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最近の気温差や
お天気の影響で
喘息をコントロールできない日が
続きますが
もし
深呼吸ができたら
深呼吸で
ストレスを吐き出して
思い浮かべた幸せな自分を
吸い込むと
もうそうなっている気がして
心があたたかくなり
幸せになれますよね
幸せになれたら
もっと幸せが
幸せの方から近づいてきますよ
幸せって
目の前の
小さな幸せもありますが
ささやかな希望でもあるのかなと
思います
わたしが望む
幸せな光景
一番大切に思うことを
吸い込むと
やりたいことも見えてきます
そこに向けて
ゆっくりいきましょう
自分を守り
傷つけないように
自分が
傷ついたり
嫌だなと思ったり
したことを
何も感じませんでした
我慢すれば
たいしたことではないです
などと
何も感じない
思わないようにすると
心が麻痺してきて
傷ついたことや
嫌なことを
感じなくなり
自分を守れたついでに
良いことも
嬉しいことも
心に入らなくなっていく
案外このことに
自分では気づかない
それで笑っていると
さらに
自信がなくなって
心を閉ざすようになる
誰かに相談したからといって
マウントされたり
余計に傷つけられたり
理解してもらえないことが
多い
そうなると
自分はダメな人間で
なんの価値もないから
このような状況になった
だから
相談しても
マウントされたり
余計に傷つけられたり
理解してもらえない
仕方がないことだと
また
理解してもらえないことを
我慢するようになる
精神科医や
同じ経験をしたひとには
あうんの呼吸で
理解してもらえても
解決するのは自分
ひとはひと
自分が
変わらなければいけないことを
わかっていて
楽なわけもないのに
このままが
楽な気がしてくる
いつの間にか
何もないことが良いことに
なっている
だけれど何もないを
作るためには
自分は
言いたいことを言わず
願わず
期待せず
コミュニケーションをやめる
これはこれで
良かった気になり
結果何もないになる
でも
何もない人生
なんて存在しないから
ただ何もないように
トラブルを避けているだけ
そもそも
変化は
誰でも痛みを伴うもので
今まで大事にしてきたものを捨てる
築いてきたものも捨てる
こともあるから
自分が変化しようとすれば
自分や誰かが
無傷というわけにはいかない
痛みの向こう側にある
良いことや
喜びを感じられるようになるためには
一回
痛みを乗り越えなくては
次に進めないわけだけれど
未来がどうなるかわからないから
不安になる
どうせまた
同じようなことになる
今より
つらい状況になるかもしれないと
考えて
痛みの手前で
やはり自分の心が麻痺していた方が
変化もなくてよいのではないか
自分だけ我慢して
誰からもほめられず
感謝もされず
否定ばかりされている人生が
平和ではないか
もうすぐ人生が
終わるかもしれないのだからと
諦める
体調に自信がなければ
なおさら
諦める
諦めているうちは
何も変化はなくて
自分の心の準備ができたところに
奇跡や希望
というものはやってくる
だいたい
長い間やってきたことに
無駄なことはなく
今までの努力
自分では努力とも言えないほどの
努力が
本当は
ちゃんとした努力で
存在していて
小さいものが何年もの間
無数に
努力として
咲いたり
羽ばたいたりする日を待っている
傷つけられたことで
ひとの痛みがわかり
愛されなかったことで
自分の愛があふれてきた
自分の努力が
変化の流れを作り
奇跡や希望を具現化していく
離婚 再婚について
コメントをいただいたので
もう少し書いてみますね
*****
実家に帰り母の通う内科の先生と
再婚しなかったのは
単純に青空の彼が好きだからで
わたしは青空の彼の
細胞まで好き
なんですよね
言い方がかなり変なのですが (^^;
それに
再婚して
連れ子を虐待される
ということはよくありますよね
再婚には
いろいろ不安がありますから
よほど好きで信頼できるひと
であってもなかなか難しいのかなと
想像します
子供を
大事に考えると
実家にはない
こちらでしか受けられない教育や
こちらにしかない病院をやめて
実家に帰る
ということはできません
わたしの気持ちで
考えると
監禁された実家には
帰りたくない
真面目で家族思いな母
ではありますが
実家に帰省すれば必ず
わたしを常にお手伝いさんのようにつかい
ことあるごとに
やたら脅すような言動の母とは
安心して暮らせない
という問題があります
それから
文章では表現できていなかった
部分かもしれませんが
実は
実家より
旦那との暮らしの方がいい
ということが多くあり
旦那みたいなタイプ
だからこそ
楽をしていたり
自由だったりということも
多くあります
※あくまで実家と比べれば
です
これらを
よかったといえるのかは
疑問なのですが
結果的に
息子たちは
教育や医療にお金をかけてもらい
わたしは専業主婦で息子たちに
付き添い寄り添うことができた
ということには
感謝 満足しています
実のお父さんではないのに
頑張っていらっしゃるかたには
申し訳ないのですが
実のお父さんでなければ
ここまでは
できなかったのではないかなと
思います
父の援助はありますが
息子たちの希望どおりに
進学でき
通院もできていますので
これは
わたしひとりの力では難しく
贅沢なことだと思っています
また
嫁姑の問題や
介護の問題もありません
よいマンションで
ご近所トラブルもありません
ひとを比べたり差別しない考えの
義理実家は尊敬できました
わたしや孫を大切にしてもらえました
離婚して
義理のお父さん お母さんを
悲しませたくないという思いも
ありました
旦那が離婚してくれるのか?
旦那を傷つけて捨てることになったら
わたしに罪悪感はないのか
ということも
もちろんありました
家庭内別居をして長いですが
終わりよければすべてよしと
考えています
流れに身を任せるというのか
かみさまのいうとおりは
よく思いますが
カルマだと考えたことはないです
※旦那のことは置いておいて
子供の問題は
よい苦労というのでしょうか
苦労とはいえないと思うので
おそらく
子供への愛情の方が
苦労より勝っているのでしょうね
しばらくコロナのことで
愛だの恋だの
書いていてはいけないような
気持ちになって
ラブレターを書いていなかった
のだけれど
ずいぶん前
お母様がたと
おしゃべりをしていて
どろどろとした悩み
憎しみの感情のなかにいるお母様を
見て
不謹慎なのだけれど
恋でもすればよいのにと
心のなかで思ったことがあった
わたしは
青空の彼が
わたしの人生を解決してくれる
とは
思っていなくて
彼がいたら
すべてうまくいくのに
とも思っていない
何かしてもらいたいとも
思っていない
ただ彼は
わたしの好きなひとで
唯一無二の存在
彼はおそらく
わたしがさまざまなことを
助けて欲しいから
助けて欲しいが
好きになったのかな
旦那から逃げたいから
好きになったのかな
という
印象だったかもしれないけれど
そこは
違うんだよね
全く期待していない
と言ったら
失礼かもしれないけれど
どちらかというと
誰かを好きになっても
また同じようなことに
なるのではないかな
もっと大変なことが
あるのではないかな
という不安がある
だけれど彼は
わたしが
ひとを好きになるなんてことを
忘れていたころに
光のように現れた好きなひと
だったので
彼を好きになったことが
わたしの人生の
ターニングポイントとなった
わたしにも
ひとを好きになる感情が
残っていたのだわと
あたたかい光に
包まれたあのころから
今もずっと彼のことが好きでいる
いつかどこかで会えたり
急にご連絡があったりしたら
嬉しいな
もうすぐ
次男の親権が消滅するので
ツリーハウスに
キャンプでも行きたいな♪
キリンに朝ごはんが楽しそう
と
やけに
自由で開放された気持ちになっている
それにしても
旦那から逃げてもよかったのに
逃げないで
よくここまで頑張ったと思う
わたしは
旦那に
嫌なことをするから
長男に嫌われるんだと
あざ笑うように言われていたのと
長男の様子が
わたしを嫌っているように
見えたのとで
すっかり自信を失っていた
さらに
長男が話さなくなったのは
思春期だから
自立しようとしていると
思っていた
長男を
虐待から守れなかった
という
母親としての罪悪感
自信のなさなどなどが
重なりあって大きくなり
わたしが長男に
嫌われているのならと
距離を置いたり
次男のはなしを長男にしたりと
逆方向に進んでいた
考えてみれば
次男が拒食になった頃
次男とわたしがうまくいくように
なった頃
長男は無言になっていったので
弟ばっかり
という気持ちで
最初は嫉妬から
すねていただけ
だったのかもしれない
長男に自覚があったかは
わからないけれど
そう考えてみると
わたしがやってきたことは
逆効果だったわけだから
なんだそういうことか
そういうことならば解決できそうと
思えた
子供は何歳になっても
親の愛情が欲しいもので
もらえなかったならなおさらで
我が家は
父親からの愛情がないから
余計に母親の愛情が必要だった
こんな単純なことに
気がつかないなんて
旦那におまえはばかだと
洗脳されてきたからか
わたしが嫉妬に鈍感なのか
なんだか拍子抜けしたと同時に
3年間の暗いトンネルの
終わりが見えたような気がしている
息子のことは
時間をかけていこうと
考えてはいたけれど
ここまで長すぎた
だけれど長く悩んだからこその
結果だったと思うので
とことん悩んでよかったとも思っている
まだ間に合う
理想の自分とは程遠い
何もできていない
誰かの要望にも
応えられていないと
自分を戒めたり
卑下したり
することがある
落ち込むなら
とことん落ち込んだ方が
すっきりする
とは思うものの
そんなことをずっと考えていても
目の前の悩みごとが
勝手に好転することはない
それどころか
わたしが
できていないことを
証明しています?
という出来事が
目の前に次々と現れ続けて
また
自分を責め
自信を失うことになる
さらには
自分の存在価値を認められなくなり
自己評価は低くなるばかり
本当は
わたし あなたは
生きているだけで
知らず知らず
役に立ちたいわけでなくても
いろいろなひとの役に立っている
誰かの役に立ちたいから
というだけで
生きているわけではないけれどね
誰が何を言おうと
まずは自分を許してあげなくっちゃ
かかりつけでは
発作止めや吸入薬を
多く処方していただいた
ドクターは
病院を維持していくのが
大変なのでしょうか
考えすぎかもしれないけれど
いつもと違う
お顔をしているように見えた
メディアでは
みんなで
医療従事者に拍手
なんてやっていたけれど
日本人の拍手は
しらじらしい
普段から感謝していないひとが
こんな時だけ
自分の都合で拍手して
本当に
医療従事者が
どれだけ大変かわかって
心から拍手している?
わかっていないでしょう?
という気がして
わたしは拍手ができない
拍手をするくらいなら
あなたが変わってあけたら?と
思うのだもの
診察は
はやめに終わりますと
受け付けに書いてあるものの
やたらに患者さんたちは
長くなっている
わたしの番になって
思った
なるべくギリギリまで
病院には行かないように
しているものだから
ドクターに報告することが
多い
質問も増える
スーパーに行く時に似ている
2日に一度くらいなら
簡単で気軽に買い物が終わるのに
一週間分
まとめ買いをしようとすると
買い物時間が長くなり
悩むことも増える
そんなかんじ
以前は
どうでもいいような
ちょっとした体の悩み
のかたがたも
かかりつけに来ていたと
思う
そういう
ちょっとしたことが
相談できる場所は
必要で
こんなこと
たいしたことじゃないのかな
ということを
これは紹介状だよ
これはこういう理由だよと
教えていただけた時
みなさんホッとするのだと思う
かかりつけの丁寧さには
みなさん救われているのかな
ドクターとわたしは
お互いに
焦っているような
微妙な雰囲気になっていった
今度は
わたしが喘息で通院している
かかりつけのはなしです
*****
かかりつけに行くと
誰もいない
という印象だったけれど
以前より
患者さんが少しずつ
増えているように
感じた
すべてのドアや窓は
換気のために開放してあり
わたしが行った日は
肌寒かったこともあって
暖房運転中だった
熱や咳のこともだけれど
患者さんは
マスクをしてきてくださいと
ホームページや
病院入り口の注意書きにあるので
ほとんどのひとが
マスクをしている
わたしはいつもマスクを
しているのだけれど
診察時にマスクをしたまま
というのは初めての経験だった
受付には
プラ板が設置してあった
感染リスクを考えてか
いつもの番号札はなく
待合室に入るドアの上にある
電子掲示板の
自分の番号を見ながら
次に呼ばれそうだわなどと
判断するようになっている
何番かわからなくなるから
番号札があっただけ
なのだけれどね
待合室には
名前で呼ばれて入る
昭和スタイルなので
個人情報うんぬんというより
安心感があっていい
診察代の受け渡しはトレーで行う
そもそも普段から
病院も薬局も
ひょっとしたらお店やコンビニも
今行っている
この
「宝くじ売り場」のような
スタイルで
よかったのではない?と
わたしは思う
ドクターの
フェイスシールドも
普段から使えばいいのにと
思った
診察室のドアもまた
解放されていて
ドクターに呼ばれて入ると
ドクターからかなり離れた場所に
患者さんの座る
椅子が置いてあった
なぜか
前のめりに話すわたし 笑
人間ておもしろいよね
マスクをしたり
プラ板や
透明なカーテンがあったり
座る距離が離れていたりすると
パーソナルスペースとまでは
いかないけれど
やたら近づいて話そうとする
緊急事態宣言が
解除されて
みさなんの気のゆるみを
感じるこのごろ
体調不良ではなく
心の病院に行く場合
感染リスクについて
どう考えて行動したらよいかと
悩むところだと思うのだけれど
カウンセリングは
やはり必要だと思う
わたしは
東京の病院についてしか
わからないのだけれど
コロナが心配だから
ご家族の判断で
しばらくは診察なしで
というかたもいれば
予防しながら診察してもらう
というかたもいる
次男の通う病院は
入り口をはいると
スリッパがあるのだけれど
スリッパは使用後の
入れ物があった
消毒してから棚にもどしているのだと
思う
自分の靴はナイロンに入れて持ち歩く
ようになっている
手の消毒をして
受け付けまで行くと
透明なカーテンがあり
隙間からやり取りをする
待合室に座っていると
おでこピッの体温測定があった
病院内にいるひとは
全員マスクをしている
診察室に入ると
ドクターの前に
透明なカーテンがあり
ドクターもマスクをしていた
病院のソファーなどは
定期的にアルコール消毒を
繰り返していて
窓や入り口は
換気のために開放してある
営業している
お店やコンビニなんかも
似たような状態だと
思うけれど
病院に行くまでに
さまざまな場所で
アルコールらしき消毒液を
使っていると
その都度
つんとした
揮発したアルコールらしきものが
刺激になって
ひどい咳と
喘息発作を起こす
ということがわかった
わたしが最近
やたら発作を起こしているのは
これが原因だったのね
だけれど
消毒しないわけにもいかず
近所のスーパーのアルコールは
めちゃくちゃに手がかぶれるので
きっと
アルコールではないものが入っていると
思う
家庭用のアルコールが入っている
ものは
すべて売り切れだから
スーパーも手に入らないのではないかな
さらに
小さなスプレーボトルを
やたらふりかけているひとを
スーパーのエレベーターや
病院で見かけたけれど
アルコールか使えないひと
アレルギーがあるひと
なんかもいらっしゃるわけだから
持病があると
感染が怖いのはわかるけれど
やりすぎには
気をつけた方が
いいと思う
病院に置いてあった
ゼリー状のアルコールは
発作を起こさなくて平気だったので
スプレー式や
揮発性のものが
刺激になるかたは
やめて
ゼリー状のものにしたり
手洗いを徹底したり
敏感肌でも大丈夫な
アルコールウェットを
使用した方が
よいのではないかなと思った
男女の嫉妬は
だいたいわかるけれど
わたし自身が
基本
ひとに嫉妬しないので
ひとから嫉妬されることに
鈍感になっているのかもしれないと
思う
男女の嫉妬で
かなり過酷な思いをしてきたから
独身の時は
女性からの嫉妬や
嫌がらせ
というものに
懲り懲りで
結婚して子供が産まれてからは
デリカシーのない
ママ友との関係に
うんざりしたこともあった
すぐにお友達ができるのだけれど
お友達同士が
わたしのことで嫉妬して
トラブルになることが
多かった
女性に好かれることは
嬉しいことなのだけれど
わたしの方から
遠ざかることが多かった
男性については
激しく嫉妬しているなと
思うくらいで
息子の嫉妬に気づかないくらいだから
鈍感になっていたのかな
理由がわかれば
なんだそんなことか
ならば解決できるじゃない
なので
何かあれば
話し合う
という姿勢は大切だと思った
長男が
返事をしなくなったことと
放置しろ旦那
について
病院で話してきたのだけれど
旦那については
ドクターから次男に
嫌だよね
辛いよねと声をかけていただいて
次男の表情が
ぱっと明るくなった
次男はいつも
わたしの悩みに
とてもよい
アドバイスをしてくれるのだけれど
マイナスな感情が
いけないことだ
悪いことだと
思うところがあって
わたしがマイナスの言葉を
話していると
ドクターのような
共感の言葉は
かけてこない
わたしが次男を心配すれば
そんなわけないのに
平気だよ
気にしていないと答えて
わたしに気を遣うことも多い
本当は
嫌だ 辛いで
よいのにねと
思った
わたしも今後
次男のマイナスの感情を
無理に明るくするのではなく
マイナスの感情で
いいんだよ
ということを知らせていきたいと
思った
それにはわたしも
我慢しないで
もっと素直にならなくてはね
よきドクターに出会えてよかった
長男が返事をしなくなったはなしでは
リハビリの先生から
アドバイスがあった
お話を聞いていると
次男くんとお母様が
最近うまくいっているから
すねているように思います
弟ばっかり
というかんじですかね
アカ☆ラのことがあった後
体は動かして
バイトや就活はしている
ようですが
気持ちや心は
まだ引きこもっている状態で
立ち直ってはいないと
思うんですよね
体と心が一致していないといいますか
そんななか
おうちのなかでは
自室から出ないわけではなく
お手洗いへ行けたり
リビングを歩けたりしているわけ
ですから
お母様がどれだけ
頑張って
努力しているか
自分を思って動いているかは
よくわかっていると
思うんです
お母様と次男くんが
楽しそうにしていることもね
だから
すねているうちに
意地になってしまった
のではないですか?
つまり嫉妬です
というおはなしがあった
わたしは
長男が
思春期みたいにわたしを嫌がっている
自立しようとしている
ということばかり
気にしていたので
目から鱗だった
わたしは
お母さんは
あなたのことを大事に思っているよ
愛しているよ
ということを
年齢もあるので
長男にドン引きされないように
うまく伝えていきたいと
思う
本当は抱きしめたいくらいだけれども
わたしは
自分の気持ちの整理と
同じ悩みのかたのヒントになるといいな
という気持ちで
あれこれ ここに書いているけれど
たいして何も
できていないと思う
旦那は
長男には
大きくなるまで身体的虐待
次男にはネグレクトということを
してきた
虐待を目撃した次男は
2歳くらいから
外に出られなくなった
息子たちはふたりとも
わたしを守ろう
助けようとしてくれていて
わたしを助けられないことの
辛さ
虐待も
わたしが我慢していることも
自分たちのせいではないか
という思い
があるのでしょう と思う
長男は今
自立しようと
頑張っている
次男は
尊敬できる担任や
信頼できるドクターに
恵まれた
できれば長男も
カウンセリングを受けた方が
よいと思うけれど
なかなか難しい
わたしのことや
家庭の改善は
ささっとやりながら
息子たちのことは
ゆっくりとやっていきたい
わたしの
今までのやり方が間違っていた
のかもしれないけれど
気づいたら改善してきたので
それは
間違っていたら
間違っていたな と思うくらい
もっと丁寧に
子育てをしたらよかったと
後悔することは
度々ある
離婚したらしたで
離婚してほしくなかったと
子供たちは思うかもしれない
離婚しなかったらしなかったで
離婚して欲しかったと
子供たちは思うかもしれない
不登校の子をもつ親のかたがたと
話していた時に
学校に行きたくないと
子供が言った時
わかったと言ったひとと
取り乱したひとがいて
わかったと理解したひとの方が
一見よいように
思えたのだけれど
後に
取り乱して無理に連れて行って
欲しかったと
子供に責められたそうで
かたや
取り乱したひとのなかには
やりすぎて
親子の信頼関係が
なくなってしまった
と嘆くひともいた
どちらがよい
なんてことは
本当にわからないことだと思う
家族が全員仲良く
家族が全員うまくやらなくてはと
考えていると
みんなつぶれてしまう
誰が悪い
誰が悪くない
というわけではなく
それなりに
生きていければいいかな
良くなれば
やり方がよかったということで
悪くなれば
何かやり方が違っているから
他のやりかたを考える
という具合に
できたらいいかな
次男のドクターが
長男くんは
(虐待のために)遅れてきた思春期だから
ねーねーとか
お母さんから言わない方がいいよと
おっしゃっていたので
3年前から
長男にやたら話しかけたりせず
とにかく
そっとしておくようにした
次男からみると
長男は
わたしのことをひどく嫌っている
うまくいかないことを
全部わたしのせいにして恨んでいる
という状態で
わたしも
同じように感じていた
長男は
最初はうるさいだの うざいだの
しゃべっていたのだけれど
以前記事にも書いたように
わたしがどれだけクズか
というはなしをしてきて
暴言を吐き続けていた
それがひとしきり終わると
わたしのことを最低の人間だと言って
その後
ひとことも話さなくなった
まだうるさいだの うざいだの
言っていた時の方が
よかったと思う
言わなくなるというのは
SOSを出さなくなるということ
だと思うから
その後
完全にわたしを拒絶した
以前は鬼の形相で
わたしに殺意を感じていると
話していたけれど
最近はずっと無表情
無言で歩いている
わたしのことを
女神様?のように
思っていたところから
フードプロセッサーのもめごとがあり
長男はわたしに
殺意を感じたそう
次男の拒食症も3年なので
長男がまだ多少話していた時
これも記事に書いたことなのだけれど
わたしは次男の拒食で大変だから
おれはいい
わたしに迷惑をかけたくない
だから返事をしないと
言っていたこともあった
姉は
恨む相手が違う
本当は旦那を嫌っているのに
わたしが言いやすいから甘えて
旦那に言いたいことを
わたしにぶつけているんじゃない?と
言っていたけれど
長男が
ひとことも話さなくなってからは
一緒に生活するための
最低限の伝達もできないので
旦那のこと 長男のことと
いやほんとに大変だねと
話している
わたしは最後に
長男が理解してもらえる
話したいひとに話したらいいよと
伝えたので
それからは特に
無理には話しかけていない
途中アカ☆ラのことが
あったので
今ほどではないけれど
返事をしてもらえなくて
困った
無視している様子が旦那と似ているので
わたしを無視してもいいんだと
なっているところも
あるのかもしれない
今回の病気のことは
熱があるの?に始まり
どれも返事をしなかったので
ほとほと困り心配した
次男は
いつかママが
どれほど大変だったか
頑張っていたか
お兄ちゃんを大事に思っていたかを
知らせて
お兄ちゃんを叱っておく
お兄ちゃんみたいに
自分が損をすることは
わざわざしないと
話している
わたしとしては
日常会話ができない不便さも
あるけれど
長男に運んだ食事が
部屋で腐っていることが
今のところはショック
最近の長男は
何かわたしにたいして
誤解や勘違いがありそうで
この3年
まともに話してくれない
ここのところは
返事もしなくなった
旦那は長男に
どうして話さないの?
ママを大事にしなさいと
言ったことは
一度もない
わたしの悪口しか
息子たちに言わない
わたしもさすがに
虐待されてきたのに
パパはあなたたちのことを
大事に思っているとは
言えないけれどね…
いつか
長男と話せる時がくるといいな
それまで
静かに待っていようと思う
最近
何度も
くだらないはなしを
長男と話して
ふたりで笑っている夢をみる
夢の中で
長男がしゃべっている
よかったと安心する夢を
何度も 何度もみる
長男が話さなくなった時
悩んで
反省したり
自分を変えたり
したけれど
長男は
何も言われたくないのだろうから
今は
うまく距離をおいている
わたしがこんなに
長男と話せないことに
心を痛めていることを
旦那には理解してもらえず
長男も
知らない
わたしが神経質で
旦那はそうではないと
なぜか初め
ドクターや
相談員さんには
思われやすかったのだけれど
実は
旦那がかなりの神経質で
わたしはどちらかというと
ずぼら
というのが事実
それは母親だから
子供に何かあれば
心配はするでしょう
心配しない方がおかしいのでは?
というのが
事実だった
だけれど
前ドクターに
お母さんが心配しすぎなのでは?
事実は違うのでは?と
言われていた時期があって
社会的に信用があり
外面がよい旦那だから
わたしのはなしは
信じてもらえない
子供たちを助けてもらえないという
どうしようもない時間が
長く過ぎていった
現実を認めたくない
世間体を気にする母からも
あなたがワガママなのでは?
旦那は悪くないのでは?と
言われてきたので
DVや虐待が
本当はたいしたことではない
のではないか
世の中に
旦那のようなひとは多くいて
わたしが
我慢すればよいだけなのではないか
わたしのやり方が悪くて
わたしがおおげさで
わたしの不安が強くて
わたしがおかしいのではないかと
思うようになった
夫婦の問題は
片方だけが悪い
ということはないと思う
だけれどどの程度
旦那が間違っているのか
ということが
どんどんわからなくなっていき
子供にさまざまな症状が
現れてくることだけをみて
その部分だけ解決しようとしていた
先日
お仕事中の旦那から電話があった
わたしに電話をかけてくる
なんてないから
驚いたのだけれど
内容は
デマと発表された
ロックダウンについてだった
まだ発表されていないけれど
ロックダウンが決定したから
食料品を買ってきた方がよい
とのこと
それはありがとうと
冷蔵庫の中身が少なかった
ということがあり
慌てて発表前にと近所のスーパーに行った
次男が
わたしの様子をみて
いつもの旦那の嘘ではないかと
言ったので
ちょっと考えたのだけれど
それでも
本当だった場合家族みんなが
困るからと
買い物に行った
後からデマとわかったのだけれど
両親も
慌てて買い物に行き
宅急便を送ってくれていたので
わたしは両親に謝った
母は
デマでよかったじゃない
旦那のおかげで宅急便が送れたからと
言っていて
わたしもデマならデマで
よかったわと
話していたのだけれど
旦那だけ
デマではないと最後まで
わたしに
八つ当たりしていた
前記事の
わたしが蹴られた時もだけれど
自分が悪くても
悪くなくても
嫌な思いをさせて
ごめんなさいが
旦那に
あればよかったのにねと
思う
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