まきこむ
親の問題に
子供を まきこむ家庭は
まきこまない家庭より
問題が多い というYouTubeを
たまたま観た
まきこむから
問題が わかりやすいだけ
という気もするので
まきこむ だけで
判断するのは どうかな
まきこまないは
無関心かもしれない
親の問題は
親だけで解決することが
よいとは思うけれど
すべてよいとも かぎらない
発信者は
本や論文ばかり
読んでいるのだろうな…
という印象だった
問題が起きたとき
良い 悪い
原因探し いいことを言って
解決してあげたい
で
問題を
みているひとの
意見や アドバイスは
親切心で
知らず知らず 否定からはいる
ということもあり
当事者にとっては
理解してもらえていない
きつい 偉そうに
うざい 傷つく
話すのは やめよう
に なりやすい
問題が 起きたとき
本に 答えはないと思う
本のとおりにして
うまくいくことも
あるかも しれないけれど
うまくいった というのも
うまくいったかどうか
苦しんでいるひとの
人生の最後まで みていないわけで
苦しんでいるひとに
あきらめられた だけ
かもしれない
なので
誰かに
答えを求めるのではなく
自分が
みてきたもの
自分の 苦しい経験から
にじみ出てきた
こうしてみよう を
信じていきたいもので
悩んで
心が 弱っているときは
他人の意見に
ながされがち
自分を苦しめた壁は
自分を守る壁に
なっている はず
できれば
自分を 信じていきたい
失敗したら
やり直せばいい
後悔したら いい
違うやり方を 探せばいい
緊張感が増すとき
失敗できない
やめられない
選択肢は ひとつしかない と
思いがち だけれど
失敗など
存在しない
チャレンジと いえる
実は どんなことも
違うな と思えば
すぐに やめてもよくて
選択肢も 多くある
世知辛い 世の中
生きているだけで 偉い
わたしは
両親の問題に
まきこまれてきた
息子たちも
まきこまれてきた
家族の問題が多い=悪い
というような 判断は
危険だと思う
問題の原因を探すと
犯人探しになる
物事を
良い 悪いで 判断して
やり方が悪い になると
悪いと
判断されたことで
された方は
自信が なくなる
良いも 悪いもなく
やり方でもなく
ただ
起こったこと なのだから
受け入れて
原因は
いろいろあった と自覚する
くらいにしておき
今 できることは
なんだろう
大切なひとが
いつかは
笑って いられるよう
健康で いられるよう
考えて いけばいい
問題が 強制的に
世間一般の
うまくいった に
変えられた としても
根本的な 解決には
ならない
家族の 誰かが
我慢したり
無理をしたり
するだけに なる
例えば
引きこもりのひとが
何年かぶりに
家をでた
学校に行った
ということについて
うまくいったと
喜んでいるひとたちが
いるとする
うまくいった
というのは
まわりのひとの
気が済んだ ではなく
本人や
まわりひとが
ありのままでいい と
受け入れた
まわりのひとが
一緒にやっていこう
守ると決めた
という状況だ と
わたしは 思う
そもそも
世の中の正しいが
本当の正しい とは
かぎらない
世間体など
気にもならず
何も
恥ずかしいことなどない と
心から思えたとき
大切なものが みえてくる
愛情って
いきすぎたり
間違った方向に
暴走したり
するときも
あるのだけれど
ありのままを
受け入れたら
大切なひとを
大切にするだけでいい
大切なひとの味方だよ
という
シンプルな考えに
行きつく
大切にするの
微調整は
なかなか大変だけれど
大切なひとと
話し合いながら
行きつ戻りつで
疲れたら 休もう
だいたい
トラブルの終わりは
きっと
愛と光のなかにいる
今まで
起きた苦しいことは
この幸せのために
起きたことだった と
思えるときも あるはず
どんなときも
本質を見極めること
幸せだから
感謝するのではなく
感謝できることが 幸せ
ということも
忘れないようにしたい
とはいえ
幸せに
気づけなくても
幸せになれなくても
いい
幸せになれるはずないと
思う必要も
幸せにこだわる必要も
ない
ありのまま
わたしのままで いい
あなたは
あなたのまま
愛される
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