悩む
息子たちの
喘息とアレルギーは治療してきたものの
わたしは結婚してから
何も
治療してこなかった
救急隊員のかたは
自宅を出てすぐ
クループだと言っていた
処置中
喘息ですか?と叫んでいたドクターに
違いますと
つきそいの父は答えた
わたしも
話せるようになってから
前記事のように
ないないないと答えて
自分が幼いころから
全身に蕁麻疹が出て
アレルギーがひどかったことも
ぴんとこず
忘れていた
だから
パ☆ック障害ですか?
の質問に
なったのだと思う
ドクターが
ごめんなさいね
大丈夫?
ごめんなさいね
大丈夫?と
聞きなれない言葉を
何回もおっしゃるのと
息をして
息をして!と
叫ばれた瞬間呼吸ができた
ということが
衝撃的すぎて
落ち着いて病室に入ってからは
わたしがお薬で
高揚していたからかな
ドクターが王子様✨みたいに見えた アハハ
酸素マスクを外す時
ドクターの顔が近すぎたから
恥ずかしくて赤面していた
ぶっ
思い出し笑い ばかだなわたし
そんなことより コホン
病室では
生きている と
父もわたしも思っていた
父は特に
救急車のなかのわたしを見て
病院到着前に
亡くなるのだとあきらめたほどだった
らしいから
助かって良かったと
思っていた
その後
老人病院から
近くの耳鼻科に
車椅子で行くように言われたのだけれど
その時はもう
治療済みで
わたしの症状がきれいになかったらしく
耳鼻科の先生も
アナフィラキシーみたいだけれど
パ☆ック障害?
今 入院しているの?と
なんだかわからくなっていた
わたしは
耳鼻科でも
うまく説明できずに
点滴のせいか
混乱していたせいか
ぼんやりとしていた
父も
アナフィラキシーじゃないのか?と
悩んでいた
父は
旦那の前で倒れたら
助けてもらえず
死んでいたなと
つぶやいてもいた
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