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コロナの前から
さまざまな病気のかた
障がい者のかた
のなかには
引きこもらないと生活できない
かたがたがいた
好きなときに
好きなだけ
外出などできなかった
好きなこともできなかった
健康なひとには
わからないこと
だけれど
終わりのみえない
そんな日々が
永遠続いていた
その間
さまざまな病気のかたや
障がい者のかたがたは
テレワークや
自宅での学習について
訴えてきた
なのになかなか進まず
コロナになって
いきなり
テレワークや
自宅での学習が
できるようになった
健康なみなさんは
コロナがおさまるまでの我慢と
考えていると思うのだけれど
大切なもの
愛情
家での時間
物を大切にした時間
引きこもり
自由になれなかった苦しい時間を
よく覚えていてほしい
引きこもるひとを
単純に怠けていると差別
興味がないからと
知らん顔をしてきた
ひとは
自由がないかたがたが
自分らしく
家で生きていけるように
よく考えてほしい
優しい世の中に
なってほしい
以前書いた
スピなはなしなのだけれど
わたしが聞いた
鐘の音は
いったい何だったのか
実際に聞き比べて
調べていたら
ノー☆ルダム大聖堂の鐘の音
だったとわかった
なぜ空から
よく知らない大聖堂の鐘の音が
したのか
時間が交差したのか
わからないけれど
コロナと関係あるのかな
それとも
天使たちの祝福の鐘?
はたまた
ツインレイの
シンクロニシティ?
いや頭痛?
なんて
ゴロゴロしながら
おかしなことを考えていた
それから
地震予知を書いていたのだけれど
去年と
日にちを間違えていて 汗
書き直したら
その
書き直した日に
地震が起きた
地名が違ったから
わたしが予知した地震とは
違う気もするけれど
どちらにしても
被害がなくてよかったわ
今年最後に
浮気の記事も書いてしまいました 汗
今年もわたしの
つたない記事におつきあいいただき
ありがとうございました
母をみていて思う
母は
孫の世話も介護も
仕事もしていないから
暇
暇ならゆっくり休めばよいのに
休むことが苦手
あれこれ考えて
妄想もふくらみ
余計に不安になりやすい
そんなときは
家族に
わけもなく不安で心配だ
なんだか疲れてイライラしてきた
心がざわついてきた
などと
家族のせいではないという意味も
こめて
素直に
気持ちを言葉で伝え
指先を動かしてみたり
お母さん休むねと宣言して
好きなことをして
ゆっくり休んでみたりすれば
よいのだけれど
母のように
ひとを休ませない
自分も休むが下手なひとは
無理に
不安をなくそうとすると
悪化してくる
「不安は不安のままでいい」
世間一般にいわれている
早寝早起き 運動にこだわりすぎると
つらくなる
自分を
心地よくしてあげるには
自分らしさが必要なのだけれど
そこんとこ
母にはわからないみたい
母は
家族のための家事や
趣味でやっている畑仕事が
嫌い
苦手
でも得意なようにみせている
お手伝いさんに育てられたから
仕方がない部分もあるのか
わたしは自立して家庭があるので
次男のドクターに
次男の考えかたとして
教えていただいたように
親を越えていけばよい
親にも旦那にも
巻き込まれないように
すればよいと思いながら
やってきた
親のよいところは真似して
悪いところは真似しない
というシンプルな考えかた以外に
親のことを
きょうだいで話す
という解決方法がある
きょうだいがいらっしゃるかたは
共通の悩みで
一番よく理解してくれるのは
きょうだい
なので
親の悩みは
きょうだいで話して
分かち合い
気晴らしをしていくのが
よい方法だと
ずいぶん前に
心理相談で言われたこともある
可能なら
きょうだいや近いひとに
話して
親からの負担を
うまく消化できたらいいなと思う
しつけは別として
親が子供に
嫌がられることばかりしていたら
嫌われるのは
当たり前で
子供が喜ぶこと
子供にとってよいことを
考えている親に比べたら
どれだけ未熟かと
残念に思う
ひとが嫌がることをするのは
手っ取り早くて
ひとが喜ぶことをするのは大変だからね
嫌がることばかりしているひとは
幼稚な印象
母も
ついでに旦那も
嫌がることをしている
という自覚が本人にない
旦那は
たまに がつんと入ることが
あって
それはくだらないことなのだけれど
例えば
誰かに
クチャクチャうるさくて嫌だから
(そのときは)
ガムを噛まないでと言われたから
6年間
ガムを食べなかっただとか
そんなこと
旦那は
DVや虐待など
当たり前に相手が嫌がることを
していて
それは嫌がることに
入っていない
旦那は平気でわたしに
息子たちに
嫌がることをするから
わたしが嫌われるのだと
言ってくるほどに
自覚がない
いつも
旦那は悪くない
わたしが悪い
という堂々とした態度でいる
そもそも
旦那の言う
息子たちが嫌がることをわたしがした
とは
わたしが
幼いころから
息子たちに歯磨きをさせた
(歌を歌いながら強制的に)
だとか
最近
ハラスメントなどの
困りごとを解決した
ということだと思うのだけれど
歯磨きについては
いかにも息子たちが
嫌そうにしていたから
旦那にわかりやすかったのかと
想像できる
でもこれは
嫌がることではなく
息子たちのためにしたこと
だよね
最近
ハラスメントを解決したことも
息子と相談していたけれど
息子は
嬉しそうにはしていなかった
嫌そうにしていたというより
困っていたと
思う
これもまた
嫌がることではなく
困りごとを助けた
だよね
だけれど
最も嫌であろう
DVや虐待について
旦那に何も
自覚がないというのは
何事も
わたしのせいにしているからなのか
家族には何をしてもいいと
旦那が勘違いしているからなのか
はたまた
わたしたちが嫌を表現できていないのか
いや旦那が
わたしたちの気持ちを汲み取れないのか
謎
もしかしたら
わたしの母と旦那に
威圧的な態度という共通点があるから
旦那にたいして
わたしの反応が鈍くなっていて
例えば
旦那に
死ねと言われても
わたしが反応しなかったり
旦那に
理不尽なことをされても
どうせ逃げられないと
わたしが
無感情になっていたのかも
という気もしてきた
どちらにしても
母も旦那も
変わることはないので
わたしが変わるしかない
わたしも母のように
子育てが下手で
子供が嫌がることばかりしたり
子供を脅すような育てかたを
してきたのではないかと
考えていると
旦那の
嫌がることをするからだは
あながち
間違いでもない気もしてきて不安になる
でも
過去はやり直せないけれど
未来は変えられる
母のようになりたくないと
思いすぎてもおかしな雰囲気になるので
息子たちが
静かに休めるように
わたしが気をつけていけばいいかな
次男がお誕生日で
親権がなくなったのだけれど
旦那は
毎年
お誕生日おめでとうと
言わない
お祝いの食事だけ
無言でガツガツ食べている
言いやすいようにしてみたけれど
おめでとうを
言わなかった
長男のお誕生日も同じ
わたしから長男に
おめでとうの気持ちだけでも
伝えられたらよかったけれど
長男の心は
まだ解凍されていないから
難しかった
わたしは
これを機会に
前記事にも書いたように
DV相談で動こうとしたのだけれど
コロナと
義理の両親のことで
ストップしている
わたしの人生
どうなるのだろうと
不安になるけれど
息子たちのことだけ
しっかり
みていようと思う
次男が
長男は
そろそろ
親を大切に思うおとしごろ
ではないかと
言った
いまだ
親と
しゃべらなかったり
少なくはなったけれど
怒った様子だったりの
長男
これで
結婚でもしたら
お嫁さんが気の毒だわ
もしかして
マザコンじゃなくてよかったと
お嫁さんが思うかな?と
わたしが
ぶつぶつと話していたら
次男が
親を大切にできない男性を
マザコンじゃなくてよかったと
思うような女性は
そこまでのひと
同類
自業自得だから
結果
お嫁さんが
大切にしてもらえなかった
としても
同情する必要もないと
言った
さらに
親を大切にしなさいと
長男に
言ってくれるような女性が
理想ではあるけれど
親を大切にするのが当たり前と
思っている女性は
親を大切にしていない
長男のことを
よいとは思わないだろうと
言った
次男… しっかりしている
苦労してきたから…
しばらくして
わたしもそこまでの女ではないかと
気づいた
どんまい
母のことも旦那のことも
幼いころから
または結婚してから
ずっと解決しようと
さまざまなことを
やってきたので
いまさら
なことばかり
書いているのだけれど
親からの愛情というのは
親は我慢をして
欲しいものを買わず
食べたいものを食べず
子供に与えるというものと
仏教の教えで聞いたことがある
子供はそのことに
恩を感じたり
感謝したりする
ならばうちは
母は
たいして我慢しないで
母の欲しいものを買い
母の食べたいものを食べてきたから
無理に
恩を感じたり
感謝ってそもそもに書いたように
感謝は感じるもので
無理をしてするものではないから
感謝しなくてはと思ったり
罪悪感を抱いたり
しなくていいのではないかと
思う
私たちが
いいこすぎるのではないかと
姉とときおり話している
わたしと姉は
子供のやりたいことや学費を
優先するけれど
わたしの両親は
私たちのやりたいことや学費を
優先しなかった
ふたりはただの無駄遣い…
時代もあったと思うけれど
両親の子育ては
両親の代で終わり
多少影響されても
わたしと姉が
間違っていたと感じるものは
反省しながら
引き継がれていないと思う
ところで
もも宅の愛犬は100歳過ぎているくらいに
長生きで
まだ元気そうなのだけれど
どうやらアルツ☆イマーのようで
わたしが世話をしている
愛犬の様子をみていて思ったのだけれど
世話をする側が
イライラしたり
怒ったりしなければ
愛犬はのんびりと過ごしている
イライラしたり
怒ったりして
やたら刺激すれば
状態がひどくなる
犬と同じにするのも
どうなのか
だけれど
アル☆ハイマーの祖母に母は
イライラしたり
怒るばかりしていた
だから祖母も
落ち着きがなく
問題行動が増えた
それが姉とわたしの
介護トラウマになっている
義理の母を
みていて思うのだけれど
やたら刺激しなければ
老人は小さな子供にかえり
のんびりと過ごせるのではないか
犬にしても
子供にしても
老人にしても
お世話をするひとが
そんなものだと
ありのままに受け入れて
好きにさせておけばいいか
くらいに
思っていれば
お互いに
おだやかに暮らせるのではないか
こうでなくてはいけない
こうあるべきだは
ないのに
愛情があり
なんとかしてあげたいという
気持ちから
いい嫁になろう
いい親になろうと
思えば思うほど
お互いに辛くなる
だから
解決しようと躍起になるのではなく
何もしない
またはやめてみれば
状況が変わるのではないかと
わたしは思う
最近
両親には支払いのことで
負担をかけたから
申し訳ないと思っているところに
貧乏などなど言われるとは
思わなかった
それほど母の
負担になっているのなら
申し訳なかったけれどと
ここでも罪悪感たっぷりのわたし
でも実は
だいたいが
父がやってくれていることで
母は
父ほどやってはいない
父はというと
孫は元気か?
そうかそうか
くらいで
母のようなことは何も言っていない
姉は
ことあるごとに
母がひどすぎると
かなり怒っている
あるお金のなかでやりくりする美徳
慎ましやかに生きる
子供にお金がかかるときだから
節約している
というわたしの気持ちを
母は
みっともないと勘違いしていて
母が使わないで捨てるものを
もったいないからと送ってもらうと
わたしが貧乏で生活できていないと
母は
思うらしい
次男の病院で
次男はいつも
笑って話しているけれど
つらそうな顔や
無理だから
という表情をしても
いいのではないか
それをやらないと
他人につらさが伝わらない
という指摘があって
ああ
わたしと同じではないか
と
わたしはショックを受けた
子供は親からの愛情が欲しいから
いいこでいる
反抗する
病気など体で表現する
という方法を選ぶ
同じように育てたつもりでも
兄弟 姉妹が
いいこ
反抗する
病気がち
な子供になるのは
生き残りをかけて
さまざまなタイプに変化していく
というわけ
いいこも疲れる
反抗も
怒られてばかりで大変
病気も
自己犠牲
そんな子供を
あなたはいいこだ
あなたは悪いこだ
あなたは弱いこだと
決めつける親にならないよう
理解が必要
自分も子供だったわけだから
理解できるはず
メディアで
偉いお坊様がおっしゃっていた
お坊様のお父様はお坊様なのだけれど
お父様とお母様との関係で
腸煮えくり返るようなことや
自分が死ねばいいのかと
苦しんだことがあったらしくて
恥ずかしいから親のことは隠しがちだけれど
みなさん同じような悩みで
お寺に相談にこられるとか
ふむふむ
お坊様のおはなしは
子供は親の所有物ではないに始まり
親の問題と自分の問題は
離して考えた方がいい
他人だとさらりと聞き流せるはなしも
親だとカチンとくるもので
親だから理解してほしいと
子供は思うけれど
近所のひとと話すような感覚で
聞き流していけばよい
子供は
はやく親をこえることが大事
老いたらみな子供にかえる
親からは
老いを学び 知る
親からは
逃げても逃げ切れない
親の不満だけ聞いていると
会うのも嫌になるけれど
こちらから質問してみる
長い人生経験で知るところを
教えてもらう
ということをしてみたら
会うのも苦痛にならなくなった
おやねたできょうだいが結束するとよい
というような
おはなしだった
お父様がお坊様だけに
知恵というものはたくさんお持ちでしょうから
質問して頼りにすれば
喜ばれることでしょうけれどね
わたしも
母にお花や焼き物の質問をしてみたら
母は
嬉しそうにいろいろ
教えてくれた
ここからぐちぐちしてくる
わたし
毎日
少ない生活費で
頑張っておいしいごはんを作り
欲しいものは
たまには買うけれど
欲しいものもたいして買わず
旅行にも行かず
外食もしないで
息子たちの付き添いやケア
看病を
ひとり長年頑張っている
旦那はいつも無視
虐待やDV
朝から夜までの旦那の様子を
話せば
よいところなどひとつもない
よく長年我慢してきたねと
驚かれるくらい
そんな旦那に残された
浮気しない真面目さが
消えてしまうと
何も残らないのではないの?
などと考えていると
急に
旦那が
おそとでお金を自由に使い
ゴージャスなお食事をしていることに
腹が立ってきた
いやそこ?
そんなおそとのひとに
お金を使うなら
わたしに
プレゼントはないにしても
せめて
息子たちにクリスマスプレゼントは?
お年玉は?
誕生日のお祝いは?
それよりなにより
家族への感染リスクを考えていないのか
ということが一番
腹が立つ
だけれど
わたしにメリットがなさそうなので
旦那を放っておくことにした
証拠を消される前に
証拠を押さえなければ
慰謝料にも関係してくるからと
思ったのだけれど
なんだかしんどくて
どうでもよくなってきた
わたしには
収入がない
持病がある
息子の看病もある
一番に寒がりで寒い…いやそこ?
そんな理由もあり
考えるのが面倒になった
まわりの友人も
父も
浮気をしたことがないから
浮気なら
どのように対応したらよいのか
いまいちよくわからない
そういえば以前
浮気の証拠みたいなものを見つけて
なにげに
旦那に聞いたことがあった
すると旦那は
仕事をしているのを
浮気と勘違いしている
信じていない
なら浮気してやるからな
とかなんとか叫んで
何か勘違いして
めちゃくちゃにキレていたっけ
もも宅は
家族全員にアレルギーがあり
わたしも旦那も
アレルギーのお薬を
服薬しているので
さまざまなことに気をつけている
食べ物はもちろん
洗剤
肌にふれるものから
肌に使うものまで
敏感肌用などなどにしている
だから
旦那に
湿疹や腫れを見せびらかされても
もも宅で使用しているものは
何も変えていないから
わたしには
ひどくなる原因がわからない
旦那は
酔っ払っていようが
熱があろうが
お風呂に入って
髪を洗わないと
次の日に
会社に行けないひと
なので
帰宅後
お風呂の時間がやけに短くて
髪が乾いたまま
すぐに出てきた日は
おそとのお風呂に入ってきたことが
わかりやすい
さらに
においで
連絡なしで
おそとでゴージャスなお食事を
してきたとわかる
そんな時なのか
夕食は?と
わたしが聞いたら
旦那はキレる
今日は飲み会で夕食はいらない
という連絡が
ない日の
旦那のおかしな言動には
わたしはずっと
不快感を感じてきた
だから最近は
何も言わないで
テーブルに夕食を置いて腐らせておく
ことにした
旦那は
夜中すぎに帰ってくることが
多いから
なまものだけは
冷蔵庫に入れてみたり
出してみたりしている
さて
おそとのお風呂に入ってきたと
気づいたことは
わたしから旦那に
何も言っていない
結婚してから
スキンシップもないので
疑惑の段階ではあるものの
浮気となると
ただ
気持ち悪いだけ
長年の経験から
おそとのお風呂に入ってきているよね?と
わたしが聞いたら
きっと旦那が
飛びかかってきて
下手をすると殴られ
予想外の暴言を吐きそうな予感しかない
いつくらいからだったか
忘れてしまったのだけれど
旦那が
おそとのお風呂に入って帰ってくる
(疑惑)
ことがあった
旦那の職場にお風呂はない
ひとりで銭湯や温泉にも行かない
お仕事で出張
泊まりのときは
事前に連絡がある
旦那は
皮膚科に通院しているのだけれど
おそとのお風呂に入ってきた
直後と
次の日にかけて
ぶわっと湿疹や腫れが
増えて
一気にひどくなる
そうすると
旦那は
表情を
これでもかとゆがめて
湿疹や腫れを
わたしに
見せびらかしながら
かいてみせる
わたしのせいだと
アピールしてくる
わたしから
いつもと違う行動をしていないか
話してみたのだけれど
旦那は
原因は
おそとではないと
言い張っている
きっと通院先の病院でも
正直に話していないのでしょうね…
だけれど
テレワークが続くと
湿疹は出ていない
最初は
お仕事のストレスかなと
思ってみたけれど
やはり
おそとで食べたもの
お酒などのんだもの
おそとで使った
シャンプーやリンス
整髪剤かなにか
ボディーソープや
オイルみたいなもの
そういうものが
原因ではないかと思う
湿疹の出方や腫れかたからして
オイルみたいなものではないかな
いや
おそと…って…
違う結果を得たい
のであれば
同じことを繰り返しては意味がない
自分が行動に移せば
未来は変わるのに
見えている結果ばかりに
意識を傾けている
同じことを繰り返しながら
現実が変わらないことを嘆いている
ということは案外ある
間違った道なら
同じ問題に向き合うことになるもので
これがまたね
これでもかと
わかるまで問題がやってくる
自分は何もしないのに
時がきて
誰かの力が働いて
うまくいく
だから待てばよい
なんてことはない
ほんと
待っていてもね ないのよ
自分が決断しなければ
動きはじめない
となると未来は
自分の速度で生きていきながら
自由意思で切り開いていくべし
ということになるかな
逃げることに
罪悪感を感じることがある
でも
逃げることに
守ることが存在するなら
問題はなさそうだよ
失敗したり
諦めたりして
逃げたことを
責める必要はないの
だって
自分の心を守れるのは
自分だけ
その逃げたは
心が壊れてしまう前に
逃げた
「自分の心を守るために
自分の意思で
一番いいと思う方法をとっただけ」
なのだから
冷たい言葉をかけられたり
ひどいことを言われたり
雑に扱われていいひと
など
いない
なのに
わたし ぼくは
何か足りないのではないかと
無意識に
自分を責めてしまうことがある
自分の
自己肯定感を下げたり
自分を
過小評価してしまう
その
原因になっている
人間関係は
できればやめましょ
案外
親 きょうだい 親友
身近なひとが
自分と同じような不足感から
不安や思い込みで
さまざまな助言を
言ってきている
そのひとたちの
言葉は
不安からでてきている言葉
だから
そのひとたちの
不安や心配
ネガティブな考えかたを
受け取らないように
一線を引く
心の境界線をつくることで
自分を守る
ということが必要になってくる
身近なひとは
なかなか実際に距離を置くのは
難しいからね
そんなときは
心の一線 心の境界線
実は
そのひとたちは
決して幸せでも
うまくいっているわけでもない
ただ同じような不足感
不安や思い込みから
判断して
あれはいい
これはよくないと
アドバイスしているだけ
だから
自分がいいと思えば
いい
自分がよくないと思えば
よくない
そもそも
なにごとも
やってみないとわからない
やる前から心配していたら
何もできないじゃない
それって
もったいない
だから
やってみたいことは
やってみてから考えたらいい
ときどき不安になる
彼に
本当は
忘れられているのではないか
わたしは一ミリも愛されていないのではないか
どうしてそんなことを
考えてしまうのかというと
わたしが
もっともっと
頑張らないと足りないのではないか
という不足感を
いつも持っていて
きれいな服を着ていないと
もっとやせないと
つくさないと
稼がないと
愛される資格がないのではないかと
思うから
そう思うようになった原因は
きっと
成績がよくないと
親にほめてもらえなかった
厳しい習い事をしていた
稼げないから 評価されない
という
経験をしてきたからで
常に頑張っていないと
まわりから認められない
好きなひとから愛されない
と
知らず知らず思うようになっている
愛されないのが当たり前
愛されたら奇跡
ならば愛されないままが自分らしい
これでいいんだ
まさか
愛されるわけがないもの
なぜかそこで安定
になる
だけれど
本当は
生まれたときから
何も持っていなくても
私たちの魂は素晴らしくて
何かしなければ
愛されないわけじゃない
愛され 祝福され 素晴らしい存在
そうでなければ
生まれていない
わたしはいつも
わたしの心を
最も大切にしないで
結局は
楽な方に逃げてきたのではないか
それも
最後までできることはした
最後まで
困難と立ち向かい
最もよい選択をして
後悔はしていないと
思いながら
戦ってきたつもりだった
だけれど
わたしは結局
自分のことしか考えていなかった
いばらみちに進めば
今まで見たことのない世界が
存在していたのかもしれない
子供のためなら
いばらみちをも迷わず進むのにね
わたしはずるい
こんな大変な時期に
わたしが彼を好きという気持ちだけ
ぶちまけて
わたしだけが
苦しんでいるかのようにしている
もし
彼がわたしの思いに
苦しんでいたら
それはあまりに悲しいことなのに
ところで
もし
わたしと彼が
一緒に過ごせたとしたら
さまざまな困難が想像できる
この困難
もう
乗り越えていける力がある
といえば
ある気もするけれど
わざわざ困難な道に進む必要が
あるのかどうかは
わからない
そんなことを考えていたとき
おや?と思った
わたしは
わたしの恋愛において
10代のころから
とても苦しんできたわりに
こうするしかなかったと思いながら
楽な方を
選んできたのではないか
結婚を反対されたときも
旦那と結婚したときも
もしかしたら
前世もずっと
同じ間違いをしてきたのではないか
という気もしてきた
比べるのはどうかと思うけれど
祝福されて
結婚して
子供を授かり
義理の両親には大切にしてもらい
介護もない
(だけれど虐待とDVがある)
という旦那と
彼との未知の未来を考えると
わたしの心の声は無視して
旦那からの
日々の苦痛さえ
わたしが我慢すれば
問題ないのではないか
という
おかしな考えに落ち着いてしまう
問題ありありなのだけれどね
わたしは
彼から旦那に逃げている
逃げられる場所を常に
用意している
わたしはずるい
彼は逃げる場所などないのかも
しれない
わたしがぷいと逃げてしまえば
何もなくなってしまうのかも
しれないのに
彼が連絡してくることばかり
期待しているわたしは
自分だけ傷つきたくなくて
ずるいのだわ
彼はきっと
慎重で
最善な方法を選び
ひととの関係や
ひとを大切にするひと
だと思うから
わたしみたいに
無謀なことはしないでしょうけれども
まっ
こればかりは
考えていても仕方がないから
そうなったら
そうなったときに
考えていけばいいかな
困難な状況になるかどうかも
わからないのに
今から考えても
しょうがないからね
後半 楽観的すぎるかも 笑
何も考えないで
彼が大好きと思っていたころは
今より若かったからか
守りたいものより
壊したいものがあり
失うもの 怖いものもなかった
突っ走ることが
良かったのか
悪かったのかはわからないけれども
11年前なら
突っ走ることもできた
だけれど
月日が経過して
これはお互いに
だと思うのだけれど
守りたいものが増えた
失いたくないものも増えたと思う
ふと
不倫になるなら
慰謝料が発生する
彼が
社会的地位を失うかもしれない
守りたいものや
失いたくないものを
守れなくなったり
失ったりするかもしれないと
思うようになった
いやそんなこと
わかっていたことだけれども…
わたしが逆の立場なら
避けたいことでしょう
なのに
わたしは彼が大好きだと
伝えている
まるで
彼のことなど考えていない
わたしのことしか
考えていない
彼の幸せを願うなら
好きなどとは言えないはずなのに
わたしは今まで
旦那が嫌だから
青空の彼に逃げているだけなら
そんなつもりは
全くないのだけれど
よくないよねと考えていた
彼もきっと
何かから逃げているのでは?と
わたしに
言っていたから
わたしが
何かから
逃げているのだろう
彼に依存しようとしたり
彼に逃げている
だけなのだろう
くらいに
初めは
思っていたかもしれない
本当のところは
彼に聞いてみないと
わからないことだけれど
だけれど
ふと
青空の彼から
逃げている
それも
彼から旦那に逃げていると
気づいた
***続きます***
久しぶりに
ちらっとだけれど
青空の彼の姿を動画で見た
お元気そうでよかったと
思ったら
涙があふれてきて
なぜわたしは
泣いているの?と
思った
相変わらず泣き虫なのだわ
幸せすぎて
体が温かくなって
胸が痛くなった
明日も頑張ろうと
わたしは
泣きながら笑った
大好きすぎて
クリスマスプレゼント
11個
彼に渡したいくらい アハハ
ありがとう
そこにいてくれて
本当に
ありがとう
クリスマス
年末年始は
やたら日本人にざわめきが起きて
感情が揺り動かされる
コロナで大変ななか
それどころじゃないよ
というかたも多いとは思うけれど
できれば
意識を静かに保ち
心が安定するようにしたい
でもついつい
寂しくなったり
騒ぎたくなったりする
今年はメディアで
クリスマスや年末年始は
家族で過ごそうと言われているけれど
家族って
なんだか寂しい響き
ひとりで頑張っているかたも
いらっしゃるでしょうからね
もも宅は
次男とご馳走を作って食べる
という
ささやかで幸せな
ふたりだけのクリスマス
家族に愛を
というかんじ
形があるということは
そこから学び
成長できるということ
というけれど
だからと
やたらに張り切り
無理をして頑張るのは
続かない
学びや成長なんて
しなくていいや
と腑抜けになるときがたびたび
ある
そんな大変なことをしないと
好きなひとと会えない
幸せになれないなんて
どこかおかしい
楽して会えても
楽して幸せになれても
別にいいじゃない
学びや成長だって
ほどほどにしておかないと
辛いことばかりで
人生の楽しみがなくなる
足かせを自分でつけて
楽しむことを忘れてしまうのも
なんのために
生まれてきたのかわからなくなるじゃない
やってられないよ
きれいごとは
ときにうんざりしてくるし
書いているうちに飽きちゃう
みなさまが
辛いことを解放して
ありのままで
大切なひとと
愛と信頼でむすばれますように
メリークリスマス
では
親のはなしに戻りますね
*****
母から言われてきた
男の子が欲しかった
わたしが
男の子だったらよかったのに
という言葉は
わたしの
どうにもできない罪悪感になり
わたしの結婚を反対したときも
母は
男の子を産めなかったからだと
被害者のように泣いていた
もし母が
義理の父母のように
ひととひとを
比べるようなことはしないで
男の子 女の子関係なく
命を大切に考えて
世襲制や男の子にこだわるのは
おかしいと
生きていたら
母自身が苦しむこともなく
家族も
苦しむことはなかっただろうにと思う
親なら
子供を育てているうちに
疑問に感じたり
さまざまなことに気づかされたりすると
思うのだけれど
母は
今は幸せだわ
お母さんになれたことが一番の幸せ
などと言いながら
子供をひとりの人間として尊重しないで
間違った考えかたを
押し付けている
なぜ子供であるわたしが
悪いことをしたと
罪悪感を感じなければいけなかったのか
悪いのは
母の考えかた
であって
それを改めて
子供を守ろうとしなかった
ことが
問題で
わたしが問題なわけではない
家柄を守ろう
子孫を繁栄しようとして
差別的で非道徳的な
考えかたで生きていけば
家を守れず
繁栄することもなく
衰退していく運命となる
わたしも
偉そうなことは言えないけれど
みんなで
幸せに暮らしたいのなら
親が
差別的で非道徳的な考えを
改めるべきだと思う
親の一生懸命さは
子供にはわかるけれど
親が子供を
子供のためだからと
束縛して
子供が
親の期待どおりに育った
として
子供の心がズタズタで
怖いものがたくさんあっては
意味がない
近道しすぎだ
それに
子供に
幸せになって欲しい
という親の一番の願いは
子供が
ありのままでいられずに
心がズタズタで
怖いものがたくさんあるのなら
幸せなんて
感じられないわけだから
子供のためといいながら
親が
親のために生きてきた結果
親の一番の願いが
叶わなくなっている
大切なものは
大切にしておかなければ
離れていく 壊れていく
250年待った
風の時代の始まりが
22日だったので
彼から
メールやコメントが届いたら嬉しいな
何かアクションがあるかも
記念日にするには素敵じゃない?と
1日待ってみたけれど
何もなく
23日になった
待つのも
がっかりするのも
わたしが勝手にしていること
だけれど
彼のことでも
苦しい
という終わりのない日々を
12年に入るほど続けている
これも経験と考えていいのか
わからないけれど
2020年
令和2年
12月 22日
2がいっぱいのチャンスは
終わった
リアルな日常から
いきなりはなしは変わります
*****
予言を信じるわけではないけれど
世界中の予言のなかには
これは本当かも
というものがあって
もしかしての準備をしておく
のもよいのかなと思う
予言のなかには
来年2月に
スーパーバグが発生して
人類の9割くらいだったかしら
が亡くなる
という予言がある
以前
12月20日から
パンデミックが起こる
という予言もあったとおり
コロナが変異した
ようなので
終わりの見えない苦しみ
というものを
経験していないかたや
使命を感じる立場のかた
にとっては
苦しい日々になるのではないかな
わたしは
大なり小なり
それらを経験してきたので
不安が全くないといえば
嘘になるけれど
わたしにできることをしていればよい
自然に身を委ねるというのか
なにごとも
慌てることではないよね
心穏やかにあろうと
考えている
コロナと戦っているかたがた
には
頭が下がる思いだけれど
わたしにできることは
当たり前にいわれていることと
光になれるように
努力すること
になるのかな
義理の両親は
みとりのホームをお引っ越ししたのだけれど
わたしは知らなかった
今回は
お引っ越しのお手伝いに行かず
会いにも行かず
時間が過ぎている
毎日
かなり暇そうな旦那がまた
義理の両親の放置を始めた
わたしと旦那は
しばらく会話がなかったのだけれど
わたしから旦那に
思い切って
ホームのことを
次はいつ行くの?と聞いてみたら
行かないけど!と
にらんできた
お父さんとお母さん
元気にされているのかな?と聞いたら
どうなったか知らないけど!と
キレぎみに答えた
たまには顔をみせてあげたらいいのにと
思いながら
旦那を見ると
は?
という表情でキレている
ため息
1年前から長男に
礼服を買おうとしているのだけれど
いつもながら
旦那が買わないと言い出す
社会人になれば
礼服は必要になるでしょう
縁起でもないのだけれど
義理の両親や
わたしの両親の
お葬式
にも必要になってくる
どちらも真言宗なので
略礼でよさそう
次男はお葬式出席は無理かな
だからといって
施設の場合
お葬式が終わるまで
何日もかかるそうなので
ひとりで留守番も
心配
葬儀場でお部屋を借りた
わたしの親族がいたので
次男を
コロナのなか
誰かにお願いするのは難しいから
次男のお部屋を借りようかな
それにしても
旦那は
礼服のレンタル料金は出さないでしょう
礼服も買わないでしょう
義理の両親に
会いにも行かないでしょう
だからわたしは
不安しかない
お手洗いはまだ水漏れしている…
自分が病気になる
として
なんだか体の調子が悪いなと
まず思う
体温を計る
体調の悪さを家族に伝える
必要なら病院に行く
診察してもらう
薬をもらう
帰宅して薬をのんで休む
ということが
一般のひとの病気を治療すること
になると
思うのだけれど
ここまでの間には
ソーシャルコミュニケーションの
基礎から
が
必要になってくる
なので病気の治療が
どういうわけだかうまくいかないな
という家族は
家族になにかしらの問題が
存在しているのかもしれない
まず
体調が悪いと思う
というところは
自分の体を意識していないと
できないことで
体調が悪いと伝える
必要な行動を起こす
ということは
ソーシャルコミュニケーション
ここがうまくいっていないと
伝えられない
伝えすぎる
ということが起きてくる
そこで
伝えられた側が
ネグレクトである場合
無視をする
両親ふたりとも
ネグレクトの場合は
子供は
病気治療ができないという結果になる
わたしのことでいうと
母は病院に連れていかなかった
旦那は放置する
そこで病院に行けたとして
診察
お薬
という手順のなかで
うまくいかない
母は
おかしな判断をしている
旦那は
伝達を間違える
という奇妙なことが起きる
病気から
家庭内の問題に気づくものの
自分や
家族の病気で
大変なところに
家族の問題で
さらにおいうち
なにかと困る
ということになってしまうよね
感謝ってそもそも
感謝しなさいと言われたり
恩着せがましくされて
無理矢理するもの
ではないよね
感謝できない自分を責めたり
感謝していると
思い込もうとしたりするものでも
ない
幸せと同じで
自分が感じるものなのだから
感謝できないときは
今は感謝できないな
くらいにしておいて
自分の心から
感謝の気持ちが
ふわっと自然に現れたときだけ
ああ
ありがたいなって
感謝しよう
あなたがあなたを愛せたら
自分を大切に
相手を幸せに
できるようになる
この
自己犠牲ではなく
自分を大切にできて
相手を幸せにもする
というのが
みなさんの最終目標なのではないかしら
今月
250年くらい続いた地の時代が
終わり
風の時代へ変化する
地の時代は
お金や地位などの物質主義の時代
風の時代は
コミュニケーション 自由 身軽さなどの
精神主義の時代
ついに
軽やかで
常識にとらわれない
思いのまま生きる
風のような生き方が
できるようになる
風の時代がやってくる
12月21日までが
地の時代
12月22日から風の時代になる
もう風の変化は
コロナをきっかけにしたよい変化
として
現れているから
この日を境にというわけではない
のだけれどね
22日からはツインソウルが
出会える
自由な風が吹くみたい
なぜわたしが
こんなことを知っているかというと
夢に
青空の彼に似たひと 彼の守護?
が現れて
21日までは会えないと
言ったからなの
コロナが大変ななか
30日前後に
地震がきそう
神奈川が危ないかも
なんてはなしも
あったりなかったりで
わたしも
地震については
地域のメッセージが
あったようななかったような コホン
なので
落ち着かない年末ではあるけれど
先日
空から
祝福の鐘の音を聞いたので
(もしかして頭痛?)
長い地の時代から
風の時代になるのなら
22日を
思いのままに生きる第一歩
愛のある記念日
にするのも素敵かもね
2 はサイレントの終わりを知らせる
数字とも言われているから
みなさんの願いが
叶って
わたしの願いが
空にまで届くといいな
ツインソウルのサイレント期間
というものを
スピリチュアルに興味があるかたは
ご存知かなと思うのだけれど
このサイレント期間というのは
かなり苦しいもので
ふたりが離れることで
お互いの魂を成長させる期間と
いわれている
お互いの魂が学び 成長すれば
長いひとは10年以上の
サイレント期間が終わり
ツインソウルは
再会するといわれている
お互いにだから
なかなか難しいよね
サイレントの間は
全く連絡はとれず
魂の自立を目指し
精神的に成長しているひとになる
努力をするしかない状況が
これでもかと
用意されている
誰が用意しているかって?
神様なのか
守護してくださっているかたがたなのか
宇宙のエネルギーなのか
そこんとこ
よくわからないけれど
魂が
ソウルメイトの故郷から旅立ち
生まれてくる前に
ツインレイと約束して
再会やサイレントを決めているらしい
そんなことはみんな
生まれたら
すっかり忘れているけれどね
では
精神的に成長したひととはいったい
どんなひとか
というと
自己肯定感が高い
相手に依存しない
相手をコントロールしたいという
エゴや執着がなく
ひとりでも自分自身を幸せにできるひと
サイレント中に
自分の悪い癖や
嫌なところと向き合おうとしない
嫌なところには目をつむり
醜い自分もひとつの自分として
受け入れない
を繰り返していると
魂の声を聞くことができなくなる
自分の魂の声に
素直に従えなければ
愛をはぐくめない
生きているうちに持った
たくさんの執着やエゴ
そんな自分を受け入れられないひとは
長いサイレント期間になる
サイレント期間は
あなたが
あなたを愛せるようになるために
与えられた時間
なので
何年経過しても
毎日頭によぎる大切なひと
ツインレイと会える日まで
もう少し頑張ってみましょう
というわけ
スピリチュアル アンチ
のかたは
世の中いらっしゃると思うのだけれど
それはそれで
どこかこざっぱり?としていて
わたしは
なかなかいいのではないかと
思っていて
わたしの不思議な世界を
信じてもらいたい
とまでは思わない
わたしもスピリチュアルを
全部
信じているわけではなく
気のせいではないか
くらいに思っている
悩んだときこそ哲学
というのか
そのときどきで
スピリチュアルきっかけで
悩みについて
考えかたを見つけたり
気持ちの整理ができたりするなら
スピリチュアルも
いいのではないかしら
くらいに
気楽に考えている
苦しいからといって
スピリチュアルにやたら依存するのも
違うような気がする
悩んでいるものの
よくよくその悩みについて
考えみたら
悩みではなく
自分都合の思い通りにならない
というものなら
悩みを解決するために
やたらいろいろなものに
頼るのも
おかしな気がする
最近また
わたしは
一時間にもならない
タイムリープのような経験をして
脳に問題でも?と
焦ったのだけれど
パラレルワールドや
タイムリープは
映画好きなわたしには
興味深い
さらにいつもの
予知 伝言のようなものも
いろいろ
夢で受け取った
予知や伝言は書かないけれど
スピリチュアルな記事を
ちょっと書いてみようかなと思う
諦めるのが一番だわと
幸せを諦めている自分がいたら
いやちょっとそこは
諦めないでいこうかーと
声をかけたいもので
リラックスして
美しく 愛情深く
気高い自分がいたなら
自分を卑下しないで
嫌なことは嫌
イエス ノーをはっきりと表現して
自分自身を守る必要がある
誰かに幸せを譲る
嫌なことも引き受ける
我慢をして傷つく
というような
自分を傷つけることは止めて
守り守られる存在が
現れるまでは
はっきりと
嫌 ノーを言うべし
自分を自分で守るべし
家系に
負の連鎖や
ネガティブパターン
幸せにしないようなパターンが
引き継がれている場合は
そっちに流れてしまう
嫌なのに
そのパターンなりがちだけれど
それらの引き継がれている
引き継がなくてよいものを見つけたら
麻痺していないで
意識的に断ち切るべし
負の連鎖を断ち切り
負の連鎖は
自分の代で終わりにすると
決心しましょう
***続きます***
母も人間なので
よいところもあれば悪いところもある
許してはいけない
例外もあるけれど
この
「よいところもあれば悪いところもある
ものだよね」
という考え方はなかなか大事で
「信じている」
「期待している」
などと相手に思っているうちは
自分の理想や希望を
相手に押し付けているだけ
自分にも
よいところ 悪いところがあるように
誰しも同じなのだから
自分らしく
だいたいがそのままでいいわけで
これは許されない
というところは
家族で注意するものの
完璧な人間などいない
(完璧な母親もいない
わたしも完璧な母親ではない)
という前提で
相手を知っていく
ということが大事になってくるのかなと
思う
親のことで悩んでいるひとは
例え
親に謝ってもらったとしても
さほど解決にはならない
親の
「よいところは見習い
悪いところは真似しないようにする」
ただシンプルに
それだけでいい
親からの愛情
子供から親への育ててもらった恩や感謝は
子供が
罪悪感にする必要もなく
忘れないように持っていればいい
少なくとも親であるわたしは
息子たちに
恩を感じてくれ
感謝してくれ
プレゼントをくれ
世話をしてくれなど
いっさい思わない
息子たちが
健康でいてくれたらそれでいい
わたしも
母のよいところは見習いたい
悪いところは真似しないようにしたい
***続きます***
先日
買い物袋を駐車場に置いていたら
海外旅行?と
同じマンションのおじさまに言われた
あはは いえ食料品ですよと
答えたわたし
こんなに持てないでしょう
玄関ポーチまで運んであげるよと
おじさま
あっ
旦那より他人の方が優しいと
思いながら
息子が手伝ってくれますし
往復するので大丈夫ですと
話したら
いやそこまででも運ぶよ
大変でしょうと
言われた
実は中身は
ぎっくり腰になりそうなほど
重いので
重いので大丈夫ですと答えると
カート持ってこようかと言われた
大丈夫です
ありがとうございますと
言ったら
そうなの?と言いながら
先にマンションに入っていった
先日
学校で
次男とふたりで困って
モゴモゴしていたら
次男と同じ歳くらいの男子
◯◯ちゃんが
手伝いましょうか?と
すっと手をさしのべてきた
手伝いましょうか?
ほれてまうやろー!と
思いながら
手伝ってもらう
ちょっと
◯◯ちゃんとわたしの手がふれたとき
次男がニヤニヤしていた
次男は
帰宅してからわたしが
ほれてまうやろー
手がふれてしまった
優しい
えーオトコやーなどなど
言いそうだ
と思ってニヤニヤしていたらしくて アハハ
案の定
帰宅してからわたしが
◯◯ちゃん
ほれてまうやろーと
言っていたので
ママ 犯罪 とか言いながら
次男が爆笑していた
それにしても
優しいひとっているのね
そりゃそうか
母は
持病がひとつもなく
健康なのに
よくいがみあっている
健康ならば
時間を
いがみ合いや
悪口に
使うのではなく
時間を
自分が楽しいことや
相手を喜ばせることに
使ったらいいのに
もったいないと思う
欲を手放す
心穏やかにいられるように
感情コントロールができたら
時間に余裕ができて
自分が自分を苦しめていた
時間がもったいなかったわと
気づくでしょう?
もし
わたしが健康なら
どれだけのことができるかと
うらやましくなる
くらいだよ
***続きます***
母が
メンタルの病気ではないかと
思ったことはあるけれど
母は
体も心も健康で
持病や悪いところがない
相手が誰にしろ
このひとは
メンタルの病気ではないか?
という目で相手をみることは
ドクターではないかぎり
失礼で
ドクターの方が
わたしたちドクターではないひとが
好き勝手に
ネットで得た知識で
障害やメンタルの病気ではないかと
言うほど
やたら
病気だとは考えない
もし自分が
メンタルの病気ではないかと
ことあるごとに誰かにみられていたら
悲しいじゃない?
だから
母はおいておいて
相手が大事なひとならなおさら
病ではなく
何か表現できない悩み
理由があるのかもしれないと
まずは
考えるべきで
大切なものがみえなくなるので
わたしはやたら
病気?という目で
ひとをみないように気をつけている
次男のように
拒食という診断名がわかれば
原因を取り除きながら
病名にとらわれすぎないよう
なんでもかんでも
病気のせいにして
次男を病気の目でみないようにしている
それに
病院やドクター
誰かが助けてくれないか
ではなく
家族が理解してよくしていくべきで
わたしにしかできないことがあるはず
という風に
わたしは考えている
***続きます***
普通の感覚なら
親は
子供を大切に思うから
子供の嫌がることを積極的にしよう
とは思わない
母は
わたしが嫌がることを積極的にする
それは
子供を
母の思い通りに
動かすためで
母のなかでは正しいことをしている
という勘違いもある
母は
どうすれば相手を
自分の思い通りに動かすことができるのか
ということばかりにとらわれている
簡単にいえば
相手を支配したい
そのための
有効な手段が
相手に
「罪悪感を積極的に与える」ということ
というわけで
このようなタイプの親は
あなたが悪い
あなたが間違っている
というメッセージを発信し続け
子供に罪悪感を抱かせる
ときに
泣き落としたり
否定したりする責任転嫁により
罪悪感を植え付ける
いかにも悪い親
というタイプならわかりやすいけれど
真面目でおとなしいタイプの親が
このようなことを
続けていると
立派な親御さんだと
世間から評価されているぶん
子供のつらさ
親の問題点がわからなくなる
そして
罪悪感を利用して
子供を自在に支配しようとする
は
子供が成人しても続く
子供は成人しても
このようなタイプの親に植え付けられた罪悪感は
手放せない
***続きます***
そもそも母は
言葉の暴力(本人は自覚なし)が
多すぎた
幼いころは
社宅の4階で暮らしていたので
母に
逆さづりにしてベランダからぶら下げるぞと
よく言われていた
わたしは
号泣しながら
ベランダからぶら下げられた記憶
があるのだけれど
歳の離れた姉は
号泣しながら
ベランダまで引きづられていただけで
完全には
ぶら下げられてはいなかった
ももちゃんが何をして怒られたのかが
わからない
母に道徳的な指摘をした
そんなところではないかと
話している
わたしも
ぶら下げられかけた?とき
悪いことをしたという記憶がなく
息子と母
の様子も同じようなものなので
だいたいが
いつもながらの
母の言うことをきかないから
母の思うようにならないから
というものだったのではないかと
思う
そもそも
ひとに
言うことをきかせる
ひとを
思いどおりに動かすなんて
できないもので
以前の記事
強い願いに苦しむ時 許すこと
にも書いたけれど
してもらえない自分を許すことが
必要
親の言うとおりに毎日生きている子供なんて
いないと思う
さらにわたしが
大人になってからは
日曜日に出かけただけで
母に
生まれてこなければよかったと
言われ
肌のみえる服を着ただけで
不幸になる 不幸になると
言われてきた
***続きます***
母親というのは
たとえ縁を切っても母親で
生涯逃れられるものではなく
子供に多大な影響を与える
だからわたしもしっかりと
息子たちを育てていかなければ
いけないわけだけれど
親との関係は
逃げて解決させる
という
どこか物悲しい解決ではなく
よい関係を維持していく
さまざまな先人の知恵や解決方法というものが
実は存在する
それを少しずつ書いていきたいのだけれど
わたしのなかの
母との恥ずかしく悲しい思い出も
書いているので
心がずっしりと重くなり
なかなか進まない
母には日々
心穏やかに暮らして欲しいものだわと
思う
両親は仲が良く
父は
家庭内で威厳はあるのだけれど
ひとのよさ があるので
母が父親のように動いて
フォローしてくれたことは
何度かあった
とはいえ両親はふたりとも
真面目で
おとなしいという印象
母は
自分の意見がない
(おそらく自信がない)ひとなので
母の父に判断してもらっていた
わたしは祖父母が大好きだった
祖父が亡くなってからは
かなり祖母に依存していた
母はそのことに気づいていなかったから
祖母が亡くなってからは
遺産相続でもめたこともあり
ひどい精神状態だった
母は
茶道 華道の先生だけれど
本当に母がやりたくて
それらをやってきたのかはあやしい
お嬢様とはこうだ
という
祖父の期待に応えたかったからではないかしらと
思う
着物や茶道具の無駄遣い
わびさびがないところや
華やかな花を使うところから
世間からどうみえるかを気にしているだけに
わたしからはみえる
「本当に好きなことを
やればよかったのにね」
わたしを同じように
お嬢様として
おとなしくしていなさいと
育てていたとき
母はなぜ
さまざまなことに気づけなかったのか
残念に思う
気づき
学んで
失敗して
親として少しずつ成長していくものだと
思うのに
***続きます***
母は
野菜などの宅急便を送ってくれるのだけれど
毎回
大騒ぎして
宅急便を手伝う父が
言うことをきかないと
父の悪口を言っている
姉がその状態を
宅急便ヒステリーと呼んでいるほど
姉も巻き込んでいる
母が
わたしにもよく言う言葉なのだけれど
姉にも
死ぬような思いで
死にそうなくらいに大変でと
いちいち出来事を報告していくらしく
姉は
死ねば!と答えているみたいで
ちょっと笑ってしまった
母は
宅急便の落ち度はないか?
完璧な母か?
などの
自分がつくるストレスと
父への悪口で
宅急便が負担になり
ついに先日
お金に困っているわたしが悪いと
言い出した
お金持ちなら
こんなことにならないのに
わたしのせいだと
言った
宅急便は
母の場合
おいしいお米や野菜を食べさせよう
というような母心は少なく
わたしが困っているから助けたい
けれど自分が大変すぎる
という思いが大きいようで
宅急便が届き
わたしがお礼を言うと
ぴたりとヒステリーがなくなる
父は
お米と野菜を娘に喜んでもらおうと
送ってくれているとわかる
わたしは常々
宅急便が
母の負担になっているなら
やめてもらっていいと
言ってきたのだけれど
送りたいから今週送ると
母から言ってくるので
無理しないで
いつでもいいよ
やめにしてもいいしねと
答えている
わたしは一度も
宅急便を母にお願いしていない
そんななか
お金に困っているわたしが悪い
という言葉には
傷ついた
そもそも
わたしはお金に困っているのでは
ないよね…
貧乏なわけでもないよね…
経済DVに困っている
そこには無関心で
騒ぐだけの母にほとほとうんざりもした
親だからDVを認めたくない
信じたくない
という気持ちはわからなくもないけれども
***続きます***
お釈迦様でも親子の問題は
苦労されたそうで
世の中
子育ての悩み
親の悩みは多くて
なかなかうまくはいかないものでしょうね
とは
両親の子供でもあり 親でもあるわたしは
思う
母の
真面目で愛情深いところは
方向を間違えなければ
よいところだけれど
相手が家族となると
不安や心配
家族への愛情 歪んだ愛情
自己中な不満から
騒ぎすぎるところがある
内容は
悪口であったり
家族に言ってやらないと
わかっていないのだろうから
というような
母の正しいであったり
するのだけれど
だいたいが
言われなくてもわかっていることで
ほとんどが
たいして正しくもないこと
息子たちがそうであるように
どっちが親?
みたいに
子供は
しっかりしてくるもので
なぜ母が
わたしのピンチに
悲劇の主人公になっているのかは謎
ここで
いろいろ考えていたら
前記事のような
母から
おどされているような状態
は
罪悪感を利用した支配なのだわと
わかった
わかったからには
わたしの置かれている状況を
詳しく知り
解決への糸口を見つけて
心の整理をしたい
父や姉はというと
母が口うるさく騒ぎ始めると
相手にしなかったり
ときにきつく注意したりして
やり過ごしている
母は
父や姉に
きつい言い方をされたら
ショックを受けて
わたしに愚痴ってくる
わたしも
母に注意するのだけれど
ありがとうと言いながら
母は
子供を悩ませているわりに
解決が
したいわけではなく
ただわたしに
言い訳がしたいだけ
八つ当たりがしたいだけ
なようで
ほとんどわたしのはなしは
聞いていない
老いが関係しているのか
考えてみたけれど
どうやらいまに始まったことではない
だけれど
よく考えてみると
母があまりにうるさいから
家族がおれている
という場面も多いのかもしれない
旦那が買い換えをしないで
無視したり
キレたり
ふにふにしたりしていると
わたしの両親が動くように
そうならざるを得ない
というパターンが
知らず知らず出来上がっているのかも
しれないな
上手下手は別にして
親からは愛情
子から親には
恩や感謝の気持ちがあるだけに
ややこしい問題なのかもしれないけれど
わたしなりに
解決方法をみつけたので
書いていくことにした
***続きます***
そもそも人は
土や水
空のことを考えず
横柄な態度で地球を荒らしてきた存在
なわけだけれど
(わたしもね)
人は
便利なものや美味しいもの
安いものに
むらがるところがあるよね
(わたしもね)
それに
気がつかないひとは気がつかない
かもしれないけれど
思いやりというより
偽善者が多すぎる気がする
人が
地球や生き物と共存していくにあたり
人だけ
余分なものが多すぎる
コロナを機会に
余分なもの 必要のないものは
ばっさり止めてしまうべきで
やたらに
みんなで集まって会食したり
(なかには仕方がなく行っているひと
もいるというのに)
お葬式や結婚式もふくめ
行事を設定
親戚で集まっていざこざしたり
環境汚染したりするのは
そろそろやめにして
友達が多ければよい
というわけではないのだから
休みのない仕事
捨てたくない名誉やプライド
多くのお金
余りすぎた物
うらやましがられる家
などの
持ち物で
自分の心をガチガチにしないで
パッと解放して
手放せるものは
手放して
やめられるものはみんなで相談して
やめて
身軽になって
心も軽く
自分のスタイルで
精神性を高めることに
集中できたらいいのにな
わたしができているかというと
できてはいないので
偉そうなことは言えないのだけれど
何かが
間違っているから
今のような世の中になっているわけで
コロナの広がりは
「よい変化をするチャンス」
と考えて
自分の大事なもの
好きなものを
見つけて
それらを大切にしながら
多くを学んで
きれいごとばかりにはならず
暮らしていけたらいいのにな
***親のこと 続きに戻りますね***
旦那は東京で働いていて
長男もバイトで毎日のように外出している
次男とわたしは
通院や通学のため
東京であちこち行動している
なので
わたしの感染予防は難しく
なにかと密になっている日々
感染者数が少なく
経済が優先されていたころは
わたしも
GO TO に次第に影響されてきて
たまに
カフェや
お店のイベントに行くことも
あった
楽しかったな
一時期
お持ち帰りをやめていたお店もあったほど
GO TOで
コロナが消滅したかのような
騒ぎだった
みなさんの気の緩みは
GO TO というネーミングセンスの問題?も
あったと思う
ちょい TO とかさ
そんなのでよかったのでは なんてね
まぁ
何も変わっていないのだから
感染拡大するよね
免疫もワクチンもわからないわけだから
気をつけなくてはと
わたしは思ってきたけれど
みなさんコロナに飽きてきたというのも
あったのかなと思う
感染者増加のいま
わたしは
続けて控えられるものは
控えているけれど
働いている家族はどうしようもなくて
わたしはというと
お掃除を頑張るしかない
どうしてもの用事があるので
完全には引きこもれない
そんななか
病院や学校帰りに
何かおいしいものを
お持ち帰りしてみようかと
ショッピングモールに入ってみたら
なぜか
ひとが増えていた
消毒液や
並ぶ場所のシールなどの
アピールがなくなり
少なくなっている
みなさんも わたしも
日常は
通販や宅配を利用する以外は
食材のお買い物にスーパーに
行かなくてはいけない
行かないと生活できない
だから
食材売場はいつも混んでいる
お買い物中
こまめに消毒して
なるべく
目や頭を触らないように
気をつけても
ついつい触っているというのが人間
体調が悪そうなまま
お買い物をしているひともいる
ここのところまた
お店が
お持ち帰りを充実させてきたので
お店やフードコートで
マスクをしながら外食するより
購入して持ち帰り
または宅配で
自宅でゆっくりといただく
という方がいい
という雰囲気にはなっている
毎日
わたしの手作りおうちごはんも
次男の食が進まないから
気晴らしも必要
だけれど
感染者増加のなか
ひとが少なくなるかと思いきや
なにかと安くてお得だから
余計にみなさん出歩いている
安い
がウイルスに勝っていた…
経済と命みたいに
安いとウイルス
次男の学校の親御さんで
ドクターや看護師さんは
コロナを目の当たりにしているから
息子を登校させない
という徹底ぶりだけれど
他のみなさんは平気そうに
ワイワイしているところから考えると
メディアの影響で
控えているひともいれば
緩んでいるひともいて
全く気にしていないひとは
相変わらず存在する
ということかしら
さらに
コロナでお金儲けをしている陰謀説や
悪の組織に操られている説
コロナは本当は害がなくて嘘だらけ説
ワクチンにマイクロチップが入っている説
なども
出てきていて
すべて信じるわけではないけれど
なかなか人間は興味深い
***続きます***
続きますと書きながら
しばらくお休みしていてごめんなさい
お休みの間でも
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公開なしにして欲しいというかたは
そのむね コメントでお伝えくださいね
メールにご返事したり
わたしのご返事だけ公開したり
ということもしています
まずはご報告から
*****
以前から書いてきた
単位のための旅行が
東京で代替えされることになり
中止が決定した
今年度だけ
かもしれないけれど
長年わたしが
学校に訴えてきたことが
やっと現実になったので嬉しい
旅行について
感染や
次男の体調の心配が
大きかったけれども
わたしの体調が
最近よくなかったこともあり
マイナス気温で病院がない場所に
旅行というのは
自信がなかったので余計に
この結果に
安心している ヤッタ
わたしよりホッとした次男は
張り切って
残す単位の
勉強を片付け始めたので
勉強が面倒でおばかなわたしが 笑
ひとりで
次男の勉強をみている
どちらかというと
一緒に頑張っているというかんじかしら
わたしは
親から勉強を教えてもらったことが
ない
やってもらってないことを
息子ふたりにやるのは
なかなかぎこちなさもあって難しい
わたしの興味は
姉とよく似ていたのだけれど
姉は見た目がダメで勉強だけ
わたしはかわいくもないのに
見た目がよくて勉強ができないと
親から勝手に決めつけられて育った
わたしが
作文や習字
絵や音楽で高評価されていても
賞をもらっても
5教科では国語と数学だけ
目立つものの
他の教科は
普通よりちょっといいくらいだったから
全教科勉強できるわけじゃないよね
という親の評価だった
現在お世話になっている
学校の先生がたや次男のドクターのおかげで
以前記事にも書いたけれど
生活のなかで学ぶことを知り
次男の学ぶ意欲を
改善 理解することができた
それと同時に
わたしのお嬢様として
おとなしくしなさい
という母からの育てられかたは
わたしの可能性をつぶしていたと
わかった
次男の困りごとは
わたしが一番よく理解しているので
無理のないように
勉強をサポートするということは
わたししか
対応できないことなのだけれど
課題に難問が多いので
超教え上手な長男に質問したいものの
今はそうはいかず
数学が得意と勘違いしていたわたしの
ぼんやり頭で
対応していくしかないので
数学の難問がどうなることやら…と
わたしが心配になってきている
学校に
たびたび質問しに行くのも感染が怖いので
行けそうにない
前の担任が
T大卒の記憶力抜群
数学の先生だったので
(現在は聖人のような英語の先生)
なにかと教えてくださる体制は
できているものの
ズームなどを使う
というのも
昭和なサポート役のわたしは
なんだか慣れない
学校の授業は
芸術科目に参加してきたのだけれど
わたしが得意だからと
張り切ってサポート参加したものの
ハードすぎて
ふたりでげっそりとしてしまった
日々努力 休む また努力 また休む 涙なわたし
来年始めに
旅行の代替えが東京になるので
危険なのでは?という
思いもあるけれど
次男が単位取得に覚醒したみたいなので
わたしも
やったるぜぃ✨←笑
という気持ちでいる
***続きます***
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