恐怖 わたしも洗脳 感謝
長男が
彼女の影響で
臭い 臭い 汚い汚い
狭い
だから 引っ越ししたい
などと
うち(実家)のことを
ヒステリックに 話していた頃
長男を信じて
優しい気持ちで 判断したい と
思いながら
よくよく 考えたら
長男の言葉ではない と
わかるのに
恐怖を 感じていた
長男に
気持ちよく
暮らして もらいたい
実家で
安心して 休んで欲しい
という
愛情からの思いで
わたしは
家事に 明け暮れてしまう
消臭しまくり
持病を悪化させながら
毎日 掃除ばかり
していた
息子への 愛情がないと
無償の家事など
できないけれど
丁寧な家事
こった食事 きれいな部屋
=愛情 ではない
もっと
大切なことがある
息子に
寄り添う時間の方が
大事
わたしは
長男の言葉が
怖かったのではなく
長男が 影響されていた
彼女の言葉が
ヒステリックで
怖かったのだと 思う
5年半前は
わたしと長男に
お互い 笑顔が多かった
5年半
笑顔がない
長男が 帰ってきてから
わたしは
リラックス風 に
していたものの
長男からの 言葉に
緊張感が あった
わたしも
彼女から
脅され 洗脳されていた
といえる
わたしは 普段は
ぱぱっと
和食の夕食を つくり
子供との時間を
大事にしていた はずが
夕食づくりに
4時間も
かかるようになった
入浴も
長風呂 だったのに
10秒で
慌てて でることもあった
とはいえ
長男が いてくれるだけで
幸せで ほこほこした
気持ちになり
長男のケアは
わたしが
生きている実感さえした
苦痛では ない
なにが
苦痛だったか というと
彼女の影響
旦那の嫌がらせや
自己中さが 苦痛だった
長男が
パンやお米 パスタを
毒だと話して
食べたがらなくなり
詐欺 洗脳みたい と
思いつつ
毒の理由は
筋トレ 健康のため
かも しれないので
おかずだけで
お腹いっぱいになり
暑いので
食欲がわくような…と
食事メニューを 考えていると
食材に 悩みすぎて
買い物にも
時間が かかった
長男との
コミュニケーション不足も
あり
どうしたらよいか
わからなくなった
次男が
食べなくなり
命を 失いかけたときも
次男を 失う恐怖から
わたしは 混乱して
頑張りすぎた
ふたりが
赤ちゃんのころから
旦那は
無視 キレる 助けないひと
だったので
それが
フラッシュバックして
わたしに できるのだろうか
という 不安が増した
今回もまた
旦那には
助けてもらえない恐怖が
関係して
余裕なく 頑張りすぎた
長男は
何も 喉を通らない
から始まり
苦痛そうに 残さず食べる
残す 食べない
毒
と 変化していて
わたしは
家族で
一番弱っているひとを
守るべき最優先 と
常々 考えているので
柔軟 臨機応変に
対応しようと
懸命に 悩んでいた
旦那は
食べさせるな と
言っただけだった
考えてみたら
長男は
掃除や 食べ物を
神経質に 気にするタイプ
ではなかった
わたしが
旦那にDVをうけてから
わたしらしさが
なくなり
ずぼらが 神経質な印象に
なったのと 同じで
長男も
彼女から DVをうけて
臭い臭い 汚い汚い
あさるな を
繰り返していた
わたしは
臭い 汚いに 責任を感じて
努力を続けるしか
なかった
責任感だけでなく
わたしは 病気なのに…
病気を抱えて できるかな
という 不安もあった
わたしの母も
臭い臭い 汚い汚い と
ヒステリックに 言うので
その言葉に
わたしが 反応して
動揺していたのかも
しれない
産まなければよかった
という
母の言葉にも
当たり前だけれど
わたしは 傷ついていて
気にしないように
暮らしていたはずが
ママ友の
産まなければよかった の
言葉に
声が しばらく出なくなった
こともあった
母が
言い争いのあと
夕食を わたしの部屋に
お盆で 運んできたことが
何度も あった
どうしたらいいのか
わからなくなったとき
親にしてもらったことは
よいも 悪いも
すんなり しているもので
長男に
お盆で 食事を運んで
嫌がられた
次男が
第一印象で
わたしの若いころと
彼女の
気遣いの仕方が 似ている と
言っていたけれど
脅して
ひとを動かそうと
するところ
ヒステリックなところ
など
「彼女と母は 似ている」
その後
キャパオーバーすぎて
次男に
返事をしようとしたとき
自分の舌を
強く 噛んでしまい
舌から 血がだらだら
ポタポタと流れ
なかなか
止まらなかった
足に
ひどい火傷も した
血も 火傷も
目の前で テレビを観ている
旦那は
無視していたけれど
次男は
助けてくれた
わたしは
ほんと きついよね と
自分で自分に
お疲れ様を 言って
舌も足も痛いので
一回
落ち着いてみよう と
考えた
思えば
長男が
実家に 帰ってくるまで
2部屋を空にする
という作業を
短期間 ひとりで行った
旦那に 脅されながら
夜中まで 頑張った
わたしには
帰る場所 居場所が ないので
長男には
実家はいいよなー と
思ってもらいたい
わたしが
帰る場所 居場所になりたい
という 思いから
ひたすらに 努力した
長男には
自由にしてもらい
なんでも
騒いだ方が 楽だけれど
問題が起きたとき
怒って 騒いで
解決する
意見を 押し付けるもの
ではないので
長男の
すべてを 受け入れ
肯定した
すべて 受け入れる
これが なかなか
精進が 必要だったけれど
やってよかったと 思う
愛情しかない
長男がまた
引っ越しすると わかり
寂しくて
ショックだった
とはいえ
自立を邪魔するわけには
いかない
一人暮らしは
自由だから いいのだろうな
虐待された実家には
いたくないだろうな
長男は うちが嫌い
帰りたくない と
小学生のときから
話していた
結婚するまでは
長男と
一緒にいたかったな
寂しいな と
思いながら
長男を
お守りください と
引っ越しの
荷造りや準備をした
片付け 引っ越し
さらに引っ越し
何ヵ月も続いた
病気を抱えながらの
ほこり掃除は
かなり きつく
つらくて 挫けたけれど
長男も頑張っているので
息子のための
怒涛の 数ヶ月だった
旦那とは
話し合いに ならない
わたしの 自己犠牲しか
やりかたがない
わたしが
ひとりで すべて
やるしかない
という現実に 疑問を感じて
改善できることは
改善してきたけれど
パターン化してしまい
旦那は
うまくいった いっている と
勘違いしている
義理両親を
真似れば うまくいくと
これもまた
勘違いしている
ちなみに
臭い 汚い というけれど
うちは
臭くもなく
普通に きれいだった
けれど
消臭剤 フィルター 洗剤他
実家を 臭くなく
きれいに するために
大量に購入した あれこれ
近所のスーパーまで
今日は 無理かな
という 喘息発作の日でも
通い
大量の洗剤
生活必需品 食材を購入
無理をするしか
できず
旦那に
追い詰められて
長男のことが
ほどほどに できなかった
旦那は
なにもせず
支払いも しなかった
長男が
そこまで
家事を 望んでいたわけでは
ない
長男は
なんでもいいよ
どちらでも いいよ と
言っていた
ちらほら
長男らしく なっていった
なので
無視された5年半も
あるけれど
彼女 旦那に
追い詰められて
旦那に
丸投げされての混乱が
わたしに 続いていた
わたしが
長男と次男
ふたりの生活時間に
あわせて
ケアしていたら
わたしが 生きていけない
全部は できないので
とりあえず
長男優先で 動いた
次男も 協力してくれた
そのうちに
旦那がいると
過呼吸みたいに
息苦しくなる
ということに 気づいた
体は 正直
いないと
呼吸が 静かになる
以前
旦那がいると
微熱がでることも
あった
今後のことは
少し のんびりしたら
考えていこうと
思う
大きく よい方向へ
変化できたことも ある
長男と少し
話せるようになった
長男とのメールも
短いけれど
用事だけ
やりとりできるように
なった
私たちからの
メールの返事を
彼女がしていて
傷ついて
メール恐怖に なったけれど
今は
やや緊張感が
残るものの 普通に
メールできるように
なった
この 短期間で
よくここまで できた と
思う
自分を ほめてあげたい
当たり前のことが
当たり前に
できなくなったとき
間違いに気づいたり
幸せだったことに
気づいたり
感謝したり するもの
だけれど
今回
多くを学び
多くのことに 気づけた
息子たちは
それは 腹が立つことも
あるけれど
かわいくて
かわいくて 仕方がない
大切な存在
旦那との関わりで
心も体も
もうだめかも
という 大変なことが
続いたけれど
これからは
旦那と なるべく
関わらないように
していく
この何ヵ月かの間
いろいろなことが あって
ただ
大変なことが
続いたように みえるけれど
学びも
大きかった
感謝
実りも
たくさんあった
息子と
過ごせた時間と
日々の 小さな幸せにも
「ありがとう 」と
思う
« 体に現れる | トップページ | 弱いは 悪いではない »
コメント