嫌われる原因は

なにかしら自分にあるというわけで

わたしがもし

担任の先生のように

人格者で

きちんとしている人間なら

相手もきちんと答えてくれるはず


これはわたしだけではないのだけれど

自分が幼い頃から

自立するまでに受けた傷が

知らず知らずに

好きなひとや恋人

パートナー

子供に

影響していて


自分がやられて嫌だったことを

自分はやらないと思いながら

似たようなことになっていたり

甘えがあったり


はたまた

プライドが邪魔したり

ありのままでは認めてもらえないと

思い込み

自分の器以上によく思われたいと

もがいたり


さらには

恋人は 結婚とは 子育ては

こうであるべきだ

というようなものがあって

そうじゃなくてもいいのに

力が入りすぎてしまう


ちょっと違うかなと気づいたら

やり方を変えて

また変えて

反省したら休んで

また変えていかなければ

問題が勝手に解決するわけもない


もう十分やってきて

反省もして

喜んで

十分失敗もしてきたけれども


よく考えると

シンプルに

小さなことから大きなことまで

相手が嫌がることはやらず

嫌ならいいか

やめておこう

これは

喜んでもらえそうだわと

考えて行動すれば


嫌な自分に 

出会うこともなくて

さらりと幸せが

見えてくるのではないかなと

思った


正しく生きていくだけが

幸せではないと思うけれど

やたらにひとを傷つけて

生きていくのも

おかしなはなし


もしわからなくなったら

まず相手にどうして欲しいか

聞いてみるしかない

どうして欲しいかわからないなら

どうしようかと

一緒に考えていくしかない


相手が何もしたくないなら

こちらも何もしない

意図的に何もしないというのは

修行のようだけれど

何もしないでいるということも

必要な時がある


悪いことばかりのひとは

いつも苦しんでいて

悪くないひと

には

さらりと幸せが近づいている

2019年11月12日 (火)

実家から

実家から

いろいろ届いたので

ありがたく感謝しながら

晩ごはんを作っています

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ピーマンふりかけ

畑のピーマンももう終わりですね

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さといもにっころがし

さといもの皮がね 

怪獣みたいでかたいんです 汗

むいたら手がかゆいかゆい

でも

ほこほこに煮えました

_20191109_145010

ベビーリーフとスプラウトのサラダ

にょきにょきの芽は

栄養たっぷり 元気 元気

お買い得ほっけは

いいように焼けました♪

唐揚げに大学芋

切り干し大根の煮物

お味噌汁

などなど作りましたよ


和食が続くと洋食

それに世界の料理

いいと思うものはわたし

なんでも作ります


最近よく

旬の食べ物はなんだったかしらと

思いますが

実家から届いたものが

旬の食べ物

ということですよね


さつまいもはもぐらに

食べられてしまったそうで

次男に見せるのに

少しかじりあとがあるさつまいもを

届けてもらいました


もぐら?!と

全く想像できないようでしたが 笑

もぐらも

環境のせいで

食べるものがなくて

おなかがすいてのことでしょう


さつまいもといえば

焚き火で

焼いてもらうさつまいもが

おいしくて

焚き火が禁止されるまでは

実家で

アルミホイルにくるんで

焼いてもらったものです


焼き方が悪いと

真っ黒になったり

甘くなかったりと

焚き火で焼くのはなかなか

難しいのですけれど

あつあつをいただくのは

おいしかった


登校の時に

焚き火の石をもらい

カイロのかわりにしたような

記憶もあります


柿もね

今年はなりどしだそうで

たくさん届きました

わたしは幼い頃

柿が大好きだったそうで

かー かーと

言うと

いろんな大人のひとが

柿をむいてくれていたらしくて

鮮やかなオレンジに

懐かしい大人の顔を

思い出します


今は自分でむきますが

なかなか上手にむけるのは

豊作の柿を

むいてきたからかしらねと

思います

_20191109_201600

最近食べることばかり

書いてきた気がしますね

それにしても柿をスーパーで

みたときは

驚きました

焼き芋の値段にも

驚きます


最近思うのですが

年齢を重ねると

油っこいものは

食べられなくなるので

家族それぞれの好みを考えて

おうちごはんを作るのは

なかなか大変で


たまにお惣菜を買ってみるものの

味付けが濃くて

自分で作った方が

美味しい

などと思います


外食はおいしいお店が多くて

あれやこれや

行ってみたいところが

たくさんありますけれどね

2019年11月 7日 (木)

終了するそうです

残念なお知らせなのだけれど

長年作ってきた

絵手紙のラブレター

最近はサボりぎみが

サービス終了するとわかった


毎年の

支払い請求がこないから

変だなと思っていたのだけれど

こうやって

時代にのれないものは

終了していくのだわと思う


ということで

公開していた絵手紙が

すべて消去されるので


わたしの方では

作品を保存していきたいなと

考えていて

有料で保存

自分で保存

いろいろあるようなので

検討中


お知らせをチェックして

終了することに気づいて良かった


どの作品も

自分の世界を表現できて

楽しかった


突然消えていても

驚かないでくださいね

ではまた

雑になる

ネットショップをやっていても

力一杯頑張って

月に3万いかないかくらいで

全額売り上げというわけでもなく

商売だけに

売れない時は全く売れない

という怖さがある


写真撮影をして

文章を考え

質問に丁寧に答えてと

ひたすらに頑張りすぎると

わたしの気持ちと時間に

まるで余裕がなくなり


息子たちとの時間や

息子たちへの思いが犠牲になる


息子たちのことをよく見なくなり

いつの間にか

ちょっとした小銭ほしさに

大切なものを見失い


ばらばらとこぼれるみたいに

雑になっていき

さまざまなことがすぐにほころび始める


息子たちのこと

自分の喘息発作

とのバランスをとっていると

売り上げなしが続く


お金もうけばかり考えていると

詩や文章など

浮かびもしなくなる


ネットショップは

少し休んで

息子のことや家のことを

やっていると


そもそも

自分が丁寧にやるべきことはこれらで

わたしは何が欲しかったの?

いったい何をやっていたのだろう?

ばかみたい

お母さんは太陽なのにと

悲しくなる


それでも少しは

次男と外食したり

美味しい食材を買ったり

というお金が必要だから

細々と内職をやっていくしかない


商売は好きだけれど

トラブルも多くて

余裕がないうちは

向かないのかなと思う


本当は

在庫をすべて買い取りしてもらい

お部屋をすっきりさせ

ネットショップはやめて

もう少し安心できる環境で

詩を作ったり

絵を描いたりして

応募したい

という気持ちがあるのはあるのだけれど

なかなか実現しない


やはりお金は大事なのかな

あればあるで助かるよね


お金ってなんだろう

なんて毎日ぼんやり思う


お金や食べ物のことを

しっかり考えていかなくては

いけないのに

すぐに浮世離れする傾向もある


欲がない

というわけではないのだけれど

がっつがっつできない

というのか

お金と芸術は

真逆の位置にあるように思える



それにしても

主婦が働くとなると

いろいろ犠牲にするものが

出てくる


協力者がいたら違うのかな

体力があれば違うのかな


時々わたし

息子ふたりが大丈夫になったら

外で働けるかもと

求人情報をチェックしているのだけれど


男性とデートをする

というバイトがあって

熟読!しながら考えていた 笑


これって

利用する男性が高収入な紳士ばかりって

本当に?

利用しているだけでもう

紳士のイメージないけれども


そんなに紳士なら

お金を払って疑似恋愛

またはお金目的相手に恋愛もどきをしなくても

いいんじゃない?


女性は

かなりお金に困っているひと用

という具合に書いてある


本名じゃなくていい

主婦でもいいと

書いてあるけれど


だいたいそんなことをしていたら

大切なひとといる時に

お客さんとばったり


大切なひとに

紹介されたひとがお客さんてなことも

あるわけでしょう


バレバレじゃない

後悔しそう


そもそも

お金だけの関係は

寂しいものだと思うけれどね


愛人は

なんとなくわかるけれど


最近は

恋愛も結婚も妊娠も

お金ばかり請求しているように

見える


そもそも

恋愛や結婚や妊娠に

お金なんて必要なくて

頑張って達成すること

傷ついてもチャレンジすること

ではなかったはず


違うのかな

いつの間にか好きになった

ずっと一緒にいたくなった

コウノトリがやってきた

みたいなことだったのが


いつからか

どれもお金を請求して

誰かの成果とするようになっている


わたしも

いよいよになったら

初バイトを

するかもしれないから


こんな世の中と

こんなバイトは

悪いとばかりも言えないのだけれどね

2019年11月 6日 (水)

どうにもならなかった

なんだかお手洗いの修理

していただけないみたいです

なんのための保険なのでしょうか

*****

旦那は

わたしが生活費を使うと

ああ

渡さなければいいんだ

渡さなければ使わないよねと

考えるひとで


息子たちにお小遣いも渡さない


もちろん

わたしと息子に

誕生日おめでとうと

言わない

お祝いも渡さない


息子のお祝いは

すべてわたしが用意している


わたしのネットショップで初めて

ショールが売れた日は

800円くらいの売り上げだったのだけれど

嬉しくて眠れなかった


お金についても

もも宅は滞っている


月々の生活費は

新婚当時

ふたり暮らしの時に

渡された金額のままで


息子がふたり産まれて

学費がかかり

家族が病気になっても

金額が変わらず

時に今月0円だからと

渡されない月もあった


義理の母が新婚当時

渡している月々の金額に

ももさんのお小遣いがないじゃないと

指摘したのだけれど

知らん顔で


お小遣いどころか

息子ふたりの生活費も

私たちの医療費もなかったわけで


旦那は

変更できない

というところもあると思う


旦那に

生活費が足りないと話しても

いいよおれはめしがなくてもと

答えるだけで

おれはいいけれど家族は?と

唖然とするばかり


例えば

これだけしか渡せないから

なんとかやれないか

だとか

いくらくらい必要なの?

という話し合いができれば

よいのだけれど


まるで話し合いにならない


病院の先生や

家族には何度も相談したのだけれど

どうにもならなかった

お手洗いの件ですが

お手洗いの水漏れについて

今回もまた 

旦那が何もしないので


わたしが自分で修理は危険とわかり

管理人さんに

お尋ねするしかないのかなと

電話の件で

お世話になったばかりで

申し訳なく思いながら

とぼとぼマンションを歩いていると


うわっとばったり

管理人さんに会った


それで

実は管理費のなかに

修理のための保険がふくまれていて

月々旦那が

支払いをしているとわかり


ある程度までは

無料で

不動産の下請けに

修理していただけるとわかった


おめめぱちくり 

知らなかった ラッキー❣️


旦那に

月々支払いをしているなら

他の業者にお願いするのは

もったいないから

不動産の下請けにお願いするでいい?と

報告したら


旦那が

管理費は払っているけれど

支払いはしていない!とキレた


な?!

わたしは

次男の具合が悪いのに

がやがやするのもかわいそうになって


管理費の内訳は?

書いてあるものがある?と

言った


ないけど!と偉そうに

旦那が答えた


それでまた

管理費は払っているけれど

支払いはしていない!とキレた


直接支払いはしていないと

言いたそうではあるけれど

そんなの当たり前


基本的にグループわけができないのか

意味不明…


旦那はいつも

揚げ足を取るみたいなことを

言うので


それでまた

話している方は

話す気力がなくなる

腹立たしさだけが残る


本当に嫌いだ


大切なのはそこじゃない

大切なのは

次男の体調と

お手洗いの修理でしょうにと

思いながら

もやもやしてきたので

違う場所に移動した


管理人さんのおはなしでは

同じマンションの方々も

そろそろ老朽化で

修理や買いかえをしているお宅が

多いそうで

もも宅なんて遅い方みたい


確かに

お風呂もガスも

洗面所もキッチンも

マンションのなかでは 

もも宅だけ

というくらい修理していないと

業者さんや近所のひとに

驚かれたことが

何度もある


みなさん 一箇所2~3回は

修理したり買いかえたり

されているそうで


もも宅は

壊れていないわけではなく

壊れたまま 使っているか

放置しているだけ

なのだけれどね  トホ


管理人さんが

修理申しこみの

電話番号や説明が書いてあるプリントを

くださり


まずは電話してみて欲しいのは

ここなのだけれど

下請けの態度がかなり悪いらしくて

どうなったか教えてくださいねと

おっしゃった


たまにいるよね

態度が悪いひと 汗


それから

部品交換だけで大丈夫なのに

買いかえを言ってくる

という業者は実際にいるらしい

信用できるところじゃないとね


ということで

さらに

故障して

ウォシュレットの買いかえに

なった場合

保証がきちんとしている

近くのホームセンターの方が

不動産にお願いするより安かったり


ウォシュレット交換になった場合

どうせなら

全部交換した方がいいから

交換したというひとも

いたみたい


トイレ掃除をするのはわたしだけだから

新商品の勝手に掃除なんて憧れ👀〰️💕


不動産がやっている

修理 改装は

入会していたら

高額だけれど安心感があり

不動産にお願いするのもいいみたい

というお得情報をゲットできた


もも宅がなぜここまで

修理ができないのか

買えないのか

これはとても問題で

これから先も解決できないことだと思う


お風呂のふたも

壊れて廃棄したのだけれど

もう10年以上

買えていない


ガス代のはなしをしても

父がお風呂のふた代を払ってくれても

旦那は買わない


わたしは

ふたがない

ふたが必要

ふた ふた

お金をもらったから買いに行こうよ

特別な大きさで

○○に売っているから日曜日

などと

果てしなく話しているうちに

辛くなり


アルミを切ってお風呂に入れている

母は

お金が足りないの?と

心配していたけれど


もらったふた代は

ふたが3個くらい買えそうな金額だった

2019年11月 4日 (月)

変わることを恐れずに

例えば木々に

あふれんぱかりの花が

咲いていて

美しいと思っていたら

枯れて

ぱっと散る


緑豊かな小川の水は

ちょろちょろ流れている

大きな流れは

さまざまなものを流す


岩やこけにある水は

じっとしているようで

少しずつじわじわと動いている


私たちに見えているもののなかで

いかにも変化しているように

見えるもの

変化していないように見えて

少しずつじわじわと変化しているものがある


何も変わらないようなと

悩んでいても

自分が大切に思うものは

目には見えないかもしれないけれど

じわじわと変化していて


また

どうしても耐えられないことは

自分が変化させていくしかない

変わることを恐れずに

2019年11月 3日 (日)

もう疲れたよ

お手洗いが

水漏れしていると

気づいたわたし 

お手洗いの修理が最優先になった


今はポタリだけれど

このまま放置していたら

水量が増えてきて

とんでもないことになる


新築で購入したマンションだから

さまざまなものが

老朽化してきて

交換時期がやってきたのだと思う


自分で修理しようかなと眺めてみたけれど

よくわからない


きっとウォシュレットまでの

どこか

かな


車のタイヤ

自転車のパンク

シャワーの水漏れ

洗面ボールのひび割れ

キッチンの水栓と

床や下の階まで水漏れしたら

マンションなので

大変な金額を請求されると

わかるものまで

何も修理できていないところに

お手洗いとは 涙


旦那に報告してみたら

どうして修理しないの?

しなよと

言った


車のタイヤも交換すればいいんじゃない?と

言って

していない


収入がないわたしに

修理代払わせて

全部を

わたしにやらせようとして

自分は関係ないひとに

なっている


牛乳係だから配膳係は

手伝いません

なにか?

になっている


牛乳係でも終わって暇なら

配膳係を手伝うべきで


暇で暇で仕方がないのだから

余計に

手伝うべきでしょうにと

小学校の係の仕事で考えてみた

ここで脱力感


長い間

こんなことばかりで

もう疲れた


もう疲れたよ

情けなくなる

長男が息苦しそうに

咳をしていた

長男は

アレルギーに対する考えかたが

見事にゆがんでしまい

アレルギーの治療もしないで

いるものだから

心配になって

しばらく様子をみていたのだけれど


クループみたいな咳が

夜中に聞こえてきたから

風邪?と声をかけてみた

紅茶でも飲む?と言ってみたけれど

無視された


とりあえず紅茶を

持って行き

体温計とパルスオキシメーターを

置いておいた


その横で長男が耳をふさいでいる

そうだと

次男と買ってきたチョコレートを

持って行ったら


今度は

長男が怒りにまかせて

バンとドアを閉めお風呂に向かった


長男がシャワーを浴びている間

このままでは

先日のように

体温計やパルスオキシメーターを

投げるかもしれないと

思い


壊されたらわたしが

うまく生きていけなくなると考えて

回収しておいた


しばらくして

長男はシャワーが終わったようで

バンと力任せに部屋のドアを閉めていた


それから怒った様子で

リビングを歩いていた後

がしゃんとひどい音がしたので

見てみたら

紅茶がコップごとシンクに投げ捨ててあり


次男と買った

チョコレートがゴミ箱に捨ててあった


またバンという音が部屋の方でした

長男はわたしが

どれだけ節約して生活しているか

なんて

まるで理解していないと思う


就活もしていない

奨学金の支払いがあるから

苦しい時期なのかもしれない


だけれど

家族への

思いやり

いたわりの気持ち

感謝の気持ちを

すっかり忘れている


一杯の紅茶だって

茶葉から出して

お砂糖とミルクを入れている

カップだって

投げられるために存在していない

最後まで

大事に使ってもらうために

道具として存在している


どうして

いくら頑張っても

わたしに似ている悪いところは

あるにしても

旦那の悪いところの

影響ばかり

受けてしまい

それでよいと思ってしまうのか


親や家族を大事にしないでよいと

なってしまったのか

情けなくなる


いったい

家族への

思いやり

いたわりの気持ち

感謝の気持ちは

どこにいってしまったのかな


お母さんを大切にしないと

いけないよ

そういうことをしてはいけないよ

ということを

旦那の口から

聞いたことが一度もない


旦那は

自分勝手な都合で

何も悪いことをしていない長男を

虐待してきただけで


長男を

諭したり正したりしたことがない


これは嫌でも

親が話していかなくてはいけないことで

他の誰かが

してくれるわけではないと

思うのだけれどね

今思えば

旦那が守ってくれないことに

結婚してすぐに気がつかなかったのか

というと

今思えば

おかしなことがあった


新婚当時

海でシュノーケリングをしよう

ということになって

わたしは50メートルくらいは

プールなら泳げたのだけれど

ライフジャケットがない

シュノーケリングだったので

深いところまでは怖いと

旦那に伝えた


深いところまでは行かない

もし溺れそうになったら

俺の肩をポンポンポンと3回叩いてくれたら

助けるからと

力強く旦那が言うので


旦那はさほど泳げないと思うのだけれど

そこまで言うなら安心と

ふたりで手を繋いで

シュノーケリングを始めた


きれい お魚もきれいと

思っていると

旦那がどんどん深いところまで行く


どんどんどんどん

深くなる


わたしはシュノーケリングセットの顔の部分に

海水が入り

ぐちゃぐちゃになって

ぶはっと外して

顔を海面から出した

まずい

足がつかない

海なのでうまく泳げない

溺れると思った


ここは冷静にと

旦那の肩をパンパンパンと3回叩いた


すると

旦那は一度も顔をあげず

少し沈んでいった


それからわたしの前をUターンして

顔をつけたままで

すーっすーっと前進していった


驚いたわたしは

めちゃくちゃに足をばたつかせて

大騒ぎしていたのだけれど


旦那は

すー すー すーすーと浅瀬に向かい

離れていった


助けると言ったのは

なんだったの?死ぬと思い

わたしはむちゃくちゃに

立ち泳ぎをしながら

わーわー足をばたつかせていたら


たまたま

とがった岩か珊瑚みたいなものに

足があたり

前進したり

休んだり

珊瑚らしきものを蹴散らして自然破壊していたら

足がつくところまで

奇跡的に行けた


旦那がマイペースに一度もふりかえらず

浅瀬まで顔をつけたまま

ばた足でゴールして

知らん顔をしていたのが見えた


その後

砂浜で

わたしを殺す気?と叫んでいたら


旦那はわたしが

3回叩いたのも

溺れていたのも知っていたけれど

俺が危ないじゃないと

言った


旦那は

それがなにか?

意味がわからないという様子で

わたしを見た


その時

わたしがおかしいのかな

生きているしさと

惑わされて

思ったのだけれど


どう考えても

おかしなはなしだった

2019年11月 1日 (金)

体調が悪いと思う時の考えかた

体調が悪い時

体調が悪いと毎日のように

まわりに話しても

治療しないかぎり

興奮して話したところで

体調がよくなるわけでもない

何も解決にならない


体調が悪い

コミュニケーションと勘違いして

体調が悪いで

コミュニケーションをとろうとしているひとが

いるけれど


本人はコミュニケーションの手段が

体調が悪いになっているとは

自覚がなく


聞いている方は

またかという気持ちになる


家族なら不安で心配にもなる


生きていれば

体調が悪い時もあれば

良い時もあるわけで

気分のなみもあるもの


誰もがさまざまなものを抱えて

いつも元気

というわけではない


誰にでもなみはある


悪い時は

そんな日もあるよねと

それなりに過ごして

良い時は

やりたいことを進めてみる


わたしなど

喘息発作で眠れない日も

ひとりで家事をしている


手伝ってもらうこともない


体調が悪いこと=悪いこと

と思いすぎたり

いつも元気でいないといけないと

思いすぎたりして

不安になっているひとを

見ると


体調が悪いのは悪いことではないし

いつも元気でいないといけない

なんてことはないのにねと

思う


自分の体調をいちいち

まわりに伝える必要もなく

八つ当たりしてまで

まわりにわかってもらおう

何かしてもらおうと

する必要もない


体調が悪い

ばかり言っているひとは


体調が悪くなったらどうしようと

毎日不安になる


気分がめいって

何もやる気になれない


体調が悪くてイライラしてきたから

ちょっと休みたい

という言葉で表現するべき

状態なのではないかと

思う


気分がめいった時は

自分の気持ちを

誰かに良い方向に変化させてもらうのではなく


落ち込んだり

イライラしたり

自分で

気持ちのコントロールをしていくもので


好きなことをして

のんびりしてみる


しばらく寝て過ごす

ひとりひとり違うかな

というようなことを

可能な環境なら

すればよいだけで


何もしないもありなわけで

悩みを

聞いてもらって楽になった

聞いて欲しかった

ということはあるにしても


自分が不安だからといって

まわりのひとも

不安になれよ

心配しろよ

というのは

ちょっと違うのではないのかな

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