わたしが いらない
最近
わたしが いらない
という
家族の トラブルがあって
前記事を 書いた
わたしは
もともと
自己肯定感が低く
なりやすくて
息子のために
息子を悲しませたくないので
生きてきた
わたしが いらないと
知ったとき
わたしは
必要ないのだろう
いなくなりたい と
思った
我慢しすぎることと
いなくなりたいと思うのは
もはや癖
みたいになっている
傷つくことばかりが
続いて
これでもかと
いためつけられ
昔の傷も ついでに
えぐられた
自分で
えぐったかんじもする
わたしは
大切なひとに
問題があれば
理解しようと努力して
解決できるまで
解決できなくても
最後まで
寄り添っていくけれど
わたしのことを
理解してくれるひとは
残念ながら
まわりには いない
寄り添って
考えてくれるひとも
いない
本当に
助けてくれるひとも
いない
自分で自分を
助けるしかない
依存したいわけでも
頼りすぎるわけでも
ないのだけれど
もともと
ありのままを話して
相談をしたり
アドバイスを聞いたりしながら
よりよい選択をしていく
という性格 なので
まわりの 誰かに
相談しようとして
意味がなかった 経験が重なって
自分で できることは
自分で
やってきた
気づきや
学びを大切に考え
愛情を持って
責任も感じて
いつも ひとりで
頑張ってきたけれど
気づいたら
孤独で
無価値な自分が
ぽつりと いる
必要ない 価値のない自分は
いなくなればいいと
いつものように 思い
ああ
でも次男が
わたしのことで
後悔する 悲しむことは
できないなと
考えなおす
の繰り返し
腹を立てているときは
まだ
感情があって
いいのだけれど
謎の体調不良が
続いて
ざわざわ もやもや
たまに限界をこえて
感情が
なくなったみたいに
心が しんと静かになる
マヒしたような
これしか ないような
怠けているような
おかしな 気持ちになる
わたしって
こんなものよね と
あたたかさとは
無縁なのが
当たり前のように感じて
たいした人間でもないし
こうなるのも
仕方がないか
自分にも悪いところがある
体力もないからね と
あきらめる というのか
納得してしまう
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