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2020年6月 1日 (月)

正しいばかりがよいとはかぎらない

わたしは

自分の気持ちの整理と

同じ悩みのかたのヒントになるといいな

という気持ちで

あれこれ ここに書いているけれど

 

たいして何も

できていないと思う

 

旦那は

長男には

大きくなるまで身体的虐待

次男にはネグレクトということを

してきた

 

虐待を目撃した次男は

2歳くらいから

外に出られなくなった

 

息子たちはふたりとも

わたしを守ろう

助けようとしてくれていて

わたしを助けられないことの

辛さ

 

虐待も

わたしが我慢していることも

自分たちのせいではないか

という思い

あるのでしょう と思う

 

長男は今

自立しようと

頑張っている

 

次男は

尊敬できる担任や

信頼できるドクターに

恵まれた

 

できれば長男も

カウンセリングを受けた方が

よいと思うけれど

なかなか難しい

 

わたしのことや

家庭の改善は

ささっとやりながら

 

息子たちのことは

ゆっくりとやっていきたい

 

わたしの

今までのやり方が間違っていた

のかもしれないけれど

 

気づいたら改善してきたので

それは

間違っていたら

間違っていたな と思うくらい

 

 

もっと丁寧に

子育てをしたらよかったと

後悔することは

度々ある

 

離婚したらしたで

離婚してほしくなかったと

子供たちは思うかもしれない

 

離婚しなかったらしなかったで

離婚して欲しかったと

子供たちは思うかもしれない

 

不登校の子をもつ親のかたがたと

話していた時に

学校に行きたくないと

子供が言った時

 

わかったと言ったひとと

取り乱したひとがいて

 

わかったと理解したひとの方が

一見よいように

思えたのだけれど

後に

取り乱して無理に連れて行って

欲しかったと

子供に責められたそうで

 

かたや

取り乱したひとのなかには

やりすぎて

親子の信頼関係が

なくなってしまった

と嘆くひともいた

 

どちらがよい

なんてことは

本当にわからないことだと思う

 

家族が全員仲良く

家族が全員うまくやらなくてはと

考えていると

みんなつぶれてしまう

 

誰が悪い

誰が悪くない

というわけではなく

 

それなりに

生きていければいいかな

 

良くなれば

やり方がよかったということで

 

悪くなれば

何かやり方が違っているから

他のやりかたを考える

という具合に

できたらいいかな

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