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これはずっと
わたしが受け入れて
生きていかなければ
ならないことなのだけれど
今も変わらない
わたしの思いは
青空の彼に 届かなかった
わたしの心も
思いも
彼に
伝わることはなかった
好きになって
もらえなかった
このまま
わたしの人生は
幕を閉じるのかもしれないと
思うと
どこかが 寒いような気がする
あしながおじさん も
たまたまで
わたしの勘違い
だった
よい方向に考えれば
よい方向に運命が動いて
望みが叶うのではないか
などと考えて
未来日記を書いてみたり
いつか
ふたりだけの大切なひとに
なれることを
夢みてみたりと
ずっと 今も わたしは
彼を信じていて
夢のようなことを
あれこれ
ココに書いてきた
でも
14年前から
彼には
忘れられていて
どこにも
わたしは存在していない
愛されていない
ということが答え 現実
わたしが
彼の人生に 役立つことは
なかった
彼の人生に わたしは必要なかった
ひとりのひとを
長く好きでいるという経験は
できてよかった
彼に
勇気をもらえたこと
自分を見つめ直せたことにも
感謝
わたしの思いは
他の誰かや
楽しいできごと
乗り越えるべき あれこれで
忘れられるものではなく
彼を
あきらめることもできず
長く孤独で
寂しいものだった
おこったことを受け入れて
生きていく
子供は親を選べない
親も子供を選べない
これは
どうしようもないことで
否が応でも
人生は続いていく
どうしようもないこと
を
恨んでも 憎んでも
仕方がない
ならば
なすべきこと
すべきことを 受け入れて
お互いの
心と体を 受け入れて
思いやりをもつ
楽しいとき 嬉しいときは
一緒に笑い
苦しいときは
一緒に泣く
それが
親子 なのだと思う
自慢話が大好きなひとがいる
わたしはそんな話を聞いても
よかったねと
楽しい気分になるのだけれど
自慢話が
大好きなひとのなかには
自分に自信がないから
自慢している
というひとや
上下関係の意識が強いから
自慢してしまうひとがいる みたい
自慢された方は
自慢の内容が
気にしている内容なら
嫉妬したり ひがんだり
攻撃したりする
気にならない内容で
自分が持っているものなら
自慢とも思わない
という
受け取るがわの問題が
ある
では
自慢しないように
気をつけていけば
トラブルはないのか
というと
全く
自慢しているつもりは
なくても
自慢されたと受け取るひとが
いる
家族のなかでは
あまり起こらないと
されているみたいだけれど
育てられかた
育った環境によっては
ひがみっぽさや
競争心があおられて
トラブルになる
自慢したつもりもないのに
自慢と受け取られ
攻撃されると
嫌な気持ちになる
言い訳をしたくなり
傷つき
ショックを受ける
けれど
見た目のよいひと
ひとより何かが優れているひとは
自慢に思われ
嫉妬され ひがまれやすい
何を話しても
どう行動しても
自慢と受け取られる
足を引っ張る
いわゆる
魂のランクの低いひとに
悩まされることになる
なら
自慢とも思われない
憧れ
になれるよう努力したら
どうだろう
嫉妬してくる
どす黒いものから解放されたいと
頑張って
努力しても
なかなかそこまで
ふりきった人間には
なれない
そんなときは
まわりより
自分の魂のランクが
上がっているのだなと
考えて
ついてこれない
足を引っ張り
攻撃してくる相手を
イメージのなかで
切り離してみるのも
ひとつの方法だと思う
自分の
魂のレベルが上がれば
今いる環境や
以前は
気が合うと思っていたひとに
違和感や
苦しさを感じてくるもので
ステージ卒業がやってくる
卒業したら
さらに
高い次元のひととの
出会いが用意されていて
使命がみえてくる
嫉妬されたくないからと
自分さげや
不幸自慢をして
いつまでも次に進まない
足を引っ張るひとに
気に入られようとするのは
なんだか 損
注目され
嫉妬されるほどに
魅力的な自分
なのだから
嫉妬やねたみ
(私の場合 女性からの嫉妬)
は怖い
避けたいけれど
よくよく考えてみると
悪いことではない
たまには
からにこもり
自分を守ってみたり
足を引っ張られてみたり
するけれど
自分をまず
大切にできるように
いつも考えられたら 素敵よね
高学歴 高収入 一流企業で働いている
からといって
えらいわけではない
そこまで
行きついた本人の努力は
尊敬できる
まわりが自慢するのは
ちょっと違うかな
ひとはみんな
平等であるべきだと
強く思う
友人 恋人 家族
みんな
どちらがうえで
どちらがした なんてない
今
どう生きているか
何に気づいて
何を考えているかが
大事
なんだと思う
悪いことは真似しないで
良いことは真似したらいい
あのひと
素敵だなと思うひとを
目標にしたらいい
というわたしも
育った環境から
高学歴 高収入がえらい
一流企業や役職がえらいと
思っていた 弱い人間
今の世の中のながれに
影響され
自分が傷ついて
気づき 考えてきたなかで
そのように思うようになったのかも
しれないけれど
自然にたいして
敬意を忘れないこと
日常の感謝を忘れないことも
大事だけれど
どちらがえらい
どちらがしただ
なんて考えはやめて
ひととひと
ひとと動物 植物
みんな平等で
みんないい
という風に 世の中をみていけたら
平和で
自分を愛せて
愛を与える喜びも
感じることが
できるのではないかな
なんて想像する
わたしが
愛されていると
理解できたら それは
さらに嬉しいことでは
あるけれど
そこは無理に
望まなくてもいいのかなと
思っている
次男と
何かを決めようとして
決まらないとき
時間をあけてみる
優先順位を考える
ということは してきたのだけれど
次男が
意固地になっていて
譲れないとき
どうしたらいいか
ということについては
わからなくなっていた
極端になりやすいというのか
放っておく
または意見を言う
くらいしか 思いつかなかった
そこは
二個ほど代替え案のようなものを
提示して
あたかも
本人が決めたように
導くのがいいと
リハビリの先生から聞いた
二個ほどのうち
本人が選んだら
知らず知らず
最初の意固地になっていた
譲れないことを譲っている
というわけ
わたしは
困っているひと
悩んでいるひとをみたら
なんとかしてあげたいと
思いすぎる
悩んでいるひとには
否定しない
意見を言わない
共感して 受け入れる
ということが
カウンセリングでは鉄則みたい
メディアで
誰かが言っていた
だから
何かしてあげよう
よくしてあげよう
という聞き手の言動はよくないと
されている
次男は
そのように受け入れてくださる
学校にいたので
否定しない
というのは聞き手の器が
必要で
なかなか難しいことだわと
思っていた
わたしは
悩みが多くあるとき
話して欲しい
少しでも解決してあげたいと
思う
悩みが多くあるんだね
そうなるよね
でいいのだと
ドクターから学んだ
共感だけ
というのも
悪化したらどうしよう
という不安がでてきて
なかなか勇気がいる
とはいえ
次男もおとしごろ
母親には話さない
なんとかしようと
ぶつかれば
ぶつかるほど
傷つけたり 悪化したりする
極端なやりかたは
かしこくないな~っと思った
ある日
ピンポンとインターホンが鳴って
わたし宛に
小さな 桜の苗木と
わたあめが 届く
わたあめには
手紙が添えてあって
最近見つけた
リーズナブルなカフェを
教えてね (連絡先) が
書いてある
ああ
これは
青空の彼からなのだわ
14年前に
手紙に書いた住所を
覚えていてくださった と
わたしは
感激して
ありがとう と涙しながら
春が訪れたように
甘くて
ふわふわとした 気持ちになる
それから わたしは
しばらく
嬉しさを かみしめて
落ち着かないまま
彼に
ラインして
ありがとう を
伝える
お弁当を持って
ピクニックもいいな
カフェもいいな
会いたいひとがいる
なんて
どうやら
素敵な気持ちなんだ と
考えながら
時間があれば
無理のない程度に
彼と
おしゃべりをして過ごす
これがわたしの 望む
未来日記
MRIの結果を
かかりつけに持っていき
事情をおはなしするも
ドクターに
わからないと言われた
内科なので
整形外科のことは
整形外科で
聞くようにとのこと
整形外科で
異常なしと言われたら
きてね と
おっしゃったこと
完全に
忘れられている…
異常なしで
放置していて
いいのでしょうか?と
紙を指差し
質問してみたら
水がたまり
炎症しているのは
しているみたいだね
整形外科の先生が
そう言うなら
大丈夫なのでは?
と
言われて 終わった
あれま
実家家族は
優秀なのだと思う
検査
服薬が必要と
言っていたもの
こういうの
どんづまりというのかも??
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