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2023年8月30日 (水)

受け入れられる容量

ひとそれぞれ 

そのひと そのひとの

受け入れられる容量

かばん

の容量 ってものがある

 

大きなかばん(大きな器)

が いいようで

大きすぎると 重くなる

 

そのひとの かばんの

容量以上のものを 持てば

抱えきれなくなる

 

多くのものを

受け入れようとして

手をぎゅっと グーにして

握りしめたら

力を入れすぎて

指の間から

たくさんのものが 落ちていく

 

器に

器以上の水を注げば

水は あふれる

 

ああ もったいない

 

抱えきれなかったもの

落ちたり あふれたりしたもの

のなかには

 

後々 考えてみたら

大切なものが ふくまれていて

 

いったい

わたしは 何を守り

何がしたかったのだろうと

後悔もする

 

そのときどきで

どうしても 手放せない

譲れないことが ある

 

よかれの判断が鈍る

入ってくるものを

すべて

受け付けてしまうことも ある

 

以前より

地球の時間が速くなっている

というんだから

もう

振り落とされそうだ

 

頼まれごと

日々のタスクも多い

 

わたしみたいに

日々 ぼんやりしたひとでも

多い というのだから

 

人望があり

多くのひとに

必要とされているひとは

その声に

懸命に 答えているはず

 

優しさや真面目さ

から

いっぱい いっぱいに

なりながらも

答えていると 思うのだけれど

 

悲しいかな

かばんに入らないものは

入らない

グーにしても

器に注いでも 

落ちたり あふれたりする

 

すべてに答えるわけには

いかない

 

そこで

選択に迫られる

 

何かは 断らなければならない

どこかで 

線引きも しなくてはいけない

チャレンジを休む

どれかを 手放す

 

やめる という選択肢もある

 

まぁ

それを やらないと

大切なものを 失ってしまう

 

自分らしくいられなくなる

自分を 大切にできない

あげく

自分も 失ってしまう

 

例えば

家族への愛 恋人への愛 

仕事 地位 などなどのなかで

手放したくない愛 があったとして

 

手放したくない愛を

安心させなければいけない状況だ

というのに

 

難しく考えすぎて

さきのばしにする とする

 

現状維持に 安心感だけは

あるけれど

さきのばしにしたことで

相手は束縛され 苦しむことになる

 

仕事か愛か 家族か愛か

などなど

愛については 臆病になり

極端に 考えがちだけれど

 

どちらも  

犠牲にする必要はなく

どちらかを 選ぶ必要もない

どちらも 手にしていい

 

わざわざ

苦労する必要もなく

苦労しないで

笑って暮らしてもいい

 

わたし ぼくの かばんに

大切なものを 入れよう

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