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2021年3月に作成された記事

2021年3月29日 (月)

始めます宣言

好きになればなるほど

なにもできなくなる


自分が傷つくのは

好きになればなるほど

耐えられず


好きなひとに

断られる 拒絶されることが

とにかく怖い


好きなひととのことだから

傷つくのは仕方がないと思えど


勇気も

どんどん

どんどんと

なくなっていく


いざ

行動しようとしても

迷惑なのではないか

タイミングが悪いのではないか


相手は

自分じゃなくてもいいんじゃないか

もっとふさわしいひとが

いる

なんて弱気になる


大事に思っているだけに

何もできなくなる


今はやめておこう

そんなことを思っているうちに

愛想をつかされて

相手は

誰かにとられてしまうかも

どこかに行ってしまうかも

と不安にもなる


嫉妬もする

守りたい

だけれど

ふたりの間に弊害があると

やたら

尻込みする


好きになればなるほど

何もできなくなるという

恋する

ありがちな感情です


わたしは

後悔したくないので

やるべきことをやってきた


もうやることはなさそうなので

彼を

待っているしかなかったのだけれど


万が一

彼も

どうせ離婚しないんだろな

と思いながらも

ずっと待っていたら

悲しいじゃない?


だから

何かできることはないかなと

考えて


わたしは

You☆ubeを始めることにしました(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

いやそこ?

という気もするけれど


世界に向けて

彼への思いを

なんて おおげさな アハハ

単純に

「惚れちまってんだから

仕方がない」

ということで


クリエイティブに生きるを

始めます宣言です(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

細いは美しいをやめませんか?

世界には

モデルさんの体重制限が

配慮されているみたいなので

日本だけなのかもしれないけれど


細ければ美しい

という美意識が

最近

男女ともにある


細いと

シルエットだけで

若く見えるという

感覚もあるようで


男性も

アニメの主人公をみたらわかるように

BMIが

低すぎる


俳優さんも

アニメの主人公をやるにあたり

体重制限をしていて

とにかく細い


女性も

アイドルや女優さんは

棒のような足

ガリガリで鎖骨がみえている


女性がそこまで

ダイエットしたら

女の子の日はこなくなる

胸が小さくなる


なので

げっそりとした顔

小さな胸

の整形をするひとも増える


今の若者が

求めているのは

栄養失調の

子供のような体で

健康そうな体ではない


その美意識

細くないと もてない

美しくない

こだわりすぎると

病気になる


断食をしたり

野菜だけを食べたり

サプリをのんだりしていると

拒食になる


拒食になると

食べることが怖くなり

精神も病む

なかなか治療は難しい


それに

将来家庭をもったとして

一番

健康でいたいときに

健康に

暮らせなくなる


そうなってから

なんとかやり直そうとしても

体はなかなか

健康にならない


世間の

細ければ美しいという

美意識が

なくならないかぎり

見た目にこだわる毎日から

脱け出せなくなる


というわたしも

年中ダイエットを失敗している


さらに

次男は拒食


拒食にはいろいろな原因があるから

他の原因のひとは

関係がないけれども


とりあえず

もうね


細いは美しいをやめませんか?

2021年3月27日 (土)

お母さんと地球

母親になる

お母さんと呼ばれる

ということは

奇跡であり

とても幸せなこと

ではあるのだけれど


お母さんになってから

というもの

日本の女性は

母親のあるべき姿というものに

悩まされることになる


母親は

一日 24時間

休みなどなく

子供のお世話

子供を守ることに

全力をつくすわけだけれど


日本の男性には

おれは仕事をしているのだから

たまの休みには

休ませてくれ

家事や子育ては

母親のやることだろ

という考え方のひとが多く

(我が家はそんな会話すらなく

ワンオペですが…)


家事や育児は

ふたりの生活 ふたりの子供

なのだから

男性が手伝う

ではなく

やって当たり前

ということに

気づいていないひとが多い


本当に

今のお母さんは大変だと思う


さらに

母親は子育て中

自由に外出することなどできない

お買い物も

飲みに行くことも

できない


それはそれで

自分でそうしているのだから

いいといえばいい

夜遊びするひとはしている

というものの


子供をおいていく

ということになる


父親は

自由に外出して

お買い物も

飲みに行くことも

好きにしている


なぜ父親だけ

子供をおいていく

にならないのかな


日本のお母さんは

狭い部屋で

毎日きれいに暮らすこと

おいしいごはんを作ること

ばかりを

求められて


子供は言うことを聞かず

片付けたと思えばまたちらかり放題

病気ばかりする

病気をしたら看病

大量の家事


母親だって

体調も悪くなる

睡眠不足と

ママ友との関係

幼稚園や学校の役員やお手伝い


働いて

子供をあずけた方が

シンプルな毎日になりそう


だけれど

お母さんは逃げ出せない


子供が大人になるまで

また

大人になってからも

無数の問題がふりかかってくる


愛情があるから

頑張れるにしても

もはや修行?

なぜお母さんだけが?


これじゃ

子育てに

幸せや喜びより

苦痛の印象しかなくなるよね


地球は丸い

そのなかの日本は小さい


そのなかのまた

自分の暮らしている地域は

さらにさらに小さい


そんななかで

世間体だ

などと言っているのは

滑稽すぎる


傷つけあったり

悪口ばかり言ったり

していないで


もっと自由に

もっとやりたいことを

自分が喜ぶことを

やればいい


誰かに

幸せにしてもらう

喜ばせてもらう

ということも

あったらラッキーなことかも

しれないけれど


自分を守るのも

自分を喜ばせるのも

実は

自分

なんだよね


女性を捨てて

お母さんを頑張っているひと

お母さんには

それは誰も経験できないような

幸せや喜びがあるけれど


ほんと

お疲れ様と いいたい


わたしにもお疲れ様と いいたい


子供はとにかくかわいい

ひとをひとり ふたり

育てるのだから


子育ては

お給料はなくても

本当は

尊いことなのだけれどもね 


ファイト

2021年3月26日 (金)

ワクチンへの複雑な思い

はやく安全なワクチンが

接種できないか

と言っているひとに

なぜか腹が立つ


お薬だって

ワクチンだって

そんなにはやくできるわけがない


というわたしも

よくは知らないけれど


開発したり

研究したり

そんなかたがたは

生まれつきの才能があった

にしても


幼いころから

短い人生

勉強という努力を重ねてきて

さまざまな人形関係にも悩み

ねたみを買い

生きてきたわけで


お薬や

ワクチン開発だけを仕事にしている

わけではないのかも


新薬が完成して

ひとで臨床されるまで

10年以上かかるときいたことがある


なにせ

日本だけでなく

世界で研究されていることなど

ばかみたいに多くて


ぐーたらなわたしからしたら

そこに取り組むなんて

尋常ではない記憶力が必要でしょうねと

尊敬する


博士になるなら

同じものは論文にできないというのだから

だからというわけでもないけれど


自分は

ビールを飲み

おつまみでも食べながら

ワクチン はやくしてよ

と言っているかた

(架空の人物です 笑)

には

腹が立つ


コンピューターに比べて

人間の人生は短く

学習量にも限界がある


知識を身につけるには

多くのひとの支えも必要になる

愛情もね


ワクチン開発だけに

人生をささげるわけにもいかない


お仕事したり

家族と過ごしたり

お手洗いに行ったり

眠ったり

ごはんを食べたり

するからさ


未知のワクチンを

はやくしろと言っているひとこそ


マスク

手洗いをして

外出を控えたらいいんじゃないの?

2021年3月24日 (水)

家族には話さない

今まで

わたしの実家家族に

旦那のことや

子供のこと

スピリチュアルなはなしなど

たまに

話してきたけれど


理解してもらえない

傷つけられる

そのふたつしかなかった


結局

理解してもらえない

傷つけられるだけなら

家族には

わたしのことはいっさい話さないと

決意した


家族に

理解してもらえないと

思いながら

話すのは

とても疲れる


他で話すとき

自信がなくなる


さらに

傷つけられて

ひどく落ち込む


わたしが悪いのだ

話したわたしが悪いのだ

わたしに

家族への思いやりがないのだと

原因を自分なのだと

思うようになる


両親やきょうだいに話すのは

選んで話したり

事後報告にしたりしても

よい結果にならないことが

多い


それは

よい家庭環境で育っていないのだから

当たり前ではあるけれど


ついつい期待して

話してみると

ひどい結果になるもので


今までもずっと

そうだった


どれだけわたしが

頑張ったところで

永遠

家族のそれらは

改善されていくことなどない

ということに


そろそろ気づいて

行動していかないとね

原因がわからないとき

家族や自分にとって

苦しいことが起きたとき


腹が立ったり

家族を責めたくなったり

自分を責めたり

後悔したり

落ち込んだりと

さまざまな感情に悩まされると

思うのだけれど


原因がわからないときは

いろいろなことが関係していて

原因が多くあるがために


本人も

寄り添う側も

どうしてそうなったのか

わからない

ということがある


原因がわかれば

ゆっくり紐解いていくように

ひとつ ひとつ解決していく


自分の思う原因が正解なら

苦しいことが

解決していき


自分の思う原因が不正解なら

苦しいことが

良くなっていかない

という案外単純なもので


難しく考えていたときは

拍子抜けすることも多い


原因をみつけたら

やめてみる 工夫してみる

という

「本人には何もさせず」

まわりが変えていく必要がある


だって本人は

ただでさえ

苦しい思いをしているのだから

それ以上

求めてはいけないと思う


すぐに原因を見つけたい

自分に責任があるのか ないのか

できればないにしたい

という

犯人さがしのようなことをしているひとは


自分が満足したいだけ

なのではないかしら


後悔したり

泣いたりは

力一杯して

どん底まで落ちれば

セロトニンも出てくるから?


思いっきり自分を責めて

落ち込むだけ落ち込んでいいと

思うのだけれど


原因さがしは

しばらく苦しんで全体がみえてこないと

答えなどというものは

見つからない


そもそも答えなど

最初から存在していないのかも

しれないからね

2021年3月22日 (月)

自分の気持ちと相手の思い

自分の気持ちを

わかって欲しい

理解して欲しい

という思いで

ひとが一生懸命話すとき

というのは


我慢をやめて

自分の意見を言い始めたひと

(これはいいことだよね)


または

もともと

自分語りで

やたら相手に理解してもらいたい

という気持ちばかりが

強いひと

だと思うのだけれど


どうも

自分の思いが伝わっていないと

感じたとき

まわりはよく理解しているというのに

何回も話して

むきになるひとがいる


偉そうなことを書いている

わたしも

理解されていないと感じて

譲れないときがあるから

ひとのことは言えないのだけれど


例えば

誰かと

何か話しているとして

自分の思いを相手にわかってもらう

ということばかり

考えがちになるとき


「相手の思いをわかろうとする」

ということだけを考えて

集中していけたら

いいのではないかなと

わたしは思う


自分をわかってもらいたい

より


常に

「相手をわかろうとする」


そうしたら

話している間

自分を理解してもらいたいからと

むきになる必要もなくて

争いにもならない

お互いに緊張の必要もなくなる


さらに

どうしたらよいかがわかってくる


相手をわかろうとする

ただそれだけで

ややこしいことは考えないでいると


なんだか自分が幸せになれる

2021年3月20日 (土)

なぐさめるって?

ショックなことが

起こると

共感しないで

しっかりしなさい

もっとひどいひとがいるよと

諭そうとするひとがいる


自分が不安になるから

相手の不安を

早急に不安でなくしたい

という気持ちが働いているのではないか

という気がする


ショックを受けたひとに

対しても

ショックだねと共感して

寄り添うだけで

あとは本人を信じていけば

そのひとなりの

答えを見つけていくものだと思う


ショックはショック

ショックじゃなくする

なんて

他のひとができることではない


そのひとが

時間をかけて

さまざまな方法で

解決していくものだから


心が解凍されるまで

のんびりと見守る余裕が

なぐさめる

になるのではないか


ショックなひとが

どうしてほしいか

どうしてほしくないか

わかってきたら


なぐさめたいひとは

そのとおりにしていけば

よいわけで


焦る必要も

難しく考える必要も

ない


後から考えたら

よくなるに違いなかった

よくなる前の

ぶるぶるっと軌道修正するための

悪いときだったのだわと

思えることもあるから

食べるの信頼関係

人間の三大欲求を

軽視するひとは

多いのではないかと

思うこのごろ


だけれど

食べることは

他のこととは違い

命に関係するから

食べることがうまくいかず

病気になる

ということなら

治療しなければいけない


食べない 食べすぎるは

根っこは同じで

ストレスや家庭内でのことが

原因になっていることが多い


それに

食べさせたい側が

食べなさいと

何度話しても

食べられないひとにとっては

苦痛しかない


ならぱ

支える側は

食べたくないんだねで

いい

あとは本人に任せると

いい


ここで気をつけたいのが

食べることでは

あっという間に

信頼関係を失いやすいということ


食べられないと

被害的になったり

認知がゆがんでくる

さらに死を考えるようになる


そんなとき

信頼関係を失っていると何もできない

という最悪の状況になる


さらに

共感というのは

こちら側の決めつけでは

共感にならない


本音が話せるまで

焦らず

話を聞く

それから

まず共感したら

次はどうすればよいかを

一緒に考え

ときに支える側が

簡単に言うと よい見本

をやってみせることも

必要になってくる

2021年3月17日 (水)

あの気分の悪さは

お薬がなくなってきたので

病院に行ってきた


ドクターとの距離は以前より

近くなっていて

診察もしていただけた


今回は

今年の花粉は

お薬でおさまりきらなくて

喉や耳の奥のかゆみが

去年よりある


吐きそうな咳

たん

ぜこぜこ しゅしゅ することがある


謎の気分の悪さがあった

ということを

話してみたのだけれど


謎の気分の悪さについては

ドクターに初めて話した


酸素が92

足が重い

本当は息苦しい

辛いのかもしれないけれど

わからないという説明をしたら

ドクターが


喘息だね

92は低い

はやめに発作止めを使いましょう

そのまま放置していたら

何もできない状態になるかもしれないからと

言ったので

わたしは

あっ 喘息なのねと 目が覚めた


確かに

発作止めにしても

エピ☆ンにしても

脱力して

倒れると

呼吸がうまくできなくなって

血圧が下がるから

さっ 吸入

さっ エ☆ペン

というわけにはいかなくなる


次に

薬剤師さんにも

謎の気分の悪さについて

初めて話してみたら


薬剤師さんも 

お薬のよい影響でわかりにくくなって

いるのかも

低酸素に慣れて

わかりにくくなっているのかも

という話しになり


気分が悪くて靴下を脱いだというのは

苦しさから

締め付けをとろうとしたのでは?


92は低い

我慢しないで発作止めを使い

お買い物先で

しばらく座って

よくならなければ病院にと

言われた


あっ 喘息なのねと

また目が覚めた


それにしても

喘息発作とアナフィラキシーの違いが

よくわからない


貧血? 低血圧?

息苦しい? とわからなくなる


どちらにしても

毎日の吸入 服薬

アレルゲンに気をつける

しかなくて

はやめに発作止めを使う

ということらしい


いつから

息苦しい

辛いが

わからなくなったのかな


幼いときからかな

酸素 92は

低いのね…


わたしにしてみたら

たいしたことないと思っていた


いろいろなことがマヒしているのかも

2021年3月14日 (日)

同じ運命

気晴らしにしているだけで

占いを信じているわけではないけれど

彼とわたしの

前世占いをしていたら

同じ運命を繰り返している

という結果になった


前世のはなし

というのに

今の

彼とわたしの状況と

同じだったので

これ何占い?と思ったのだけれど


最後の方になり

今世で

再生しているというカードが

出てきた


占いでは

彼とわたしは

何かやり直す必要があり

縁が

今世でふたりを呼び寄せた

という解釈になる


前世では

大切な存在だったと

のちに知りながら

ふたりは結ばれることはなかったそう


相手の

気持ちを感じているから

お互いに

忘れられないわけだけれど


お互いに

愛されているのか自信がなかったのね


いやこれね

輪廻転生

DNAの記憶とやらで

縁があって

今世で

やり直しているわりに

何も変わっていない


どこを

どうやり直すために

再度ご縁があったのか


こうしてはいられないぞ 

2021年3月13日 (土)

高収入と依存

高収入な旦那に頼り

依存していると

旦那が病気になれば

生活ができなくなる


そうでもない旦那で

自分が支えていたら

普段は大変かもしれないけれど

旦那に何かあっても

微動だにしない


気持ち的にも

依存していると

旦那がいなければ

何もできない


ひとりでしっかり立っていると

旦那がいなくても

ひとりでできる


苦労は平等かもしれない

ピンチ

わたしみたいに

日頃はぼーっとしていて

動作も遅いのに

いざとなると

冷静に かつ迅速に行動できるタイプのひとも

いれば


普段は

しっかりしていて

旦那に何かあれば

わたしが支えるからと

いい

ひとにズバズバ意見するのに

いざとなると

パニックになり

何もできなくなるタイプのひとが

いる


目にみえないものを

大切にしていれば

家族がピンチのとき

経験と努力で乗り越えられる


立派にみせて

普段はきれいごとばかりのひとほど

家族がピンチのとき

残念ながら

隠し持っていた

醜い部分がみえてくる


弱っているひとに

一緒に頑張ろう

わたしが支えるよと

伝えたいとき


頑張ろうは

頑張っているひとを

これ以上頑張れと?と

傷つける可能性があるから


一緒にやろう

支えていくからね

責めたり 見捨てたりはしないと

伝えたい

2021年3月11日 (木)

苦しみのなかで

運命というものは

おおまかに決まっていて

それは自分が産まれてくる前に

決めてきたこと

だといわれている


さまざまな宗教や哲学

スピリチュアルな考えかたに

ふれてみると

苦しみは

学びのための試練

試練は魂をみがくためで

乗り越えられるもの

という考えかたに行きつく


悩んだときこそ

哲学

またはGo☆gleと

わたしは考えていて 笑


後悔している過去は変えられるか

というと

自分のうけとりかた

考えかたが

変えられるくらいで

タイムスリップでもしないかぎり

完全には

変えられそうにない


タイムスリップしたからといって

また同じようなことになるかも

という気もしてくる


ならば

今が一番よい経過途中なのだわと

信じる


後悔が

今わかってよかったじゃない

今からできることがあるじゃないと

わたしは思う

気分が悪くなる

以前

救急車で運ばれたことのある

モールで

また

気分が悪くなった


次男の病院帰りの疲れと

多少残るめまいを感じながらの

モールだったので


疲れ なのか

何か食べただとか

飲んだものの

アレルギーなのか


後から

外の空を見上げると

なんとも気圧が不安定そうだったので

気圧の関係と

花粉の影響で

喘息なのか

わからなかった


でもこの

気分の悪さを放置したら

また

救急車で運ばれそうなので


わたしは

吐き気と腹痛のようなもの

を感じながら

お手洗いで座ったまま

発作止めを吸入した 汗


お手洗いで思いっきり

息を吸うのも

怖いけれど

そういってもいられない


その後

モールの休憩スペースで

息苦しさが治まってきたので

吸入でよくなるのなら

喘息?


過呼吸か

パ☆ック障害かなにかで

喘息ではなくて

間違いだったらどうしよう

という気持ちになる


いつも迷うのは

なぜか


それにしても

体がだるい

足が重い 

歩いてみたら 足が重すぎる


自宅での息苦しさと

外での息苦しさが違うのは

外での軽い運動ともいえない運動が

原因だとは思うのだけれど


酸素 92

上着だけでなく

靴下を脱ぐという裏ワザ?もしてみる


のぼせとは違うけれど

首まわりを冷やしたい

靴下を脱いだら

寒くなって気分が変わるような

気がする


とにかく

救急車で運ばれる前に

帰宅することに

決めた


車を運転していたら

途中

後部座席の次男が

わたしが元気が出るようにと

わたしの好きな曲ばかり

スマホから流していることに気づいて

次男の優しさに感激


それにしても

気分が悪くなるとき

いまだ

自分の体がどうなっているのか

よくわからない


喘息なのか

アレルギーなのか

自律神経なのか

はたまた貧血なのか

血圧なのか

危険なのか

危険でもないのか


お薬でいいかんじになっているから

喘息がわからないのか

わからない


そういえば

高校生の時も

顔色が悪かったからよく

貧血?と言われていた


山キャンプのとき

立ち上がれないほど気分が悪くなったり

授業中に

血の気がひいて

保健室に連れていかれたり

そんなこともあった


酸素が90より下には

なっていなかったとしても

今と同じ

92くらいだったのかも


母が

わたしは健康で元気だと

病院に連れていかず

健康で元気な姉を

病弱だといいきかせてきたので

自分の体の声が

わからなくなったのかもしれないな


わたしの全身に

湿疹が出ても

母は

どうせ治るからと

病院に連れていかず

学校に行かせた


何度も

全身に湿疹が出て

小学生のときなんかは

顔がはれあがって

おばけみたいとお友達に言われて

担任の先生に

なぜ登校したか

理由を聞かれて

すぐに病院に行くようにと

言われたっけ


わたしの人生

体がだるく

足が重い日が多かったな


急に謎の

気分の悪さを感じたことが

何度もあったな


治療しなかったことで

よかったこともあったと思うけれど

風邪?をひいたら

咳が止まらなかった


目を真っ赤にして

くしゃみと鼻水のなか

勉強しなさいと言われてきた


結婚してからも

わたしの体調は放置されてきたので

喘息やアレルギーを

治療できたのは

人生の後半?からなのね


それにしても

この

たまに味わう

謎の

気分の悪さは

危険なものなのか

放っておけば治るのか

わからない


いつも自信がなく

気弱になり

遠慮してしまうところがあって


結果

間に合わなかったと

なりたくないのだけれど


これくらい大丈夫なのかな

たいしたことではないのかなと

判断してしまう


やっと自宅に到着して

一応旦那に話すも

無視された


あげくに外出中にできなかった家事が

どっさり

体が重くて うまく動けない


暇な旦那はさらに無視している


病院に行く予算がない

行くなら2万は用意しておかねば

ふと

マミーのマネーが緊急事態宣言だと

次男が言ったのを

思い出して

思い出し笑い


旦那は医療費を払わない

あきらめよう


無理矢理家事を終わらせて

更年期なのかな?ということにして

ぜこぜこぜーぜー

しゅーしゅー

しながら眠った


夜中に目が覚めて

やはり喘息だよね…やはり

と思う


こんなこと

いつまでも

続けられるのかしら

2021年3月10日 (水)

満席になっている

緊急事態宣言が延長になった

というのに

わたしからみえる

世の中は

解除されたかのような

動きになっている

ワクチンの影響もあるのかも


最近

都内の病院の待ち時間に

病院が密なので

コーヒーカフェの外で

コーヒーを飲むことにしているのだけれど


以前は

ひとりかふたりくらいの

お客さんがいるくらいで

離れて座っていた


昨日行ってみたら

お昼の時間というのに

満席だった


今まで

わたしと次男が

何か飲んだり 食べたりしようとする

平日の午後は

がらんとひとが少ない時間を

選んでいたこともあるけれど

ひとがいなかった


あれま

ひと ひと ひとひとになっている


みなさん

解除された気分になっている

2021年3月 8日 (月)

一流を考える

父方の祖父は

由緒正しきお家柄

田舎では仏の○○さんと呼ばれていて

信じられないほどハイソで

人徳のあるひとだった


祖母は美しい

家系には著名なひともいる

お嬢様だった


母方の祖父は

イケメンで

成功していてリーダーシップのある

ひとだった


祖母は

優しくてチャーミング

賢いひとだった


母方の祖父の影響を一番に

うけていたのは

わたしの両親だった


祖父は一流好きで

一流の病院で診察してもらい

家柄 学歴 肩書きが好きだった


一流だからよい

という判断は

ときに間違っていることもある


誰かを守ろうと

努力する気持ちこそ


結果はどうであれ

一流だとわたしは思う

2021年3月 7日 (日)

心が折れたとき

心が折れたとき

わたしを支えてくれたのは

青空の彼の存在だった


それは間違いないことで

今も変わらないこと


母のことを書いた後くらいだったか

夢か現実かわからないような

とき

彼がしっかりとわたしの手を

握りしめている

夢をみた


彼の手は

がさがさ としていて

優しかった


どうしても彼の思いが

伝わってくるような気がして

毎日

毎日

彼を思い出すのだけれど


これが

ただの執着なのか

それとも運命なのか

わたしにはわからない


でも

心が折れそうになったとき

必ず勇気をくれるのは

彼の存在


笑顔をくれるのも

彼の存在

ということは事実で


これさえ

疑うようでは

何も信じられなくなる


彼が

お元気にされているのか

わからないけれど


きっといつか

おいしいお茶でものみながら

彼の好きなもののはなしや

彼の趣味のはなしなど

おしゃべりできる日がくると

信じている


おばかなのかな わたし

トラウマの手放しかた

寛大な心でいるわたしを

許せないときは 許せない

でも

許すなら

心にある不要なものを

手放して

自由になりたい

そんなとき

こんなやり方はどうかしら


はじめに

一度

すべての痛みが心に入ることを

許してみる


今は

安全

と思いながらね


次に

許すことのできない思いを

心に

呼び起こしてみる

なにを感じても大丈夫

思いながらね


さらに

さまざまな感情をかきたててみる

怖がらないで

大丈夫

どんな気持ちがあるか

自問してみる

出しきったところで

だいたいが苦しくなるよね


なら

これからずっと

持っていたい気持ちはどっち?

苦しみ 痛み?

それとも

愛や 喜び?と

考えてみる


どちらが必要なのかは

わかっているよね


痛みや悲しみの記憶は

できれば

終わらせたい

なぜ持ち続けているの?


痛みや悲しみを

引き起こしたひとが許せないから?


わたしは

どうすることもできなかったから?

被害者だと思うから?


うーん でも

痛みや悲しみを

手放したい


被害者である気持ちも 

手放したい


なら

すべてを許せるといいな


人生のレッスンを続けていると

思えたらいいな


自由と解放を

望み

被害者であるという思いを忘れ


愛と喜びだけが

胸いっぱいにつまっていくなら

どれだけ

あったかくて素敵かしら


けれどそれは

痛みや悲しみの存在を

認めなければ

始まらないことで


今は無理でも

ソースの力で

許していけたら素敵よね


真実に清く

美しさに清く

わたしは心に

愛と喜びを持っている


悲しみを許したら

喜びの思い出を持つ


自由で

輝いたわたしの

目の前の道はひらいてくる


心地よく

前に進む選択をしていくよ


わたしは自由


心は

愛と喜びでいっぱい


知らない涙が流れるくらいに

あったかくて素敵なんだ


どうかな うまくいきそう?


無理しないで

あなたに自由と幸せを 

ではまた

相手が存在しているかぎり

それは誰だって

挫折くらいはするけれど

「守りたい相手が

存在しているかぎり」

できることがあるなら

今からやればいい

今ならまだ間に合うと

わたしは

考えるようにしている


みなさん

きっと

どんなに大事な助言をしても

受け取る相手が

大事な助言だと思わなければ

スルーされると

思う


ココに書いた文章も

ちょっぴり

誰かの役に立つこともあれば

全く役にも立たないこともあると

思う


それはそれで

いい


同じ言葉であっても

受け取りかたは

ひとそれぞれで


こちらが正しいと思うことを

押し付けても

相手の意欲にはならない


相手が

受け取るタイミングでなければ

いくら一生懸命

助言しても

響かない 聞こえない

ものだと思う


相手から

求められたら答えていけば

いい


でも

求められていないのに

ついつい答えてしまい

相手に理解されないこともあるよね


何年かして

あのとき

あんなことがあったなと

思い出したとき


ありがとうと

感謝することもあれば

恥ずかしくなったり

腹立たしくなったり

後悔したり

することもある


いつまでも

理解できないこともある


守りたい相手が

まだ存在しているなら

支えながら

見守れる


間違えたらやり直せばいい

今からやればいい

まだ間に合うよ


今日がスタート

明日がスタートでもいいかな 

家族 11 チャンス

ついに

次男の学校で感染者が出てしまった

気のせいか

濃厚接触者の定義が

違ってきている気がする


やたら

濃厚接触者ではない にして

感染者数を

調整しているように

思える


いや

濃厚接触者でしょう

というひとも

濃厚接触者ではないので

検査の必要はなし に

なっている


続きを書きますね…

*****

思えば

解決のチャンスはあった


わたしが苦しんでいたとき

青空の彼が

ぼくの知り合いがやっているメンタルの病院を

紹介しようかと

言ってくださった


だけれどわたしは

当時

日本で一番といわれていた

バイブル的な

二つ目の病院で

子供のことを頑張るしかないと

考えていたから


わたしは いいや

になってしまった


わたしがそこで

自分を大切に考えて

彼の言うとおり

別の病院でカウンセリングを受けていたら

遠回りほどよい景色がみられる

とはいえ


ここまで遠回りはしなかった

かもしれない


わたしが喘息で入院したとき

精神科のドクターが

様子をみにきてくださったことも

あった


わたしは

平気そうに

ニコニコしていたと思う


だからドクターも

ももさんなら大丈夫ですね

信頼できるかたと

頑張っていけるでしょう

診断名 ストレス過多

また何かありましたらどうぞ

ということで終わった


二番目の病院でも

わたしのメンタルについて

相談したら

お母さんは大丈夫でしょう

長い間

お母さんに精神疾患があると

思ったことは一度もないですよと

言われて


わたしの

どこかがおかしかったら

教えて下さいと

いうと


ないない

ないですよと笑われた


ならばなぜ

事実と違うと言われてきたのか

「子供を病気にしたい母親」

みたいに

扱われてきたのかは


長くお世話になってきた

リハビリの先生にも

いつから何きっかけで

こじれてきたのか

わからないそうで


結局 なぜだかわからない


今は

三番目のドクターになり

疑われることもなく

次男の治療は進んでいる


だからもう

二番目のドクターの態度は

気にしなくてもよいようなものの


わたしひとりでできることは

やるけれども

信じてもらえない結果

恐ろしいことになるのではないか

という

チクチクした思いが

心のなかにある


自分のことなら

嘘だと思われても

このひと

信じていますと言いながら

完全に嘘だと思っているなと

相手の目をみて

思うくらいで

相手と距離をおけるけれど


子供のこととなると

心配になりやすい

母親だから仕方がないかも


なにごとも

頭をうつまえに

みんなを巻き込む前に

なんとかならないものかしらと

思うけれど


病気や看病については

後悔はつきものなのかも


日々

そうじゃないといけないは

やめて

そうじゃなくてもいい

そうかもしれないけれど

そうじゃないかもしれないよと

考えて

子供にも教えてきたわけだけれど


いったいわたしは

何と戦っていたのか


なんとも

長く

孤独な戦いだった

2021年3月 4日 (木)

病気だから

今まで病気だからと

旦那を見捨てることが

できなかった


母親からいつも

病気の母親(健康です)として

行動を束縛されてきた

おどされてもきたので


病気のひと

弱いひとを見捨てるなんて

いけないことだと

わたしは

どこかで思ってきたのかも

しれない


ひとが良すぎるというのか

病気だから

できないのだろう

病気だから

仕方がないのだろう


わたしが

そんな風に考えている間


旦那は

何も言われないのをよいことに

できないからと

わたしに丸投げしてきたのだと思う


わたしから旦那に

家族の情のようなものは

ある


正直

それ以外は感じていない


家族が必要とする

支払いについて

引き落とし以外は

収入のないわたしが払うのが

当たり前みたいになっているけれど


医療費や学費の支払いが

わたしひとりではできない


旦那が

1で書いたように

病気ではなかったと

気づいてから

前々から苦痛に感じていた

旦那の使用後の

お手洗いの掃除や

旦那の洗濯物が

さらに無理に思えてきて


家政婦のように

当たり前とばかりに

家事をやらされてきたことに

嫌悪感が増した


家事は

家族が心地よく暮らすための

ものだから

旦那のためたげに

やっているわけではない


だけれど

喘息で

体調不良のときほど

無理な家事をやらされてきたので


やらされてきたという思いが

どうしてもある


旦那の洗濯物が洗えなくなったら

離婚を考えろ

というけれど


確かに

息子たちが

どれだけ汚しても

お手洗いや洗濯物を

苦痛に思わないというのに


旦那の

におい

食べ方

洗濯物

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いに

なってしまうと

離婚したい 

という思いが膨らんでくる


旦那と

相談や話し合いができれば

ここまで

わたしも

我慢しなかったと思う


ストレス過多にもならなかったと

思う


旦那からいわせれば

わたしがどれだけ家族に尽くしているか

知りもしないので

おれが一番我慢している

おれこそ離婚したい

部屋の荷物を捨てろ 不快だ

みたいなことでしょうけれども


わたしの頭のなかで

離婚したい 離婚したい

という言葉がぐるぐるしている日が

多くなった

***続きます***

家族 10 今

だけれど今

二番目のドクターの紹介で

三番目のドクターに交代して

三番目のドクターやリハビリの先生に

DVや虐待メインに相談


二番目のドクターが

長く解決できなかったことが

解決してきている


詳しくは書けないけれど

子供たちの診断名も取り消しになり

病院や学校で

時間をかけて頑張っていることは

よい方向なのだわと

思えている


家族には何をしてもよいのか?1から

始まり

職場で

「できるなら家庭でもやってよ」 と

旦那のことを思ってみたけれど


そのこと自体が

解決できない問題なのね…と

改めて

知ることとなった

家族 9 あちらこちらから

正反対の意見や

さまざまな情報から

そんな考えかたもあるのねと

思いながら

これはという

自分なりに納得できるものを

見つけて 

どうすればよいかを

考えてきた わたし

だけれど


面倒くさがりなところがあるので

病気について

どっぷりとはまり

調べまくる

というようなことはしなかった


わたしは

もともと

正反対の意見や

さまざまな情報をまとめて

参考になりそうなことを

選んでいくのは

得意だったから


いろいろなひとが

いろいろなことを言うから

混乱する

ということはなかった


どちらかというと

多くの意見を聞きたかった


質問されたことには

緊張しながらも苦痛とは思わず

何度でも答えていた


長い間

あちらこちらから

お母さん

ずっと本当のことを言われていたのですね

または

子供の診断名が違う と

言われてきた


もちろんずっと

本当のことを話してきた

診断名は

ドクターがつけたので

わたしに言われても

わからなかった


そして

わたしが

嘘をついているのでは?と

思われるたびに


子供のことを

いつまでにどうなるかと

不安に思うのではなく

「今できることを

やっていこう」と

自分の気持ちの整理を

しなければならなかった

2021年3月 3日 (水)

なってはいけないような気がしていた

以前は

正直

幸せになってはいけないような

感覚が自分にあった


それは

自分はいいやで

幸せを譲っていた


トラウマや傷ついた過去

自分を責める気持ち

影響してのことだったと思う


今は

少しくらい

幸せになってもいいのかなと

思っている


わたしは

わたしがこのようにしてきたから

みなさんも

同じようにしたら

うまくいくからやってみなよ

ということが

ココで

言いたいのではなくて


よかったのか悪かったのかは

わからないけれど

わたしが経験してきたこと

乗り越えてきたことを

ココに書くことで


心が癒されていくひとが

少しでもいたらいいな

それもまた

誰かの役に立つ

ということになるのではないかなと

考えていて

(とはいえ 

ストレス解消や

気持ちの整理で書いているときは

あるけれど)


みなさんにも

少しくらい幸せになっていいかと

思える日がくることを

願っています

***続きます***

家族 8 悩み

学校や病院で

同じような立場のママ友達が

多くいたので

相談したら みなさん

「疑われる」

「ドクターとうまくいかない」と

話していたから


わたしは

そんなものなのかな…と

思いながら

不安を感じていた


勉強会にも

すべて出席して

ママ友と情報交換もした


だけれど

わたしのはなしを

ドクターに

信じてもらわないかぎり

治療が進まない


生活ができないような

ひどい状態でも

ドクターに聞き流されてしまう


わたしは

何度も

解決を試みたものの

解決にならず


他の機関や病院に

相談したけれど

バイブル的な二番目の病院に

お世話になっているのだから

自分達の出番はないと

言われてしまう

家族 7 本当

二番目の病院では

子供たちは

DVや虐待について

ずっと口を閉ざしていた


たまに

わたしとは反対の返事を

することもあった


あるとき長男が

旦那に髪をつかまれて

引きずり回された

というはなしを

ドクターにしたことがあって


その時だけ

二番目のドクターに

お母さんのはなしは

本当だったんだ…と

言われた


でも次の診察では

また

お母さんのはなしと

事実は違うのではないか

なっていた


二番目のドクターは

リハビリの先生からの報告は

信用していたようで


わたしと同じはなしが

リハビリの先生からの報告にあれば

急に

治療が進む


という状態だった

2021年3月 2日 (火)

家族 6 最悪

二番目の病院がつけた

子供の診断名が 違うのではないか

というはなしは

他の病院

学校の担任や世間から

何度も言われてきた


以前も今も

世間の

旦那や子供たちへの評価は

高い


二番目の病院に

通院を始めたころ

病院の紹介で

カウンセリングを

別機関で受けたことがあって


そこでまた

DVや虐待と診断された


でもなぜか

前記事のように

二番目の病院のドクターに

事実とは違うと判断されることに

なっていく


一番

最悪だったのは

次男が拒食で

死がちかくなっていたときで


二番目の病院に

次男が

2ヶ月で20キロやせてしまい

食べないと

相談したところ


拒食は嘘で

他の病院も嘘と判断しているのだろうから

二番目の病院は対応しない

という

恐ろしい結果になった

ことだった


そこで

喘息でお世話になっていた

ドクターが

次男が拒食で入院するための

紹介状を書いてくださった

とたんに

二番目の病院も

紹介状を書いて

紹介状がふたつになったという

いま思い出してもゾッとする

出来事があった

***まだまだ続きます***

家族 5 困る

そもそも

わたしが

子供の診断名をつけたわけではなく

ドクターがつけたわけで

わたしに

ドクターから

違うのではないかと言われても

困る


わたしは

病院にいけば

日々こんなことがありました

という報告をして

事実を話していただけで


かわいそうと

思われたい

大変ねと

思われたいというわけではなかった


どちらかというと

お母さん大変ね かわいそう と言われても

別にそんなことを

病院に

言われにきたわけじゃない


どうしたらよいか

聞きにきていると腹立たしかった

2021年3月 1日 (月)

家族 4 複雑な気持ち

長い時間が

かかってしまったけれど

今は

信用していない部分はあるものの

ドクターやリハビリの先生

学校の先生と話すとき

緊張しなくなり


やっと

ごく普通に

話せるようになっている


旦那や子供

わたしに問題がある

考えていたころは


治療できるなら

早期治療

鉄は熱いうちに打て

とばかりに

わたしは

がむしゃらに頑張っていた


自分の悪いところは

泣きながらでも改善して

自分らしさも忘れ

自分を責めて

誰かしらを憎み

子供の将来が心配で

ひとり泣いた


さまざまなことにトライもした

学んだことは多く

これらの経験や挑戦を

無駄だったとは思ってはいないけれど


今となっては

なんとも複雑な気持ちになる

家族 3 緊張

病気や虐待について

わたしの実家

義理の実家

そしてわたしも

麻痺しているところがあった


DVや虐待について

母に相談しても

あなたがワガママなだけでしょうと

言われた


二番目の病院でドクターに

お母さんのはなしと

事実は違うと

言われたので


ドクターに

わたしが子供のことを

おおげさに

受け取りすぎということですか?と

質問しても

違いますと答えられ


子供の診断名が取り消しですか?と

質問しても

違います

と言われて

長い年月が過ぎた


そしてわたしは

自分自身が

間違っているのではないかと

考え


さらに

自分を責めるようになった


ドクターと話す

学校の先生と話す

ということも

自信がなく

緊張するようになっていった


もともと

母親との関係から

自信がなかった

相手の機嫌とりをしやすい

我慢する癖が完成していた

ところに


このようなことが続いたものだから

子供の不安定さは

旦那からの

DVや虐待の影響ではないか

という当たり前のことを

自信なさげに

ときに平気そうに

わたしは

話すようになっていった


リハビリの先生に

DVや虐待が

ドクターのカルテに書かれていなかった

ことを

なぜそのようなことに

なってしまったのかと

驚かれ

質問されたこともあった

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