並ぶところの足形
薬局にしろ
スーパーにしろ
カフェにしろ
ソーシャルディスタンスで
並ぶときは
離れて並ぶように
なっているこのごろだけれど
足形があるところと
ないところがあって
足形がないと
あさっての方向に向いて並んでいるひとや
テープの印のところに
離れて並べていないひとが
いるので
テープだけでなく
大きめの足形をつけてあげたら
立つ方向も
立つ場所もよくわかって
いいのになと
思う
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薬局にしろ
スーパーにしろ
カフェにしろ
ソーシャルディスタンスで
並ぶときは
離れて並ぶように
なっているこのごろだけれど
足形があるところと
ないところがあって
足形がないと
あさっての方向に向いて並んでいるひとや
テープの印のところに
離れて並べていないひとが
いるので
テープだけでなく
大きめの足形をつけてあげたら
立つ方向も
立つ場所もよくわかって
いいのになと
思う
次男の
単位のための旅行が
GO TO !?になって
行かざるを得なくなった 汗
今回も
体調不良のお子さんや
コロナの感染リスクへの代替えは
なしと
決定したそう
残念…
そんななか
次男が
前記事のように病気になり
病院やドクターについては
今まで
記事にも書いてきたように
散々なことがあったので
どの病院に連れて行くべきかと
わたしは慎重になった
現在次男は
やっと理解してくださる
担任や
拒食症のドクターに
恵まれているわけだけれど
そこまでの道のりは
長く険しく
母子ともにつらいことが多くあった
学校の先生
精神科のドクターだからといって
みなさん
理解
してくださるわけではなく
次男を
悪化させるようなことを
平気で言ってくるかたも
いらっしゃった
わたしは
パワーバランスみたいなものに
圧倒されて
小さくなりながらも
このままではいけないと
何度も相手と話し合い
新しい挑戦も繰り返してきた
わたしの
狭い範囲内での
一方的な世の中の見えかたを
書いているから
違う立場のかたからするとまた
違う
かもしれないけれど
まずは
学校の先生
先生からの
よかれと思っての
子供が
言われて傷つく言葉や
無謀な要求というものは
かなりあって
例をあげたら多くなるので
ここは省略
同じ立場のお母さんなら
当たり前に
子供に言ってはいけない
要求してはいけないことと
わかることを
まるでわからない先生は
フリースクールだとしても
いらっしゃる
次にドクター
ドクターからしてみれば
よかれと思い
アドバイスや
次男への勇気付けをしたつもり
だと思うのだけれど
その
はっきり言って
余計なこと
が原因で
今まで頑張ってきたことが
一瞬で後退して
次男の立ち直りまで
長い時間がかかる
ということがあった
内科は
理解してくださるドクターが
比較的多いと感じるけれど
皮膚科で
わたしと次男が
一緒に行動していることや
わたしが
次男の荷物を持っていることを
恥ずかしいことだと
教えようとする
ひとりでできるはずだと
なにかとアドバイスをしようとする
学校に行けていないことを
悪いことのように言う
人は怖くないのよ
という
こちらが求めていない
おかしな励ましを続ける
(皮膚科にはただ
ほくろの検査で行っただけです)
というドクターがいらっしゃった
そんなドクターの言葉に
今のままではいけないのだと
次男の精神状態が
かなり悪化したこともあった
そのことを
学校でご相談したら
すぐに学校が病院に出向いて
理解を促すと
言ってくださったのだけれど
もうその病院には
行かないからと
お断りした
どちらかというと
若いドクターや
薬剤師さんは
治療中の病名やお薬などをみて
ささっと配慮してくださるのだけれど
ご年配のかたは
理解できないことが多いので
わたしが
予防する
次男を守る
ということが必要になる
次男は
世間一般の考えかたなど
痛いほどに理解していて
世間から攻撃もされ
責められ続けて生きてきた
そんな次男に
さらに
何か言ってやろう
などは
自己満足にすぎない
ネットコメでいわれている
なんとか警察
自分が正しい症候群
のようなものだと思う
それで亡くなるひともいるわけだからね
それにしても
理解しないひと
理解しようと努力しないひとには
関わらない
ことが一番だけれど
次男のような病気と
関わる必要がある立場のかたは
付き添いのかたや
お母さんのはなしを聞いたり
よくお勉強されたりした方が
いいと思う
泌尿器科では
泌尿器とは関係なくドクターに
かつ丼好きでしょ
食べ過ぎ
などと言われて
次男が食べられなくなったこともあった
わたしは
そんな関係ないことを
ドクターから言われるとは思いもせず
次男が
かつ丼が好きなわけでもなく
いったい
どうやったらそんな話が出てくるのか
腹立たしかった
でも何もできなかった
通学途中のカフェのひとに
わたしと次男が
一緒に通学していたら
お母さんから離れなさい
などと言われたこともあった
これは
学校から
おはなしに行ったようだけれども…
理由あって
していることなのに
理由を考えず
求められていないのに
自分はこうだったから
正してあげよう
または
気に入らないからと
関係ないことを言ってくるひとは
無視すればよいだけ
なのだけれども
なかなか無視が難しいときもある
わたしも
常に
自分をしっかり持っていなくては
惑わされたり
混乱したり
いちいち動揺してしまう
そんな
余計なことを言われる
予防のために
病院の受け付けで
先にご説明することも
あったのだけれど
それでも
かつ丼のように
防ぎようがないこともあって
病院選びには悩む
個人病院は
次男に合わなければ行かなければいい
どこへ行っても
いただくお薬は同じなので
ならぱ優しい
おはなしを聞いてくださるドクターに
お世話になればいいとは
思う
そんなわけで
今回は
次男と相談して
長男が以前お世話になった病院に
行くことにした
わたしは
病院や薬局で
常に警戒していなくてはと
思いながら
何かあれば
さっと守れるような
強い母でいたい
守れなかったらさらりと
フォローできるようになりたいと
考えた
なかなか難しいけれどね
でも
次男が安心して自立できるように
考えかた 思い癖などを
次男に
教えてきたから
多少のことは次男が
解決できるかな
わたしよりしっかりしてきたからね
とも思っている
だけれど
病気や不安で
弱っているところに
なにかに言ってくる必要はないと
思うのだけれどね
よかれと思っているひともいるので
同じ苦労をしないと
わからないものなのかな
そもそも子供が
わかっていないなら
わたしが教える必要があるけれど
わかっているのだから
何も言わないで 涙
さらに傷つけないで 涙
もうやめて と思う
***長い文になりましたが
最後まで読んでくださり
ありがとうございます***
ここでいきなり
魂の繋がりについて考えてみます
スピ メインなので
おかしなことを書いています
苦手なひとはスルーしてください
*****
わたしは
青空の彼との出会いは
偶然が重なりあった必然で
わたしが彼のところへ
行った
という風に
思っていたのだけれど
彼に呼ばれた
ということが
最近になってわかった
神社に呼ばれた
みたいに
彼のハイヤーセルフに
呼ばれていった
ということだったみたい
神社には
大声で呼ばれて
朝イチで
初めての巨大神社に
よくひとりで行ったなと
思う 汗
それは置いておいて
彼が
誰かのために
頑張ったり
誰かを守るために
力を尽くしたりするひと
ということは
よくわかっているけれど
その高い志というのか
その努力や
パワーはどこから?と
いもむしみたいなわたしは
尊敬する
なんだかやっていることが
彼とわたしとで
正反対な気もしてくる
そして
正反対ゆえに
見えかたも正反対で
魂の繋がりを感じる
わたしが
彼に出会ったことで
彼の目標がはっきりとする
ということができていたなら
違っていたら
ただの自惚れで
恥ずかしいけれど
もしそうなら
そういう目的で
わたしは
彼に
呼ばれたのだと思う
会わない間は
彼は彼の使命に向かい
行動されていたのでしょうね
多分だけれど…
その辺の石ころみたいに
小さなわたしも
彼の
何かのきっかけに
なっていたのではないかしら
なんて
思うわけで
わたしがいないと
生きていけない
とまではいかなくてもね
わたしがいたから
みたいなものが
存在していたら
役立てたみたいで
嬉しいな
わたしはというと
彼に出会ったことで
自分をとりもどす
ということができた
もし
すぐに結ばれていたら
想像しただけで鼻血←下品でゴメンなさい
が出そうだけれど
それで満足してしまい
何も変わらなかったかも
しれない
なんかの映画にあったじゃない?
あっ
アジャストメント
それに
ツインソウルは
お互いの成長のために
離れることが約束されていると
いわれている
すぐに結ばれていたら
それはそれで
かなり幸せだったと想像できるけれど
わたしには
当時
彼を支えるにあたり
力不足な部分があったかもね
だけれど今まで
ここまでこれたら
彼に会えるのではないか
わたしの力不足や未熟さで
彼に会えないのではないか
彼にふさわしくない女性だから
ダメなんだ
などと
わたしが境界線を作って
きたことに気づく
来い‼️
怖いもはない
やってやるー
みたいなね
器とわたしの経験値が必要だったのかも
???
自分で書いていて
何書いているのか
わからないけれども 笑
進むことで
何か大事なものを失うかも
うまくいかないかもしれない
という不安を
膨らませていたら
うまくいくと
信じているひとに比べて
恋がうまく
進んでいくわけもなく
神様が
チャンスをくださるだろうから
天に任せよう
今じゃないよね
今はやめておこう
相手が動くまで待とう
などと
自分が楽な方に逃げると
どんどん時間だけが過ぎて
相手の気持ちが変わってしまった
なんてこともありそう
実は
先日までは
両片思いでした 残念 チャンチャンみたいに
それに
恋について 良い 悪い
成功 失敗を考えすぎると
ちょっとラインで
たま~に
おしゃべりしようよ
というゆるーい気楽な始まりが
期待できないよね
好きになればなるほど
嫌われたくない
失いたくないと
考えすぎて
ガチガチに緊張してくる
せっかく
ともに
歩んでいけた
素敵な時間を過ごせたかも
しれない
パートナーなのに
もったいない
そのひとがいなかったら
今の自分はないと
気づいたなら
いやそんなことよりなにより
ただ好きなのなら
とにかく動くべし♪
過去にとらわれず
次のステージへ進むときが
来ているのかもしれないよ
子供の苦労や
家族の苦労は
苦労にならないから
いろいろ大変なことが
あっても
どちらかというと
わたしは
支えられることに喜びを感じて
反省もして
自分の成長にもなったわと
考えているのだけれど
DVは
苦労というより
苦痛なので
回避するしかないと考えて
行動している
そんななか
次男のおなか下あたりに
粉瘤のようなものができて
かなり大きさが
あったので
病院に連れていくことに
なった
次男は長男とは違い
わたしと行動できるけれど
病院に行くこと自体が
大変で
前記事にも書いたような
慎重なサポートが必要になる
でも今回は
痛みがあったので
次男も
病院に行こうかなという
気持ちになっているようだった
患部をよく見ると
飛び出していて
中になにか入っているようなので
これはすぐにでも
病院に行くしかないと
思った
すると
そこにいた旦那が
だるそうに
虫さされでしょ!と
言って
患部を見ることもなく
ばかにしたような態度で
病院なんか
行かなくてもいいと
言い出す
何度も
病院なんか行かなくてもと
旦那が言っているうちに
次男の患部が
破裂して
血とうみのようなものが
ポタポタ出てきてしまった
次男が震えていたので
わたしが
慌てて
傷口の手当てをしたり
ウイルスや細菌が
関係あるかもしれないから
傷口を清潔にしたり
落ち着いてから
温水で
下着などを洗ったり
洗濯機を除菌コースで洗ったり
していたのだけれど
旦那は
いつもながら動かなかった
今日は
病院がお休みなので
明日行くことにして
傷口に
バイ菌が入らないようにするには
服薬するか
消毒するかだよね
栄養失調で
抵抗力も落ちているから
などと考えていたら
ひょっとして
(お風呂掃除は毎日しているけれど)
風呂釜が不潔なのではないか
という
姉からのアドバイスがあり
ジャバはできないから…と
悩んでいると
旦那は嫌みを連発していることに
気づかないまま
お風呂の小物を買い換えろ
などなど
あらゆる嫌みを連発してきた
そんなこんなで
お風呂掃除をしたり
次男をみたり
家事をしたりしていたら
わたしの気持ちが
いっぱいいっぱいになってきて
こんなにたくさんのことを
わたしひとりでできない
という不安や怒りがわいてきた
体調の悪い次男が
手伝っている
旦那は
いないなら
別によいのだけれど
目の前で
暇すぎてやることがないのに
知らん顔をしている
さらに
旦那が
病院の邪魔をしてくること
嫌みを言ってくることが
重なって
子供を大切にできない
旦那への
どうしようもないわたしの
腹立たしさが
止まらなかった
明日病院に
わたしがひとりで次男を連れていきます
いや連れていきます!と
宣言してからも
旦那は
走って逃げたり
次男の病気から逃げたりしていた
わたしは
プレッシャーやストレスに弱いから
栄養指導を受けたり
体重のこと
などをひとから言われると
やらないでと言われれば
言われるほど
やりたくなる心理が働くように
わたしは
プレッシャーで
食べてしまうところがあって
逆に次男は
栄養指導で
全く食べられなくなる
どちらかというと
わたしは
誰からも
何も言われないで
自由にさせてもらえたら
勝手に
栄養バランスを考え
カロリー制限をして
なんとなく
やせていく
次男も食べるようになる
いや
愛されている実感や
誰かを愛しているうちは
口角が上がり
やせていくものらしいから
寂しさが
食欲中枢を刺激しているに
違いない
いや
女の子の日が
関係していて
ホルモンがさ
などとぷくぷくの言い訳を考えてみた
ものの
お酒を飲みたいひとの
言い訳
おいしいおつまみがあるからさ♪
みたいに
なってしまった 笑
そもそも
最初にぷくぷくしたきっかけは
産後
痩せていたわたしに
旦那が投げかけた
太った
こんなに太るとは
詐欺にあった
外に出たら太りすぎで
通りすがりのひとに笑われている
という
言葉だった
その時は
寝不足と母乳で痩せていたと
思うけれどね…
ついこの前までは
喘息や無呼吸がひどくなるからと
1日のカロリーを
減らしたら
すぐに痩せていたのだけれど
年齢のせいか
知らず知らず
怒りながら
ストレスで食べているせいか←それな
ぷくぷくが安定してきた様子 汗
このままでは
メタボリック街道にまっしぐら
ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァ
それとなぜか
これはわたしだけ
の感覚かもしれないのだけれど
喘息で
呼吸が苦しくなったり
発作止めを使ったりすると
何か口に入れたくなる
喉がいがいがしてきたら
飴をなめたくなるような
魚の骨を
ごはん粒で落とすみたいに
たんを
落としたくなるような
いえば
そんなかんじで
アハハ例えがおかしいけれども
水分ついでに
食べる また食べる
だから
呼吸が安定しないで
発作止めを頻繁に使うと
ぷくぷくしてくる
そして
食べたら
喉?がつまる
あー喉?が細くなっているのだなと
実感する
それでまた
不安からなのか
なんでもいいから口に入れたくなる
うーん
自立神経も関係あるのか
心の問題かしら
普通喘息なら
食べられなくなりそうだけれど
ただの食いしん坊?
馬肥ゆる秋ってやつ かも?
ダイエットは
成功しないからみんな
健康でいられるわけだけれどね
コロナぶとりということに
しておこうっと
***完***
長い間
貧血に悩んできて
胃もたれがする鉄剤を
しぶしぶ飲んでも
改善されなかった
それどころか
新しい鉄剤を飲んだら
1日1キロ
体重が増えてしまう
1週間で7キロ増えてから
かかりつけの先生に
ご相談したのだけれど
原因がよくわからず
貧血治療で
元気になって食べたのかな~
ということになった
赤身のお肉を食べるように
ドクターに言われたので
赤身のお肉を安く購入
アレンジレシピで食べていたら
小さな赤血球が多くなった
恐るべし 赤身のお肉
そして
貧血が改善された
今度は
コレステロール値が高くなり
コレステロールを下げるお薬を
飲んだら
また
1日1キロ体重が増えた
普段から
お料理には
動物性ではなく
植物性の油を使うように
気を付けていたものの
それから勢いが止まらなくなり
結局10キロ以上
増えてしまった
ぷくぷく(太っている)のわたし
なぜお薬でそこまでぷくぷくに???
コレステロールのお薬は
体重だけではなく
足が痛くなって
胃がかなりむかむかするので
サボりサボり飲んでいる…
青空の彼も
知っているように
わたしは
以前からぷくぷくは
していた
以前は
ストレスによる
やけ食い!と
ぷくぷくしてモテないから
女性のお友達が増えて嬉しい
というおかしな安心感
が原因だったと
思うのだけれど
最近は
次男と美味しいねと
食べなくてはいけない
という
わたしが勝手に感じている
プレッシャーが加わり
わたしは
食べたいとも
思っていないのに
美味しいねと
口に入れるようになっている
食べ物が
おいしい日もあるけれど
正直
食べ物が
面倒くさいというのか
食べることが
楽しくない
苦痛を感じる
という日もある
好きなものを
好きな時に
好きなだけ食べる
という次男の治療に
付き合ううちに
次男が食べたくない時は
そっか
食べたくないんだねと
共感だけすれぱよいのだと
わかったのだけれど
少しでも食べてもらいたい
という母心から
食べてもらいたい気持ちが
滲み出てしまい
食べなさいよと
言わなくても
次男のプレッシャーになっている
わたしも次男も
感みたいなものが
するどいから
なにかと
気づきすぎるところがあって
イライラしているひとや
怒っているひとが
近くにいると
全身の疲労感がひどい
負のオーラを
まとっているひとの
近くにいるだけで
影響を受ける
そしてわたしは
ストレスで食べる
次男は
ストレスで食べない
となる
拒食と過食は同じ問題と
言われているから
というわけではないのだけれど
食べるも食べないも
根っこの問題は同じ気がするこのごろ
***続きます***
だいたいわたしの
予知は
すぐに起きることもあるものの
一年後
二年後
ということもあるので
義理実家のことなどは
強いメッセージとして
夢に現れるのだけれど
死
に関係することは
現実で
虫
として現れる
今回異臭騒ぎがあって
二年前くらいの
記事にも書いた
わたしの
地震予知夢を思い出した
あれから実際に
夢の建物を見つけた
その建物で
何度か画像のようなものも
みた
3.11の前には
海水の渦や
たかた たかた
という声を聞いたので
異臭騒ぎは
もしかしたら
地震が近いのかもしれない
避難のしかた
備蓄
充電
貴重品
毛布や寝袋なんかを
用意しておいた方が
よいと思う
備えあれば憂いなし
ということでね
続きになるけれど
冬に
次男の単位を取得するため
マイナス30℃になる場所に旅行
ということで
喘息の吸入薬が凍るのでは?
ドクターヘリをお願いするしかない場所なので
緊急時困るのでは
ということで
悩んでいたのだけれど
前回は
拒食の次男と喘息のわたし
ふたりで死にに行くことに
なるよね
旦那は行けと言うけれど
ということで
冬は中止にして
夏の旅行に
参加する予定
だった
担任の先生が
聖者のような男性なのと
学校が子供を守る体制と
癒しを全面に出して
受け止めてくださるのとで
日々
次男とわたしは
普段の学校のことは
安心できるというものの
今年の
夏の旅行が
コロナで中止となり
代替えが東京では難しいので
夏休み中に
東京で少しお勉強して
残りはなんとまた
冬の旅行に変更となった
しかも冬の旅行は
体育(ハードな運動)の単位だけとなる
なんだか
密すぎたけれど
夏のお勉強は終了してきた
特にしばりはないから
次男がこのまま
大学に進学してしまう
という方法もあったのだけれど
旦那が
学費を出さないでしょうね…
ということもあり
高校の単位を取得してから
大学を考えている次男としては
自分の体調と
お手伝いに入るわたしの体調を
考えながら
なんとか
単位を取得していきたいらしく
学校に行けば
静かで
みなさん優しく
なにひとつ次男に負荷をかけず
なので
この環境でなければ
次男は生きてはいけなかったでしょうねと
おおげさでもなく思う
だから
他の学校や
認定試験で単位をとる
ということは
今のところ考えていない
現在
授業は再開されて
ふたりで参加している
ただ
今回
冬に旅行が変更になり
また行けないとなると
さらに来年が冬
再来年が夏
ということになる
夏は夏で
白樺や
アレルゲンのオオガワガエリが
群生しているところで
ハードに運動が
単位になるので
わたしは
夏なら
大丈夫とはいかないけれど
冬よりはましかな
次男のドクターが
運動制限の意見書を書いてくださる
のだけれど
わたしが付き添うので
お母様のひとこえで
学校側は柔軟に対応します
とのこと
前回夏の旅行に行った時も
どんな希望でも
ささっとさりげなく
先生が応えてくださるので
本当に驚いたほどで
他の親のかたたちが
とても親切で心強かった
高校は
8年生
まで所属できて
その後コースも用意してあるようなので
次男のモチベが下がれば
認定試験に変えて
お勉強だけ教えていただくことも
できる
また
別のコースも用意されている
学校としては
旅行について
何かよい方法はないのか
模索しているようだけれど
お国の
しがらみが増えて
単位について
体調不良の場合の
旅行の代替えがないそうで
今回もまた
冬に行くしか
なくなってきた
夏旅行も冬旅行も
日々のお勉強も
他に
持病があるひとなんて
多くいらっしゃるから
このさいズームでよくない?
もし
ワクチンが完成しても
抗体ができるのかどうか
わからない
副反応もわからない
医療従事者や
持病のあるひと優先
といっても
遠回しに にごして書くと
それがはたしてよいことなのか
みなさん
迷われているようだから
ワクチン接触してから旅行と
なったとしても
ワクチンに怖さがあるので
わたしも次男も無理かな
新薬は10年くらいかかるもの
らしいから
あまり期待できない
コロナは
弱毒化しているそうだけれど
集団免疫までは
長い時間が必要なのかなと
想像する
そんななか
旅行先でひとりでも発病したら
帰れなくなる
それに
社会を動かすために
情報操作されている部分も
あるのではと
次男とは話しているのだけれど
今のところ
会食やカラオケは✕な
わけだから
旅行(旅行という名の映画八甲田山)
はないでしょうと
わたしは思う
だけれど
冬の旅行の予約が始まるそうで
いったいどうしたらよいものか
次男の体重では
感染したら大変なことに
なるでしょう
わたしも
大変なことになるでしょう
次男の学校の
いつもお世話になっている先生がたは
子供に負荷をかけないので
癒しの空間が
出来上がっているのだけれど
外部からいらっしゃる
先生がたは
そこまでではなくて
さらに
次男の学校の
音楽の授業などは
なんとも独特な世界で
私達が学んだ音楽とは
違い
何が起こるのかわからない
とはいえ
次男は
私達が学んだ音楽の時間
というのも知らないわけで
いきなりソロに
指名されている
自由な授業というのも
緊張の連続
わたしにしかわからない程度に
動揺したり
気もそぞろだったりの次男を
わたしが
サポートするにあたり
間違えると
次男が食べなくなり死に近づく
うまくやれば
自信になる
わけだけれど
相当細かな
気配りや作業が必要になる
周りの環境はというと
かげろうのように参加している
今にも消えてしまいそうなひと
逆に積極的に参加しているひと
いろいろ
子供たちは
みんな優しい
授業の感想を書くとき
次男は
手が震えたり
字がおかしくなったり
授業の記憶がなかったり
するので
事務室でのんびり
ふたりで書かせてもらっている
それでも
一字 一字
わたしが書いて見せないと
うまくいかなくて
完成したころには
ふたりでヘトヘトに
途中
緊張を和らげるために
わたしが
おかしな感想を書いて
ふざけてみたり
相談しながら
笑ったり
していると
白紙でも大丈夫よと
みなさん言ってくださるのだけれど
次男が
やってみたいと言ったことは
可能なかぎり
すべて
経験させている
言わなければ
やらない
だいたい
次男みたいなタイプは
やってみたいなど
言わないだろうと
世間のみなさまは
思うかもしれない
わたしも以前はそう思っていた
ところが
他にもいろいろな選択肢が
用意されていて
何もしないも
OK
という環境なので
しばらくすると
やってみる
という言葉が
本人から出てくる
ほんと驚く
他の方法が
用意されていると
次男が
失敗した
という失敗経験や
間違えた
という緊張感がなくて
やりかたがあわなかっただけ
やりかたを変えてみよう
しばらく休んでみるのも
楽しいことだけやるのも
よし
と感じられるものだから
何年も
かかることもあるけれど
ある日突然
次男のやってみるが
次男から出てくる
そこで
どうやってやっていくか
よくわたしと先生と
相談して
安心できるやりかたを見つける
それで
絶対ではなくて
当日
やっぱりやめるもOK
他のやりかたに変更もOK
やっぱり帰るもOK
とにかく
行っても行かなくても
どっちでもいい
という
絶対がない考えかたで
サポートすれば
やってみようかなが
次男から芽生えてくる
それまでわたしは
ひたすら待つしかない
そして
だるいよね
やっぱりやめてもいいよね
どっちでもいいか
などと
わたしが負の言葉を使い
わたしは平気だよを
みせておく余裕も必要になる
ひとをひとり
いやわたしの場合
ふたりかな
立ち直らせるには
とにかく受け入れて
時間をかけて待つしかない
そして自分も
リラックスすることが大事
何も変化していないじゃないと
思うときでも
見えないところは変化していて
いつか
機が熟すときがくる
きたるべき時は必ずくる
というもので
よくならなくても
いいじゃない
悪いままでもね
子供は
生きていれば
それだけで親孝行なのだから
相手に
何かを教えたいとき
例えば料理として
自分の体調が悪いときや
忙しくて
イライラしているときに
いきなり相手に
料理をやらせて
できないじゃないかと
追い詰める
というのは
教えるにならない
教える
というのは
手取り足取り教える
ということで
社会には
みて学べ
自分だって
教えてはもらえなかった
という考え方のひとも
いらっしゃるけれど
自分の子供にも
そう言えるかしら
そもそも
教えてもらっていないのに
初めから
上手にできるわけもないので
手を添えて
教える
必要がある
教える時は
教える側も
体調が悪いときや
忙しくてイライラしているとき
ではなく
自分も相手も
穏やかな状態で
時間に追われないとき
暇なとき
でなくては
教えるではなく
突き放す
になる
言葉だけで
説明しようとすると
うまくいかなくて
手を添える
必要がある
それで
できなかったら
やってみせて
また
手を添える
いいところはほめる
間違っていても
間違っている
という言葉ではなく
おしい
大丈夫
ゆっくりやろう
という言葉をかける方が
いい
相手が
緊張したり
追い詰められたり
しないで
自由で
楽しくできるように
自分が工夫する
ということが
相手の
できる
に繋がり
小さなできるが
重なると
大きな自信となる
お互いに
笑顔も増える
教えるは
難しいことだけれど
自分が
楽をしようとしては
うまくいかない
相手が
落ち着いた環境にいないと
教えたことは
何も残らないと
わたしは思う
介護問題について
あまり前に出ることもできず
わたしの
出番はなさそうなので
みとりのホームに
たまに
旦那が行くと決めた時だけ
わたしも面会に行く
というパターンになりつつある
のだけれど
まいど
旦那は怒っていて
なぜか
わたしが
旦那のご機嫌とりをしなければいけない
という面会になる
今回は
簡単なお弁当を作って
みんなで食べながら行ってきた
前記事のおまんじゅうは
みなさんにも
義理の両親にも
すっと受け取られて
喜んでもらえた
あれだけ
おまんじゅうに
怒っていた
旦那は
自分が用意したようにして
小さい食べやすいやつだからさと
偉そうにしていた
完全に記憶は
旦那の都合のよいように
自分が用意して
気遣った
になっていた
まっ それでもいいけれどね
それよりなにより
面会に行ってみて
驚いた
短期間で
義理の両親に
余裕がなくなっていて
以前のホームの時のように
お肌がつやつやで
小綺麗にされておらず
元気がなく
こんな言い方は
失礼だけれど
汚ならしくなっていた
義理の父が
しっかりしているので
一生懸命に
みとりの問題点や
苦痛を
旦那に訴えていたのだけれど
旦那は
ひとごとのよう
または知らん顔だった
おそらく
介護スタッフが
コロナの影響で
かなり少なく
さらに外国のかたしかおらず
車椅子の父が
あちこち歩く母の
面倒をみなくてはいけない
という大変な状況で
病院もなく
義理の父の
リハビリもないので
父の体も弱ってきた
という様子
こんな短期間に
ふたりが
こんなに変わっているとは
思わなくて
お部屋に入ることができれば
ある程度わたしが
お世話できるけれど
入れないので
どうにかしてあげたいと
思って
わたしは
ショックだった
どこも同じようなかんじかしらとも
思うけれど
Kさんが
麻薬が使える??
新しいホームを予約している
そうなので
そちらにまた
お引っ越しになるのかなと思う
なぜホスピスではないのかしらと
不思議に思ったのだけれど
細かくメールしてきてくれる
Kさんに
そうすれば?
了解
などと気持ちのない
返事だけしている旦那は
わたしに何も伝えられないので
詳しいことはわからない
それに
お引っ越しや延命については
嫁のわたしが
決めることではなく
スタッフとの打ち合わせで
困りごとの
お願いごとをする立場でもない
下手に
施設への苦情と
受け取られてしまうのも
義理の両親の負担になる
結局旦那は
両親も放置
子供も放置
わたしも放置なのだから
義理の両親はKさんが
やっているように
わたしのことはわたしで解決
長男のこともわたし
次男のこともわたし
がひとりで解決することになる
いざとなったら
さすがに動くだろうと
Kさんは
旦那に
まだ期待していると
思うのだけれど
次男に命の危険があると
診断された時も
長男がアカ☆ラで死にたいくらいに
悩んでいた時も
病気も
放置
で今まできた旦那なのだから
結局
親のことでも
いつものように
何もしない
いざとなったら
放置
になると思う
ホームに持って行く
差し入れを用意するにあたり
度々ホームに行っている
Kさんに
遠慮がないからいいかなと
考えて
旦那から
ホームに持って行くものはないか
聞いてもらったのだけれど
旦那は
ない
何もないと言った
ならば
近所で一番美味しいと
言われている
小さなおまんじゅうを
一番小さい箱を
義理の両親用
少し大きめな箱を
みなさんに
で
持って行こうかと
旦那に話したら
ダメとは言わなかったので
何回か確認して
ではと
わたしは
コロナが心配だったものの
次男についでに
美味しいものでも買おうと
おまんじゅう屋さんに行き
用意した
そこにはもちろん
義理の母が最後だから
美味しいものを
というわたしの気持ちと
施設のみなさんに
お世話になっているから
一回くらいは
気持ち 持っていきたい
という
わたしの思いがあった
もし
ホームの入り口で
みなさんに
受け取れませんと
言われたら
持ち帰って
私達がいただいたらいい
もし
義理の両親に
差し入れにしては
カロリーがちょっと
となったら
持ち帰って
私達がいただいたらいいと
旦那に話していた
まぁ
気持ちの問題だからね
買ったおまんじゅうを
次男に食べてもらったら
これは上主菓子みたいだから
胃腸の弱っているひとにも
気に入ってもらえると思うよ
と言ったので
安心した
旦那が帰宅したので
今日ね
話していたおまんじゅうを
買ってきたんだよ
ついでにみんなが好きなものも
と
ウキウキしながら
こっちの小さい箱が義理の両親
こっちの大きな箱が
みなさんになのと
旦那に見せたら
旦那が突然
わたしに
怒りながら飛びかかってきて
わたしが持っていた
小さな箱を手ではらうようにして
義理の両親の?
こんなのいらないって言ったよねー!
次に
大きな箱を手ではらうようにして
みなさんに?
こんなの いらないって言ったよねー!と
怒鳴った
わたしが
驚いていたら
旦那が
さらにギョロ目でわたしを
睨み付けて
カ☆ビーの駄菓子を持って行くと
言ったよね!
言ったよね!と
言いながら
息を三回ほどハァーとふきかけてきた
は?←と思ったわたし
わたしは
椅子に座り
冷静に
今までのいきさつを
すべて旦那に話した
わたしが
駄菓子は初耳だけれど?と
言ったら
旦那が
さっき
駄菓子持って行って欲しいと
Kさんからメールがきたんだよ!と
叫んでいる
ならば
わたしが
知るわけもない
ホームはお金が持てないので
コンビニもスーパーもないから
駄菓子が買えない
義理の両親が
Kさんに駄菓子を持ってきて欲しいと
お願いして
Kさんが持って行った
ということは以前に聞いていた
だけれど旦那は
お金を持たされていないから
という想像が
できないので
おまんじゅうより駄菓子なのだ!と
叫んでいる
そこでわたしから
この前
Kさんが
施設から
小さなおまんじゅうを出されて
義理の両親が嬉しそうと
話していたよね
ということ
わたしがおそらく5回くらい
おまんじゅう買ってくるねと
言ったとき
旦那は
ダメだとは言っていなかったよね
ということ
さっき
旦那に届いたメールの内容など
知らされていないわたしは
知るわけもないよね
ということを
説明した
そうしているうちに
差し入れはもう十分だからいい
という
Kさんからのメールが届いたようで
わたしが
何も持っていかないで
いいのねと
言ったら
今度は
おまんじゅうは食べるでしょうと
旦那が言い出した
結局
駄菓子は持って行かず
おまんじゅうを
持って行くことに…
いったいなんなの?と
わたしは傷ついた
旦那が
親のために
おまんじゅうを買ってきてくれて
ありがとうとは
わたしに言わないだろうと
思ってはいたけれど
飛びかかってくるとは
思っていなくて
とにかく傷ついた
こういう
日々の出来事が
わたしのダメージになり
日々の日常を
旦那とともに暮らしていこうとは
思わなくなる
相手を
どうにかしてあげたい
今より
よくしてあげたいと
思うとき
その気持ちは
美しいもの
称賛されるもの
かもしれないけれど
そこには
相手を頑張らせようと
する
ということが存在していて
相手に何かをやらせ
相手に負荷をかけるようになる
もう頑張らなくてもいいよ
とは
なかなかいかず
自分の
正しいと思うことに基づいて
よかれと思い
こうであるべきだ
こうすればよくなるはずだ
と
自分の価値観や
自分が正しいと信じて疑わない気持ちを
相手に
押しつける
だけれど
それでは
よい方向にはいかないよね…
だってそれは
自己満足にすぎないから
弱っている相手を
さらに傷つけることにもなる
自分より
弱い
かわいそうなひとだと
思うこと事態
相手を
見下しているともいえるかな
実は
世の中には
こうじゃなくてはいけない
など
存在していなくて
自分が頑張っているのだから
おまえもできるよな
やれよ
というギブアンドテイクな
精神は
もはやいただけない
だけれど
与える
だけの無償の愛は
いただける
そもそも
自分が正解だと思い込むやりかた
など
正解ともいえず
世の中には
さまざまな考え方や
さまざまな方法があり
なにもしないことが
相手を救うことだってある
相手が
何を嫌がって
何を喜ぶのか
ということは
わかっているようで
わかっていないことが多くて
自分の育った環境
難しい書籍から
判断しようとすると
どうしても
一方的な解釈になる
誰にでも
プライドがある
ものだけれど
ある程度
地位や名誉があると
プライド
というものが
余計に聞く耳もたずに
してしまうかも
自分の
欲や自己満足を
すべて手放して
相手と
静かに向き合うことで
見えてくるものがある
どこまでやるか
どこまでやらないか
はたまた
何もやらないのかの
さじ加減は
自分に
振り回されていると
わからなくなるもので
自分の感情は一度
フラットな状態にして
自分の
不安や心配にとらわれず
目の前に起きている問題の
考え方をかえる
ということができたら
自分が
不安や心配を
生み出していたと
わかる
相手を
よくしてあげたいと
思う時は
相手を頑張らせたり
何かをやらせたりして
相手に負荷をかけるのではなく
相手を休ませる努力をする
相手が
楽しいと思う生活環境に
身を置けるように
一緒に寄り添う
ということが
必要なのではないか
何かしてもらえる
いいことを言ってくれる
じゃなく
そばにいてくれる
だけでいい
大切なひと
愛するひととは
そういうものだよね
わたしが購入した
長男の
敏感肌用の
アレルギー用 洗える布団が
柔らかいこともあり
何度も洗濯しているうちに
破れてしまった
わたしは
破れを
はしごまつりに
していたのだけれど
こんな風に
一針 一針
丁寧に
橋をかけるようにして
繋げて
また繋げて
心の傷も
縫っていければ
いいのに
破れてしまった心も
最後の糸を引っ張ることで
すっと
救われて
一針 一針
丁寧にやってきたことが
形になって
まぁ 多少は
傷は残るものの
そんなこと気にならない程度に
心も
ちくちく縫って
軽くしてあげられたら
いいのにと
思った
そんなに
簡単なことでは
ないのかもしれないけれどと
考えながら
わたしは
最後の
たま止めをした
恋愛 夫婦 家族の問題で
相手が
自分の思いどおりになることなんて
そもそも
あまりないこと
だと思うけれど
強い願いを持ったり
思いどおりにして欲しい
なぜしてくれないの?
と思うことは
生きていればあるよね
もし
思いどおりにならなくても
思いどおりにならない
自分を許す
思いどおりにならないことを
愛する
ということができたなら
心穏やかな毎日に
なりそうで
思いどおりにならない相手を
許す
ということをしてみても
どこか無理があったり
あきらめ
みたいな気持ちで
許すのなら
それはちょっと
許すとは違うのかもしれない
相手を
許してしまえば
自分が解放されるわけだから
できれば
自分のためにも
相手を許したい
そんな時
自分の学びになった
このことがあったからこそ
大切な気づきがあった
今の幸せ
これからの幸せがあったと
学びという
解釈をすることで
感謝の気持ちも生まれてきて
心穏やかになれる
そもそも
強い願いは
叶わないから
強い願いになるわけで
叶わないという願いも
一緒に願ってしまっている
だから
強い思いや
叶わない辛さ
そんな気持ちを手放すことで
いろいろな難しさから
解放されると思う
まずは
相手に思いどおりにしてもらえない
自分を許す
ということが
大事なのではないかな
帰る時まで旦那は
施設のひとにご挨拶をしなかった
なるべく
わたしが前に出ないように
旦那を前に出したのだけれど
いつの間にか
旦那が遠くにいて
わたしが
お手伝いしますと言いながら
前に出ていた
いつものことだけれど
今回の旦那は
ソーシャルディスタンスにしては
遠くにいて
離れすぎていた
施設のひとも
関係性が
わからなくなったようで
わたしを娘かと思い
注射のことなど聞いてきた
次回面会に
孫を連れてきていいですか?
密になりますか?と
聞くと
孫にあわせたいと願うわたしが
娘だと思われてしまったようで
わたしに
赤ちゃんがいるとも
誤解された
???
何歳だと思われたのかしら…
すべてが終わって
お疲れ様でしたと
Kさんに声をかけ
手土産を渡していると
旦那が車で
もう帰ろうとしていたので
慌てて帰った
旦那は行きも帰りも
Kさんが車を降りても
降りなかった
仲が悪いわけでもないのに
会話もなかった
それにしても
Kさんが120点で
義理の両親に
至れり尽くせり
義理実家は
夫婦愛や親子愛にあふれていて
完璧だったので
わたしは
力一杯お手伝いしたものの
何もできなかった気がして
情けなくなった
夜になっても
いたたまれなくて
不甲斐なくて
涙が出てきて
朝まで眠れなかったほど
一般的に
介護については
みんな
何もしてくれない
わたしばかりが介護
という悩みが多いと思う
だけれど
わたしは逆で
あまりにKさんが完璧だったので
立場がなかった
唯一
持って行った布団が
小さな女の子のようになった母に
気に入ってもらえて
ほしいと言われたので
プレゼントできて嬉しかった
義理の母は
ガタガタ寒そうだったから
少しでもお役に立ててよかったと
思った
時代もあると思うけれど
施設では
管理され
生かされている
ということに驚いた
自分の母の
自宅での介護は悲惨だったから
祖母のことが
かわいそうに思えた
施設は
暴言 暴力があると
受け入れないようだったから
義理の父はしっかりしていて
義理の母も大人しいから
良かったと思う
月々の支払いは
かなり高額だと思うけれど
自分達でお支払いされているようで
ありがたいことだと思う
わたしなんて
下品だから
老後みんなに迷惑をかけそう
それに
老後
1日でも長く旦那のそばに…とは
なりそうもない
共白髪は
世の中の
理想ではあるけれど
なかなか義理の両親のようには
なれないと思う
旦那が
最後まで
わたしを世話する
なんて言わないでしょうからね
以上
お引っ越しは
こんな様子で終わりました**
同じ立場のかたの
コロナ中 ホームお引っ越しの
参考にでもなれば幸いです**
おはなしはどんどんと進み
kさんが
てきぱき てきぱきと
対応していた
みとりというのは
延命治療はしないのだけれど
まだ義理の母が若いので
たくさんの確認事項があった
点滴の使用は
血管がもろくて入らなくなるまで
行うか
酸素は
亡くなるまで使うか
義理の父の場合
救急で
気道の確保や心臓マッサージを行うか
ふたり分
考えなければいけなかった
旦那は無言だった
いつもながら
責任をとりたくなかったのだと思う
Kさんが
すべて判断して
大変な確認作業が続いた
施設のひとが
お母さんを
できるだけ長く
お父さんのそばにいさせてあげたい
ということですねと
言うと
Kさんが
そうです
酸素を使って
1日でも長くお父さんと
過ごさせてやってくださいと
答えていて
わたしは控えめに聞きながら
内心驚いていた
それから
あざができたり
骨折しやすいことの了承
入れ歯や
歯科治療の希望
歯ブラシの確認
病院の診察カード
通帳や印鑑
必要事項の記入
最後なので
好きな食べ物を
差し入れてください
何が好きですか?
という質問などなど
永遠続いた
わたしは
何もわからなかったけれど
旦那も
何も知らなかった
Kさんは
すべててきぱき答えていて
わたしなら
自分の親でも
ここまでできないわと
思った
旦那も
わたしも
サインをしたのだけれど
長男とサインしているのに
最後の方になり
旦那は
施設のひとに
長男さん?ですよね?と
言われていた
いつもながら
施設のひとから見て
旦那が誰だかわからないので
わたしも誰だかわからず
サインする時に
わたしはどうしても
長男の嫁と書けなかった
なぜかな
書く手が止まってしまう
***続きます***
みとりの説明と契約が始まる前に
Kさんから
先に帰っていいよと言われたのだけれど
大事なことだと思うので
私たちも聞くことにした
みとりの説明は
かなり長く
丁寧で
サインをすることも多かった
病院との違いは
看護師さんは夜にはおらず
普段
ドクターも
いないので
麻薬も使えない
痛みがあれば
救急車ということになる
義理の母の場合
今は歩けているけれど
今年になってからとある月には
もう難しい
と言われていたそうで
(知らなかった)
いつどうなるかわからない
病院なら
ドクターや
看護師さんがいるから
もうすぐ亡くなるのがわかり
事前に
家族に知らせることができて
いわゆる
死に目にあえるのだけれど
みとりでは
もう数日かなというのは
わかる時もあるけれど
元気なひとが
突然亡くなる
ということや
夜中に亡くなっていて気づかなかった
ということがある
死亡確認も
ドクターがくる曜日じゃなけれぱ
遅れる
葬儀までの手順も
病院とは違う
ということを了承して欲しい
などなど
おはなしが続いた
***続きます***
みとりのホームに到着すると
こちらもコロナで入り口までしか
入れず
荷物は預けて
義理の両親とは
面会室でお別れとなった
本来は
コロナで
面会禁止なのだそう
末期のかただけは
面会が許可されている
その時
車椅子の義理の父から
お小遣いをもらう旦那を見て
わたしは
がく然とする
ひとのことは言えないけれど 汗
その姿が
目に焼き付いて離れなくなった
以前は
わたしにと
義理の母から
買って行ったものの分を
お小遣いとして返してもらったり
孫へのお小遣い
その日外食に行かなければ
お小遣い
お誕生日のお祝いを
少しいただいていたのだけれど
今回は
義理の父が
旦那に渡していたので
旦那はポケットに入れていた
ホームは
お金の管理ができないので
Kさんが用意したものだと思う
今まで
義理の母が気を利かせているのかと
思っていたけれど
義理の父が気を利かせていたと
わかった
やたらドライな対応だったり
放置したりするところは
義理の母から旦那への遺伝だと思う
それにしても
体が不自由な義理の父から
お小遣いをもらうとは
思っていなかったので
複雑な気持ちというのか
ショックだった
とはいえ
交通費や買い物にお金がかかるのだから
助かるといえば
申し訳ないけれど
助かる
面会室に入ると
Kさんが
義理の母の手をとり
ゆっくりと話しかけた
私たちの
説明もしてくれた
義理の母が
わたし
よくわからないのと
小さな女の子みたいに
なっていて
Kさんが
大丈夫よと
笑顔で答えていた
義理の父は
忙しいのによくきてくれたね
ありがとうと
言ってくださった
さらに
義理の父が
施設のひとに
義理の母の面倒をみたい
自分がお世話してあげないとと
話していて
体が不自由なのに
夫婦愛と義理の父の優しさを
ひしひし感じた
Kさんも
義理の両親に
至れり尽くせりで
何度も面会に来ていて
必要な衣類や持ち物などを
甲斐甲斐しく用意していた
話している様子をみて
親子の愛を
ひしひしと感じた
わたしは急に
自分が役立たずの
クズのように思えてきて
恥ずかしかった
ふと旦那を見ると
義理の父からは
長男として愛されていることが
伝わってきたけれど
どうやったら
この家族のなかで
このような旦那が育つのか
不思議に思えた
義理の母が旦那を
わからなかったからか
何もしなくていいと
考えていたからか
コロナが心配だったのか
全くわからないけれど
旦那は
何もせず
何もしゃべらず
立っていた
その後
義理の両親がお部屋に行き
施設のひとからの
長い説明が始まる
***続きます***
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