治療してもらえなかった日々から
幼いころから
高校生まで
記憶にあるだけで
何度も
わたしの全身に湿疹が出た
顔が腫れ上がり
足の先まで
やわらかそうな場所に
地図のような
痒みのある湿疹が
気持ち悪いほどに出た
今から考えると
放置していたのは
危険だったと思う
母は
最近
母に3個ほどの湿疹が
出ただけで
やたら病院に行き
大騒ぎしていた
というのに
わたしのことは
ずっと
どうせ治るから と
病院に連れていかず
手当ても
治療もしなかった
学校にも
強制的に行かせた
母は
担任の先生に言われたとき
一回だけ
わたしを
しぶしぶ
病院に連れて行った
専業主婦で
時間はあったけれど
わたしが
橋の上から落ちたときも
ひどい咳が止まらなかったときも
目や鼻が
痒くて
くしゃみが止まらなかったときも
そのまま勉強しなさいと
言って
わたしを病院に
連れて行かなかった
母は
着付け教室や
美容院に行くばかり
していて
お茶やお花の
習い事ばかりをしていた
わたしは
健康な母と
高齢の祖母の
ヤングケアラー
だった
息子が
アトピーになったときも
世間体があるから
実家に帰ってくるなと
母は
言って
助けてくれもしなかった
最近
肺の病気で
部屋で
ひどい咳をしている父にも
近所で
悪く思われるから
咳を止めろと
言っているというありさま
病気について
考えかたを正して欲しいので
わたしから
説教をしているものの
母は 変わらない
普段は
情が深く
愛情があり
心配症で
世間体が第一
という母
ではあるけれど
学ぼうとしないところがある
そんな風に育ったわたしは
出産後
薬疹が出たとき
全身に小さな湿疹が
びっしりと
出ていたのに
ドクターに報告しなかった
看護師さんが
「部屋が寒いよね」 と
わたしが入院していた
部屋にきたとき
わたしは
背中が痒いから
寒い方がいいです と
言った
驚いた看護師さんが
背中を見たら
背中から足まで
薬疹だらけで
看護師さんから
どうして
こんなになるまで
我慢して
言わなかったの?と
聞かれたのだけれど
わたしは
大丈夫です
平気ですと
答えて
どうして
我慢していたのか
そのときは
わからなかった
わたしは
つらい
という気持ちを
なかったことのように
していた
看護師さんは慌てて
お薬を中止
変更しましたからと
おっしゃっていた
呼吸困難にも
なるかもしれない
危険な
アレルギーの湿疹や
薬疹を
わたしは
我慢していた
幼いころからの
母からの経験
旦那との経験から
そうなっていったのだと
最近になって
ようやくわかった
わたしは
わたしの(息子の)
体の苦痛
心の苦痛を
誰かに
伝えようとしたとき
信じてもらえないような
伝わらないような
気持ちになる
わたしが
間違っていたらどうしよう
というような
自信のなさもあるから
緊張する
話したあとも
話さなければよかった と
不安になる
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こんにちは。
お母様の問題は、子どもには苛酷でしたね。
悪い人ではないのでしょうけれど、
ももさんがここまで生きてこられたのは、
ご先祖様などの守りがあったからなのではないかと思ってしまいます。
アレルギーについてはいろいろ分かってきているので、
これからは地方の病院でも対応できるようになっていくのでは
ないかと思ったりします。
本当は、空気のきれいなところで、
息子さんとのんびり生活できるといいのでしょうけれど。
良い未来が来るように、お祈りします。
投稿: ふうちゃん組 | 2021年9月30日 (木) 19時24分
ふうちゃん組様 こんにちは
ありがとうございます。
今住んでいるところは
家族の
かかりつけの先生は
優しく話しやすいですし、
次男の学校や病院は
都内で多少距離はありますが
他の方々に比べれば
通いやすいです。
田舎はどうしても
精神科は遅れています。
長男の仕事も通える範囲で
隣人にも恵まれて
お庭もきれいです。
総合病院も近いので、
安心な環境ではあります。
長男は
田舎がわりと好きで
よくお友達と景色のよいところに
趣味で
旅行に行っているようですが、
次男は都会が好きで、
コンクリートジャングルが
よいそうです。
みんなの希望を考えると
今のマンションは
とても暮らしやすいので、
なかなか難しいです。
投稿: もも | 2021年10月 1日 (金) 16時53分