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2020年10月 7日 (水)

何かしてあげたいとき

相手を

どうにかしてあげたい

今より

よくしてあげたいと

思うとき


その気持ちは

美しいもの

称賛されるもの

かもしれないけれど


そこには

相手を頑張らせようと

する

ということが存在していて


相手に何かをやらせ

相手に負荷をかけるようになる


もう頑張らなくてもいいよ

とは

なかなかいかず


自分の

正しいと思うことに基づいて

よかれと思い

こうであるべきだ

こうすればよくなるはずだ

自分の価値観や

自分が正しいと信じて疑わない気持ちを

相手に

押しつける


だけれど

それでは

よい方向にはいかないよね…


だってそれは

自己満足にすぎないから


弱っている相手を

さらに傷つけることにもなる


自分より

弱い

かわいそうなひとだと

思うこと事態

相手を

見下しているともいえるかな


実は

世の中には

こうじゃなくてはいけない

など

存在していなくて


自分が頑張っているのだから

おまえもできるよな

やれよ

というギブアンドテイクな

精神は

もはやいただけない


だけれど

与える

だけの無償の愛は

いただける


そもそも

自分が正解だと思い込むやりかた

など

正解ともいえず


世の中には

さまざまな考え方や

さまざまな方法があり

なにもしないことが

相手を救うことだってある


相手が

何を嫌がって

何を喜ぶのか

ということは

わかっているようで

わかっていないことが多くて


自分の育った環境

難しい書籍から

判断しようとすると

どうしても

一方的な解釈になる


誰にでも

プライドがある

ものだけれど

ある程度

地位や名誉があると

プライド

というものが

余計に聞く耳もたずに

してしまうかも


自分の

欲や自己満足を

すべて手放して

相手と

静かに向き合うことで

見えてくるものがある


どこまでやるか

どこまでやらないか

はたまた

何もやらないのかの

さじ加減は


自分に

振り回されていると

わからなくなるもので


自分の感情は一度

フラットな状態にして


自分の

不安や心配にとらわれず


目の前に起きている問題の

考え方をかえる

ということができたら


自分が

不安や心配を

生み出していたと

わかる


相手を

よくしてあげたいと

思う時は

相手を頑張らせたり

何かをやらせたりして

相手に負荷をかけるのではなく


相手を休ませる努力をする


相手が

楽しいと思う生活環境に

身を置けるように

一緒に寄り添う

ということが

必要なのではないか

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