2022年7月21日 (木)

結婚で問題になること

以前

親戚が

交際中に破談になった

という

出来事があった


妊娠中の事故で

障害を持ってしまった

親戚が原因


のちに

理解のあるパートナーと

結婚している


今回

姉の家族が

結婚することになり


次男のことを

相手に

話しておいた

と姉に言われた


拒食症でも

問題があるのか と

悲しいような

腹立たしいような

気持ちになった


相手による と

姉は言った


申し訳ないような

いたたまれないような

気持ちになる


もし

我が家に

次男を悪く言われるようなことが

起きたら


そんな家族とは

お付き合いできない

結婚しても

幸せにはなれない


結婚にしても

救急にしても

拒食症は問題になる


ならば

ささっと治して

進学 就職すれば

いいのだろうけれど


そんな簡単な

問題ではない

2021年10月24日 (日)

やめる勇気

みんな同じに頑張る必要もなく

みんな同じに努力する必要もない


ときに

やめる勇気も必要なのではないか と

わたしは思う


みなさん

人間関係

学校 職場などなど

どんなことも 

やめられないから

苦しんだり

悩んだりする


最悪

命を捨てる


簡単にやめられないから

苦労しているわけだけれど


死ぬくらいなら やめればいい


何かに挑戦するときも

挑戦したいと

おなかの底あたりから

力がわいてくるまで


まわりの誰に何をいわれようと

休めばいい


挑戦したくなって

挑戦してみたけれど

だめなら

すぐにやめればいい


わたしは

チャレンジャーなので

あまり考えないこと

だけれど


失敗は許されない

最後までやめられないと

思えば思うほど

挑戦できなくなる

苦しくもなるのではないかな


いったい

失敗が怖い

恐れ

まわりから認められたいとは

なんだろう


成功体験が

そんなに大事?

体験ばかりにこだわる必要が

あるのかな

成功体験で自信がつく?


そもそも

失敗など

思う必要もなくて

まっいいか と

笑い話にしてしまえばいい


やりかたが自分にあわなかった

だけで

やりかたはひとつではない

だから

他のやりかたに変えたらいい


選択肢が

ひとつしかないと思うから

苦しいのではないか


その失敗

本当に失敗?

ただ

やりかたがあわなかっただけじゃない?


ピンチはチャンスというけれど

そこまでも考える必要は

ないように

わたしは思う


もっと気楽にやっていけたら

自分で自分を好きになれそうだよ

2021年10月 6日 (水)

相手が決めるまで待つは修行 幸せそうなら

相手が

どうでもよいひとなら

期待しない

だから

全く期待されないのも

なかなか

さみしいことなのだけれど

期待されると

苦しくなることもある


わたしでいえば

青空の彼や息子たちのような

相手が大事なひとほど

相手に

こんな風にしてもらえたら

嬉しい などと

期待してしまう


こうするのが良いよねと

急ぎ

伝えないといけない などと 

やけに

おせっかいになったり


こうすれば

幸せだろうに と

勝手に心配になったりすることも

ある


家族 恋人に

無理強いしてでも

何かやらせたいことが

あったとして


なにごとも

時間をかけて と

思うけれど

ひとはなかなか待てないもので


わたしなんて

パンケーキが焼き上がるまで

待てなくて

ついつい

つっついてしまうくらい  笑


相手が決めるまで待つのは

修行


相手に

なにがなんでもやって欲しい

とばかりに

自分が動いていると


相手は

絶対にやらないと

へそを曲げるか

苦しいから拒絶してくる


やって欲しいばかりでなく

自分で

できることなら

単純に

自分でやればいい


家族や恋人に

こうなって欲しい と願うとき

そこには自分の

エゴしかない


家族や恋人に

自分の人生や価値観を押し付けて

自分の人生を歩ませようとしていることも

ある


相手が大切なのか

自分が かわいいのか

わからなくなる


基本

ひとは自分のおもいどおりには

ならない

だから

ひとをおもいどおりに動かそう

なんて不可能


相手に

期待しているうちは

相手は動かないもので


自分もそうであるように

相手が

やろうと思わなければ 

なにごとも 進まない


だから

どんなことも

相手が

やってみようと思えるまで

静かに待つしかない


ずっとこのままなのかな と

悩むこともある

だけれど

このままでもいいか と

諦めたころに

相手から

やってみたい

などという言葉が聞こえてくる


となると

誰がなんと言おうと相手はやる


ひとに言われて

やるのではなく

相手から産まれた

やりたい は

とてもパワーが強い


相手が

なにもしない 

それはそれで よかった


やってみて違えば

やめてもいいと

わたしは思う


だけれど

相手から産まれてきた

やってみたいは

わたしも嬉しくなる


だからわたしは

相手が結論を出したことが

自分の思いとは

まるで違っていても

そこは笑って

必要なら手伝って

見守っているだけでいいと

思っている


結局

相手に

何かを期待するときは

相手がやりたくならなけれぱ

やらないのだから


やりたいが

相手からひょこっと産まれてくるまで

待つしかない


無理にやらせようと

誘導して

自分のおもいどおりにしようと

すると

相手が従ったとしても

いつか必ず

うまくいかなくなるもので


人生やたら遠回りにもなりそう


はっきり言って

わたしが青空の彼に

無視をされているのはつらい


わたしが

ずっと待っている と

考えると

悲しくて

苦しくて

先のことがとても不安になるけれど


待っていることを

忘れるまで

結局

待っているしかない


でも

大事なひとが

のんびりとできて

幸せそうなら

それでよしとしよう と思う

2021年9月 3日 (金)

よいあんばい

お釈迦様もおっしゃった

ように


琴の弦は

締めすぎても

ゆるめすぎても

よい音が出ない


ちょうどよい加減が大事


何かを成し遂げたいとき

頑張りすぎても

なまけすぎても

よいようにはならない


自分らしく

よいあんばい

でなければね

2021年8月14日 (土)

どう思われるか

これはわたし

小学生低学年のころから

悩んできた

ことなのだけれど


ひとにどう思われるか

より

自分がどう思うかを

大切にしたい


何かを発言したいとき

この言動をしたら

ひとにどう思われるか

などと考えていると

本当の自分がわからなくなる


相手の思いを理解することも

大事なこと

だけれど

自分はこう思うから

こうして欲しい

こうしていきたいと

はっきり発言したいもので


何かを決断するときも

ひとからどう思われるかで

決めるのではなく

自分がどう思うかで

決めればよいと思う


自分がどう思うか

ただそれだけでいい


ひとからどう思われるかばかり

気にしているうちは

何も生まれないけれど


ひとがどう思うか

まるで気にならず

自分がどう思うかだけを

考えて

生きることができるようになると


いったいわたしは

今まで

何を気にして

何におびえていたのだろう

ばかばかしい

損したわ

などと思える日がくる


そうなると

世間体

うわさ話

ひとの評価

上下関係

家柄

学歴

差別

というようなことを

最も正しいと思いながら

自分で自分を苦しめているひとたち

から

離れていくことができる


目の前のひとが

幸せそうなのか

一緒に楽しいことを共有できているか

よく休めているか


自分は

幸せそうなのか

楽しいのか

よく休めているか


無理をしないで

困難を乗り越えることが

できているか


経験から

なにごともやってみせる

勇気と元気はわいてきたか


気づき

学び

成長して感謝できているか


というようなことに

目が向くようになる

2021年5月24日 (月)

4つの気持ち

ありがとう

ごめんね

許してください

愛しています


この4つがあれば

そして

言葉にできれば

そんな難しいことではなくて

家族

まわりのひと

みんなが

笑顔で生きていけるのではないかと

思う


だから毎日

この4つの気持ちを

忘れないように


できれぱ

大切なひとに

(ちなみに

旦那とは関わらないように

しているので

旦那以外です)

言葉にして伝えられるように

わたしは

失敗しながらも

努力している

2021年3月29日 (月)

細いは美しいをやめませんか?

世界には

モデルさんの体重制限が

配慮されているみたいなので

日本だけなのかもしれないけれど


細ければ美しい

という美意識が

最近

男女ともにある


細いと

シルエットだけで

若く見えるという

感覚もあるようで


男性も

アニメの主人公をみたらわかるように

BMIが

低すぎる


俳優さんも

アニメの主人公をやるにあたり

体重制限をしていて

とにかく細い


女性も

アイドルや女優さんは

棒のような足

ガリガリで鎖骨がみえている


女性がそこまで

ダイエットしたら

女の子の日はこなくなる

胸が小さくなる


なので

げっそりとした顔

小さな胸

の整形をするひとも増える


今の若者が

求めているのは

栄養失調の

子供のような体で

健康そうな体ではない


その美意識

細くないと もてない

美しくない

こだわりすぎると

病気になる


断食をしたり

野菜だけを食べたり

サプリをのんだりしていると

拒食になる


拒食になると

食べることが怖くなり

精神も病む

なかなか治療は難しい


それに

将来家庭をもったとして

一番

健康でいたいときに

健康に

暮らせなくなる


そうなってから

なんとかやり直そうとしても

体はなかなか

健康にならない


世間の

細ければ美しいという

美意識が

なくならないかぎり

見た目にこだわる毎日から

脱け出せなくなる


というわたしも

年中ダイエットを失敗している


さらに

次男は拒食


拒食にはいろいろな原因があるから

他の原因のひとは

関係がないけれども


とりあえず

もうね


細いは美しいをやめませんか?

2021年3月24日 (水)

家族には話さない

今まで

わたしの実家家族に

旦那のことや

子供のこと

スピリチュアルなはなしなど

たまに

話してきたけれど


理解してもらえない

傷つけられる

そのふたつしかなかった


結局

理解してもらえない

傷つけられるだけなら

家族には

わたしのことはいっさい話さないと

決意した


家族に

理解してもらえないと

思いながら

話すのは

とても疲れる


他で話すとき

自信がなくなる


さらに

傷つけられて

ひどく落ち込む


わたしが悪いのだ

話したわたしが悪いのだ

わたしに

家族への思いやりがないのだと

原因を自分なのだと

思うようになる


両親やきょうだいに話すのは

選んで話したり

事後報告にしたりしても

よい結果にならないことが

多い


それは

よい家庭環境で育っていないのだから

当たり前ではあるけれど


ついつい期待して

話してみると

ひどい結果になるもので


今までもずっと

そうだった


どれだけわたしが

頑張ったところで

永遠

家族のそれらは

改善されていくことなどない

ということに


そろそろ気づいて

行動していかないとね

原因がわからないとき

家族や自分にとって

苦しいことが起きたとき


腹が立ったり

家族を責めたくなったり

自分を責めたり

後悔したり

落ち込んだりと

さまざまな感情に悩まされると

思うのだけれど


原因がわからないときは

いろいろなことが関係していて

原因が多くあるがために


本人も

寄り添う側も

どうしてそうなったのか

わからない

ということがある


原因がわかれば

ゆっくり紐解いていくように

ひとつ ひとつ解決していく


自分の思う原因が正解なら

苦しいことが

解決していき


自分の思う原因が不正解なら

苦しいことが

良くなっていかない

という案外単純なもので


難しく考えていたときは

拍子抜けすることも多い


原因をみつけたら

やめてみる 工夫してみる

という

「本人には何もさせず」

まわりが変えていく必要がある


だって本人は

ただでさえ

苦しい思いをしているのだから

それ以上

求めてはいけないと思う


すぐに原因を見つけたい

自分に責任があるのか ないのか

できればないにしたい

という

犯人さがしのようなことをしているひとは


自分が満足したいだけ

なのではないかしら


後悔したり

泣いたりは

力一杯して

どん底まで落ちれば

セロトニンも出てくるから?


思いっきり自分を責めて

落ち込むだけ落ち込んでいいと

思うのだけれど


原因さがしは

しばらく苦しんで全体がみえてこないと

答えなどというものは

見つからない


そもそも答えなど

最初から存在していないのかも

しれないからね

2021年3月22日 (月)

自分の気持ちと相手の思い

自分の気持ちを

わかって欲しい

理解して欲しい

という思いで

ひとが一生懸命話すとき

というのは


我慢をやめて

自分の意見を言い始めたひと

(これはいいことだよね)


または

もともと

自分語りで

やたら相手に理解してもらいたい

という気持ちばかりが

強いひと

だと思うのだけれど


どうも

自分の思いが伝わっていないと

感じたとき

まわりはよく理解しているというのに

何回も話して

むきになるひとがいる


偉そうなことを書いている

わたしも

理解されていないと感じて

譲れないときがあるから

ひとのことは言えないのだけれど


例えば

誰かと

何か話しているとして

自分の思いを相手にわかってもらう

ということばかり

考えがちになるとき


「相手の思いをわかろうとする」

ということだけを考えて

集中していけたら

いいのではないかなと

わたしは思う


自分をわかってもらいたい

より


常に

「相手をわかろうとする」


そうしたら

話している間

自分を理解してもらいたいからと

むきになる必要もなくて

争いにもならない

お互いに緊張の必要もなくなる


さらに

どうしたらよいかがわかってくる


相手をわかろうとする

ただそれだけで

ややこしいことは考えないでいると


なんだか自分が幸せになれる

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