« 2023年4月 |
トップページ
| 2023年6月 »
今まで
青空の彼に 恋する気持ちを
ぶつけるほどに
表現するときもあったけれど
じっと
心に秘めているときもあった
表現しているとき
していないとき
わたしの気持ちに 変化はなく
ただ
自分勝手に行動してきた
14年ほど
わたしは彼に 忘れられていて
思い届かず 会えず
という現実に
以前書いた記事のように
素直に
向き合ってみると
彼は彼で 訳あって
何もしないで きたのでしょうから
彼を 責めるつもりもなく
彼が わたしに
感謝はされても
責められる存在では ない
会ったら
ほっぺたをムギューと
するかもしれないけれども w
長い間
わたしが嫌われている
避けられている
迷惑だ もふくめ
彼の気持ちや状況が
想像するしかなく
わからず
わたしは
ふられた自覚はしつつ
ちょっと怖いけれど
彼の気持ちや状況を
知りたいと思ってきた
でも
わたしが
いくら考えたところで
彼から
気持ちや状況を
聞いたことが 一度もないので
結局は
何も
わからなかった
比べるのは
よくないと思いつつ
14年ほど
音沙汰のない
しんとした 真っ白の彼と
わたしの
現実の生活を比べると
現実の生活の方が
どんなときも
ずっとわたしの近くに
あったので
愛情も
何も存在しない
まるで わからないもの と
目の前にあるもの を
比べて
どちらを優先して
大切に考えていくか など
明確だった
だから
わたしの
彼を思う気持ちは大切に
目の前のことからは
逃げなかった
とはいえ わたし
ぽかん
だらだらとしていることが
多いので
生意気なことは
いえないのだけれど
家庭の問題を
どのようにしていくべきか
何をやめて
何を優先するべきか
ということは
14年
しっかり考え 行動してきた
彼への気持ちは
ココに公開してきたので
誰でも
ある程度は
わたしの気持ちが
わかるようになっているけれど
わたしは
彼の気持ちが
まるで わからない
占いやスピリチュアルは
なぐさめで
愛情を信じたいという
苦しい気持ちを やわらげてくれる
だけ
わたしが
どのように暮らしてきて
何を
どのように 決断してきたのか
ということ
苦手なこと
楽しいこともふくめて
それらも また
身近なひとしか
わからないことだな と思う
わたしは いつも
なにかと幸せで
わたしは
彼の幸せを願っている
最近メディアで
せ☆被害についてよく
目にするようになってきた
性別関係なく
訴えるひと
裁判をおこすひと などなどをみてきて
わたしにも
結婚前
家族 恋人など
大切に思っていたひとからの
似たような被害経験が
ざっくり4つ ほどあることを
思い出す
☆い的虐待や
☆い被害というものは
そのときは
幼くて 若くて
被害者は
あってはならないこと
だということを
認識していない
大人になって
理解できるようになり
訴えても
解決は難しい
何重にも 苦しむことになる
過去の出来事は
忘れて
なかったことのように
暮らしても
ふとした瞬間に
言葉や出来事が
映像のように
フラッシュバックしてくる
傷ついたり
自分の
勘違いかもしれないと
思ったりしながら
生活のなかで
何度も
フラッシュバックが
現れたり消えたりを
繰り返し
ずっと苦しむことになる
わたしには
被害を話せる
信頼できるひとが
現れていないので
きちんと誰かに 相談したことは
ない
ひとを信用できなくなる
被害者
たいして
加害者は
責任を感じていないことが
多い
自ら命をたつ と
考えるとき
自分の気持ちしか
考えていないと思う
自分を
大切に思ってくれているひと
自分が
大切に思っているひとが
命をたったあと
どのように苦しみ
どのように後悔するか
など
想像できていないのでは
ないか
どちらかというと
いっぱいいっぱいで 自己中な状況
残されたひとの
気持ちなんて 気にしていない
自分がいなくなった方が
みんな喜ぶだろう
くらいに考えているかたも
いらっしゃるのでは
ないか
自分は
大切にされていない
自分が
大切に思うひとはいないと
すべてを拒絶していた
としても
愛されず
誰にも関わらずに 生きてきたひとは
いないと思う
せめて
自ら命をたつ前に
自分が大切に思うひと
のことは考えてみたい
わたしも
息子がどうなるか を
考えていなかったことに
気づいた
もしも
自ら命をたてば
わたしが
大切に思うひとが
どれほど苦しむだろう を
考えてみたら
あまりにも
胸が痛んだので
やめようと思って
やめられるわけではないけれど
やたら
命を自らたつことを
ぼんやり 考えるのは
やめておこうと
思った
正論パンチや
自己犠牲ばかりでは
お互いに
疲れる世の中
泣いて
楽しく笑って
エゴを捨てられたら
いいのかな
エゴって いまだに
よくわからないのだけれど
鳶が鷹を生んだ
という
ばかにした言葉があるけれど
鳶は実は鷹で
育った環境やさまざまな理由で
鷹になっていないだけ
鷹は鷹からしか生まれない
なんでもないところに
いきなり鷹は生まれない
鳶は鳶からしか生まれない
鷹がえらいわけでも
鳶が
ばかにされる存在でも
ない
黒い動物のなか
白い動物が生まれたら
やたら みんな
騒ぐところがある
白い動物は
近親交配で
生まれることが
わかっているみたい
動物は
近親交配で
進化してきたという
歴史が あるらしい
人懐こいキツネばかりが
飼われたら
そのうち
色の違うキツネが生まれたり
耳がたれてきたりする
というのだから
環境について
ほんと考えさせられる
生まれる前に
決めてきたことが
真実の愛を学ぶことだったとして
生まれた時から
当たり前のようにあるものは
意識しない
気づかない
それが当然 と感じているので
学ぶためには
かけていること
が
必要になってくる
わたしは
わざわざ かけなくても
気づいたら 学びになるでしょ
なんだか 悲しいじゃない と
思うのだけれど
母親からの愛
から始まり
愛を学ぶひとは
かけていることが
多いのではないかな
真実の愛を
悩んで見つけるために
かけている
そして
愛される
愛しかた
などなど
たくさんの愛を
学んでいくのだと思う
子育てで
被害妄想から 怒る母親がいる
母親が
怒る イライラする
というのは
気持ちに余裕がない
家事や子育てを 助けてほしい
という
下手な表現かな と
思うけれど
子供としては やるせない
親は 被害者ではない
というわたしも
子育てでは
被害的になりやすかった
被害者のような
気持ちにもなって
イライラしたことも あった
ワンオペの孤独感も あった
子供に
何か問題が起きると
子供から奪うこと
罰や攻撃ばかりで
子供を正そうとして
与えないに
なりがちな 母親が多い
親は
無条件の愛情を
子供に与えているか
愛している
大切に思っていると
伝えられているか
一回 立ち止まり
考えてみるべしで
親自身の
感情コントロールも必要になる
子育ては大変だけれど
成長 学ぶことが多い
子供への
無条件の愛情は
親の責任で
親は 被害者ではない
どんなことも
厳しさだけでは 解決されない
日本では
あまりないので残念だけれど
抱きしめる はぐ で
解決できるものもある
(はぐ いいなー)
子供を
責めたり 叱ったり
だけでなく ほめる
頑張れ だけでなく
誇りに思っている
つらいときは つらいよねと
伝えたいもので
家庭に居場所がない子供は
親に従わないという
今になって
考えてみると
長男にも わたしにも
家庭に居場所がなかった
わたしの父は
子供に愛情がある
わたしは 子供に愛情がある
ということは
確かなこと
親の一生懸命さが
裏目にでることもある
親も親で
悩み 苦しんできたはず
子供は
親の
よいところは真似して
悪いところは
気をつけて
許せないことは 許せない
受け入れられることは
受け入れていけばいい と
わたしは思う
後悔することも
やり直したいと思うことも
多い
子育て
わたしが長男に
口うるさかったのではないか と
反省していると
次男が
お母さんは お兄ちゃんに
正しい言動をしてきた
こじれ がなければ
おれみたいに
愛情を受け取れているはず
親孝行が できていないから
母の日に おばあちゃんに
贈り物をするなんて
真面目だね
と言った
(元気でいてくれることが
親孝行だから
わたしは
プレゼントは いらない)
もう少し わたし
自信を持っても
いいのかもしれないと
次男になぐさめられ
思う
自信がないと
頑張りすぎて 失敗するから
子供との距離感に 気をつけながら
ほどほどがいい
子供が成長すれば
愛情よりも自由が欲しくなる
という
自由が欲しい子供に
いつまでも 過干渉になり
無理矢理 愛情を与えるのは
ちがうのかなと
思う
これは
誰にたいしてもだけれど
母親が
悪口や暴言を繰り返して
子供を罪悪感で
コントロールしようとするのは
今すぐ
やめるべきだと思う
たまには
依存や執着は
あるもので
それを
悪いことだ
絶対にしない と
言いたいわけでは
ない
依存や執着をしないで
いられたら
成長した自分に気づく
心も軽くなる
時間も
自分のために使える
というもので
人間だから
依存や執着もする
愛情も
似たようなもの
だと思うので
すべて無くそうとするのは
寂しい気もするけれど
依存や執着を
手放して
自分らしくいられたら
そのままの自分を
自分が愛したり
誰かを愛したり と
とても輝いた毎日に
なるのではないかな
令和5年 5月5日
555の日
午前中に うとうとしていたら
耳元で
チリン チリンという音が
繰り返し 聞こえてきた
目が覚めてから
YouTubeで鈴の音を調べて
高野山の持鈴だと
わかった
誰かお参りでもしたかな?と
思い
姉に話してみたら
ちょうどその時間
お参りしていたそうで
行者はいたけれど
わたしの聞いたような
鈴の音は
聞いていないそう
心が洗われるような
音だった
感謝の気持ちを
忘れないようにしよう
一万円札が
ふまれても
ぐしゃぐしゃでも
一万円という
価値が変わらないように
自分の価値も
ふまれても 傷だらけでも
変わらない はず
とは思っても
今のままではダメなんだ
自分には
+α
付加価値が必要なのだ と
自分に
何かをプラスして
くっつけなければ
価値がない
認められない 愛されない と
焦ってしまう
やせなくては
もっともっと
美しくなければ
勉強を頑張らなければ
常に
努力していなければ
早寝早起きをして
働かなければ
自分には 価値がない
認められない 愛されない と
思いこむ
本当は
今のまま 愛されていて
今のままで
いい
何かを
くっつけなくても
実は
受け入れられている
ひょっとして
今の自分のままで
いいのではないの? と
考えてみると
まー
いいような気がしてきて
気持ちに余裕ができると
時間にも余裕がでて
自分や
大事なものについて
考えるようになり
自分の最優先
やるべきことだけ
やっていればいいか に
落ち着く
ここは
直したいなと
何かを変えたい時は
すぐに
変えてみればいいけれど
自分が
変わることも
変わらないことも
自己責任で
誰かの責任ではない
ということは
覚えておきたい
傷つくことは弱さではない
強さなのだと
思っていたいな
« 2023年4月 |
トップページ
| 2023年6月 »
最近のコメント